「黒フンジンの殴打と手錠」の続き
ブラック・フンジン タイムライン 歴史として
文教祖を含めた教会側が、シャーマニズム的な霊の乗り移り現象を使い、
極端な(いびつな)正義感を持ったアフリカの青年信者に権力を与え、
組織引き締めのために利用した。が、彼の暴力沙汰が世間に知られ、
手に負えなくなり、手のひら返し、突き放した状況が分かります。
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/90848821743/black-heung-jin-timeline-by-graham-lester
1984年1月2日
文鮮明・韓鶴子夫妻の次男 興進(フンジン)17歳が、凍結した高速道路でジープを激突させる事故により死亡。
ニューヨーク・タイムズ :「ニューヨーク州 ポキプシー の病院のスポークスマンが、統一教会の創始者である文鮮明の13人の子供のうちの一人が今朝早く亡くなったと発表した。」

文夫妻が棺の中の文興進に別れを告げる
1984年2月20日
霊界のフンジンと朴薫淑(パク・フンスク、当時21歳)の祝福結婚式。朴珍成・仁進(18)のカップルと同時に合同結婚式を挙げる。
ワシントン・ポスト: "文は朴フンスクという ワシントン・バレエ団のダンサーを最近亡くなった息子の霊と結婚させた。朴フンスクは、ワシントン・タイムズ社の社長である朴ポヒの娘である。

1987年7月
クレオパス・クンディオナが、自分がフンジン・ニムであることを、ジンバブエ教会の現地指導者に知らせる。ジンバブエの日本人宣教師が文教祖側近の郭錠煥に知らせる。
1987年8月
郭錠煥がアフリカに渡り、クレオパスに会う。
1987年9月6日
郭は、フンジン・ニムがアフリカの兄弟に“24時間”受肉していることをベルヴェディアにて発表。
郭は『トゥデイズ・ワールド』の毎月の編集者のコラムの中で、この現象を説明し、世界中の会員に指導を与えた。郭牧師は、会員たちがフンジン・ニムに “生前、共有した経験”について質問しようとするのを戒めた。"地上での経験の些細な事柄の多くは霊界に行くと不要になり忘れ去られる "からである、と。
アフリカで、4回の コンフェッション(罪の告白式)始め、
ギリシャ
タイ
コロンビア
アルゼンチン
フランス
イギリス を巡回し、告白式が行われる。
11月18日~20日
NYワールドミッションセンターにて3日間のコンフェッション(罪の告白式)開催。
その時の様子。中央白衣クレオパス

1987年11月21日
「子女の日」の式典の壇上に真の父母(文夫妻)とともにクレオパスが登場。
文教祖は「子女の日と祖国の統一」という説教の後、"この4日間で、フンジン・ニムによって強力で緊密な組織が形成された "と発表する。
UTSバリータウンにある統一神学校で告白式が行われる。
ワシントンD.C.教会で告白式が行われる。
- ダミアン・アンダーソンの証「ドアがロックされた!」(前回記事)
北カリフォルニア、サンフランシスコ郊外エトナ・スプリングスで告白式が行われる。
マイケル・ミクラー:
「これら(米国での3回の告白式)には、それぞれ約800人の会員が参加しました。
また、ニューヨークのバリータウンにある統一神学校で小規模のセッションを行い、さらにいくつかの個人セッションを行いました。
最も重要なことは、クレオパスが文師夫妻に会い、承認を得たように見えたことです。
ニューヨークでの告白式の冒頭、フンジン・ニムの兄、文孝進は涙ながらにこう語った。
「私は最初は疑っていましたが、今は弟だと分かっています。どうか彼をお迎えください」
1987年11月
幹部の朴ボヒがクレオパスから暴力を受け、重傷を負う。
周藤健講師が、ベルヴェディアにて、真の父がクレオパス/HJNを「完全に自分の息子として」受け入れたと発表。フンジン・ニムの現象を "奇跡の中の奇跡 "と称する。クレオパスを試そうとしないよう警告。
孝進ニムは涙を流して彼を「私の兄弟」と紹介した。
ワシントンポスト:
「ワシントン・タイムズの朴ポヒ社長は12月9日から17日まで、ジョージタウン大学病院に入院し、近頃階段から落ちたと言って検査を受けていたと病院関係者が語った。
1987年12月
日本で告白式が行われる。
韓国で告白式が行われる。
1988年1月2日
朴ポヒが開頭手術を受ける。
〈出典:1988年5月15日、ベルヴェディアでの朴珍成(パク・ジンソン)による講演〉
ワシントンポスト:
"ワシントンタイムスの幹部によると、朴は韓国で頭の血管を修復する手術を受けた。"
1988年1月
