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正妻 亀鶴子の攻略:第二教祖ゲット/10-1




正妻 亀鶴子の攻略
  :第二教祖ゲット




龍明小説10-1



文龍明の最初の妻だった崔先吉夫人は、教祖夫が女性信者たちと性儀式をすることにつまづき、大暴れして離婚となったが、1960年文氏40歳の時に再婚した実質5番目の妻である亀鶴子の場合は、前妻と違ってつまづかなかった。

もちろん儀式を喜んだわけではなかったが、女たちの中で亀鶴子の位置は、名目上は常に一番上で中心の立場に置かれた。
68年の神の日制定6・3性儀式では、亀鶴子はアベル型3位基台のトップでラケルの立場を務め、実質4番目の妻(妾)である崔元福女史はカイン型の3位基台のトップでレアの立場を務めた。

実質的には何の中身もなかったが、実母からのアドバイスもあって、亀鶴子はその位置にしがみついた。
最初の頃こそ、やっかみ半分で周りの者からひどい扱いを受けたこともあったが、鶴子が意外にしぶといのが分かると攻撃は潮が引くように引いていった。

   *

結婚5年目に富豪の信者崔淳華が夫(文教祖)の息子を出産したことを知り、鶴子はいたくショックを受け、傷ついた。
それからは、夫が外に子供を作らないように、一層頑張って子供を産み続け、同時に金と人を使って情報収集に励んだ。夫の周りに何か怪しげな動きがあれば、裏から手を回し又は体当たりで介入して、婚外子がこれ以上増えて権力が分散しないよう見張っていた。
関係者を買収し、遠くに住む崔淳華と婚外子サムエルの動向の監視も怠らなかった。

   *

亀鶴子は弱冠17歳で文鮮明と結婚し正妻になることで、現実の世界から切り離され、文教祖や教会員から肝心なところで甘やかされて、人間としての成長に支障をきたしたようだった。

鶴子が40になった頃、仕事と性において夫の良きパートナーだった崔元福女史の追い出しに成功した。


カインの末裔 - 2003/06/21(Sat) 16:56 No.49
崔元福先生が目の治療で、日本経由で韓国に帰られた時から重婚状態がなくなったと思います。
その時に元福先生と直接話した方から聞いたところによると、文師夫人が嫉妬で服を挟みで切ったり座布団を蹴飛ばしたり、お子さんたちが、元福先生の座る座布団を隠したりしてどうしようもない状況になったので帰されたと言っており、文師夫人の相当な批判をしていたそうです。
その当時は「真のお母様の勝利とは女の嫉妬でカイン型の妻を追い出したことか」などと一緒にいた古参の幹部が説明していたのが、妙に印象に残りました。

***

真のお母様はすでにいるのに、「崔元福お母様」という名称は、原理のなかのどこから引っ張り出した存在なのだろうか。どうしても理解できない。文鮮明は六人のマリアを選択し、その他にも行き当たりぱったりのセックスをしていたが、そのなかの一人を特別に「お母様」と呼ばせる理由はない。ただ、文鮮明自身が好きで、熱を上げていた女だから、「お母様」と名付けたのだろう。ひどい話である。
あとで聞いた話では、真のお母様のお母様、つまり文鮮明の妻である韓鶴子の母親、洪順愛が、「アメリカに行っている崔元福は二号だ、妾だ」と騒ぎ立てたので、仙和芸術学校の校長として、崔元福を韓国に帰らせることになった。
この学校は、朴普煕の弟、朴魯煕が理事長でいたが、校長という名称もただ上っ面だけの話で、文鮮明が慌ててつけた口実に過ぎないと思う。
(朴正華著「六マリアの悲劇 真のサタンは文鮮明だ!!」P.251より)
https://ameblo.jp/chanu1/entry-12020706144.html



