http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-259.htmlからの続き
一世•元信者女性の鋭い自己分析
と朝鮮メシア考察
/文爺の晩年
龍明小説10-10
【文爺の晩年】
「真のお父様は、ご自身の救世主としての立場を、何人もの候補者がいたと話していた初期の頃から、自身が唯一の候補者であるだけでなく、それ以上に、真の父母は先天的に存在していたという立場に変えられたようです。」(前回の事情通の言葉より)
90年代以降には「お父様は神様より上だというんだね」という発言が複数あった。その後、自ら戴冠する極端に豪華な即位式や戴冠式を連発した。それらの言動を肯定するような波動は、私の無意識世界(≒下意識、潜在意識、集合意識)からはどうしても上がってこない。
それまでは何だかんだいっても、善悪を超えて伸びていく、抱合するかのようなエネルギーが多少なりとも感じられたのだが、それが急速に消えていき、教会は狭い内向きの、朝鮮シャーマニズムの、直裁的に信者を搾取し、君臨するような状態になっていったと思う。
文爺は年齢的に言っても70代80代〜の晩年なので、そうそう伸びる歳でもないだろうし、焦りもあっただろう。
「低位のキリスト論」は、人間イエスという低位置から始まり、努力・実践を重ね、十字架の死後、復活した時に神と同等の位置に引き上げられ、神そのものになるというキリスト解釈だ。
数十年来、何度も何度も予言を外し、何度も何度も思惑が外れて失敗した。いつも屁理屈を駆使して人のせいにし、誤魔化してはきたが、人知れず内心の不安や恐怖もあるだろう。
「僕ちゃんが死んだ後は、復活やペンテコステはムリかもしれん…」
全部で何万人かの信者がいて、山の方に豪華な宮殿をいくつも建て、何台もの自家用ジェットに乗ったりするが、広い世間には全く受け入れられず、嫌われていると言っていい。
韓国で政党を作り、教団幹部を何人か、地方選挙に出馬させたが惨敗し、苦い悲惨な結末を見た。
妻の鶴子は不機嫌で、最近は取り巻きたちと何かコソコソやっている。
息子の顕進は有望かと思ったが、父を「低位のキリスト論」で見すぎておる。
わしの言うことをそのままでは聞かん。10年前から離れている。(*注)
側近の奴らもソワソワし、何だかよそよそしくなった気がするわい。
よーし、それならもう今のうちに、自分自身を天までアゲアゲだ。
でなきゃずっと低位ニンゲンのままで終わってしまいそうだから。
ウチの鮮文大学神学部の教授を呼んで、わし独自の「高位キリスト論」を作らせよう。
天地創造以前から、わしは神として存在していた。
わしは堕落人間どもとは元から違って特別な存在なのだ。

妻鶴子も画策し、自作自演の神学の中でまず真の父母夫婦として神格化され「特別」になった。
大きい声では言えないが、その後、鶴子だけ「神の夫人」として、夫よりもう一歩「特別」になる神学が作られようとしていた。
幹部たちは喜んで教祖夫妻を祭り上げ、夫人を取り巻き、その権威を笠に着て、安易に下位の者を従わせた。
龍明は相変わらず大会や講演会を打ち上げ、藪から棒な命令や宣言を出し続けた。
大勢に絶対信仰で絶対服従させ、日本には高額献金を要求し続けたが、最晩年には、周りからますます高所に棚上げされたようになり、公の場であまり長く喋らせてもらえないなど、龍明にとって厳しいものになっていった。
(*注)「10年前から離れている」:
有名な“ボート会議”上で文教祖が放った言葉。顕進に近づこうとしている神山幹部に「(顕進は)もう10年前から離れてるや」(お前が何とかできる問題ではないよ)と日本語で語る文氏の実声の音声記録が残っている。

関連して、
“神学的素養はないが、直感で語る” という元信者女性「YR」の一読の価値ある考察です。
〈翻訳ここから〉
朝鮮らしい "メシア "についての考察
…私たちに深く根付いた文化(=リーダー中心の文化)の根本的な原因は、"メシア "が教えた「復帰原理」にあることをご理解ください。
