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ラスベガス回想/真面目な兄弟が悩んだ体験



真面目な兄弟が悩んだ体験;
トップによるカジノ押し付け


後半に ((( anzaiのラスベガス回想 )))


https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/190633458288/las-vegas-salvation-a-members-story
(anzai 翻訳)

ラスベガス救済摂理
あるメンバーの体験談


私は1979年、ボルチモアでマイケル・ジェンキンス博士(後の米国統一教会理事)の指導の下、統一教会(FFWPU)に入教しました。

その頃、私たちは、教会センターに泊まった時には、いつも朝の礼拝がありました。そうでなければ、モーテルの部屋からマイクロ車に乗ってファンドレージングに出発するのでした。
ジェンキンス師は朝の礼拝を有意義なものにするために極めて徹底していました。彼の真の父母様に対する愛と献身は誰にも負けないものでした。

彼が真のお父様とのリーダー会議に出席すると、センターに戻って会議のメモ帳を読みながらスピーチをしました。

彼がしてくれた話の中で、私が最も驚き、混乱したのは、彼が真のお父様とのある奇妙なリーダー会議から戻った時のことです。

私たちは慎ましく床に座り、眠い目をしながら、愛する真のお父様からの最新情報を聞けるとワクワクしていました。ジェンキンス師は、リーダー会議のメモ帳を持って、私たちの輪の先頭に座りました。私たちは長い間聖歌を歌い、一心に祈りました。
それからマイク(ジェンキンス)は、私が決して忘れることのできない話を始めました。

真のお父様がリーダーたち全員をラスベガスのカジノに連れて行ってくださり、そこでギャンブルをしたり、トップレスのウェイトレスがいる所で食事をしたりしたそうです。

彼はいつもより感情的に、何がなぜ起こったかを私たちに伝えようとしていました。それを聞いたメンバーの間からは、「えーっ」という声が聞こえてきたので、彼は話すのが大変だったと思います。

私は、あまりのショックに、自分が聞いていることが信じられなくなりました。メシアが私たちの大切なリーダーをカジノに連れて行ってギャンブルをさせ、トップレスのウェイトレスたちに料理を持って来させたと? 彼は狂っているのか? このニュースには、どんな合理的な理由も認められない。正気の沙汰とは思えない。

私たち全員が混乱しているのを感じたのでしょう、彼は怒り出し、大声で正論を述べながら、リーダーたちも私たちと同じように唖然とし混乱していたと言いました。それから、真のお父様がリーダーたちをそのような場所に連れて行かれたことの正当性を語りました。

カジノでギャンブルをさせられ、上半身裸のウェイトレスが給仕することに衝撃と驚きを覚えたリーダーたちに、真のお父様はこう言われたそうです。
「自分の手を汚さずに、堕落した世界を復帰できると思うのか?」
リーダーたちは裁きを下されたかのように、その場を動けなくなったそうです。

私たちメンバーは息をひそめて、自分たちが聞いていることの摂理的正当性を待っていたのですが、それが与えられました。しかし、当時も、そして今も、私はその意味を理解していません。

まともな人間であれば、「なぜ、摂理的に復帰するために、罪を犯さなければならないのか」という疑問が自動的に湧いてくるはずです。

そして同様に、「その同じ論理が、人類のすべての堕落性にも適用されるのか?」という疑問も湧いてきます。


私には矛盾しているように思えたのです。
堕落性を理解するために手を汚す?
堕落した人々の行動を復帰させるために手を汚すのか?
それに「手を汚す」というのは、罪に手を染めるということなのか?
ギャンブルを(少なくとも一度は、あるいは、分かるまで何度でも)しなくてはならないといったことのように?

そうやって手を汚すことで、堕落した世界を理解し、復帰することができるのでしょうか?
今でさえ、私は混乱して頭を振っています。なぜなら、それは合理的な意味をなさないし、無限の応用への扉を開いてしまうからです。そうではありませんか?

