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江利川氏、KCIAの金を受け取る/8-13


『ムーニーvs調査員、どっちもガンバレ』からの続き



▲ 「フレーザー=ソ連の手先だった」は
  教団のでっち上げか?

▲江利川氏、KCIAの金を受け取る





   龍明小説8-13


▲「フレーザー=ソ連の手先だった」は教団のでっち上げか?


教会関係者にとって、ムーニーには不思議な味方がいた。うち一人はウォルター・ライリーと名乗る胡散くさい男で、60年代前半に妻が韓国大使館で働いていた関係で、朴ボヒと知り合っていた。
ライリーの本名は別にあり、彼は20年以上、何度も刑務所を出たり入ったりした犯罪者だった。
ナショナル報道ビルの中で「スパイ・ショップ」という電子盗聴器の販売を専門とするビジネスを営んでいたが、自分のことを主にジャーナリストだと言っていた。
ムーニーが自分を高く評価して、教会の方針に影響を与える決定についてよく意見を求められるという。


76年6月18日、CBSニュースで、統一教会がディプロマ・ナショナル・バンクの株式の約半分を所有していると報じられた。
その翌日、朴ボヒは、ライリーと教会幹部のニール・サローネン、マイケル・ラニョン、チャ・ハンジュをオフィスに集めてこう言った。
「昨日のCBS報道に関してだが、実は困ったことがあるんだ。日本、ドイツ、韓国から大量に持ち込まれた現金を使って、13人の信者の名前で銀行株を購入したのだが、もし、フレーザーが彼らの名前や役割、資金の出所などを明らかにしたら、法律違反の可能性が出てくる。トラブルになるかもしれない。どうしたものか?」

ライリーが提案したのは、ニセの約束手形を作ってみてはどうかということだった。少なくとも、13人が本物の投資家であると思わせることができる。
しかし、資金の出所が外国であるという問題は解決しない。結局、何も決まらないまま会議は終わってしまった。


ライリーは、情報を商売にしていた。彼の情報は、中には突飛な話もあったが、後に発見された証拠によって正しさが裏付けられたものもある。

彼はしばらく統一教会の秘密情報をフレーザー委員会の調査員に流していたが、鞍替えしてムーニー側についた方が得策だと考えるようになった。
フレーザーの部下は返礼においしい情報をくれるわけでもなく、かてて加えてフレーザーは共産主義に対して断固としていないと彼は思った。


ライリーは、ロシア人がフレーザーを「ソ連の情報網に影響を与えるエージェント」として特定したとポーランド情報部からの亡命者が語ったとする記事を書いて発表した。

彼は、文鮮明とKCIAの関係をテーマにしたフレーザー議員の調査を打ち消すために、ムーニーからそのような記事を依頼されたことを認めているが、彼らのために書いたものではないと主張している。

しかし、彼の記事を掲載したアメリカの新聞は、文鮮明の「ニューズワールド」だけだ。
ただ韓国の新聞では、1977年12月にフレーザー調査団がソウルを訪問した際に、一面トップで取り上げられた。

ライリーは、ジャーナリストとして注目されていることで食指を動かし、フレーザーを追い詰めていった。
彼は調査報道記者として大成功したと思っていたが、それはムーニーの提供する太陽の下での一瞬の出来事に過ぎなかった。


フレーザー公聴会で証言する朴ボヒ氏
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▲江利川氏、KCIAの金を受け取る

もし、議会が「最も困難な公聴会証人ベスト10」のリストを作るとしたら、朴ボヒの名前が入っているという。
1976年には自発的な証言を拒否し、翌年には非公式のスタッフインタビューさえも拒否。
弁護士の抵抗を押し切って、召喚状が出されたので、彼は小委員会の非公開セッションに出席し、2つの質問にだけ答えた。
「名前は?」と「住所は?」それ以外の質問には、信教の自由、自白の自由、外交特権(60年代初頭に韓国大使館の職員だった)を行使して答えなかった。
小委員会は、朴に訴追免除を与え、小委員会の質問に答えることを強制する連邦裁判所の命令を得た。


