迫力満点!
文鮮明氏の血分けの御言葉は
神の名を借りた支配欲の発動
前回の記事のコメント欄から、文氏本人が説教の中で血分けの事実を語ったとの証言です。
同時期のジャルジンでの777双の証言や、イーストガーデンでのスピーチ(公的記録)とも、内容が合致しています(資料末尾)
その頃、文鮮明さんは80歳を目前に控え、何やら語りたくなっていた時期だったのかもしれません。
【6マリアとは文鮮明の種を伝える代表的な女性たち」文国進証言】コメント欄より
http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-359.html#comment1055
私は、ベルベディアでの文師の説教で、ご本人から血分が事実である事を聞きました。
ケンタロウ URL 2023年03月17日 22:10
よければ、どんな風に語ったのか、教えてください。大体の覚えている限りでもいいので。
暗在 URL 2023年03月18日 12:32
時期は90年代の後半だったと記憶しています。当時、文師は毎週のようにベルベディアで聖日の説教を行っていました。ある日の説教のテーマが血統転換でした。
内容を要約すると、
(1)私(文師)は、全ての欲望をコントロールできる人間である。自らの欲望を満たす目的でなにかを行う事はない。
(2)人類の原罪の問題を解決するのは簡単な事ではない。大きな蕩減を払う必要がある。
(3)その蕩減の為に犠牲になる女性たちが必要であった。その女性達は、たった一度だけメシアと一夜を供にし、その後は、死ぬまで独身を貫かねばならない。そのような大きな犠牲である。
みたいな内容でした。もちろん、この日の説教は公式に記録されておりません。
ケンタロウ URL 2023年03月19日 05:34
要約であるにもかかわらず、現役として実際その場にいたような迫力、臨場感が伝わってきます。(要約がうますぎるのか)(私がHSP的だからかもしれません)
説教内容について:
なんだろう、こういうのは許してはいけないなと感じました。
犠牲は尊いなどという問題ではなくて、神と贖罪の歴史の名を借りた征服欲・支配欲になってしまっています。
思い返せば、70年代の教会内では、血分けの事実は一切伏せられていましたが、それ以外は同じような内容、同じような波動の、重たい犠牲の要求が信者たちにズッシリとのしかかっていたと思います。その重苦しい犠牲の要求を受け入れて信者になる、と言いましょうか。
結局、それを撥ねつけることができなかったのはどうしてか、自分が犠牲を厭うような自己中心者だと思われたくない(自分で自分をそう思いたくない)という、いわば自分を庇う心理があったのではないか。
それで結局、負けてしまい、教会の言葉に内面を委ね、大切なものを見失い、人生を支配されーの、振り回されーの。それで心の内側は硬化しーの、ボロボロになりーの…。
当時はそれでもよかった(仕方なかった)かもしれないが、今は取り戻したいと思っている。
犠牲を払える払えないは関係ない。内面の支配を断固拒否する! そういうことだ。
当然ながら血分けも断固拒否する。この前「私は丁得恩のファンです」なんてコメントに書いてしまったけど撤回撤回(^.^)
自分の弱さを目を逸らさず直視して、その場で踏ん張らないと、巻き込まれてしまう。血分け教の半容認者になってしまう。クワバラ クワバラ(古い…)
関連資料
やっぱり元老シックは隠している!統一教会草創期には血わけの講義が行われていた!(3)
https://ameblo.jp/chanu1/entry-11941610416.html