朝の礼拝の衝撃の後、さらにおかしなことが起こりました。
マイク(ジェンキンス)が、私たちはこれからカジノに行き、ギャンブルにはまる人々の心を理解するために、私たちもギャンブルをすべきだと言ったのです。(そのような考え方の論理を、人間のあらゆる堕落した性質の領域にまで広げていってください。奇妙なことこの上ない。)

私は、この考えに対して、どこまでも悩んだと言えます。
カジノに着いたとき、私たちは全員10ドルを渡され、夕食までに証を持ってくるようにと言われました。私はこんなことはしたくなかった。私はずっと悩んでいました。

その日以来、他の人には決して話しませんでしたが、このこと全体に疑問を感じていました。
疑問や混乱を表明することは、私がアベル(中心者/上司)と一体化していないことを意味し、それは真のお父様、ひいては神ご自身と一体化していないことを意味するのです。それはつまり......ゴクリ......私はサタンと結託しているのですね!

他のメンバーは、それ以来、そのことを決して口にしないので、大丈夫なように思えました。何事もなかったかのように、あっさりと忘れられているように思えました。それとも、他のメンバーも一体化していない、すなわちサタンと結託していると思われるのを恐れて何も言わなかったのでしょうか?
(後略)
翻訳ここまで________________________________________




(((( anzaiのラスベガス回想 ))))

前回の記事に書いた、MFT(資金調達チーム)でラスベガスを回ったのは1ヶ月足らずの間でしたが、その3年後(87年)にまたラスベガスの寿司レストランに人事になり、そこで1年弱過ごしました。

イチハチの日本人(夫婦)が店長をやっていて、やはり調整日には皆でちょくちょくカジノに出かけてました。
ある時、私が「行きたくないです。行かないです」と言うと、「えーっ、行きたくない、の?」とものすごく驚いていました。店長はもうかなりハマっていて、カジノに行きたくないなんて気持ちは想像もできず、あり得なかったのでしょう。またはこれまで「ちょっと都合があるので」などやんわり逃れる人はいても「やりたくない」とはっきりした言ってしまった者はいなかったのかもしれません。まあ私とて、やりたくないというより、貴重な自由時間を独りで(心を見つめて)居たいというのが本音だったのですが。

店長は、相当スロットに凝っているらしく、時々1人でも行っているようだと奥さんが言っていました。
ラスベガスは、カジノまで行かなくても、普通のスーパーのレジの横に3〜4台、コンビニに行けば2台ほど、近所の汚い雑貨屋にもピカピカのが一台など、どこにでもスロットマシーンが置いてあるので誘惑が多く、他州に引っ越したいけどそれが出来ずに給料を叩いてしまうギャンブル中毒者が多いようです。

その頃、日本から幹部たちが渡米すると、まずニューヨークに行って教祖を拝み、ご機嫌を伺い、報告や指令等を受けて、帰りがけには教祖が「途中ラスベガスで降りて遊んで帰れ」「ラスベガスの摂理だ」とかなんとか言ってお金をくれたと。それで、泊まったカジノホテルからその寿司レストランにグループで見学がてら来てたくさん注文し、最後に「これは真のお父様直々に手渡しでいただいた20ドル札だ。(有り難く頂け)」と言って偉そうにチップを置いて、帰って行った。

店長が、「チップ、いくら置いてった?」と会計の私に聞いてきた。
「20ドル」と答えると
「チェッ、ケチだなあ」
たしかに、食事代金は全部で180ドルほど。チップはアメリカ人の平均で15%とすると、27ドル位あってもよかった。
せっかく日本からはるばる来たというので、愛想よくサービスしてあげたのに(トップレスじゃねいよw)。
私は店長の言い方に乗って、
「それに御大層に、あの人らこんなことも言ったんですよ〜」と、教祖直々だという20ドル札のことを話した。
すると店長は「なにぃ〜? やっちまったなぁ!」とは言わなかった。乗ってくれないどころか、サッと真面目な顔になり、こう言った。
「その紙幣はとても貴重だから、大切に持っておくといいよ。自分も以前、大幹部のナントカ先生御一行が来た時に支払われたお父様から手渡しで貰ってきたばかりだという100ドルのピン札を自分の100ドルと交換して大切に保管しているよ。この先、再臨主が下さったお札を額縁に入れて、子々孫々が誇れる永遠の家宝にしようと思っている」
エェーッ!?
…… さすが一八といおうか、なんといおうか…。

