fc2ブログ

二世の踏み込んだ原理批評。餅は餅屋、歯には歯を/11-6


 韓国草創期二世による
   二歩も三歩も踏み込んだ「統一原理」批評です。

 餅は餅屋。また、歯には歯を。というように、
 韓国人には韓国人をぶつけるのがいいでしょう。
 割れ鍋をしっかり閉じてくださいます。
 



   龍明小説11-6



https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/155647494568/harry-potter-vs-the-divine-principle
翻訳:anzai


ハリー・ポッター vs 統一原理(前半)


統一原理はトロイの木馬です。目的は支配であり、解放ではありません。

最初に文鮮明の『統一原理』を聞いたとき、私たちは自分の成長に対する大きな喜びと希望を感じ、崇高な目的のために貢献したいという気持ちになったかもしれません。
人類の新しい夜明け、世界平和の到来、そして私たちはその先駆者になれる…。
統一原理を受け入れるということは、「摂理」に対する責任を負わされるということでもあります。徐々に要求が増え、私たちに求められる犠牲も増えていきました。

しかし、個人の完成や世界平和という目標は、統一原理の枠組みの中では達成できませんでしたし、今もそうです。なぜか?

統一原理は見た目とは違い、偽りの広告商品です。統一原理はトロイの木馬のように贈り物として提供されています。(トロイの木馬もそうでした。)
統一原理という贈り物を受け取ることは、あなたの魂を文鮮明の権威に委ね、文鮮明があなたの心の王座に座ることにもなりうるのです。


統一教会・世界平和家庭連合の会員は、統一原理を読むことで、救いを提供してくれる新しいメシアと契約を結ぶことになると考えるかもしれません。

文鮮明は『統一原理』の中で、自分自身を期待されるメシアとして宣伝しています。神の代理人として、信者に対して責任の一端を負っている、あるいは配慮の義務を負っていると思わせます。
しかし彼は、信頼している信者はもちろんのこと、自分の嫡出子や非嫡出子に対しても責任を取らなかったことは明白です。

文はすべての人を軽視し貶めたのです。このことに気づいたときには、メンバーの人生が何年も過ぎているかもしれません。

統一原理は巧妙に作られているが、あくまでもフィクションです。1952年に文氏が釜山で2冊のノートに書いた『原理原本』は、文氏よりも前に活躍した複数の著者の著作を総合したものです。

原理原本では、イエスはマグダラのマリアと結婚していました。この大きな変更について、原理の上級(先輩)信者は最近、「(1957年の統一原理の主な貢献者である)ユ・ヒョウォン(劉孝元)と相談して、お父様がこれではキリスト教徒に受け入れられないと判断されたからだと思います」とコメントしています。

文氏は後に、イエスは結婚できなかったと「原理」の筋書きを変更しました。
文氏と違って大学に通っていた初期の信者たちは、統一原理に学術的な資料を追加しました。原理の初版本は1957年に韓国で出版されました。(文氏は東京の早稲田大学には行っていない。 あれはずっと嘘をついていたのだ)

イエスの妻としてのマグダラのマリアの物語は、統一神学というフィクション全体に大きな影響を与えています。

結局のところ、統一原理は私たちに何を教えてくれるのでしょうか?
統一原理の目的は、私たちを教育することではなく、私たちを操ることです。これは私たちの感情を通して行われます。門が開かれ、他の兵力(統一教会のグループダイナミクスなど)が入ってきて、私たちを転覆させ、最終的に韓国人を王座に就かせるのです。

私たちは、統一原理のフィクションではなく、ハリー・ポッターのフィクションからもっと有益な人生のヒントを学ぶことができるかもしれません。

統一原理はどのように私たちの感情に働きかけて私たちを転覆させるのでしょうか?


