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コロナに罹り、統一教会後遺症が発覚?



コロナに罹り、統一教会後遺症が発覚?


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先月の後半に、新型コロナに罹ってしまった。
頭痛、高熱、咽頭痛、咳、痰と症状が続き、結構激しかった。(一時は39.2度まで上がった)

発病する前の数日間は、昼は猛暑でも朝晩は多少気温が下がり、ブルッと冷えたような寒さを何度か瞬間的に感じていた。その頃にはウィルスがもう体内に入っていて、発症するかどうかをかけて免疫細胞とやり合っていたのだろう。

ここ10数年、自己免疫疾患の一種と言われる掌蹠膿疱症性骨関節炎になっていて、免疫細胞が自分の骨や皮膚を攻撃して強い炎症痛を起こすほどに過剰に活発化していたせいでしょう、風邪などには一度もかかったことがなかったのです(その10数年間は)。
風邪やインフルなどのウィルスは、暴走した我が免疫細胞が、余裕で追い払っていたのでしょう。アンパンマンのような凄いパンチ一発で、バイバイキーン! いや、そのパンチにやられていたのは私自身で、風邪のウィルスはその余波でぶっ飛ばされていただけでしょうけど。

その自己免疫疾患が、2年前に扁桃摘出したのがきっかけとなり、治ってしまったのです。少なくともここ一年は、過剰に暴走する悪徳免疫から改心し、普通の免疫さんになっていたのです。それで今回力及ばず、コロナを発症することになってしまったのかもしれません。

【きっかけになった扁桃摘出について】ココ↓
  「入院してます。祈祷室で祈られている?」
  「ギャル主治医。手術のエビデンス」

私の年齢が重症化リスク因子だということで、コロナ治療薬(ラゲブリオ200)を5日分処方されましたが、飲むと腎臓や肝臓に強く負担が掛かっている時の気分の悪さ(副作用。免疫抑制剤で経験済み)が出るので、4日目で自主ストップしました。

症状は酷だったけれど、なんとか2週間ほどで倦怠感もなくなり、今のところ後遺症もなく、不幸中の幸いというか、家事・看病要員でがんばった夫は結局罹らず、里帰り中の娘の方は陽性になりつつも無症状で、無事元気な赤ちゃんを出産しました。



5類になって目立たないところで、またコロナやインフルエンザが流行っているらしく、近所の医院の医師は「コロナは風邪の一種ですから」と。
珍しいことではないし、私が罹っても何の不思議もないわけですが、
実はもう一つ、コロナに罹った理由というか因果関係にまつわるトンデモ話です。 

罹かる前、健康やダイエットのため、youtube動画で毎日エクササイズをしていたが、2キロ減量までが限界。あともう2キロ位どうにかして体重を減らしたいものだと思っていた。そんな時、コロナに罹って食欲のない日が続いた。治った頃に体重を計ってみると、2キロほど減っていた。
以上が事実で、以下は私の解釈、心の世界です。

まさか私が望んで、コロナで2キロ痩せることを引き寄せてしまった? 引き寄せの法則/宇宙の法則が発動されてしまったのではないか、とふと思った。そういう法則には善悪の判断はないとどこかで読んだような気もするし。
まさかあの恐ろしいコロナに罹りたいなんて、自分という個体に害になるようなことを願うわけないのに。

私の願い方に何か、普段見落としている抜けや漏れ、盲点があるように感じた。
それはブラックボックスの中に入っていて見えないけれど、何か確実にあり、「抜けている」なんて甘い言い方で、本当は内心致命的に思えるくらいコンプレックスになっている。それは一体何だろう。
誤魔化さないで自分に向き合うこと、自分を見据え、自他を含めて何かを願っていくことだ。

自分と向き合いもせず、見据えないで、外側に理想を願ってそれらしき方法を一生懸命がんばる。そうすれば全てうまくいくだろう、という無責任な強い思い込み。
実際は往々にして、自分を含め全てがうまくいくどころか、逆のとんでもないものが引き寄せられてきたりする。

唐突ですが、そういう害のある願い方をしてしまうのは、統一教会の後遺症だと思う。
では入信する前はきちんと自分を見据えられていたかといえば、若年の未熟者ゆえそれは無理でしたが、統一教会の教えや教育がますますできない改善不可能な方向に押し込んでしまったのです。

離教・脱会して何十年経っても、自分が気づき、自覚しなければ、そのままな部分が、本人だけに分かる心の奥深くにあったという。
コロナになって、統一教会の後遺症が発覚、それも癒そう。
うまく表せず分かりにくいかもしれませんが、こんな心の動きがあったことをもう一度味わいながらここに記しておきます。“喉元過ぎれば熱さを忘れる”で、体験もあっという間に忘れてしまいがちなので。



***
地上天国を願って、その時々の教えを一生懸命実行したら、ディストピアができていた。
今の日本での状況のようなことになると思って、統一教会に入教した人はいないだろう。

もしこの先解散命令が出され、宗教法人でなくなっても、信教の自由はあるので、自称メシアの教えを信奉する少人数の天一国(大勢のディストピア)は当面は残っていくのだろう。






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コメント

無自覚の後遺症
ご指摘のように、無自覚の「統一教後遺症」は私にもあります。特に大学一年の18歳で入教したので、まさに世間知らずの私は、人として乗り越えるべき多くの精神的な課題や成長を放棄してきたと思います。教理や上からの指示を絶対視して、自ら考える事を放棄、さらに、日々の活動に没頭することで、自分の未熟さに蓋をしてきた人生です。今更変えられない事が多いですが、変えられることろは努力を続けたいと思っています。
Re:無自覚の後遺症
ケンタロウさん、
コメントありがとうございます。

無自覚の後遺症、ありますか。
そう認められるということは、普段微細な周囲の反応や、そういう出来事に対する自分自身の反応の中に、何か微妙な違和感を感じることがあるということでしょう。

今回で私も気持ち的に大分地に足が着いてきたように感じます。思えば以前は、容易にアタマがスピリチュアル方面にぶっ飛んでしまっていました。

数年前に多次元霊界のことを記事にした時は、「10次元〜20次元が本来だー!」と心がそっちに吸い込まれる感じもありましたが、
そんな時コメント欄で「自分は4次元でいい。いいとこ5次元狙いかな」とボソッと呟いたのは確かケンタロウさんで、
なるほど〜と思いましたが、当時は、
「なんで究極の20次元を求めないんだよ! まあ“天使長”だからしょうがないかね」
みたいな統一後遺症的心持ちも少しありました。が、
今は大丈夫です。(笑😆)

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