「20ドル払うのは次の小遣いの時でいいから、他の札と混ぜないで今取っておいたらいいよ」
と言ってくれるのだけれど、全然そんな気にならない。
「いえ、いいです、結構です」と言うと、今度は店長の方が、エェーッ!?ってなもの。
サインも何もなく、全くただのお札なのに。って、そんなことではなく、うまく言えないけれど、全く心が動かない。

今思っても、あの時断ってよかった。ああいうことは、世の中に何ら役に立たず、子孫に狭い奇妙な自己満足で歪んだ心持ちを押し付けるだけのことではなかったか?

***
文鮮明教祖は、児玉誉士夫(や笹川良一)氏などと同じような領域にあるようなタイプなのだなと感じています。
児玉誉士夫は関東ヤクザの大元締めだったようだし。

文鮮明ー児玉誉士夫繋がりで、今、山口組3代目組長の田岡一雄の長女が書いた本を読んでいますが、田岡夫妻は人間としても親としてもどれだけ人知れず立派な点があったか(文氏夫妻よりも余程!)。
まあ田岡氏は組長の中でも格別だったらしいけれど。







関連



⭐️『わが父文鮮明の正体』( 洪蘭淑・著)にもギャンブルの件で共通する箇所が。
https://六マリアの悲劇.com/わが父文鮮明の正体-洪蘭淑-2/ より

第52章 「イーストガーデン」で見たもの
ラスベガスがギャンブラーの天国だと知ったとき、私はさらに混乱した。ホテルのレストランやカジノにはスロット・マシーンがあった。このような場所で、私たちはなにをしているのかしら? 統一教会の教えでは賭事は厳格に禁じられている。いかなる種類の賭も家族を害する社会悪で、文明の衰退に貢献する。それではなぜ、「真の家庭」の「お母様」韓鶴子はコィンの入ったカップを揺すりながら、一枚また一枚と夢中になってコィンをスロット・マシーンに入れているのか?「再臨のメシア」文鮮明、神殿から両替商を追い出した神聖な男の後継者が、何時間もブラックジャックのテーブルで過ごすのか?

私には尋ねる勇気はなかった。けれども尋ねる必要はなかった。私が罪の穴蔵と教えられた場所に私たちがいる理由を、文師は喜んで説明してくれた。「再臨の主」として罪人たちを救うために、彼らと混じり合うことが自分の義務だ、と彼は言った。彼らに罪を思いとどまらせるために、彼らの罪を理解しなければならない。おまえは、私が自分でブラックジャックのテーブルにすわって賭けてはいるのではないことに気づいただろう。ピー夕ー・キムがかわりにすわり、文師が彼のうしろの位置から指示するのに従って、賭け金をおいている。「だから、私が自分で実際に睹けてはいないのがわかるだろう」と彼は私に言った。

たとえ十五歳でも、たとえメシアのロから言われたものでも、私には詭弁は詭弁だとわかった。






⭐️ 文教祖の言行に悩んだ真面目な兄弟がココにも↓

『大先生の御言葉とクリスチャン青年の躓き/龍明小説2ー4』

『おら こんなメシア 嫌だ〜in USA!/龍明小説2ー5』





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コメント

一級資料
あ、似たような経験を直接、聞いたことがあります。
 あの、ソエジマさんの事件の、ころかな?
世日の兄弟が、ラスベガスに招待され、いくらか、現金をいただき、いろいろ、やったと。
ストリップ・ショーなどもあり、驚いたと。直接、聞きました。
Re:一級資料
コッキーさん、
傍証をありがとうございます。

