『南米で威張っちゃダメダメ、文教祖』からの続き
ナニコレ極秘戴冠式と
幻想ナンチャッテ歴史的人物
龍明小説9-9
原理講論を書いた年上の弟子劉孝元が亡くなってからは、劉の原理に則した賢明なアドバイスを受けられなくなった。(前回より)
非公開の拍手コメントにて、
「そうか、劉孝元氏がいたから初めのほうだけまともだったんですね。」
とのコメントをいただきました。
劉氏は天才的に頭が鋭かったそうですから、悪気なくズバリ原理で突っ込まれたら、文教祖も内心怖かったのではないでしょうか。
氏は、文教祖の血分けを容認していましたが、他の信者がそれを実践すると厳しく諫めていました。
氏が70年に亡くなってから、教団に疑問を持つ氏の従兄弟たちや古参の信者仲間がごっそり抜けて、文教祖に多少なりとも物申すことができる人物は激減したとのことです。
ある意味目の上のたんこぶが無くなった龍明は、羽目を外し、自分をうんと高い台座に登らせて、誰もが頭を下げるのが当然だと偉そうに話すようになっていった。(前回より)
異議を唱えられる恐れから解き放たれたような文鮮明先生であります。
「文鮮明は自分と妻の韓鶴子を、世界皇帝と世界皇后として戴冠させた」
(これは後の戴冠式の写真。1985年の「皇帝」戴冠式のものは入手できなかった)
ホン・ナンスク著『In The Shadow Of The Moons』より抜粋。
洪蘭淑 著『わが父文鮮明の正体』(1998年)
「文牧師は1985年8月20日に(牢獄から)解放された。...」
イーストガーデンでは、お父様が刑務所からではなく、世界巡回の講演旅行から帰ってきたかのようでした。昔のリズムが戻ってきて、朝食時のテーブル会議が復活しました。
しかし何かが違っていました。出所後、ベルヴェディアで行われる文師の聖日説教には、明らかな変化が見られました。
次第に神について語ることが少なくなり、ますます自分自身について語るようになったのです。
単に神の使者としてではなく、ある種の歴史的人物としての自分という幻想に執着しているようでした。
私は、以前は霊的な洞察を求めて彼の説教に熱心に耳を傾けていましたが、今では心が落ち着かず、あまり興味を持てなくなってしまいました。
「単に神の使者としてではなく、ある種の歴史的人物としての自分という幻想に執着」←これこれ。これがいや(笑)。
でもそのことよりも、
「信者が教祖らの歴史的人物ぶりを、期間や年代をいじくりまわしてああだこうだと言い張っている」←これがいや。
そのことよりも、
「それで何事かを為しているつもり、おのれを知らず、省みず、現実に即して鍛錬せずの勘違い」←これがもっといや(笑)。
でもそこまで言うと、私自身もそうではないのか?
おまえもなー。ホイ 一部統一っつぁん
俺たちゃ みんな オール統一っつぁん
そう思わないやつが 一番統一っつぁん ホイッ
(統一ブログ村の唄)
(同書 つづき)
文牧師の傲慢さは、その年の年末に行われた秘密の儀式で頂点に達しました。
彼は実際に自分と妻の韓鶴子を世界皇帝と世界皇后として戴冠させたのです。
ベルヴェディアで行われたこの豪華な秘密のイベントの準備には、数ヶ月と数十万ドルが費やされました。
教会の女性たちは、19世紀に終焉を迎えた500年の歴史を持つ李氏朝鮮王朝の王服を研究することになりました。また、種族の王が冠るような金とヒスイでできた冠をデザインするよう命じられました。
私の母は、何ヤードものシルクやサテン、錦織の生地を買い付け、韓国で仕立屋を見つけてきて、これらの高価な素材を王宮の衣装に仕立て上げる仕事をしていました。
文氏の12人の子供たち、義理の家族、孫たち全員が、王子様やお姫様のような衣装を着ることになったのです。
結局、文鮮明の戴冠式は、歴史を再現復帰というよりも、李氏朝鮮時代を舞台にした韓国のよくあるテレビドラマのようになってしまいました。神聖な宗教行事ではなく、私は時代劇の衣装を着ているような馬鹿らしさを感じました。
文牧師は、このような自己中心的な行為が世間からどのように受け取られるかを十分に認識しており、式典の写真撮影を禁止していました。教会の高級幹部である招待客がカメラを持って来ても、門前に陣取った警備員に没収されたのです。
金色の王冠と精巧な衣装を身にまとった文鮮明は、私には現代のシャルルマーニュ帝のように見えました。違うのは、この皇帝はローマ法王には頭を下げないということです。文牧師に勝る権威はないのだから、メシアは自分で世界皇帝の冠をかぶらなければならなかったのです。
この戴冠式は、私と私の両親にとって転機となりました。私たちは初めて、文鮮明氏に対する疑問をお互いに口にしました。それは、簡単なことではありませんでした。
(引用ここまで)
日本語版を引越しで見失ったので、英語版より日本語訳。
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/625652111022178304/sun-myung-moon-actually-crowned-himself-and-hak
これより以前、83年末〜84年初頭あたりにも、別の豪華絢爛な戴冠式があったはずです。
当時、所属の長(777家庭)の夫人が言ったのを覚えています。
(聞いた時期は、私が渡米する直前だったので間違いようがありません。)
「韓国でお父様が豪華絢爛な衣装で冠をかぶる極秘の儀式があった。
○○さん(777の同期)が参加したけど、世界がまだ天国にもなっていず、み旨が厳しい中でなぜあんなにお金をかけてあのようなことをするのかと、本気でつまずいたと言っていた。深刻ですよ」
一族やら一般の何やらを大勢招待したとか。
その時に韓国の文氏姓の中の王になったのでしたか?