アベル(リーダー)との一体化は、特にメシアに出会う機会が少なかった私たちにとっては、最高の信仰の表現(「信仰基台」と「実体基台」の両立)でした。私たちは彼の夢を見て、彼について空想し、最終的には彼を理想化しました。私もそうでした。神は、私が心と魂を込めてその人を愛していたことを知っています。そして、私たちの多くにとって、私たちのアベルとの一体感は、「救世主」への愛と無条件の忠誠の最も純粋な表現でした。それと、恐怖心を植え付けられたという人もいます。ある人はそこから成長し、ある人はそこに留まっています。
"メシア "は、「蕩減の時代は終わった」とか「リーダーに従うな」とか「女性の時代」とか、そういった「宣言」や「発言」をしたかもしれません。
そして、彼(あるいは彼についての幻想)に必死にしがみついている人たちは、自分たちの信仰の残骸を救い出すために、そういった発言を見つけ出し、それを正義の「メシア」の旗として掲げようと探っているのです。
しかし、彼が話した数百万時間を記録した数百万ページの中から、どれだけ多くの宣言や発言を見つけたとしても(本当に何でも見つけることができます。本当に、彼は矛盾も含めてすべてを語っていました)、結局、実際のところ、「メシア」は、復帰原理に裏打ちされた絶対的な縦的状態を信じていたのです。
結局のところ、彼はそのようなウルトラアルファ男性への絶対的な服従を受け入れ、称賛する文化の産物だったのです。
彼は、私たちが自分自身で神との関係を築くことを信頼していたのではない、彼の頑固な姿勢を示す例がたくさんあります。
彼は、私たちが神に到達するためには彼が必要であると印象づけることに、より多くのエネルギーを費やしました。2006年に彼が「神の直接主管の時代」を宣言した後も、運動の運営方法は少しも変わらず、彼がトップに立っていたのです。
私は彼にこう言いたい。彼は自分が "救世主 "であると信じた。そして、その信念を、彼が知っている唯一の方法、つまり彼の世代の韓国式の方法で実行した。
彼はまず自分を騙し、次に私たちの中にある「救世主」への幻想を呼び覚まし、それを衣装のように身にまとったのです。そして、私たちはそれを受け入れました。
今のこの運動の現実は、トップに真実と愛が欠けていることをそのまま反映しています。よく言われるように、魚は頭から腐るのです。
あなたは「救世主」をこの大失敗の犠牲者と見ているかもしれませんが、私は彼に責任があると考えています。
彼は、自分の名前と重要度が上がる限り、多くの不正行為や虐待を見逃すことをいとわなかったのです。その精神はキムチよりも韓国的です。
彼は、自分が王冠をかぶって王様になる以外にどのように天国を作るのか想像できなかったのです。それは問題ですね。彼は間違いなくイエスではありませんでした(そうでないと私を説得しようとしてエネルギーを無駄にしないでください)。
さらに、血統という考えは、特に韓国の古い神話に根ざした幻想です。
血統は明確な支配の道具となりました。「メシア」とその韓国人世代は、自分たちが説く平和、調和、統一を確立する方法として、絶対的な服従と絶対的な縦的性、そして架空の血統の誇り以外には考えられなかったのです。
結局、朝鮮王朝の500年は、彼が生まれる直前に終わりを迎えました。
そのような精神性は一朝一夕には変わりません。今でも韓国人は多く朝鮮王朝のやり方に執着している...。
私は統一運動から離れたのではなく、統一運動が私から離れたのです。その運動は私を失望させました。実際、私が参加したと思っていた運動は存在しなかったのです。
だから、私は私が来たところ、つまり愛、別名、神に戻ります。
その「愛」を独占していると信じ、そのように振る舞う「メシア」は、単に絢爛・壮大な愚か者でしかありません。 YR
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/136358984158/reflections-on-a-very-korean-messiah
〈翻訳ここまで〉
自己分析、信者分析、朝鮮メシア分析が秀逸で、同意できるところがたくさんあります。