統一原理における「罪と堕落性」モデルは、アダム、エバ、天使長ルーシェルの物語と「人類の堕落」に基づいています。文氏によると、誰もが罪に満ちているという(DP, 2004, page 72)。

罪には4つのタイプがあると説明されています。

第一は、原罪・・・私たちの血統に染みついており、すべての罪の根源である。

第二は、遺伝的な罪。この「遺伝罪」は、血統によるつながりで先祖から引き継がれる。

第三は、集団的な罪。これは、自分自身が罪を犯したわけでもなく、先祖から受け継いだわけでもないのに、集団の一員として責任を負う「連帯罪」である。

第四は、個人の罪で、個人として犯した「自犯罪」である。


4つの「堕落性本性」とは

統一原理によると、これらはルーシェルの間違った行動でした。

1. 神と同じ立場に立てない
2. 自己の位置を離れる
3. 主管性を転倒する
4. 罪を繁殖する

これらの概念は、メンバーをコントロールするためにどのように使われているのでしょうか。

1. 神と同じ立場に立って神の視点で見ることができない ー人間は「堕落」しているので、神の視点で物事を見ることができないという。
文に従う者は、たとえそれが意味をなさないものであっても、「神の視点」を受け入れなければならない。(文は「私は考える人だ」「私は君たちの脳だ」と説明した)。
何かおかしいと思ったら、それは自分が理解していないせいだ。(文師は他の人間とは違う。文は神と一体であるがゆえに、異なるルールで生きている)
私たちは、ルーシェルの失敗を元返すために、いかなる疑念も打ち砕かなければならない(服従)。


2. 適切な自己の位置を離れること ー私たちは、この時代の地上における神の中心人物である文を通して働く神から与えられた位置を守らなければならないという。
もし私たちが自分の立場を離れれば、サタンが私たちを侵略する条件を作ることになる。私たちはどんな犠牲を払ってでも、与えられた責任を果たさなければならない。
文氏は個人レベル以外にも、韓国、日本、アメリカをアダム、エバ、天使長(アダムとエバに仕えるべき存在)など、国家にもポジションを与えている。それぞれの国のメンバーは、問答無用で「復帰摂理」の責任を果たさなければならない。
個人も国家もその立場を離れたり、失敗したりしては、摂理を遅らせ、神様にさらなる苦痛を与えることになる…


3. 主管性の転倒ー 人間の罪には、神や目上の人を尊敬せず、従わなかったりする主管性の転倒があるという。
私たちは、天使長の負の感情を繰り返し、その失敗を繰り返してはならない。文氏によると、ルーシェルが感じた嫉妬の感情が、カインの心の中で再び繰り広げられたという。
神は、ルーシェルが感じた嫉妬の感情を感じたカインが、それを克服するために、わざとカインではなくアベルの捧げ物を受け入れた。しかし、カインは失敗し、アベルを殺してしまった。
私たちは、神(文)からアベルの立場を与えられたリーダーに対して、常にカインである。たとえ私たちがより優れた能力を持っていて、リーダーが間違いを犯していることがわかっても、神が私たちの罪深い性質を克服するために、目的を持ってこのような立場に置かれたことを受け入れ、従わなければならない。
カイン型の感情や性質を克服するためには、私たちは従わなければならない…


4. 罪の繁殖ー堕落は罪の繁殖をもたらしたという。
エバは誘惑され、今度はアダムを誘惑した。だから、二人の人間が親密な関係を築くことは許されない。私たちは、罪を増やすことを恐れなければならない。
もし2人のメンバーが一緒にいる時間が長ければ、つまり神との縦の関係に集中せずに横の関係になっていれば、他の人が割り込んで2人を分断しなければならない。だからこそ、メンバーの移動が必要なのだ。(すべての愛着と忠誠心は文にのみ向けられるべきである。)
リーダーや他のメンバーの悪口を言うのも罪を増やすことになる。常に他人を批判せず、自分のことだけを批判すべきである…


以上のような「罪の物語」は、コントロールの手段です。その根底にあるメッセージは、「天使長やカインのような行動」の可能性を恐れて、信者が自分の判断を疑うように仕向けることです。

文氏は、自分が信者に対して権威を持っていると主張し、自分が中心となった「摂理」のドラマの中で信者にポジションを与えました。
もちろん、実際には文は何の権威も持っていません。しかし、原理の受講生や新入会員が、自分と似たようなメンバーが従順な信者になっているのを見れば、自分の人生に対する文の権威を受け入れたくなるものです。