相当お金もばらまいたのでしょう。
85年のベルヴェディアでの戴冠式の写真もないですが、この83年の戴冠式の話は文字ですら一切出ていないようです。
でも知っている人はいると思います。
「そうよ、私たち、そういうこと知ってて教会に残ってるのよ〜」
と言う、心理的に合理化を済ませた777の方々いると思います。
2000年代からは、公開の戴冠式ラッシュでしたが、
「神様王権即位式」「天宙統一平和の王戴冠式」
「天宙平和の王真の父母様戴冠式」など。
日本の献金摂理が激しくなった1980年代も、実は豪華絢爛、隠れた戴冠式のラッシュだったという話です。
【おまけ】ステキ映像 オリンピック オメガCM
参考資料
http://www.owlapps.net/owlapps_apps/articles?id=999648&lang=ja
1985年
年末 文鮮明が妻の韓鶴子と共にアメリカのベルベディアで「世界皇帝」 と「世界皇后」 の 即位儀式を行う。幹部たちと一部の信者だけに参加が許された秘密儀式で、写真撮影も禁じられたという。
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龍明小説9-9
原理講論を書いた年上の弟子劉孝元が亡くなってからは、劉の原理に則した賢明なアドバイスを受けられなくなった。(前回より)
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「そうか、劉孝元氏がいたから初めのほうだけまともだったんですね。」
とのコメントをいただきました。
劉氏は天才的に頭が鋭かったそうですから、悪気なくズバリ原理で突っ込まれたら、文教祖も内心怖かったのではないでしょうか。
氏は、文教祖の血分けを容認していましたが、他の信者がそれを実践すると厳しく諫めていました。
氏が70年に亡くなってから、教団に疑問を持つ氏の従兄弟たちや古参の信者仲間がごっそり抜けて、文教祖に多少なりとも物申すことができる人物は激減したとのことです。
ある意味目の上のたんこぶが無くなった龍明は、羽目を外し、自分をうんと高い台座に登らせて、誰もが頭を下げるのが当然だと偉そうに話すようになっていった。(前回より)
異議を唱えられる恐れから解き放たれたような文鮮明先生であります。
「文鮮明は自分と妻の韓鶴子を、世界皇帝と世界皇后として戴冠させた」

(これは後の戴冠式の写真。1985年の「皇帝」戴冠式のものは入手できなかった)
ホン・ナンスク著『In The Shadow Of The Moons』より抜粋。
洪蘭淑 著『わが父文鮮明の正体』(1998年)
「文牧師は1985年8月20日に(牢獄から)解放された。...」
イーストガーデンでは、お父様が刑務所からではなく、世界巡回の講演旅行から帰ってきたかのようでした。昔のリズムが戻ってきて、朝食時のテーブル会議が復活しました。
しかし何かが違っていました。出所後、ベルヴェディアで行われる文師の聖日説教には、明らかな変化が見られました。
次第に神について語ることが少なくなり、ますます自分自身について語るようになったのです。
単に神の使者としてではなく、ある種の歴史的人物としての自分という幻想に執着しているようでした。
私は、以前は霊的な洞察を求めて彼の説教に熱心に耳を傾けていましたが、今では心が落ち着かず、あまり興味を持てなくなってしまいました。
「単に神の使者としてではなく、ある種の歴史的人物としての自分という幻想に執着」←これこれ。これがいや(笑)。
でもそのことよりも、
「信者が教祖らの歴史的人物ぶりを、期間や年代をいじくりまわしてああだこうだと言い張っている」←これがいや。
そのことよりも、
「それで何事かを為しているつもり、おのれを知らず、省みず、現実に即して鍛錬せずの勘違い」←これがもっといや(笑)。
でもそこまで言うと、私自身もそうではないのか?
