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児玉と笹川。日本の戦後政治と社会❷

忖度なし「秘密工作の民営化/日本の統一教会」❶のつづき


児玉と笹川。日本の戦後政治と社会❷


『統一教会とKCIA -「民営化」された諜報工作:統一教会の場合』
『ロブスター』誌 1991年5月号より 翻訳2回目

著)ジェフリー・M・ベール博士
ミドルベリー国際学研究所(MIIS)
国際政策・経営大学院研究科教授


https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/190421644278/the-unification-church-and-the-kcia


—-崔の追放後、久保木と小宮山は原理運動の指導権を引き継ぎ、前者は1963年に世界基督教統一神霊協会の会長に就任、後者は1964年に学生団体「全国大学原理研究会」を設立している。
これらの出来事の意味を把握するためには、児玉と笹川の背景を描く必要がある。(前回より)



    児玉と笹川(つづき)

Among his cellmates in Sugamo was Sasagawa, who
巣鴨の同房に、同じくA級戦犯として逮捕された笹川良一がいた。
笹川は1899年に大阪で生まれ、陸軍パイロットとなった後、戦前の超国家主義団体「国防社」、そして児玉の援助を受けて「国粋大衆党」を設立した。

国粋大衆党は、1939年までに1万5千人の黒シャツメンバーがおり、そのうちの一部は中国本土で児玉機関の工作員として働いていた。
しかし、ムッソリーニを熱烈に敬愛し、個人的に知り合っていたほどに右翼的なイデオロギー傾向にもかかわらず、笹川もまた日和見主義者であった。

そのため彼は、開戦前後の軍国主義的な抑圧の時代を通じて、「危険思想」を隠していると分かった裕福な個人を恐喝していた。
1942年、「東南アジアにおける攻撃の強化」を掲げて国会議員に当選した。

しかし、このように卑劣で多くの点で犯罪的な経歴があるにもかかわらず、両者共1948年末に釈放されることになったのである。
一部のアメリカ情報当局者は、児玉を「いとも簡単に日本の再建期に一流の辣腕家になりうる」「安全を脅かす重大な危険分子となりうる」と評し、また笹川を「継続する権力に不満を持つ、日本の政治の将来にとって危険人物となりうる」と評して警告したにもかかわらずだ。


This decision was due primarily to the impact of the intensifying Cold War atmosphere
この決定は、主に東西冷戦の情勢の激化が、アメリカ占領当局の政策採用に影響を与えたことによるものだった。
日本では、初期の「非武装化」段階は、1948年初頭にはいわゆる「逆コース」段階へと移行した。その間に投獄や公職を追放された右翼は釈放あるいは追放解除になった。

この移行以前にも、日本の軍国主義を根絶しようと決意した当局者、特にコートニー・ホイットニー少将の指揮下にあった政府部門の職員と、この政策が逆効果、極端すぎる、あるいは「左翼」だと感じる人々、特に「日本群衆」に代表されるアメリカの企業関係者と右派シンパで狂信的反共主義者のチャールズ A. ウィロビー少将が率いるGHQの軍事情報(G2)部門の間に激しい反目が生まれた。

ウィロビー指揮官は、1946年1月のSCAPIN550によって義務付けられた反軍国主義政策を忠実に実行するどころか、戦時中の警察や情報機関の職員を含む超国家主義者やヤクザのチンピラを情報提供者、スト破り、秘密工作員として積極的に採用した。

児玉と笹川の両名がウィロビーのG-2や連合国軍最高司令官(SCAP)官僚機構内の他の強硬派と取引をしたことは、現在一般に認められている。


Immediately upon his release in December of 1948, Kodama seems to
1948年12月に釈放されるとすぐに、児玉はアメリカの情報機関に採用されたようである。
彼は雇い主のために、海外での情報収集や海上密輸など、さまざまな秘密工作を行った。
主な役割は、GHQと超国家主義者やヤクザの裏社会の仲介役として、前者(あるいはその保守的な日本政治の同盟者)の命令で、スパイ活動や強硬作戦に後者を動員するのに役立った。

例えば、1949 年、児玉は「北炭夕張炭鉱の労組弾圧のため明楽組(暴力団)を組織して送り込んだ」。
さらに、彼は中国で築き、その後隠したとされる財産のうち7000万円(持ち出したプラチナやダイヤモンドを除く)を使い、戦後の日本の選挙政治にひそかに影響を及ぼしたのである。

一例を挙げれば、吉田茂政権の自由党で優勢な地位を得ることができなかった、追放解除された戦前の右派政治家による保守新党、民主党を設立する目的で、超国家主義者の極道で巣鴨の同房者 辻嘉六を仲介に、鳩山一郎に650万円(当時)を提供した。

鳩山首相の当選後、1955年に両党は合併して自由民主党となり、保守色の強い親米政党として、今日までほぼ単独で日本を支配してきた。
児玉は、1959年に巣鴨の同房だった岸信介を再選させ、1964年には佐藤栄作を首相にするなど、自民党の派閥闘争に決定的な圧力をかけ続けた。

