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アダムとエバは存在しない:集団遺伝学より



アダムとエバは存在しない:集団遺伝学より



ある英文記事からリンクで、遺伝学者が書いた「アダムとイブについて遺伝学が語るもの 」という、集団遺伝学の知見から人類の共通先祖である一対の男女の存在を探る記事を読んだので、翻訳紹介します。

結論から言うと、複数の手法で計算して、少なくてもここ50万年以内には存在しないということです。

ホモサピエンスをどこまで辿っても、大勢の集団から発生していて、途中でネアンデルタール人とも交配している。ということは、一対の共通先祖がいるとしたら、それ以前に遡る。

50万年以上前というと、ホモサピエンスやネアンデルタール人が出現するより以前で、北京原人などホモ・エレクトスやピテカントロプスということになるだろうか。


キリスト教的には、アダムとイブの存在や堕落・原罪について様々な解釈があり(大勢いた中の1組/象徴として、など)、この科学的知見とは正面衝突しない選択肢(落とし所)がいくつもあるようですが、
統一原理(堕落論)には致命的です。

歴史的人物であるアダムとエバの不義なる性行為から2人の具体的な血統を通して我々全人類に原罪が伝わっているとの解釈はフェイクとなるでしょう。

彼らがたとえば、1万年ほど前の、神に特別に選ばれた1組のカップルだったというのであれば、当時他にも人は大勢いたので、そういう堕落があったと仮定しても、人類の一部にしかその原罪は伝わっていないということになります。

では、もし彼らが、遺伝学的計算が届かない50万年以上前の最初の1組の直立原人だったとしたら?
戒めを語る言語などなかったはずです。ゆえに堕落もありえないです。

ですから、文教祖の逆不倫の性の儀式の蕩減復帰などもフェイクに基づくものであり、祝福結婚儀式を通さないと救われないなんてこともないのです。
自分は自分であればいい。救われるために、何とかに屈服しなくてはならないなんてことはありません。


きっかけとなった紹介記事:

https://whatisonthemoon.tumblr.com/post/678342003448250368/adam-and-eve-did-not-exist

アダムとエバは存在しなかった。

そして、堕落も原罪もなかったのです。
韓鶴子は無意味なことを言って人々を欺くのをやめるべきです。
しかしもちろん、彼女の動機は、自分が新しいメシアであり、原罪を取り除いてくれると信じる騙されやすい人々からお金を奪うことです。

今日の人類の遺伝的変異は、私たちの祖先がアダムとイブという一組の夫婦にのみ由来することを肯定する証拠を何一つ提供していません。
事実、遺伝子のデータからは、そのような一対のカップルの存在の可能性は除外されています。

私たちホモ・サピエンスの多くは、遡ると祖先の一部(2〜4%)で、40万年から4万5千年前にヨーロッパの大部分とアジアの一部に住んでいたネアンデルタール人と混血しています。

また、私たちの多くは、同じ時代にアジアに住んでいたデニソワ人のDNAを受け継いでいます。さらに、アフリカでも同様の「旧人」との交配が行われたことを示す証拠があります。

これらの古代の集団は、現代人に発展した主な集団から分離しました。この年代の推定は、30万年から80万年と幅があり、最近の推定では50万年以上とされています。

続きを読む:
https://biologos.org/articles/what-genetics-say-about-adam-and-eve


ということで、リンク先に飛んで、超長文記事を読んでみました。
筆者、スティーブン・シャフナー博士は、MITとハーバード大学のブロード研究所の上級計算生物学者であり、第一線で活躍する集団遺伝学者です。

https://biologos.org/articles/what-genetics-say-about-adam-and-eve

アダムとイブについて遺伝学が語るもの

スティーブン・シャフナー
By Stephen Schaffner On July 11, 2021


多くのキリスト教徒にとって、進化論に関する悩みの中心は、「人類はアダムとイブから始まったのか」という一点に尽きる。キリスト教神学の多くのバージョンにおいて、堕落と原罪が重要であることを考えれば、この懸念は驚くべきことではない。
進化論が提起する多くの他の問題と異なり、この問題は核となる教義に直接影響を及ぼしているようだ。

