『想な世界征服:勢いありそに見えた時代』からの続き
許せ 愛せ ニクソン激怒
ノンフィクション書籍『Gifts of Deceit』を参考。
*ほぼ全ての事柄が直接関係者に取材、または議会報告書等に書かれている事です。
龍明小説8-6
1970年から74年にかけては、アメリカの信者数が毎年倍増した、急速な成長を遂げている時期だった(75年には頭打ちになるのだが)
その頃、ウォーターゲート事件が起こり、ニクソン大統領への疑惑と糾弾が話題になっていた。
文鮮明教祖は大量の資金と人員を投入して、ニクソン支持の運動に乗り出した。
まず、51の主要新聞に「許せ、愛せ、団結せよ」とニクソン擁護の声明を、自分の顔写真入りで全面広告掲載した。
それはアメリカでの初めての個人的な政治活動になった。
それまで彼はアメリカと韓国を行ったり来たりしながら、講演旅行を続けていて、アメリカ人は、彼を異端の神学を持つ精力的な伝道者としてしか知らなかった。
彼はダン・フェファーマンを委員長に「全国祈祷断食委員会」を設立し、40日間の断食祈祷を開始させた。
彼は信者たちにこう言った。
「ニクソンを支持するのは、先に韓国に行った際、山に入って神と話し合った結果である」
ウォーターゲート事件でニクソンを救うのはこの文先生にかかっている、他の誰にもできないと神は認めたというのだ。
アダムの立場にある文氏は、天使長の立場のニクソンを助けなければならない。
アメリカ国民はニクソンを支えなければならない。許せ、愛せ、団結せよ!

文鮮明氏によるニクソン支持声明の全面広告(当時のニューヨーク・タイムズ)
実は文教祖のニクソン擁護運動の背後にいたのは、Dr.ジョセフ・ケネディと言う人物だった。ケネディはアトランタの「希望の日」講演会プログラムのコンサルタントとして文教祖の組織に雇われていた。彼はまた、ホワイトハウスにも良いコネクションを持っていた。
韓国の山の中で文と神との間のやりとりがあったにせよなかったにせよ(ないだろ)、文の副官 朴ボヒの頭の中に基本的な考えを植え付けたのはケネディだった。
1973年11月初旬にアトランタで、ケネディはニクソンのウォーターゲート問題について朴氏に懸念を示し、リンカーンは国家的危機の時には祈りと断食が必要だと語ったと力説した。
素晴らしい、と朴は思った。文もそう思っただろう。
これこそが、彼らが待ち望んでいたものだった。文鮮明はアメリカで最もホットな問題に宗教的な側面を与えることで、アメリカで政治的なデビューを果たすことができたのだ。宗教と政治の統一こそが「統一原理」なのだ。
Dr.ケネディは、ニクソン擁護運動を喜び、クリスマスツリー点灯国家式典に教団を参加させたいという朴の要望に応えてくれた。
参加できることが分かると、教会では、大々的な演出を予定した。
D.C.の広大な訓練所を借り、1973年のクリスマスツリー点灯式をニクソン支持の集会に変えるために非公開リハーサルを行った。
アメリカ教会長のニール・サローネンは、1,200人を100人ずつ、12の「部族」に分けて、それぞれ大統領へ自然発生的に聞こえる声援をあげるよう振り付けたのである。
また訓練所の別室では、「ホース(馬)チーム」と呼ばれる6人の大柄なムーニーが、他のメンバーには秘密で別の計画を立てていた。サローネンの合図で、6人がニクソンを担ぎ上げ騎馬を組んで肩車するというものだ。
サローネンがニクソンの役を演じ、何度もリハーサルが行われた。
ホワイトハウスの側近は、クリスマスツリー点灯式を「大失敗」だったと言った。
大統領によるツリー点灯式は、伝統的に準宗教的な静かな行事だった。ニクソンは、擁護にせよ糾弾にせよウォーターゲートの件を差し挟みたくなかった。それは、彼が大統領として大切にしている式典の一つだった。
聖歌隊が歌い、牧師が祈りを捧げ、大統領がクリスマスについて短い声明を読み上げた。ニクソンがボーイスカウトと一緒にツリーの点灯ボタンを押そうとしたその時、大勢の人々がフェンスを壊して壇上の端に駆け寄り、「神はニクソンを愛す!」「大統領を支持せよ!」と書かれた横断幕を振って歓声を上げていた。ニュースカメラのフラッシュが連続して光った。
ニクソン大統領は、慌ててプラットフォームの後ろから出て行った。サローネンが予想した方向にニクソンが出てこなかったので、ホースチームはニクソンを捕まえることができなかった。
ムーニーたちは、ホワイトハウス向かいのラファイエット広場に集合し、厳しい寒さの中、歓声を上げて旗を振っていた。サローネンは、「大統領が現れることを信じている」と信者たちに語った。
ホワイトハウスの中で、ニクソン大統領は、ツリー点灯式でのムーニーの行動に激怒していた。
しかしその一方でこう考えた。彼らは自分をずっと支えてくれる組織的な集団だ。これから数ヶ月間は彼らを必要とするだろう。