・文教祖は1999年ブラジル・ジャルジンの修練会で777家庭の女性信者が「文教祖の女性関係(六マリア)」を質問したところ以下のように答えたといいます。
「先生は六マリア?、違うよ! 先生は60マリアなんだね」
http://benkyoc.blog.fc2.com/blog-entry-84.html
・古参の教会員が、ジャルジンの修練会で、「私も、実体的血統転換をやってもいいのではないか」と(文先生に)言ったところ、
「もし、おまえが、一度だけ関係を持っただけで、そのことを絶対に他人に隠しておまえに完全に従順屈服してこれる女性12人を作ることができる自信があるならやっても良い」
と(文先生が)答えたそうです。
古参信者「カインの末裔」氏による2000年頃の証言
http://seeksee.web.fc2.com/9.html
~文鮮明氏の実態的血統転換について~
・現役信者H氏のご質問
「もう一度、お聞きします。この内容は、ほんとうですか?」
∮・K氏の御答
≪神山さんが、担当だったというのは、事実で、6大陸、各人種は、
実体的にあったようですが、120カ国が、達成されたかどうか
は、私に話した複数の古参教会員も確認していません。
ただ、四大聖人の相対者とは、全てあったと色々な古参教会員から
聞きました。だからといって、メシアではないと断言はできないとも私は、
思っています。ただ、777、6000、1800などは、
象徴的にしかしていないと思います。
もしかしたら、代表家庭が、ある可能性も否定できませんが、
聞いたことないです。
日本、アメリカ、ドイツは、あったと聞いています。≫
♯・現役信者H氏のご質問
「また、その血統転換の内容は象徴的なことではなく、実体的なことですか?
要するに、文先生が120ヶ国、各人種の代表女性と肉体関係を持ったと
言う事でしょうか?」
∮・K氏の御答
≪ただ、古参の教会員が、ジャルジンの修練会で、
「私も、実体的血統転換をやってもいいのではないか」
と言ったところ、
「もし、おまえが、一度だけ関係を持っただけで、そのことを絶対に
他人に隠しておまえに完全に従順屈服してこれる女性12人を
作ることが、できる自信があるならやっても良い」
と答えたそうです。あとは、ご自分で解釈して下さい。≫
♪・天のしずくの質問
『 文氏は信者の人達に、自分と同じ血統転換の権限を与えたということで
理解してよろしいのでしょうか?』
∮・K氏の御答
≪それは、違うと思います。文師は、自分は、できるが、そんな女性は、
作れないだろうという意味で、事実上許可しなかったと思います。
この点、ナンスクさんの本でも文師は、良いが、長男は、本来やっては
いけないと取れる表現があります。
「神様の弱点」ブログより
http://benkyoc.blog.fc2.com/blog-entry-84.html
パンタナール・ジャルディンにて、777を中心とした国家メシアの修練会があり、
そこから帰ってきた国家メシア男性は、本当に信仰を失う程に苦悩しながら
苦りきった表情で、私に開口 一言目が
「川崎君、お父様は 本当に あったそうだよ。。。
く~・・・
つまづいた つまづいた・・・
何せね、臆することもなく
『君たちと こうして過ごせるのは、最期の機会だから、何でも質問しなさい!』
とおっしゃるもんだから、一人の777が女性関係の事を尋ねたんだよ。
その男(777)も よく先生にそんな事聞けるなあ と思ったけど、、、
その返事がね・・・いいですか? 川崎君、つまずかないでくださいよ!?