創世記の物語は、園に住んでいた一組の夫婦が禁断の実を食べ、世界に罪をもたらしたというものだが、この物語は真実なのだろうか? 科学はこの問いに答えることができないのだろうか? いや、そうでもありません。
キリスト教では、その「問題」に異なった意味づけをし、創世記の物語も非常に異なった読み方をすることは分かっています。しかし、科学ができることは、「問題」に対するもっともらしい答えに強い制約を加えることです。


特に、科学ができることの一つは、私たちの祖先の人口がどの程度であったかを推定することです。つまり、現代人の集団をまとめて、過去の異なる時代にどれだけの祖先がいたのか、ということです。このような推定を行うことができる科学分野を集団遺伝学と言い、ある一つの種(この場合は私たちの種)内の遺伝的変異を数学的に研究するものです。

それが創世記と重要な関係があるのは、創世記の中で、アダムとイブが何千年も前に創られ、現代人の唯一の祖先だとされているからです(少なくとも私は保守的なバプティスト教会でそう学びました)。
それを集団遺伝学の用語で言えば、私たちの祖先の人口規模は、比較的最近(少なくとも集団遺伝学者が考えるに)、2人だけだったということになります。
つまり、アダムとイブについて、意味のある科学的な問いを立てることができるのです。
私たちの祖先の集団がある時点で2人しかいなかったという遺伝学的証拠はあるのだろうか?
もしそうなら、それはいつなのか?
もしそうでなければ、その可能性はどの程度まで否定されるのでしょうか?

これらの質問に対する遺伝学の答えを評価するためには、DNAがどのように歴史について教えてくれるかを理解することが必要です。

ゲノムとは、ヒトのDNAの完全な一組のことで、機能するヒトを形成するのに必要な情報を含んでいます。DNAの中には、その情報を伝えるものもあれば、DNAを構造化し複製するために重要なものもあり、また、全く何もしないように見えるものもありますが、その全てがゲノムの30億にも及ぶ化学物質「塩基」の列の中に含まれているのです。

塩基は4種類あり、通常は頭文字のA、C、G、Tで表され、その並び順で情報が伝達される。
私たちは、父親から受け継いだゲノムと母親から受け継いだゲノムを、それぞれ2つずつ持っています。
しかしまず、組換えというプロセスを経て、2つのDNAの断片を混ぜ合わせ、その結果できたモザイクをそれぞれの子供に受け継がせるのです。
私たちの子供たちは、私たちが両親から受け継いだものをほぼ完全にコピーし、適切に混ぜ合わせたものを受け継ぐのです。

ある世代が誕生してから次の世代が誕生するまでの間に、DNAは何度もコピーされなければならず、また、DNAが化学的な損傷を受ける頻度も高いことを考えると、コピーを作る際に生じるエラーがいかに少ないか、驚くばかりです。
これらの突然変異のほとんどは、私たちの健康やその他の特性には何の影響も与えず、次世代に静かに受け継がれ、世代が変わるごとに新しい変化が加わっていきます。


このような、ほとんど完璧な忠実度が、DNAが過去を探るための強力なツールとなる所以です。
また、DNAはゆっくりと変化するため、その記録は長く続き、何千世代も前に起こった出来事に関する情報を保存することができます。
この記録から何がわかるかというと、親である私が、1つのDNAセグメントのコピーを2人の息子に受け継がせたと仮定してみてください。
息子たちのDNAは、私のDNAの一部分をコピーしたものなのでぴったり同じです。遺伝学の用語では、ごく最近の共通の祖先を共有していると言います。

しかし、ひとたび別々の人間に移植されると、それぞれのコピーは独立した軌跡をたどり、それぞれ独自の突然変異を蓄積し、世代を経るごとに他とは異なるものになっていくのです。(私の子供たちが自分の子供を持てばの話ですが。ゆっくりでいいよ、みんな、急いでないから)
世代を重ねるごとに新しい違いが加わっていくので、共通の祖先からどれくらい時間が経ったかを測る粗雑な時計として機能する。これは、私たちの祖先の集団について推論する際の核となる考え方です。



私たちは多様である


そのような遺伝時計を念頭に置いて、人間のDNAを見ると何が見えてくるのだろうか。
まず、最も単純な方法として、無作為に選んだ人々のDNAを採取し、そのコピー間の差の数を数えることから始めてみましょう。
このようにして、人間の遺伝的多様性を測定するのですが、世界中の何千人もの人々の完全なゲノム配列が公開されているデータベースのおかげで、今では簡単に測定できるようになりました。