そこでニクソンは外に出て、何人かと握手をすることにした。
ニクソンがペンシルバニア通りを横切ると、彼らは再び彼に詰め寄った。
「馬チーム」は、ニクソンを担ぐことに執着していたので、ニクソンに近づこうとしたが、ニクソンはシークレットサービスに厳重に取り囲まれていた。「馬」たちは、シークレットサービスが神の計画の邪魔をしたことにがっかりした。
大統領が帰る段になると、ムーニーたちはペンシルバニア通りを横切るように2列に並んで手をつなぎ、交通を遮断して大統領の道を作った。あるムーニーは、「私たちは大統領のために世界を止め、彼は私たちの列の間を通って行った」と夢見るように語った。
アメリカ大統領を救うための文氏の活動は、韓国人と日本人によって運営されていた。
当時の他の活動においても同様だったが、サローネンはあくまでも表看板であり、歩兵であり、重要な政策決定の場にはほとんど登場しない。日本人がお金を扱い、韓国人が大きな戦略を決定する。どんなことでも文の言葉が最終決定であり、文は細部にまで驚くほど関与していた。
参考資料
Gifts of Deceit:

Gifts of Deceit – Chapter 6, Minions and Master
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/182501628553/gifts-of-deceit-chapter-6-minions-and-master
脚注例:
153 Moonie preparation for the Christmas Tree Lighting: interview with Gary Scharff who was a member of the “Horse Team.”
153 “A White House aide”: John Nidecker, in testimony before the Fraser Subcommittee, June 1978 (KI Part 5, pp. 15-16).
154-155 “Dr. Joseph Kennedy”: KI Report, pp. 340-341.
KIレポートとは:米下院国際関係委員会国際組織小委員会報告書「韓米関係の調査」 1978年10月31日、ワシントン、447ページ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウォーターゲート事件
ウィキペディア
ウォーターゲート事件(ウォーターゲートじけん、アメリカ英語: Watergate scandal )とは、1972年6月17日にワシントンD.C.の民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まったアメリカの政治スキャンダル。1974年8月9日にリチャード・ニクソン大統領が辞任するまでの盗聴、侵入、裁判、もみ消し、司法妨害、証拠隠滅、事件報道、上院特別調査委員会、録音テープ、特別検察官解任、大統領弾劾発議、大統領辞任のすべての経過を総称して「ウォーターゲート事件」という。
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許せ 愛せ ニクソン激怒
ノンフィクション書籍『Gifts of Deceit』を参考。
*ほぼ全ての事柄が直接関係者に取材、または議会報告書等に書かれている事です。
龍明小説8-6
1970年から74年にかけては、アメリカの信者数が毎年倍増した、急速な成長を遂げている時期だった(75年には頭打ちになるのだが)
その頃、ウォーターゲート事件が起こり、ニクソン大統領への疑惑と糾弾が話題になっていた。
文鮮明教祖は大量の資金と人員を投入して、ニクソン支持の運動に乗り出した。
まず、51の主要新聞に「許せ、愛せ、団結せよ」とニクソン擁護の声明を、自分の顔写真入りで全面広告掲載した。
それはアメリカでの初めての個人的な政治活動になった。
それまで彼はアメリカと韓国を行ったり来たりしながら、講演旅行を続けていて、アメリカ人は、彼を異端の神学を持つ精力的な伝道者としてしか知らなかった。
彼はダン・フェファーマンを委員長に「全国祈祷断食委員会」を設立し、40日間の断食祈祷を開始させた。
彼は信者たちにこう言った。
「ニクソンを支持するのは、先に韓国に行った際、山に入って神と話し合った結果である」
ウォーターゲート事件でニクソンを救うのはこの文先生にかかっている、他の誰にもできないと神は認めたというのだ。
アダムの立場にある文氏は、天使長の立場のニクソンを助けなければならない。
アメリカ国民はニクソンを支えなければならない。許せ、愛せ、団結せよ!