クレオパスを証しする神山牧師の講演ツアー
フィラデルフィアでの神山牧師の証言(抜粋)。
アフリカのハリケーンによって、日本では7000人以上が「浄化」(告白をする、殴られる、蕩減条件を行うなど)された。
ある777夫婦は、自分を新しいメシアに仕立て上げ、祝福家庭の夫婦を再婚させるなどしていた。私は彼を殺したいと思いました。
彼はフンジン・ニムに出会い、フンジン・ニムに許され、彼と妻の両方は2回意識不明になるほど殴られました。そして、頭を剃られました。彼の50人の追従者たちもフンジン・ニムのところに連れてこられました。
フンジン・ニムは「サタンが土台を失ったので、日本は大きく発展するだろう」と言いました。
*訳注:当時の分派「淵本グループ」のことだろう。
フンジンニムはオーラルセックスについて非常に怒っていました。それは肉体的なものであり、愛ではありませんと。
ある姉妹は、お父様がそれを教えて(奨励して)おられますと言うと、彼はさらに怒りました。彼女は手錠をかけられ、殴られました。
フンジンニムは私に、お父様が何を言われたのか尋ねました。私は、お父様が「あんたは殴られるだろう」とおっしゃったことだけを覚えていると言うと、彼は笑いました。
ピーター・キムは資金の不正使用について告白しました。「いくらだ?」 私はそれほど多くないなと感じました。フンジン・ニムは彼の髪の毛を掴みました。フンジンニムは彼が「いくらなのか覚えていない」と激怒していました。私はネガティブな気持ちになりました。フンジン・ニムはロープを使って彼を打ちました。
フンジン・ニムは私を探していたのです。"必要なら手錠をかけて倒せ "ということで。
許しを得て喜んで興奮している人もいますが、目的は降伏して一致することです。フンジン・ニムはこれを果たすために、真の絶対的アベルとして孝進ニムと共に立って帰って来られたのです。
そのためには、真の子女たちの統一が最も重要なポイントです。これは成されています。孝進ニムは最初誤った情報を受けながらも、フンジン・ニムを証しました。
告白の儀式を通して、私たちは赦されることができました。
私たちはその宣言に疑問を抱いてはいけなかったのです。それは、"あなたは来るべき方なのですか? "と言っているようなものでした。私たちはただ団結すればよかったのです。お父様はフンジン・ニムが何をしているかを知っておられました。
お父様は久保木会長に、日本はフンジン・ニムと絶対に一つになるようよく確認せよと言われました。
1988年2月?日
アメリカ本部発の1988年2月「統一ビデオニュース」の中で、モーゼダースト博士がクレオパスを証言している。
ワシントンポスト:
「ジンバブエ人の高い地位が永久的なものであるかどうかさえ明らかでない。"彼はフンジン・ニムの霊を受け継いでいるが、それがいつまで続くかは誰にも分からない "と、文の組織のある高官は語っている」
1988年夏
マイケル・ミクラー:
「1988年夏までに、文師はフンジン・ニムの体現者にアフリカに戻るように指示したが、彼はそれに従わなかった。この時点で、フンジン・ニムの霊が体現者から離れ、悪霊が乗り移ったというコンセンサスが得られていたのです。
この逆転現象が起こった理由は複雑であるが、基本的な問題は、「ブラック」フンジン・ニムが真の父母に本当に従っていないと信じる人々に対して暴力を振るったことである。彼はその状況に耐え切れず、指導者たちにその責任を負わせたのであった。
また、聖日にヨーロッパの教会に入り、祭壇に飛び乗って大声で祈り、集団で歓声を上げ、急いで出て行ったという話もあり、マスコミに漏れて統一教会が恥をかいたこともあった。つまり、真の家庭の一員と見なされる人に適用される寛容な基準でさえ、彼の行き過ぎた行為は統一運動が許容することができないほどになってしまったのです。
ブラック・フンジンは一旦拒絶されると、さらに道を踏み外した。
彼は、郭が真の父母の前で自分の仕事を歪めて報告したと、「悪なる郭」を糾弾するファックスを教会センターに次々と送りつけた。やがて文鮮明師にも反旗を翻した。
ジンバブエでは『原理講論』の焚書が報告され、本名「クレオパス」を使って再び活動を開始した元体現者は日本に渡り、いくつかのインタビューで教会を攻撃した。
その後、ジンバブエに赴任していた日本人宣教師の妻を孕ませ、子供を産ませた。また、自分の宗派を立ち上げ、ジンバブエの教会員の大部分(80人ほど)を引き抜いていった。」
1992年7月
クレオパスはジンバブエから東京を訪れ、日本人宣教師と共に長時間の記者会見を行った。東京での記者会見の様子のビデオあり。
