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カリスマ感情アピール 真ならず/龍明小説3-1


『物悲しい心象風景を見据えよ・二巻の終わり/龍明小説2-19』
からの続き

 ーー龍明は2、3の親類を回った後、再びナの家に来て、「南から来た神霊なる聖書の先生」という触れ込みでそこに留まり、礼拝を行うようになった。
『へびの知恵で平壌に居座る/龍明小説2-18』より



  龍明小説3-1



 ソウルから銀白文に同行して来た女性信者ナ・チェソプの平壌の実家は大きくないが、亡父がイエス教会の高名な長老だった家だ。

 銀はその家でリバイバル集会を開き南へ帰って行ったが、ナは残っていた。そこに銀の後任でもあるかのように、うまく居候を決め込んだ龍明。


 しかし礼拝といっても、最初は参加者がナの家族2、3人だけだったが、程なく近くに住む熱心なクリスチャン夫婦と知り合った。

 妻のチョンファは年の頃30代前半、地域の大きな長老派教会で婦人部長を務め、夫の鄭は事業を営んでいた。大物が釣れたのだ。


 彼らが礼拝に参加するようになると、龍明は言った。
「見ての通りの少人数です。誰か知り合いを連れて来てください。これは新しい救いの御言葉を受ける条件である。」

するとチョンファはすぐに、夫の従姉妹の金インジュの家に行き、
「ソウルからすばらしい説教者が来たのよ、一緒に聴きにいきましょう」
と誘い、次の礼拝には彼女を連れてやって来た。


 民家の狭い一室。
 賛美歌は同じ歌を何度も何度も酔ったように延々と続けられ、途中聖歌の類とは違う民謡や朝鮮歌謡のようなものも歌った。

 先生の祈祷は緊張感にあふれて、ある時は神の悲しみに大声で慟哭するような、ある時は神と格闘するような、激しい長い祈祷だった。

 見ると龍明先生の額には汗が、目には涙があふれていた。


 神霊集団ではよくある光景だったが、伝統的キリスト教会の形式に沿った短時間の礼拝しか知らない2人には、何もかも驚きだった。

 龍明の大袈裟な激しい感情表現にさらされて、まるで自動車のヘッドライトに照らされた小動物のように、心理的に身動きができなかった。


 龍明は、イエス様の苦難の路程と題して、激しい感情アピールを交えて語りはじめた。
「十字架に架かることは、本来の神の予定ではなかったのです!」

 時々聖書に書いてない微に入り細に入ったエピソードを加えて、同情の涙を誘った。

「イエス様はね、子供の頃からかわいそうだったんだよ」
「お母さんのマリアからは無視され、お父さんのヨセフからも愛されなかったよ」
「おいしいものも食べさせてもらえず、ちゃんとした衣服も着せてもらえず」
「イエス様のお誕生日の日でさえも、そんな扱いだったというんだね」

 居合わせた人々はすすり泣いた。


 何回目の時だったろう。
 外にまで大きく漏れてくる聖歌の歌声に興味をひかれ、ふらりと入って来て聞いていた男性が、礼拝後に何気なく、あっけらかんとこう質問した。

「先生はどうやってイエス様の子供の頃の話など知ったのですか?」


(つづく)



参考資料/サイト

https://www.tparents.org/Library/Unification/Books/Sm-Early/Chap06.htm
など





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