また、ヤクザとつながりのある自民党副総裁の小野伴睦など、他の自民党政治家とも密接な関係を保ち、ロッキード社の贈収賄事件で重要な「フィクサー」として認定されるまで、その影響力は大きな後退を見せなかった。


In addition to these political activities and his ‘legitimate’ business
こうした政治活動や「合法的」な事業活動に加え、児玉は、松葉会、国粋会、義人党など、戦後の多くの超国家主義者やヤクザ組織とも関わりを持つようになる。

町井久之(まちい ひさゆき)こと鄭 建永〈チョン・ゴニョン、정건영〉率いる朝鮮系ヤクザの多い東声会の顧問を務め、1965年には「交風倶楽部」を組織している。

しかし、児玉のこのような個々の組織とのつながりは、それらの間の協力や連合を実現するための努力に比べれば、それほど重要なものではなかった。

1960年、岸首相が、アイゼンハワー大統領の訪日を機に計画された左翼デモに対抗するため、彼に協力を要請したとき、おそらくこの考えが初めて浮かんだのだろう。

児玉はこれに対して「1万8000人以上の暴力団員、1万人のテキヤ(暴力団または暴力団に近いボスが支配する露店商)、4000人の『純粋な』非暴力団員右翼、その他5000人(戦争経験者を含む)」を動員し、手薄だった東京の警察を補強した。

アイクの訪問は最終的に中止されたが、児玉はその後すぐに、通常は分裂している極右とヤクザ集団のこの一時的な同盟をより恒久的なものにしようと、たとえば次のようなことを試みた。

東京の7つの主要な暴力団の間で「関東会」として知られる同盟を手配し(これはその後まもなく崩壊した)、東声会と日本最大のヤクザ集団である田岡一雄の山口組との「便宜的同盟」を促進し 、後者と稲川角ニの錦政会とを和解させた。


(つづく)

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読む人は少ないかもしれませんが、数回に分けて、長章「児玉と笹川」をアップしようと思います。
それが「蛍の光」となるでしょう。





参考
興味深い
春名幹男(国際ジャーナリスト)の記事より

A級戦犯から「最恐フィクサー」にのしあがった、児玉誉士夫のヤバすぎる半生
https://gendai.media/articles/-/77266


児玉が出した自民党(の前身)の結党資金の金額

1週間後の9日に日比谷公会堂で結成式をした自由党に、資金が寄付されたに違いない。

その金額は5000万円とも7000万円とも言われたが、児玉自身はジャーナリストの大森実に「当時のカネで7000万です」と語っている。
大森が「今だと何千億になりますな」と言うと、児玉は「それはもちろんです。それとダイヤモンドですね」と返した。ダイヤモンドも寄贈したらしい(注3)。
戦時中、国民が供出したダイヤモンドは含まれていなかったのだろうか。




軍備根絶から逆コースへ:政策が変わると人物評もこんなに変わる

CICは占領当初、児玉を「極めて危険な人物」とみていた。しかし、1949年12月5日付のCIC秘密メモは、次のように児玉観を180度転換している。

「彼は恐らく、共産主義反対という点において誠実である。他方彼の記録は、ヤクザ的性格を示している。疑いなく、彼は(日本政府)高官と接触があり、重要な情報へのアクセスを持っている」

児玉は、これで「反共」と「重要な情報へのアクセス」という切り札を得る。ただ、この時点では米情報機関はまだ警戒もしていた。

しかし、彼は危険であり、あらゆる種類の悪辣な取引が出来る陰謀家だ。彼には、経験豊かなエージェントだけが最大限の注意を払って接近すべきだ

だが、翌1950年になると米情報機関は児玉を積極的に利用しようとし始めた。同年3月31日付で「合同特殊工作委員会(JSOB)」に配布された児玉の個人ファイルは、児玉への好意をはっきりと示している。

「児玉の強みは、非常に任侠的な点。私欲のない愛国者。全面的に反共産主義。若者の指導に深い関心あり。カネには非常に無関心」
「児玉の弱点は、感情的な男であること。……悪い友だちから逃れられないので、簡単にだまされやすい」

かつて「危険」とされた人物の性格分析が、ここまで変化した。

JSOBとは、当時GHQの情報機関以外に、CIAなど他の情報機関の代表も入れて構成された、情報工作の調整組織だ。

こうして、米国の各情報機関は競い合って、児玉から情報を入手しようとした。



角栄が恐れ、中曽根が泣きついた…戦後「最恐のフィクサー」児玉誉士夫の正体
https://gendai.media/articles/-/77247



余談ですが、上の最後の性格分析(下線部)は、信者がよく言い訳する文鮮明“お父様”の人物評に似ていませんか。
甘いですよ、大甘です。
中間の評(斜線部)くらいにしておいた方がいいです。
“文鮮明氏は危険であり、あらゆる種類の悪辣な取引が出来る陰謀家だ。彼には、経験豊かなエージェントだけが最大限の注意を払って接近すべき。騙されやすいシロウトは近寄らない方がいい。人生を持っていかれる”>_<





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