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黒フンジンの殴打と手錠


「黒フンジン事件によるメンバーの窮状」のつづき


黒フンジンの殴打と手錠



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▲ 1987年11月、ニューヨークで活動するブラック・フンジン/クレオファス・クンディオナ(前方中央、白衣)この頃、朴ポヒは彼に重傷を負わされ、死にかけた。



日本教会の拉致監禁問題にも尽力したというアメリカ家庭連合幹部ダン・フェファーマンによる文書抜粋翻訳です。
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/90801052593/black-heung-jin-the-victory-of-all-you-need-is
Black Heung Jin – The Victory of (All You Need Is) Love
by Dan Fefferman

ブラック・フンジン ー『愛の勝利』 by ダン・フェファーマン

フンジン、いや、フンジンの名を借りた「アフリカの兄弟」が行ったいくつかの教えと実践を無視してはいけないと私は思います。その最たるものが、暴力と脅迫を多用したことです。

アフリカの「フンジン」による暴力の行使は、カトリック教会における懺悔と悔恨の行為に相当するとして、一部の教会指導者によって擁護されました。この正当化は、もし私たちが与えられたのが平手打ちと断食と祈祷条件だったのであれば、有効かもしれません、ほとんどの場合はその程度だったのですが。

しかし、他のケースでは、例外的なケースだけでなく、このアフリカのフンジンが説教したほぼすべての場所で、深刻な暴力行為が実行されました。

ワシントンD.C.では、教会のドアがロックされ、人々が出られないようにされました。
会員たちは男女を問わず、手錠をかけられ暖房ラジエーターに繋がれました。何人かは、平手打ちだけでなく、強く殴られました。

バリータウンでは、一人のメンバーの鼻が折れ、もう一人は肋骨が折れて病院に送られました。
ニューヨークでは、あるメンバーがひどく殴られ、頭と体にひどい傷を負って1週間入院し、その後手術が必要になりました。

日本では、さらに数人のメンバーが病院送りになりました。
また、"フンジン "はピストルで武装して歩き、自分と団結しない者には死を含む厳しい罰を与える(=彼にではなく神によって処刑されることになる)と脅迫しました。

私は、暴力の行使が最近でも教会の指導者によって容認されていることを実感しています。

例えば、文師の息子顕進は次のように述べています。
『フンジン・ニムが黒人の兄弟の体に入ったとき、あなた方は "あれはフンジン・ニムであるはずがない "と思ったでしょう。そして、彼に殴られて怒った人もいたでしょう...。私がフン・ジン・ニムに殴られたら、"素晴らしい "と言うでしょう。体の痛みは消えていきます。しかし、人生での失敗は永遠に残るかもしれません』
(Hyun Jin Moon, "True Parents' Tradition," published transcript from unofficial notes given in Washington, D.C., May, 17, 1992.).
・・・
もし、制度化された暴力の原理が、たとえ真の愛の名においてであっても、反対されずに放置される事実があるなら、私たちは未来の世代に非常に危険な前例を残すことになります。
・・・
 



先回のリチャード・バーロウによる記事の続きです。脱会後の記者会見について。

1992年7月31日にクレオパス・クンディオナが日本で行った記者会見の映像は、以前から2本公開されています。
http://vimeo.com/39941021 クレオパスA
http://vimeo.com/39949809 クレオパスB


▲神吉氏、クレオパス・クンディオナ氏、和賀牧師

東京での記者会見は1992年、ジンバブエに送還されてから数年後のことです。
彼のカリスマ性、自信の強さが伝わってきます。
会見の終盤、メンバーへの暴力的な扱いに関する報道についての記者からの質問をはぐらかす。
クレオパスの右隣(パネルでは左隣)にいる、当時のジンバブエの日本人宣教師、神吉のボディ・ランゲージに注目してほしい。
彼はジンバブエで、ザカリア-マリア-ヨセフの摂理のため、妻をクレオパスに引き渡さざるを得なくなり、結局、彼と妻は少なくとも一人の褐色肌の赤ん坊を連れて日本に帰国しました。