文鮮明氏によるニクソン支持声明の全面広告(当時のニューヨーク・タイムズ)
実は文教祖のニクソン擁護運動の背後にいたのは、Dr.ジョセフ・ケネディと言う人物だった。ケネディはアトランタの「希望の日」講演会プログラムのコンサルタントとして文教祖の組織に雇われていた。彼はまた、ホワイトハウスにも良いコネクションを持っていた。
韓国の山の中で文と神との間のやりとりがあったにせよなかったにせよ(ないだろ)、文の副官 朴ボヒの頭の中に基本的な考えを植え付けたのはケネディだった。
1973年11月初旬にアトランタで、ケネディはニクソンのウォーターゲート問題について朴氏に懸念を示し、リンカーンは国家的危機の時には祈りと断食が必要だと語ったと力説した。
素晴らしい、と朴は思った。文もそう思っただろう。
これこそが、彼らが待ち望んでいたものだった。文鮮明はアメリカで最もホットな問題に宗教的な側面を与えることで、アメリカで政治的なデビューを果たすことができたのだ。宗教と政治の統一こそが「統一原理」なのだ。
Dr.ケネディは、ニクソン擁護運動を喜び、クリスマスツリー点灯国家式典に教団を参加させたいという朴の要望に応えてくれた。
参加できることが分かると、教会では、大々的な演出を予定した。
D.C.の広大な訓練所を借り、1973年のクリスマスツリー点灯式をニクソン支持の集会に変えるために非公開リハーサルを行った。
アメリカ教会長のニール・サローネンは、1,200人を100人ずつ、12の「部族」に分けて、それぞれ大統領へ自然発生的に聞こえる声援をあげるよう振り付けたのである。
また訓練所の別室では、「ホース(馬)チーム」と呼ばれる6人の大柄なムーニーが、他のメンバーには秘密で別の計画を立てていた。サローネンの合図で、6人がニクソンを担ぎ上げ騎馬を組んで肩車するというものだ。
サローネンがニクソンの役を演じ、何度もリハーサルが行われた。
ホワイトハウスの側近は、クリスマスツリー点灯式を「大失敗」だったと言った。
大統領によるツリー点灯式は、伝統的に準宗教的な静かな行事だった。ニクソンは、擁護にせよ糾弾にせよウォーターゲートの件を差し挟みたくなかった。それは、彼が大統領として大切にしている式典の一つだった。
聖歌隊が歌い、牧師が祈りを捧げ、大統領がクリスマスについて短い声明を読み上げた。ニクソンがボーイスカウトと一緒にツリーの点灯ボタンを押そうとしたその時、大勢の人々がフェンスを壊して壇上の端に駆け寄り、「神はニクソンを愛す!」「大統領を支持せよ!」と書かれた横断幕を振って歓声を上げていた。ニュースカメラのフラッシュが連続して光った。
ニクソン大統領は、慌ててプラットフォームの後ろから出て行った。サローネンが予想した方向にニクソンが出てこなかったので、ホースチームはニクソンを捕まえることができなかった。
ムーニーたちは、ホワイトハウス向かいのラファイエット広場に集合し、厳しい寒さの中、歓声を上げて旗を振っていた。サローネンは、「大統領が現れることを信じている」と信者たちに語った。
ホワイトハウスの中で、ニクソン大統領は、ツリー点灯式でのムーニーの行動に激怒していた。
しかしその一方でこう考えた。彼らは自分をずっと支えてくれる組織的な集団だ。これから数ヶ月間は彼らを必要とするだろう。
そこでニクソンは外に出て、何人かと握手をすることにした。
ニクソンがペンシルバニア通りを横切ると、彼らは再び彼に詰め寄った。
「馬チーム」は、ニクソンを担ぐことに執着していたので、ニクソンに近づこうとしたが、ニクソンはシークレットサービスに厳重に取り囲まれていた。「馬」たちは、シークレットサービスが神の計画の邪魔をしたことにがっかりした。
大統領が帰る段になると、ムーニーたちはペンシルバニア通りを横切るように2列に並んで手をつなぎ、交通を遮断して大統領の道を作った。あるムーニーは、「私たちは大統領のために世界を止め、彼は私たちの列の間を通って行った」と夢見るように語った。
アメリカ大統領を救うための文氏の活動は、韓国人と日本人によって運営されていた。
当時の他の活動においても同様だったが、サローネンはあくまでも表看板であり、歩兵であり、重要な政策決定の場にはほとんど登場しない。日本人がお金を扱い、韓国人が大きな戦略を決定する。どんなことでも文の言葉が最終決定であり、文は細部にまで驚くほど関与していた。
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Gifts of Deceit – Chapter 6, Minions and Master
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153 Moonie preparation for the Christmas Tree Lighting: interview with Gary Scharff who was a member of the “Horse Team.”
153 “A White House aide”: John Nidecker, in testimony before the Fraser Subcommittee, June 1978 (KI Part 5, pp. 15-16).
154-155 “Dr. Joseph Kennedy”: KI Report, pp. 340-341.
KIレポートとは:米下院国際関係委員会国際組織小委員会報告書「韓米関係の調査」 1978年10月31日、ワシントン、447ページ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウォーターゲート事件
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ウォーターゲート事件(ウォーターゲートじけん、アメリカ英語: Watergate scandal )とは、1972年6月17日にワシントンD.C.の民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まったアメリカの政治スキャンダル。1974年8月9日にリチャード・ニクソン大統領が辞任するまでの盗聴、侵入、裁判、もみ消し、司法妨害、証拠隠滅、事件報道、上院特別調査委員会、録音テープ、特別検察官解任、大統領弾劾発議、大統領辞任のすべての経過を総称して「ウォーターゲート事件」という。
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2021/05/15 (土) [龍明小説8&9]
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