私たちの多くは、周りの人に認められたいと思っています。何千年も前には、社会的グループから追い出されることは、おそらく死を意味しました。一人で生きていくことは非常に困難だったでしょう。今日でも、拒絶されると強い感情が生まれます。

統一原理やその他のUCの教えは、要求の高い神学です。また、韓国の新儒教の文化的ルーツを反映して、非常に階層的なものとなっています。

また、原理には「蕩減」という概念が深く刻み込まれています。これは標準的なキリスト教の教義ではありません。これは、信者に返済しなければならない負債があると感じさせるのに効果的です。

統一原理はキリスト教の言葉や物語を使っていますが、その本質はイエスの教えや倫理観を反映したものではありません。

文鮮明は、統一原理という新しい「真理」を伝える者としての権威を主張しました。しかし、『統一原理』に含まれる思想は、文氏のものではありません。彼はアイデアを盗用しただけであり、統一原理の著者としての権威を主張する権利はない。また、神が彼に啓示したものでもありません。

文はユ・ヒョウォン(劉孝元)らを指名して、1957年に出版された最初の『原理講論』を書かせました。彼らは1954年に出版された金白文の本や丁得恩の教えを参考にして1957年の原理講論をまとめたと報告されています。

(後半に続く)



参照


原理執筆の頃を描いた龍明小説3部作

『原理講論の作り方(蘇生期)/5-1』

『抜き難い釣り針のような統一原理(長成期)/5-2』

『原理でスイマセン。引き寄せ劉孝元(完成期)/5-3』



「ashamed korean」氏のその他の記事

「韓国人であることが恥ずかしい」

『激辛キムチ二世と三男様のえぐいオ言葉/11-2』






味深い記事だと思われた方は
どれでもいいからクリック↓
 ありがとう p(*^-^*)q

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合 批判・告発へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村





関連記事
スポンサーサイト



コメント

ありがたや。
直感的に、今回は久しぶりに覗かせていただいたら、李龍道が イエスのマグダラのマリアの妻を認めていたとか。まるで、焼肉を切り剥ぎで加工調合する、加工肉なのに天然と言い張る 鶴橋の焼肉店みたいな教祖様。

情報の提示に、感謝します。


それにしても、今日も777さんが堅気っておられるから、素直な気持ちで 第三アダムではない根拠を書いたら、書けと言うから書いたのに、いつもどおりに 今までに1度たりともまともに返事をくださらない。

こうなると、あの方は朝鮮人なのか?、それとも 50年奴隷にされると 朝鮮マインドになるのか?、謎多き、同じ国籍なのに 言葉が通じない統一の群れや。同じ家族として、世間には申し開きできんわい。代わりに、777さんのリアルなご近所さんに、土筆を煮た物でも携えて、謝罪に回ろうかな?。

まあ、私も世間から視たらキチ外枠なんでしょうけれど、質が違うと思うんですけどね。

毎回毎回、参りました。トホホ・・・
Re:ありがたや
甘えん坊くんさん、
コメントありがとうございます。どうもです。

李龍道がそれを認めていたかは「?」ですが。
そのイエスの結婚情報は、金百文、金聖道、丁得恩のどれかからのものでしょうが、金聖道女史が一番可能性が高いかなと私は思います。

金聖道お婆さんは、イエスの生涯や神の心情について啓示を受けた大本ということですから。
http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-96.html

そういった人たちすべて引っくるめて、朝鮮の神霊集団(血分け教?)、その最初のきっかけが李龍道だったという意味で、言っておられるのだと思いますが。

メソジスト牧師だった李龍道は、確か80年代に韓国キリスト教協議会?から名誉回復されて、死後ですが異端認定を解かれていますね。

イエスが結婚していた(または、いなかった)という見解は、「統一原理」としては最重要な事柄のはずが簡単に操作されてしまったようです。

「777」は「65」でしょう。
霊的直感ですが。
こちらとは関係ありません。

管理者のみに表示