実母より年上で、元英文学教授の崔元福は、鶴子が逆立ちしても敵わない。
夫の覚えもめでたく、そのことで彼に文句を言っても却ってこっちが「お前は子供だけ生んでればいいんだ!」と怒鳴られる。
ずっとずっと目障りだった。
(あのでしゃばり、老ぼれ老婆め。こうしてくれる)
子供たちを煽動し、実母も加勢して、ついに力関係が逆転したのだ。

   *

1985年、文鮮明は、当時22歳の長男 文孝進を「世界原理研究会」の会長に任命した。
彼が長男を将来自分の後継者にしようとしていることは明白だと思われた。
亀鶴子はなんとなく浮かない気分になり、頬をピクピクさせていた。
「あなた、孝進はちゃんと大役を務めることができるでしょうか。2年前にあんなことがあったばかりだし、心配だわ」

孝進が19歳の時に父文鮮明は、当時15歳の信者の娘 洪蘭淑を結婚相手に選んで、すでに家庭を持たせていたが、孝進には韓国に愛人がいた。彼は蘭淑に、
「きみとの結婚は望まなかったが、両親を喜ばせるためだけに結婚した」
と言い、別れ話を切り出した。
「韓国にいるガールフレンドをあきらめるつもりはない」
と告げ韓国のソウルへ行ってしまった。

韓国から帰国すると彼は「結婚祝いのお金でガールフレンドをアメリカに呼び寄せ、マンハッタンに二人で暮らすアパートを借り、そのガールフレンドと結婚するつもりである」旨を両親に告げた。
それで母、亀鶴子が孝進のガールフレンドと会い、手切れ金とカリフォルニア州行きの航空券を渡して手を打ったのだった。

鶴子のやり方は、札束が入った分厚い封筒を目の前にピシャリと置いて、
「これで2度と孝進の前に姿を現さないでちょうだい」
一方的なやり方に孝進のガールフレンドは怒り、金を掴んでLAに飛び、それっきりになった。

それを察知した孝進は荒れた。


そのうち文孝進は、過度の飲酒やコカイン常用、女性問題などの不品行がますます激しくなり、外部に隠しきれなくなってきた。
88年、彼は信者たちの前で、自分の不品行をすべて告白、涙ながら懺悔したが、その後も相変わらずの行状で妻を苦しめていた。

「私、本当に心配だわ、あなた‥」


いつのまにか、文孝進こそ2世の後継者という気運は立ち消えていた。

   *

1989年11月3日 亀鶴子の母の洪順愛が死去した。
統一教団の基(もと)となった朝鮮の霊的集団を渡り歩いた過去のある、いわば「知り過ぎた」存在だった義母が死んで、龍明は内心ホッとした。
これからは、昔の知られたくない秘密を義母に暴露されたり、鶴子とグルになって教団を乗っ取られるのではないかと不安を感じなくても済むのだ。

1990年1月1日のスピーチで文教祖は、
「お母様は先生と完全に一つになったのです」
と語り、3月には、
「先生が第一教主であり、お母様が第二教主です」
と自らの格位を保ちながらも妻に権力の大判振る舞いをした。
亀鶴子は満足し、溜飲を下げた。


さて、毛沢東の妻、江青は嫉妬深いことで有名で、自分より若くて優れた女を追い詰めたり殺したりしたそうだが、亀鶴子は講演旅行の際、現地でお世話係をした美貌の日本人信者をコテンパンにやっつけたことがある。

    *



関連オススメ!
『6人後継者の悲劇 』
http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-182.html





 参考資料

https://tragedyofthesixmarys.com/six-wives-sun-myung-moon/
「文鮮明の6人の妻」
1.崔先吉 2 金鍾和 3金明熙 4 崔元福 5 韓鶴子 6 崔淳華


https://ameblo.jp/chanu1/entry-12020706144.html


『わが父文鮮明の正体』洪蘭淑・著

婚外子•朴サムエルのスピーチ

その他いろいろ




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