そして、朴ボヒの華麗なるパフォーマンスが始まった。
公聴会では、宗教の説教のような冒頭陳述を延々と1時間以上も続けた。

「あなた方は根拠のない悪質な攻撃によって、文鮮明師の名前と統一教会を十字架につけたのです。
文師と私は、イエス・キリストが祈ったように祈りました。
"父よ、彼らをお許しください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです。"‥‥」

「歴史はネロや背教者ユリアヌスをどのように記憶しているでしょうか?偉大な迫害者としてです。フレイザー委員長、あなたも同じように迫害者として記録されることでしょう。もしあなたが歴史に残っていればの話ですが‥‥」

しかし委員会の緻密な追求のうちに、朴は、韓国で反共産主義の演説をした日本人のムーニーに、KCIAから3,000ドルを支払ったことを認めた。KCIAはワシントンで彼に現金を渡し、彼はそれを韓国に持って行き、その女性は日本から彼に会いに来て、朴は彼女にお金を払ったのだ。

朴は矛盾したことを言い続け、言い逃れをし、話を長引かせた。
「その日本の女性と知り合ったのはいつですか?」といった簡単な質問も、フレーザーは7回以上も冷静に繰り返し、そのたびに異なる不明確な答えが発せられた。



   70年代の江利川氏
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朴がKCIAの3000ドルを支払ったことを認めた問題の女性は、ムーニーの池田文子(本名は江利川安栄)だと判明した。
朴証言によると、KCIA本部のヤン・ドゥウォンからワシントンに3000ドルが送られてきて、池田(本名・江利川安栄)が1975年に韓国のいくつかの集会で講演した際の対価として支払うようにとの要請があったという。
その後、1976年2月に韓国に行き、日本から池田夫人にソウルに来てもらい、その3000ドルを手渡したということだ。

ーーーーーーー




フレーザー委員会について、たぶん関心がある人は少なく、一般的には面白くないでしょうが、
ちょうど私が入教した頃のことで、教会内での偏向した情報の印象が強いので、解毒のために書いておかざるを得ないといいましょうか、私にとっては面白くないけど面白いといいましょうか、すみません、あと一回ほどで終わりにするでしょう。

フレーザーはソ連のエージェント?
KCIA vs. KGB で相殺しようってか?
何にしてもフレーザー報告書の内容は政治的イデオロギーとは関係ないです。
教団では、フレーザーは神の罰を受けて政界から姿を消した、なんて言われていたけど、
その後、ミネアポリス市長を十数年間務めていたそうです。ミネアポリス史上最長の市長。
ソ連のスパイではなかったのでしょう。
そんな噂のカケラも出ていません。
https://ja.wikinew.wiki/wiki/Donald_M._Fraser
2019年に95歳で亡くなったとのこと、文鮮明さんより長生きしましたね。






参考資料

Gifts of Deceit (1980) by Robert B. Boettcher
キャプチャg1 

https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/182536406323/gifts-of-deceit-chapter-12-dueling-with-the
の一部の超訳+アルファでした。




世界基督教統一神霊協会の年表
http://www.owlapps.net/owlapps_apps/articles?id=999648&lang=ja
1978年
3月23日 アメリカのフレーザー委員会、米下院国際関係委員会国際機関小委員会において、教団のフロント組織と見られる韓国文化自由財団とKCIAの関係を全面否定していた朴普煕が、厳しい追及によって、担当の金相根駐米大使館参事官からワシントン郊外の自宅で3000ドルの現金を受け取ったことを認めたと新聞で報道される。朴普煕は女性信者{江利川安栄、(777双)}をソウルに呼び寄せ、その3000ドルを手渡したという。朴は「彼女にKCIA の金を手渡したのは、あとにも先にも、この一回だけだった」と語ったという。
4月 江利川安栄がコリアゲート事件に関連して、3000ドルを朴普煕を通して受け取ったと記者会見で告白する。






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