というと、83年頃のことですね。

80年代、教会は日本のバブルでギンギラギンだったからか、
ラスベガスの土地を大量に買い漁っていたそうです。ギャンブルをしながら、させながら。
創造主の最終目的
お久しぶりですね。こんなこと書いたらビックリされるかも知れませんが、創造主は女性の美を感じたかったということなんです。それを恥ずかしいとおもったメンバーは改めないといけないとおもいます。それのほうが創造の目的の理解が深まりまります。
究極の美
芸術家は女性の裸体に究極の美を感じると言いますが、それを当てはめるには、少々無理があるような気がします。
かみ は美しいものを創った
フィギュアスケートのコストナーを見てると立ってるだけで点数あげたくなる

美しいものは感動させる

よこしまな気持ちになるんだったら見るな

見ない方がいい

Re: 創造主の最終目的
コスタさん、お久しぶりです。

アレ何で急に「神観」的な話になったのかな? piscさんも何かビンビン反応してるし。そんなに皆さん、神観について語るのに飢えているのかな? と一瞬思ったけど、冷静に記事を見返してみると、あ、トップレス関連のコメントなんだ。繋がりが分かりました。(笑)

考え方・感じ方ですから、いろんな角度から言えるでしょうが、この場の状況では、「それを当てはめるには少々無理があるような気がし」という感じです。

“アプライに難ありの男” ですが、コスタさんは

アプライ(=実際の状況に当てはめる。応用)の反対語;「基本、理論、発想、根本…」においては、つまり、それらを掘り下げることにおいて、なかなか素晴らしい部分があると思います。
少なくともアレよりはよっぽどよろしいです。

アレってコレ「統一教会にて」 http://ucpeople.seesaa.net/article/493560461.html
バカじゃない?ナニ東大出?やっぱりね…(笑。

「雄だけでは/雌だけでは、存在できない」だって。それを言うなら「繁殖できない」でしょ。「直系の次世代は存在しない」ならまだわかるけど。
「繁殖できない」でなく「存在できない」としないと都合が悪いのでしょう。
簡単に言ってしまうと、ト原理は「全体主義」だから。
アタマ(だけ)が極まっちゃってるからそれに騙されて気づかない。
「一人ひとりに唯一無二の価値がある」なんて言いながら、条件付きで条件を満たさないと「存在できない」。


コスタさんの最近のブログでは、以下のような意味のことを書いてました。(言葉の表現は違いますが)
「この世で異性との関わりの中で修行し、自分の中に両性の感性を復帰した分、霊の世界でそれぞれが天的な生活ができるのでしょう」
(探そうと思ったけど、記事が多くて。よければ、該当URL教えてください)
追記: いいです。見つけました。
「私の世界」(60) 
https://ameblo.jp/amanohiboko/entry-12773811221.html

つまり「夫婦が一つの存在になって霊界で永生…」ではなく、個々の内の異性を発見し生み育て、より完成に近づくということです。

敢えて原理に寄せれば(またはキリスト教的にも)、こちらの方がよっぽど納得できるものです。
ーーーーーーーー


元型論
>個々の内の異性を発見し生み育て、より完成に近づくということです。
 
ユングの元型論を彷彿させるので、整理してみました。
男性の女性に対する精神的成熟度
①生物学的段階…身体的な関わりを求める。
②ロマンティックな段階…精神的な関わりを求める。ヒロインに対する想い等。
③霊的な段階…女性から与えられる癒しを求める。聖母マリアへの想い等。
④叡智の段階…性的欲求を超えた叡智に満ちた神聖な女性性を求める。      
Re: 原型論
piscさん、コメントありがとうございます。

私がレスしてもつまらないから、コスタさんに頼もうかな。リアクション芸を。アプライの訓練として。

コスタさんは上の私のレスコメントも読んでないですね。まあこちらがレスするのが遅かったせいもあるけど。

そのうち、あっちのブログに行って、呼んでみますよ。


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