その結果、ヒトのDNAは通常2つのコピーで約0.1%の違いがあることがわかりました。つまり、1000個の塩基のうち1個が異なるということです。上記の突然変異率(1世代あたり7500万塩基ごとに突然変異)を考えると、2コピーのヒトのDNAは通常約100万年間の違いを蓄積してきたことになります。


集団遺伝学者にとって、このような多様性の測定は、直ちにヒトの集団の長期的な大きさの推定に置き換えられます。
なぜなら、大きな集団は小さな集団に比べてより多くの遺伝的変異を保持しているからです。
(このように考えてみよう。もし、あなたとあなたのすべての祖先が一つの小さな村に住んでいるとしたら、その村の全員がある種のいとこであることになる。あなたのDNAは他の人たちと最近の共通の祖先を共有しており、あなたたちのゲノムの間にはほとんど違いがないはずです。つまり、人口が少ない=多様性が低いということです。

一方、世界中の人々のDNAを比較すると、非常に遠縁であるため、多くの相違点があるはずです。母集団が大きい=多様性が高い)
私たちの遺伝的多様性が0.1%であるためには、突然変異率を考慮すると、私たちが生まれるのには、1万5千から2万個体という長期的な規模のヒトに似た哺乳類の集団が必要です。

つまり、私たちは何千人もの集団の子孫であり、私たちのDNAは少なくとも100万年もの間、突然変異を繰り返してきたのです。
それで問題は解決したのだろうか?いや、そうでもない。
まず第一に、私たちが推定しているサイズは長期的な平均値であり、ある特定の時期のサイズではない(厳密には、遺伝学者が「有効人口サイズ」と呼ぶもの)。
さらに重要なことは、この推定は、私たちが目にするすべての遺伝的多様性が、蓄積された突然変異の結果であると仮定していることです。
この仮定は、アダムとイブが実在し、特別に創造されたという考えを真剣に受け止めているなら、適用する必要がありません。その場合、アダムとイブは大量の遺伝的多様性を内蔵した状態で創られた可能性を考慮しなければなりません。つまり、彼らのゲノムのコピーは互いにかなり異なっていた可能性があり、現代のゲノムを比較すると、その違いが彼らの子孫に受け継がれていると見るのです。
つまり、我々に見られる多様性は、私たちの祖先は大きな集団として徐々に進化してきたという通常の科学的図式と一致するのですが、それだけでは特別な創造を否定することにはなりません。現在見られるゲノム間の違いのほとんどは、初めに創造された人間が持っていた遺伝的変異であるという可能性もあるのです。

しかし、そこでとどまる必要はありません。私たちは、観察された多様性が創造されたものであるという仮説を検証することができます。
まず、私たちが見ている遺伝的変異が、突然変異に由来するものかどうかを確認することができます。
そのためには、突然変異の種類によって発生率が異なるという事実を利用すればよい。例えば、「C」塩基は、「G」塩基に変化するよりも「T」塩基に変化しやすいので、CとGのある場所よりも、CとTのある場所の方がゲノム上で多く見つかるはずです(突然変異の種類とそこから予想されるパターンについての詳しい説明は、コチラのリンク記事をご覧ください)。

便利なことに、突然変異で生まれたはずの変異体と、最初から創造された可能性のある変異体とを区別する簡単な方法があります:
それは集団における頻度です。

もし私たちが皆アダムとイブの子孫であるならば、彼らから受け継いだ変異体は世界中の個体間で広く共有されているはずです。これらの変異体は、両方の塩基が多くのゲノムに存在する「高頻度」変異体と呼ぶことができます。
一方、片方の塩基が少数の人にしか存在しない希少な変異体は、そのほとんどがアダムとイブの時代から蓄積された突然変異の結果であると考えられますので、これを「低頻度」変異体と呼ぶことにします。

もし、本当に、低頻度変異体が突然変異によるもので、高頻度変異体が直接創造されたものなのであれば、両者の性質は異なることが予想されます。特に、突然変異は先のブログ記事で述べたような特徴的なパターンを示すと予想されます。
しかし、それは見られません。むしろ、頻度に関係なく、同一のパターンが見られるのです。

左は低頻度の変異(この場合、全ゲノムの約1%に見られる変異)に見られるパターンで、これはまさに新しい突然変異体に予想されるものです。しかし、右側のパターンは、高頻度変異体(全ゲノムの約50%に見られる)から得られるものですが、左に似たパターンなのです。