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▲会場からの質問に耳を傾ける神吉氏とクレオパス・クンディオナ氏。


何年か前に聞いた話ですが、この記者会見を、直後にアラスカのコディアックで文教祖に報告したところ、文教祖は激怒して、その知らせを持ってきた不幸な日本人指導者に暴行を加え、腕を複雑骨折させたそうです。

ブラック・フンジンにまつわる顛末は、ジョージ・クリシデス、マッシモ・イントロヴィーニュ、ジェームズ・A・ビバリー、洪ナンスクの著書で多少紹介されているが、ほとんど文書化されていないままです。

ジョージ・クリサイディスは、彼の著書The Advent of Sun Myung Moon (pages 124-130)の中で、イエスとフンジン・ムーンを取り巻くUCの神学について重要な考察をしています。

これは統一教会の歴史の中で、実に非常識で奇妙な部分です。
クレオパス自身がブラックフンジンを装って行なった著しく不道徳な行動(それに対して公式の説明や謝罪は一切なかった)は、統一教会のコミュニティではかなりよく知られていることです。

しかしながら、彼は文一族に近かったため、文自身の同様の行動に対する彼の主張には信憑性があります。
クレオパスはそれを自分の行動の正当化のために利用しました。

この一連の出来事は、ムーンワールドの内部力学と不道徳性に光を当て、浄化の摂理という体裁を付与された場合、メンバーは重大な虐待に抵抗できないことについて教訓を与えるので、もっと詳しく語られる必要があるのです。

ここまで。



クレオパスの暴力と闘ったダミアン兄弟の証言です。

https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/90845531073/black-heung-jin-nim-in-dc-by-damian-anderson

ブラック・フンジン・ニム in DC
by Damian Anderson ダミアン・アンダーソン


2000年8月10日

私は、このクレオパスーブラックフンジンの問題を判断するのに、霊界に行くまで待つ気はなかった。
ワシントンDCの教会で、この男が人々の頭を叩き、野球のバットで凶暴に殴打し、頭を打ち、殴り、金色の手錠をかけるのをこの目で見たのです。もう十分に見ました。

トッド・リンゼイが、最初に部屋から出て行った。彼の妻は臨月で、いつ子供が産まれてもおかしくない状態だった。
当時、私の妻は妊娠6カ月で、私たちは手荒い審問官へ「告白」をする列の2列目にいた。

私は妻を部屋から連れ出したが、彼は私たちを追いかけてきた。
私は、トッドがどうなったのか知りたいと要求した。彼はどこかの部屋に閉じ込められたのだ。
私はその場を離れたいと思い、行かせてくれと言った。私は数人の人に地面に押さえつけられ、出て行くことを禁じられた。
私は教会を抜け出そうとしたが、できなかった。妊娠中の妻を連れて裏の塀を乗り越えるのは無理だった。
ドアには鍵がかかっていたし、部屋は人がすし詰めだった。過密状態であり、ドアに南京錠がかけられているのは非常に危険だった。

私は彼に、もし彼が妻に指一本でも触れたら、彼の歯をへし折り、目の周りを黒アザにし、蹴っ飛ばしてやると言った。私は、もし彼が告白を望んでいるのなら、喜んで全会衆の前で自分の罪を告白すると言い、告白の内容を叫んだ。

私はまた、帰りたい、帰ることを許されないなんて不法監禁されている、帰ったらすぐに警察とFBIに連絡する、鍵のかかった教会に人が集まりすぎていると消防署に報告する、と伝えた。
誰かが、この出来事をワシントン・ポストに報告した。私はしなかったが。