こう おっしゃったんです!。
『先生は六マリア?、違うよ! 先生は60マリアなんだね』
ですってよ。
いや~、もう どう言っていいものか、、、
(驚いた国家メシア達が、「私達も先生のように複数の女性と快楽的に交わりを
していいのか?」 と質問した事に対し、文鮮明氏がどう答えたかは、他のサイト
に既に書いてあるので、そちらを読んでください)
どんな誘惑下でも自分をコントロールできると自慢…
「大先生の御言葉とクリスチャン青年の躓き/龍明小説2ー4」
http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-66.html
(公的記録資料末尾 September 21, 1998 East Garden, New York)
後に押しも押されぬ教祖となった文ノ龍明大先生が、大勢の西洋の信者たちの前で、都合のいい屁理屈をつけてこう語っている。
「君たち、先生(=自分のこと)はね、若い頃はいろいろ研究したや。
それで、最高の美女がベッドの中で誘惑して来ても、自分を律してコントロールする訓練を受けたんだね。
まさにセックスしようとしているその時ですら、ふいに横を向いてやめることができる。
先生は誘惑を取り扱う世界チャンピオンだと言うんだね。
あ〜、ある晩寝ていると、一人の女が裸で先生の部屋に入ってきた。
先生の布団を捲って、『私を救ってください』と言う。
先生は『不能者だから』と言って断った。
すると女は、『あなたは男じゃないですか?』と言い、先生を立たせようといろいろやったが、先生は自分を立たせなかった。
そんなことをしたら神様の生殖器をゴミ箱の中に投げ捨てることになると知っていたので、できなかったのです。
どや、君たち、先生はアホな者ではありまっせん。」
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2023/03/26 (日) [ノベル注釈など]
私の証言を取り上げて記事にして下さり、ありがとうございます。他の方の証言とも一致しているとは驚きました。やはり私が聞いたあの日の文師の説教は夢や幻ではなかったのですね(笑)
当時は、あのような衝撃的内容を聞いたにも関わらず、全く冷静でした。文師を絶対的に信じていましたし、「人間が理解できない摂理上の意味がある」というマジックワードで思考に蓋をすることに慣れていたからだと思います。公の場であれだけ堂々と語られれば、文師の言葉は絶対と思い込んでいた私は、摂理の隠された奥義を知れた、という感動すらありました。完全にイッちゃっていました。
本物の人格者は「私は人格者である」と自分で言う事はありません。マザーテレサが「私は善意に溢れた人間です」と言う事はないし、いつも愛情一杯で孫に接しているお祖母ちゃんが「私は愛情深いお祖母ちゃんよ」と言っているのを聞いたことがありません。本当に欲望をコントロールできる人間ならば、「私は欲望をコントロールできる人間である」と説教の場で宣伝する必要はないのです。
当時は、あのような衝撃的内容を聞いたにも関わらず、全く冷静でした。文師を絶対的に信じていましたし、「人間が理解できない摂理上の意味がある」というマジックワードで思考に蓋をすることに慣れていたからだと思います。公の場であれだけ堂々と語られれば、文師の言葉は絶対と思い込んでいた私は、摂理の隠された奥義を知れた、という感動すらありました。完全にイッちゃっていました。
本物の人格者は「私は人格者である」と自分で言う事はありません。マザーテレサが「私は善意に溢れた人間です」と言う事はないし、いつも愛情一杯で孫に接しているお祖母ちゃんが「私は愛情深いお祖母ちゃんよ」と言っているのを聞いたことがありません。本当に欲望をコントロールできる人間ならば、「私は欲望をコントロールできる人間である」と説教の場で宣伝する必要はないのです。
ケンタロウさん、
コメントありがとうございます。
同時期の他所での証言と内容が齟齬なく、一致していますね。
93年に書籍「六マリアの悲劇」が、また98年には「我が父文鮮明の正体」が出版されて、教会内外がざわめいていたので、それに対しての言い訳が必要な時期だったのかもしれません。
文教祖の血分けの事実を知ったというだけでは統一教会の信仰をやめない、大いにあり得ますね。
2000年頃に「不良食口おやぢの非原理教会掲示板」に書き込んだらメルマガに載せられた私のコメントを貼っておきます。
「7年位前、斉州島の修練会に参加したころに、世間では告白本が出たりしていて、血分けその他の問題が社会でとりざたされていたと記憶しています。