そこはかとなく緩やかですが、的を突いているのかもしれません。
興味深い記事だと思われた方は
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一世•元信者女性の鋭い自己分析
と朝鮮メシア考察
/文爺の晩年
龍明小説10-10
【文爺の晩年】
「真のお父様は、ご自身の救世主としての立場を、何人もの候補者がいたと話していた初期の頃から、自身が唯一の候補者であるだけでなく、それ以上に、真の父母は先天的に存在していたという立場に変えられたようです。」(前回の事情通の言葉より)
90年代以降には「お父様は神様より上だというんだね」という発言が複数あった。その後、自ら戴冠する極端に豪華な即位式や戴冠式を連発した。それらの言動を肯定するような波動は、私の無意識世界(≒下意識、潜在意識、集合意識)からはどうしても上がってこない。
それまでは何だかんだいっても、善悪を超えて伸びていく、抱合するかのようなエネルギーが多少なりとも感じられたのだが、それが急速に消えていき、教会は狭い内向きの、朝鮮シャーマニズムの、直裁的に信者を搾取し、君臨するような状態になっていったと思う。
文爺は年齢的に言っても70代80代〜の晩年なので、そうそう伸びる歳でもないだろうし、焦りもあっただろう。
「低位のキリスト論」は、人間イエスという低位置から始まり、努力・実践を重ね、十字架の死後、復活した時に神と同等の位置に引き上げられ、神そのものになるというキリスト解釈だ。
数十年来、何度も何度も予言を外し、何度も何度も思惑が外れて失敗した。いつも屁理屈を駆使して人のせいにし、誤魔化してはきたが、人知れず内心の不安や恐怖もあるだろう。
「僕ちゃんが死んだ後は、復活やペンテコステはムリかもしれん…」
全部で何万人かの信者がいて、山の方に豪華な宮殿をいくつも建て、何台もの自家用ジェットに乗ったりするが、広い世間には全く受け入れられず、嫌われていると言っていい。
韓国で政党を作り、教団幹部を何人か、地方選挙に出馬させたが惨敗し、苦い悲惨な結末を見た。
妻の鶴子は不機嫌で、最近は取り巻きたちと何かコソコソやっている。
息子の顕進は有望かと思ったが、父を「低位のキリスト論」で見すぎておる。
わしの言うことをそのままでは聞かん。10年前から離れている。(*注)
側近の奴らもソワソワし、何だかよそよそしくなった気がするわい。
よーし、それならもう今のうちに、自分自身を天までアゲアゲだ。
でなきゃずっと低位ニンゲンのままで終わってしまいそうだから。
ウチの鮮文大学神学部の教授を呼んで、わし独自の「高位キリスト論」を作らせよう。
天地創造以前から、わしは神として存在していた。
わしは堕落人間どもとは元から違って特別な存在なのだ。

妻鶴子も画策し、自作自演の神学の中でまず真の父母夫婦として神格化され「特別」になった。
大きい声では言えないが、その後、鶴子だけ「神の夫人」として、夫よりもう一歩「特別」になる神学が作られようとしていた。
幹部たちは喜んで教祖夫妻を祭り上げ、夫人を取り巻き、その権威を笠に着て、安易に下位の者を従わせた。
龍明は相変わらず大会や講演会を打ち上げ、藪から棒な命令や宣言を出し続けた。
大勢に絶対信仰で絶対服従させ、日本には高額献金を要求し続けたが、最晩年には、周りからますます高所に棚上げされたようになり、公の場であまり長く喋らせてもらえないなど、龍明にとって厳しいものになっていった。
(*注)「10年前から離れている」:
有名な“ボート会議”上で文教祖が放った言葉。顕進に近づこうとしている神山幹部に「(顕進は)もう10年前から離れてるや」(お前が何とかできる問題ではないよ)と日本語で語る文氏の実声の音声記録が残っている。

関連して、
“神学的素養はないが、直感で語る” という元信者女性「YR」の一読の価値ある考察です。
〈翻訳ここから〉
朝鮮らしい "メシア "についての考察
…私たちに深く根付いた文化(=リーダー中心の文化)の根本的な原因は、"メシア "が教えた「復帰原理」にあることをご理解ください。