その夜、トッドの妻ミシェルの陣痛が始まり、私が彼らを病院まで送った時、ようやく外に出ることができた。その夜、ミッシェルは娘のグレースを出産した。

この告白集会に出る前に、私はデニス・オームに、この男による暴力の噂は本当かどうか、念入りに尋ねたが、彼はそれを否定していた。

私はDCの教会で、なぜ私に嘘をついたのかと怒って彼に詰め寄った。彼とシェフティック博士と他の何人かはクレオパスの子分となり、人々が帰るのを力づくで阻止していた。

私は、人々が集会や建物から出るのを力ずくで阻止し、抗議者たちを力づくで隔離して、手錠で拘束したことに非常に憤慨した。もし同じようなことが繰り返されるなら、私は同じことをするだろう。

今なら携帯電話で警察に通報します。後悔はしていない。私は道徳的な判断を下し、それを支持する。
朴博士がこの野蛮な男に 殺されそうになったということは... ...私が的を射ていたということです。

彼は残忍な犯罪を犯し、FBIや他の当局に追われながら 国外に出ました。
それ以来、私は教会の中で神の名の下に行われるあらゆる暴力に対して、非常に警戒しています。

これは私たちの教会の歴史における暗黒の章であり、二度と繰り返されないことを望みます。もし今度、暴力者が武装していたら、天罰が下るでしょう。話すだけで血が煮えくりかえります。

 



暗在コメント:
動画クレオパスB(20分過ぎから)一部抜き書き。

記者の質問:「資料に『暴力を用いて片っ端から懺悔させた制裁旅行』と書かれているのはどういうことですか?」

「最高幹部たちは傲慢、言うことを聞かない、下を押さえつける、淫乱問題を犯している、それで、大きな声で強く言ったり、厳しく接した。それは文教祖からの指示でもあった。幹部たちが文教祖のいうことをなかなか聞かないから。
特に彼の右腕であるボーヒー朴。郭というもう一人の右腕がそういうことを言ってきた」

記者質問:「制裁を加えたとは、具体的には?」
「私は暴力は使っていません」

質問:「フンジンの霊が降りたというのは本当のことですか?それともそれはただのセットアップだったのですか?」
「フンジンの霊が降りたとかはない。クリスチャンとしてありえない。あくまでも彼らのセットアップ。自分のメシアの位置を強くするために」



本当のことと、嘘や誤魔化しが混在する会見の内容だったと思います。
文教祖の指示もあったし、暴力もあったでしょう。(傍証多し)
自分でフンジンの霊が降りたと言わなければ、なぜ郭氏がわざわざアフリカまで会いに行ったのか。ただジンバブエに優秀な信者がいるという話を聞いて、霊が降りた振りで幹部たちに喝を入れてくれと頼みに行ったなんてあり得ないですね。

87年、11月。ブラック・フンジンのコンフェッションツアーは、ニューヨーク→ワシントンD.C.→サンフランシスコ→日本→韓国の順で行われたそうで、私はそのサンフランシスコのに参加して、1週間断食をくらいましたが、暴力を見たような記憶がないのです。
800人も参加していたので、前の方で何が行われているか余程注意してないと分からない状況ではありました。
「これこれの罪を犯したことがある人は前に出てこ〜い」とアナウンスされ、ガヤガヤと前へ移動する仕組みでした。

幹部が大勢いるニューヨークやDCでは激しかったようで、マスコミへのリークや当局への通報があり、後の北カリフォルニアでは多少は気をつけて、対策をとっていたのかもしれません。
一定以上の役職の幹部は後で別の部屋で行います、とのアナウンスが何度もされていたのは覚えています。告白して前に出て行った人が、「お前は〇〇長だから後で別にやる、今じゃない」と追い返されていたり。(別部屋、怖いなー、怖いぞー)






関連して思い当たる事柄の過去記事紹介:

たしかに朴ボヒさんは、文教祖(と郭)にとって、黒フンになんとかしてもらいたくなるほど、一筋縄ではいかなかっただろう。
『脱会宣言した朴ボヒ、会員証を破り捨てる』


顕進さんも同類だからな…
「真の子女の暴力【文顕進編】日本語新着⭐️/10-5」

「文顕進の初暴力と2世達の青春【解説追加】/10-13」





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