わたしはその修練会の感想文に、
「具体的な証言もあることだし、全くの事実無根ということはないのではないか。あったならあったと認めてもいいのではないか。それだからといって、信仰になんらかの影響があるとは思えない……」
というようなことを書いた覚えがあります。
ただ、これは神の命令だったのだと信仰的に厳かに受けとめるというのとも違っていたと思います。
ある本からの引用ですが、
「芸術家肌で観念的な世界を作るのが得意な人は、どんなに統一教会のウソをみても、その人しか入れない心の迷宮に戻ってしまって信仰はゆるがないという困難がある」
このタイプに近いと思います。
当時はすでにだいぶ教会から距離をおいていましたが、頭のなかではまだ信じこんでいるようなところがあって、マスコミ等が、血分け血分けと鬼の首をとったようにさわいでいる理由がまったく理解できないわけです。
血分けがあったとしても、再臨主ではないという証拠にはならないと思うわけで。
血統転換の講義の内容を、心情だけでなく肉体をも使って具体化しただけであって、と。
『マインドコントロールの恐怖』をじっくり2回も読んで、教会は確かにこういうことをするし、そのような作用があると認めても、再臨主だったらいいのではないかと思えるわけです。
親は小さい子供を育てるのに、脅しやすかしや騙しは日常的に行うわけであって、と。・・・」https://oyadi2022.com/uc_confession_note-40
済州島16万人日本女性修練会の感想文にそんなことを書いたとは、すっかり忘れていました。(もう30年も前のこと)
班長もいない巨大スシズメ修練会で、感想文などがんばって書いても誰も読みやしないのにバカだね〜と自分がかわいそう(笑。
しかし、だからか、龍明小説のようなものを書いても、信教の自由を侵害しているとは思えません。信じ込んでいる人はやめるわけないと思えるから。
コメントありがとうございます。
同時期の他所での証言と内容が齟齬なく、一致していますね。
93年に書籍「六マリアの悲劇」が、また98年には「我が父文鮮明の正体」が出版されて、教会内外がざわめいていたので、それに対しての言い訳が必要な時期だったのかもしれません。
文教祖の血分けの事実を知ったというだけでは統一教会の信仰をやめない、大いにあり得ますね。
2000年頃に「不良食口おやぢの非原理教会掲示板」に書き込んだらメルマガに載せられた私のコメントを貼っておきます。
「7年位前、斉州島の修練会に参加したころに、世間では告白本が出たりしていて、血分けその他の問題が社会でとりざたされていたと記憶しています。
わたしはその修練会の感想文に、
「具体的な証言もあることだし、全くの事実無根ということはないのではないか。あったならあったと認めてもいいのではないか。それだからといって、信仰になんらかの影響があるとは思えない……」
というようなことを書いた覚えがあります。
ただ、これは神の命令だったのだと信仰的に厳かに受けとめるというのとも違っていたと思います。
ある本からの引用ですが、
「芸術家肌で観念的な世界を作るのが得意な人は、どんなに統一教会のウソをみても、その人しか入れない心の迷宮に戻ってしまって信仰はゆるがないという困難がある」
このタイプに近いと思います。
当時はすでにだいぶ教会から距離をおいていましたが、頭のなかではまだ信じこんでいるようなところがあって、マスコミ等が、血分け血分けと鬼の首をとったようにさわいでいる理由がまったく理解できないわけです。
血分けがあったとしても、再臨主ではないという証拠にはならないと思うわけで。
血統転換の講義の内容を、心情だけでなく肉体をも使って具体化しただけであって、と。
『マインドコントロールの恐怖』をじっくり2回も読んで、教会は確かにこういうことをするし、そのような作用があると認めても、再臨主だったらいいのではないかと思えるわけです。
親は小さい子供を育てるのに、脅しやすかしや騙しは日常的に行うわけであって、と。・・・」https://oyadi2022.com/uc_confession_note-40
済州島16万人日本女性修練会の感想文にそんなことを書いたとは、すっかり忘れていました。(もう30年も前のこと)
班長もいない巨大スシズメ修練会で、感想文などがんばって書いても誰も読みやしないのにバカだね〜と自分がかわいそう(笑。
しかし、だからか、龍明小説のようなものを書いても、信教の自由を侵害しているとは思えません。信じ込んでいる人はやめるわけないと思えるから。
コメント