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崩れゆく日本統一教会の草創神話 ❸


「児玉と笹川。日本の戦後政治と社会❷ 」 のつづき


  崩れゆく日本統一教会の草創神話 ー❸



児玉氏や笹川氏が、その才覚と強引さで蓄えた莫大な資金力とネゴシエーション力で、ヤクザ組織と右翼団体をかき混ぜて育て上げて行くーー
ついでに弱小団体日本統一教会も育て上げた?
児玉・笹川・久保木の背後に、韓国情報部KCIA長官の金鐘泌の要請が?





『統一教会とKCIA -「民営化」された諜報工作:統一教会の場合』
『ロブスター』誌 1991年5月号より 翻訳3回目
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/190421644278/the-unification-church-and-the-kcia

著)ジェフリー・M・ベール博士
ミドルベリー国際学研究所(MIIS)
国際政策・経営大学院研究科教授


児玉と笹川 翻訳つづき

Perhaps more importantly, Kodama helped to found
さらに重要なことは、児玉が全日本愛国者団体会議(全愛会議)と青年思想研究会(青思会)という二つの主要な右派暴力団組織の設立に貢献したことである。

前者は、1959年3月に、初代会長に就任した児玉や理事を務めた笹川を含む「有力な右翼のネットワーク」によって設立された。
当初は、暴力的で、イデオロギーが曖昧な緩やかな組織だったが、1968年以降、新しい会長であるウルトラナショナリスト(超国家主義者)の佐郷屋嘉昭によって組織が多少強化され、頭山の純日本主義に基づく「統一された......理論体系」を採用した。
1974年までには、440の右翼暴力団を包含し、その会員数は15万人に上ると主張していた。

児玉自身は全愛会議の中で高い地位を維持し続けたが、青思会においてより積極的に関わるようになった。
青思会とは、1961年に児玉の忠実な支持者によって設立された全愛会議の下部組織で、1969年7月に母体から分離し、児玉が最高顧問になっていた。

青思会は、町井の東声会を含む少なくとも20の加盟組織を持ち、「理論教育」と準軍事訓練の両方を推進し、建前として共産主義者のクーデターに備えていた。
このイデオロギー的な準備の新たな強調と歩調を合わせて、児玉は、1967年4月に日本青年講座を設立し、久保木修己が後に「顧問」となる組織となった。


For his part, upon his release from prison Sugamo
笹川は巣鴨拘置所を出所後、日本政府を説得し、一般市民が合法的に賭けができるモーターボート競走を開設する許可を得た。
それが大成功を収め、その利益をもとに日本モーターボート競走会連合会を設立し、年間50億円以上の売上を上げるようになった。

また、年間のチケット売上高の3%は、彼が政府を代表して管理する「非営利」団体、財団法人船舶振興会を通じて分配され、「10万人以上を雇用し、年間1800万円の利益を上げている」という。

このような経済事業に加え、笹川は「富裕な株式投資家の影のシンジケートを率いているとされ、彼らの資金を特定の銘柄に集中させることによって、その銘柄の株価をヨーヨーのように上げたり下げたりさせることができる」。

この投機と笹川が支配する他の事業からの利益によって、彼は世界一の富豪の一人となり、慈善事業だけでなく、自民党の様々な派閥や指導者を宣伝したり妨害したりして、その巨額の財産をばらまいているのである。

そのため、笹川は、1964年に佐藤栄作の首相就任を実現するために児玉を支援し、1972年の選挙では、田中角栄が児玉がバックにいるライバル福田赳夫を破るのを支援したことが知られている。



Of greater interest are Sasagawa’s links to
さらに興味深いのは、笹川と超国家主義者や暴力団と繋がりである。
1954年には早くも、再編された戦前の超右翼団体である武徳会の理事に就任している。また、日本郷友連盟、全愛会議、APACL-Japan、文と関係があるWACL日本支部IFVC(勝共連合)など、数多くの「反共」団体と関係がある。

彼はまた、山口組の「ゴッドファーザー」田岡との友情を誇り、児玉と同様に「反目するヤクザ組織の仲介役を務めたと伝えられている」。

ヤクザや極右勢力とのこうした既知の繋がりに加えて、彼は世界空手連盟とその全日本連盟の会長であり、この両連盟はとりわけ、暴力団や超国家主義グループの合法的な「隠れ蓑」として機能している。(235)


戦後の日本政治に最大の権力と影響力を持った2人の黒幕が、なぜ韓国系の貧しい無名の宗教団体である日本統一教会支部に関心を持ったのだろうか。

私の見解では、それを解く鍵は韓国、特にKCIAの創設者である金鍾泌(金ジョンピル)にある。


金鐘泌は、1961年の朴正煕大統領のクーデター以前から文鮮明と繋がりがあり、クーデター後または以前に、韓国と米国の両方で様々なKCIAの活動を統一教会が「カバーする(担う)」代わりに、教会の拡大を密かに支援すると決めたことはすでに述べた。

従って、当時、信者の勧誘がうまくいっていなかった日本の統一教会支部を、同じように利用しようと考えたと想定するのは、全く妥当なことである。
しかしそれでも、金鐘泌が児玉や笹川と接触していたこと、また、文鮮明の組織の日本支部(原理運動)を支援することが双方の利益となったことを証明する必要があるだろう。


