忖度なし:統一教会とKCIA
-「民営化」された諜報工作
:UCの場合
『ロブスター』誌 1991年5月号より
著)ジェフリー・M・ベール博士
ミドルベリー国際学研究所(MIIS)
国際政策・経営大学院研究科教授
「人が考える理由ではなく、何をするかで人を調査しなさい。」(訳不明。誰か教えて)
‘You don’t investigate people for why they think but for what they do.’
-- 元司法長官ベンジャミン・シビレッティ
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/190421644278/the-unification-church-and-the-kcia
から「日本の統一教会」と「児玉と笹川」の章を翻訳します。
【見出し】
はじめに
統一教会と韓国中央情報局とのつながり
始まりは
文鮮明の神学
KCIA
KCIAと統一教会
1960年代の統一教会
統一教会と世界反共連盟WACLの連係
WACLの発展
日本の統一教会
児玉と笹川
おわりに
日本の統一教会
しかし、WACLと文氏の関係を考える上で、本当の鍵は日本にあると思われる。そこで、この関係を明らかにする前に、日本の統一教会の発展を辿ってみる必要がある。
文鮮明の日本支部の創始者は崔翔翼(チェ・サンイク)(崔奉春)である。
彼は青春時代の大半を大阪で過ごした。第二次世界大戦末期、家族とともに韓国への帰国を余儀なくされた。日本で英語を学んでいたため、韓国では占領下のアメリカ軍の通訳の仕事に就いた。
父親は以前から日本の新宗教である天理教の信者であり、崔翔翼は一時期反宗教的な時期を経て、キリスト教に改宗し、1957年4月に統一教に入信した。
韓国でしばらく布教活動をした後、1958年6月に統一教会の支部をスタートさせるため日本へ派遣された。
彼の初期の努力は、事実上、何の成功も収めなかった。 1959年8月10日に正式に教会(日本では「原理運動」として知られている)を設立したとき、実際のメンバーは彼一人であった。
何年もにわたる挫折の末、1962年末に超国家主義的な日蓮宗の宗派である「立正佼成会」の50人の指導者たちを「改宗」させることに成功し、彼らの助けによって原理運動は成長を始めたのであった。
1966年までには、共同体としての家族的な生活様式、体系化された集中訓練プログラム、局、部、課、委員会に分かれた全国本部と11の地区と36の県教会に枝分かれした地域システムを持つ「法人教会組織」という「緊密な組織構造」を構築していた。
最終的に、日本の統一教会は文氏の国家支部の中で最大規模かつ最も資金潤沢になり、その会員によって集められた膨大な資金の一部はアメリカに送金され、アメリカ統一教会によって親韓の影響力工作に使われた。
ここでもまた、韓国で起こったのと同様の展開の経過が観察される。
1962 年後半以前、原理運動は貧しく、極めて小規模で、その存続に苦心していた。
それが4年足らずで、強大になり、高度に組織化され、十分な資金を持つようになった。
この変貌をどう説明すればいいのだろうか。
データは我々が詳細の全てをはっきりさせるのを許さないが、 1961年の軍事クーデター後の韓国で行われたのと同様、「有力な友人」がこの転換に再び役割を果たしたと思われる。
しかし、日本の場合は、政府関係者が公に願いを聞き入れるといった支援ではなく、いわゆる「黒幕」の策謀によって、秘密裡に支援を集めてきたのだ。
「黒幕」とは伝統的な歌舞伎から借用した言葉で、今日では「陰謀を企む政治的なボス」を指す言葉として使われている。彼らは威嚇、賄賂、脅迫、暴力、根回し(時間をかけて争いを減らすプロセス)を組み合わせて、裏で権力を掌握している。
カプランとダブロ(訳注:『ヤクザ』の著者)によれば、「(日本の)ほとんどの政治的領域には黒幕がいるが、この言葉は、右翼ヤクザの裏社会と、ビジネスや主流政治の正当な世界との橋渡しをする右派(通常は極右)の人物らを示す際に最もよく使われる」。
日本の統一教会の発展における黒幕の最初の気配は、立正佼成会会長 庭野日敬の側近であった久保木修己(通称アンリ)と、立正佼成会の宗教部長であった小宮山嘉一である。彼らの新興原理運動への「関心」が、1962年に宗派の指導者50人を統一教会に「改宗」させるという重要な結果につながったといえる。
立正佼成会で影響力のある地位を占めていたことに加え、久保木は戦後日本で最も強力な二人の黒幕の一人である児玉誉士夫の「ヤクザの副官」であったようだ。(192)
192. Anderson and Anderson, p. 125.
もう一人は笹川良一で、彼もまた早くから原理運動に関心を持ち、その後、非公式の「顧問」となった。1963年から4年にかけての崔翔翼の移民裁判の際には、設立者である崔の「法的保証人」となっている。
崔の追放後、久保木と小宮山は原理運動の指導権を引き継ぎ、前者は1963年に世界基督教統一神霊協会の会長に就任、後者は1964年に学生団体「全国大学原理研究会」を設立している。
これらの出来事の意味を把握するためには、児玉と笹川の背景を描く必要がある。

左から:崔元福(文の「第二夫人」)、韓鶴子、文鮮明、笹川良一、不明、劉孝元(1957年版の原理講論を著し、1950年代後半から1960年代にかけて韓国におけるUCの主要講師・オーガナイザー)、久保木修己(日本UCの指導者)
児玉と笹川
児玉は1911年に福島県で生まれ、朝鮮で初等・中等教育を受けた後、日本に戻り、戦前の超国家主義・汎アジア主義団体に次々と関わり、さまざまな破壊活動やテロ活動で何度も逮捕されている。その中には、19世紀末に設立された、極右主義者とヤクザを初めてグループ化した頭山満の「玄洋社」が含まれる。
1937年に3度目の刑務所から出所した後、彼は右派の政治的コネクションを利用して、最初は陸軍本部、後に外務省の情報局でさまざまな官職に就いた。
彼の特異な才能はすぐに上官に認められ、中国、内モンゴル、満州に派遣されて、中国でのスパイ網の構築など、さまざまな種類の親軍国主義の秘密工作に従事することになった。
日中戦争が始まると、児玉は自らの機関「児玉機関」を設立し、日本海軍航空隊のために戦略物資(特に貴金属)の調達を独占的に請け負う権限を与えられた。
1945年8月には、降伏後の東久邇宮内閣の内閣参与に任命され、日本国民党の結成を支援したが、連合国当局にA級戦犯として逮捕され、巣鴨刑務所に収監された。
巣鴨の同房に、同じくA級戦犯として逮捕された笹川がいた。
(つづく)

読む人は少ないかもしれませんが、数回に分けて、長章「児玉と笹川」をアップしようと思います。
それが「蛍の光」となるでしょう。
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