翻訳ここまで
洪順愛大母が憑いたという清平の先祖解怨や、李相軒の霊言本出版などに先駆けた、統一教会お得意の同パターン、教会内の有名故人の霊を利用しての大型プロジェクト(劇場型詐欺)だったと言えるのではないでしょうか。
告白式に参加して、ブラック・フンジン(クレオパス)の実際を見たけれど、フンジンが憑いてなどいなかった。ある種の正義感と執拗な熱意を持ったアフリカ出身のクレオパス青年、その人そのものだったよ。
もしフンジンだったら、義理の父(妻の父)にあたる朴ポヒをそこまで酷くブン殴るってこともあり得ないよね。
日本の恐山の(元)イタコも、あれは生活の必要に駆られた降霊パフォーマンスだったと証言していることだし。
https://blog.tinect.jp/?p=76157
【「恐山のイタコになるしか生きていく術がなかった」という老女と、元人気アナウンサーのイタコ芸の話】
それだからでもないけれど、私も安易に、霊界を信じるのは止めようと思う。
多次元霊界とか外側の何かを信じて漏電させているのでなく、自分の内側に創造性のエネルギーを取り戻そうと思う。
なつかしき写真。仁進、フンスク、結婚式…

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多次元霊界とか外側の何かを信じて漏電させているのでなく、自分の内側に創造性のエネルギーを取り戻そうと思う。」
乾杯!
内容から、どちらの米本さんか分かります^_^
理解していただけて、うれしいです。
ひとまず、あと10年ほど、ポジティブに生きたいです。
MFT(アメリカの移動募金集めチーム)は、そういうとこありますね。
私もその少し前、84〜85年にかけて、MFTにいましたが、
これはずいぶん後に日本に帰ってから聞いたことですが、その期間に何かとても重要な儀式があったとかで、それぞれ真夜中に自分の所属の教会に集まってその儀式に参加し、参加者は霊的に生まれかわり、全く新しい摂理が始まった、とかなんとか。
知ってますよね? 参加しましたよね? と言われましたが、
そんなの知らない、受けてないし、その儀式の名前も聞いたことがない、その時はアメリカのMFTにいましたけど。
と言っても、え、参加してないだって? お父様はこれに同参しないともう食口じゃないとまで言われたのですよ?という感じで、あくまでも見下してきた。
MFTにいた(日夜、shop to
shop やdoor to doorやブリッツで)のだから、そんなの関係ねえ!
結局、そんな儀式は人生に必要なかったってことです。
え、ブラックフンジンのコンフェッション、受けなかったの? へー…(笑)
>参加した人は、ぶん殴られるか、最低でも一週間断食をさせられたみたいで、自分的は「ラッキー!」と思っていました(笑)
いやいや、一週間断食はいろいろきっちり罪を犯してないと受けられなかったはずです。(経験者は語る……(笑)
まあなんにしても「ラッキー!」でいいと思います。
ケンタロウさんは、その頃から現在までアメリカなのですね。たぶん日米家庭か、国際祝福家庭なのでしょう。
追記:
一週間断食について:
記憶は定かではありませんが、コンフェッションの後半、多くの信者から信仰上の(心の中の)思いについての質問があり、Bフンジンが質問を受けて、「それは1日断食」「それは2日断食」などと裁定を下していった結果、別段大きな事柄を行なっていなくても、合計すると7日断食になった、なんて人たちも結構いたかもしれません。
この際だから、あることないこと何でも告白して許して貰っとこう、みたいな? どうでもいいような些細な恥ずかしい心の問題もどんどん質問してしていたな。日本ではないでしょうが、アメリカだったからか。
(一週間断食をくらいたかったら、きっちり罪を犯せよ。細々と卑怯だぞ。ー違うか。笑)
このブラック・フンジンをきっかけにして、その後、何度も何度も「許し」とか「霊的生まれ変わり」の儀式が続きましたよね。その最たるものは清平ですが、それ以外にも、何度も聖酒を飲んだり、祝福を受けて生まれ変わりました。内心、こんなに何度も罪を許される機会があるんだったら、もっと罪を犯しておくべきだった・・・なんて思ったりしました(笑)
日日でも還故郷の波を乗り越えて留まった人、いますね〜
もう三十数年になりますね。
アメリカは日本より生きやすい面があって、それはそれで懐かしく、うらやましいです。
いいですね〜
ビジョン2027は無しで😵
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