おまえもなー。ホイ 一部統一っつぁん
俺たちゃ みんな オール統一っつぁん
そう思わないやつが 一番統一っつぁん ホイッ
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(同書 つづき)
文牧師の傲慢さは、その年の年末に行われた秘密の儀式で頂点に達しました。
彼は実際に自分と妻の韓鶴子を世界皇帝と世界皇后として戴冠させたのです。
ベルヴェディアで行われたこの豪華な秘密のイベントの準備には、数ヶ月と数十万ドルが費やされました。
教会の女性たちは、19世紀に終焉を迎えた500年の歴史を持つ李氏朝鮮王朝の王服を研究することになりました。また、種族の王が冠るような金とヒスイでできた冠をデザインするよう命じられました。
私の母は、何ヤードものシルクやサテン、錦織の生地を買い付け、韓国で仕立屋を見つけてきて、これらの高価な素材を王宮の衣装に仕立て上げる仕事をしていました。
文氏の12人の子供たち、義理の家族、孫たち全員が、王子様やお姫様のような衣装を着ることになったのです。
結局、文鮮明の戴冠式は、歴史を再現復帰というよりも、李氏朝鮮時代を舞台にした韓国のよくあるテレビドラマのようになってしまいました。神聖な宗教行事ではなく、私は時代劇の衣装を着ているような馬鹿らしさを感じました。
文牧師は、このような自己中心的な行為が世間からどのように受け取られるかを十分に認識しており、式典の写真撮影を禁止していました。教会の高級幹部である招待客がカメラを持って来ても、門前に陣取った警備員に没収されたのです。
金色の王冠と精巧な衣装を身にまとった文鮮明は、私には現代のシャルルマーニュ帝のように見えました。違うのは、この皇帝はローマ法王には頭を下げないということです。文牧師に勝る権威はないのだから、メシアは自分で世界皇帝の冠をかぶらなければならなかったのです。
この戴冠式は、私と私の両親にとって転機となりました。私たちは初めて、文鮮明氏に対する疑問をお互いに口にしました。それは、簡単なことではありませんでした。
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日本語版を引越しで見失ったので、英語版より日本語訳。
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○○さん(777の同期)が参加したけど、世界がまだ天国にもなっていず、み旨が厳しい中でなぜあんなにお金をかけてあのようなことをするのかと、本気でつまずいたと言っていた。深刻ですよ」
一族やら一般の何やらを大勢招待したとか。
その時に韓国の文氏姓の中の王になったのでしたか?
相当お金もばらまいたのでしょう。
85年のベルヴェディアでの戴冠式の写真もないですが、この83年の戴冠式の話は文字ですら一切出ていないようです。
でも知っている人はいると思います。
「そうよ、私たち、そういうこと知ってて教会に残ってるのよ〜」
と言う、心理的に合理化を済ませた777の方々いると思います。
2000年代からは、公開の戴冠式ラッシュでしたが、
「神様王権即位式」「天宙統一平和の王戴冠式」
「天宙平和の王真の父母様戴冠式」など。
日本の献金摂理が激しくなった1980年代も、実は豪華絢爛、隠れた戴冠式のラッシュだったという話です。
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1985年
年末 文鮮明が妻の韓鶴子と共にアメリカのベルベディアで「世界皇帝」 と「世界皇后」 の 即位儀式を行う。幹部たちと一部の信者だけに参加が許された秘密儀式で、写真撮影も禁じられたという。
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2021/07/23 (金) [龍明小説8&9]
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「ひとたびあなたが大げさな言葉に耽溺したら、あなたを地上に連れ戻すことはこの上もなくむずかしい。これらの大言壮語は、あなたの自我を大いに満足させる。彼は空を飛ぶ、彼は自分のマインドの高い塔にいつづける。彼はけっして事実のもとへ、真理のもとへは来ない。真理は単純だから--。」
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