One of the most problematic issues in postwar Asian…
戦後のアジア復興で最も問題となったのは、いわゆる韓日関係の「正常化」だった。
1910年から1945年までの日本の植民地支配の過酷で搾取的な性質は、両国間に激しい敵意をもたらし、それが戦争終結後に相互に有益な政治・経済関係を再構築する力を阻害していた。

これらの態度は、日本の指導者が自国の韓国占領の破壊的影響を認めようとしないことと、李承晩の日本に対する揺るぎない憎悪と不信によって悪化し、韓国に与えた損害に対する日本の賠償問題、盗まれた韓国財産の返還、両国間の漁業境界線に関する論争、在日韓国人の問題など両国にとって関心のある特定の問題に対する一連の口論として表出した。

これらの問題を解決するための努力は散発的に行われたが、李承晩が政権にある限り、2国間の合意は得られなかった。
さらに、彼の強硬さは、NATOのような公式なものであれ、APACLのような「民間」組織による非公式なものであれ、北東アジアに地域反共連盟構造を構築しようとする米国の努力を損ねた。238


このテーマにとって同様に重要なのは、
朴大統領が日本の正常化推進派との「非公式なチャンネル」を開くために選んだ特使は、他でもない金鍾泌だったことだ。

金鍾泌は、1962年10月に日本を訪れ、児玉の同盟者である大野を含む様々な日本の指導者と会談した。
そして金はその直後に渡米し、サンフランシスコではムーニー達に統一教会を密かに支援すると約束している。

この訪問と、1962年11月に金がアメリカからの帰途に行った2度目の訪問の結果、「金・大平覚書」が作成され、日韓正常化プロセスにおける重要な一歩が踏み出された。

以上の示唆ではまだ足りないとすれば、児玉自身が「元韓国情報長官金鐘泌と親しく、金鐘泌と自民党や日本政府を繋ぐ重要なルートであったと言われている」(注247)

注247.)ディクソン、82ページ。
また、金と朴は児玉と関係のある二つの組織、松葉会、町井の東声会と密接な関係を築いていたことにも注目したい。前者については、アクセルバンク、101ページを参照。後者については、(東声会親分)町井が1973年にKCIAが韓国の反体制派である金大中を東京のホテルから拉致するのを手伝ったことに留意してほしい。
Kaplan and Dubro, pp. 189-97参照。


実際、日本人ジャーナリストの大塚 Eisukeによれば、
「児玉は、韓国を代表する金鐘泌と岸、大野伴睦、河野一郎を招いて会談を行い、4年間続いた(日韓正常化に関する)トラブルを短期間で解消させた」という。
金、大野、児玉の3人は、後に両国を巻き込んだ金融スキャンダルに巻き込まれることになる。(249)

しかしこれらの接触の動機は、経済的なものだけに限られていたと考えるべきでない。
金も日本の黒幕たちも共産主義の拡張主義に対抗することに関心があり、3人ともこれを促進するために右派連合を作ろうとしたのである。

金、児玉、笹川が国内の反共勢力の強化に努めたことはすでに述べたし、金の海外活動の一部も先に取り上げた。
あとは、児玉と笹川がAPACLやWACLのような地域的あるいは世界的なグループの創設や支援にも積極的に関与していたこと、そして彼らが ---おそらく金鐘泌の要請で--- 利用した手段の一つが文の統一教会だったことを示すにとどまる。

(つづく)



読む人は少ないかもしれませんが、長章「児玉と笹川」の翻訳は、あと一回のアップです。
それが「蛍の光」となるでしょう。





参考:
毎日新聞 2015年06月22日
特集ワイド:日韓黒幕のアルバム発見 
国交50年、児玉誉士夫氏が残した2冊 KCIAトップと「前祝い」/ちらつく米国の影
https://ujikenorio.hatenablog.com/entry/20150629/p5


黒幕・政商たち p.044-045 右翼、暴力団の大同団結を
韓国政界の〝黒幕〟でもある金鐘泌氏が、日本政界の〝黒幕〟といわれ、右翼の巨頭と称せられる児玉誉士夫氏と会見し、日韓交渉の推進と、そのための右翼の決起とを要望したという。
https://mita-archives.com/mita-kazuo/politicalmerchants025/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=politicalmerchants025

治安当局の情報はいう。

「韓国政界のナンバー・ツーであり、〝黒幕〟でもある金鐘泌(キム・ジョンビル)氏が、まだ失脚前のこと。来日のさいに、日本政界の〝黒幕〟といわれ、右翼の巨頭と称せられる児玉誉士夫氏と会見し、日韓交渉の推進と、そのための右翼の決起とを要望したという。そして、その資金は? という質問に対して、金氏は、八億ドルにのぼる対韓協力のリベートを流す旨、答えたというんだ」

「フーン。それで児玉氏は?」

「そこで、日本中の右翼、暴力団の大同団結をと、児玉氏は檄を飛ばしたのだ。もちろん、金氏とは親しい元東声会の大親分、町井久之こと鄭建永氏も、児玉先生という仲だから、双手をあげて賛成した」

「で、どうなった?」

「ところが、西日本を握る山口組、田岡親分が、この檄に応じない。…で、遂に〝右翼・暴力団〟の大同団結はならなかったのだ」





金鐘泌とムーニーたちの会見について:
「お主も悪よのぅ」文鮮明vs.KCIA
http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-175.html


KCIAと統一教会とのつながり わかりやすく:
龍明小説6&7カテゴリ
http://anzais.blog.fc2.com/blog-category-6.html






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