アベル(リーダー)との一体化は、特にメシアに出会う機会が少なかった私たちにとっては、最高の信仰の表現(「信仰基台」と「実体基台」の両立)でした。私たちは彼の夢を見て、彼について空想し、最終的には彼を理想化しました。私もそうでした。神は、私が心と魂を込めてその人を愛していたことを知っています。そして、私たちの多くにとって、私たちのアベルとの一体感は、「救世主」への愛と無条件の忠誠の最も純粋な表現でした。それと、恐怖心を植え付けられたという人もいます。ある人はそこから成長し、ある人はそこに留まっています。
"メシア "は、「蕩減の時代は終わった」とか「リーダーに従うな」とか「女性の時代」とか、そういった「宣言」や「発言」をしたかもしれません。
そして、彼(あるいは彼についての幻想)に必死にしがみついている人たちは、自分たちの信仰の残骸を救い出すために、そういった発言を見つけ出し、それを正義の「メシア」の旗として掲げようと探っているのです。
しかし、彼が話した数百万時間を記録した数百万ページの中から、どれだけ多くの宣言や発言を見つけたとしても(本当に何でも見つけることができます。本当に、彼は矛盾も含めてすべてを語っていました)、結局、実際のところ、「メシア」は、復帰原理に裏打ちされた絶対的な縦的状態を信じていたのです。
結局のところ、彼はそのようなウルトラアルファ男性への絶対的な服従を受け入れ、称賛する文化の産物だったのです。
彼は、私たちが自分自身で神との関係を築くことを信頼していたのではない、彼の頑固な姿勢を示す例がたくさんあります。
彼は、私たちが神に到達するためには彼が必要であると印象づけることに、より多くのエネルギーを費やしました。2006年に彼が「神の直接主管の時代」を宣言した後も、運動の運営方法は少しも変わらず、彼がトップに立っていたのです。
私は彼にこう言いたい。彼は自分が "救世主 "であると信じた。そして、その信念を、彼が知っている唯一の方法、つまり彼の世代の韓国式の方法で実行した。
彼はまず自分を騙し、次に私たちの中にある「救世主」への幻想を呼び覚まし、それを衣装のように身にまとったのです。そして、私たちはそれを受け入れました。
今のこの運動の現実は、トップに真実と愛が欠けていることをそのまま反映しています。よく言われるように、魚は頭から腐るのです。
あなたは「救世主」をこの大失敗の犠牲者と見ているかもしれませんが、私は彼に責任があると考えています。
彼は、自分の名前と重要度が上がる限り、多くの不正行為や虐待を見逃すことをいとわなかったのです。その精神はキムチよりも韓国的です。
彼は、自分が王冠をかぶって王様になる以外にどのように天国を作るのか想像できなかったのです。それは問題ですね。彼は間違いなくイエスではありませんでした(そうでないと私を説得しようとしてエネルギーを無駄にしないでください)。
さらに、血統という考えは、特に韓国の古い神話に根ざした幻想です。
血統は明確な支配の道具となりました。「メシア」とその韓国人世代は、自分たちが説く平和、調和、統一を確立する方法として、絶対的な服従と絶対的な縦的性、そして架空の血統の誇り以外には考えられなかったのです。
結局、朝鮮王朝の500年は、彼が生まれる直前に終わりを迎えました。
そのような精神性は一朝一夕には変わりません。今でも韓国人は多く朝鮮王朝のやり方に執着している...。
私は統一運動から離れたのではなく、統一運動が私から離れたのです。その運動は私を失望させました。実際、私が参加したと思っていた運動は存在しなかったのです。
だから、私は私が来たところ、つまり愛、別名、神に戻ります。
その「愛」を独占していると信じ、そのように振る舞う「メシア」は、単に絢爛・壮大な愚か者でしかありません。 YR
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2021/09/05 (日) [龍明小説10&11]
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