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(両方のプロットのデータは、「1000ゲノムプロジェクト」のウェブサイトから取りました)。

言い換えれば、はい、人間の遺伝的変異のかなりの部分が原初のカップルの中で創造されたという可能性は理論的にはあります。しかし、遺伝学的な証拠は、そのようには見えません。
そうではなくて、私たちの変種はすべて突然変異から生まれたものであることが非常に多いことを示しているのです。
先に述べたように、もし変異が蓄積されたものであれば、その蓄積は非常に長く、およそ100万年続いてきたことになります。
(つづく)
 

これでまだ全体の3分の1ほどです。
長いのであとは次回にします。
高校の時、国公立理系クラスだった私も、この先はだんだんついていけません。(どんなステータス?()
読む人いないかもしれませんが、資料として置いておきます。





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コメント

No title
>>統一原理(堕落論)には致命的です。

 聖書主義者(福音派)にとっても致命的でしょうね。
アダムとイブが「歴史上の人物」になってるんですから。
 そもそも、 モーセなんかもモデルはいたかもしれないけど、理性的に考えて実在していない。
ユダヤ人の空想上の人物です。





No title
goutさん、コメントありがとうございます。

福音派を詳しくは知りませんが、
アダムとイブが「歴史上の人物」になっていたとしても、堕落や原罪をどう捉えるかで、延命可能ではないでしょうか。

原罪を、びっちりとセックス+血統によって伝わるものとするのでなく、人間の精神の傾向性(不従順、自我)などと比喩・象徴的に受け取るなら、アダムとエバが75億人類全員の祖先でなくてもそれほど問題にならないかも?

骨折して松葉杖で、かつ抗生剤の点滴棒を持ちながら歩くかもしれないけど(比喩です)、致命的ではなさそうかな。

聖書のモーセの記述は、「大部分が象徴的なものであり、いくつかの重大な誤りが含まれている」と。バラ十字の保管文書から、ですね。
具体的には来月届く教材でってことでした。😄

人類の始祖エヴァ説
生物の形状を保つために必要なミトコンドリア遺伝子は、女性のみに受け継がれます。この性質を利用して人類の祖先を追っていくと、約17万年前にアフリカで生きていた一人の女性に行き着く様です。これが、人類の始祖エヴァ説の根拠に成っています。時代、場所の考察の余地はあるかもしれません。
Re:人類の始祖エヴァ説
piscさん、コメントありがとうございます。

“ミトコンドリア・イブ” って、大昔に話題になりましたね。何十年も前に。
あの人は今…… どうなっているか、検索してみました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミトコンドリア・イブ

wikipedia の「ミトコンドリア・イブ」のページ、特に「よくある誤解」の章をよく読んでください。
piscさんの書いた「これが、人類の始祖エヴァ説の根拠に成っています」は、この誤解そのものです。

どうやって調べたか(研究手法)を把握することは大事ですね。手法から理解していれば誤解が減るでしょう。
この記事の遺伝学者による説明の翻訳部分もたぶん読んでないのだろうよ。

wiki 結論引用:
「もしも仮に5万年前の人類のミトコンドリアDNAサンプルを得たならば、そこから遡ったミトコンドリア・イブは、現代人にとってのミトコンドリア・イブよりも古い時代のひとりの女性を指し示すであろう。同様に、現代に生きている女性のうちの誰かが数十万年後のミトコンドリア・イブとなる可能性もある。」
だってさ。

引用:
「ラッキー・マザー[編集]
上記のような誤解から、ラッキー・マザーと呼びかえる動きもある[5][6]。すなわち現在全人類に共通するミトコンドリアの最初の持ち主である女性は、長い歴史にわたって女系が絶えることの無かった幸運な人物ということである[5]。」


あの人は今…。
ミトコンドリアイブはラッキーマザーに改名してましたとさ。チャンチャン。


piscさん、リベンジならず。
ラッキー・マザーとおねんねしてなっ。


人類の始祖エヴァ説-2
約17万年前は女系が続いた最長期間であり、ミトコンドリア・イブは、神様から選ばれた特別な女性では無く、最長の女系期間を持った偶然に幸運な女性だった。
何か、マジックの種明かしされたみたいで、少々落胆してますが、またの機会にリベンジしたいと思います。

管理者のみに表示