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脱会宣言した朴ボヒ、会員証を破り捨てる/8-5

『“私の父は偽の再臨メシアです”文聖進の手紙事件』からの続き


朴ボヒ、
韓国のトップリーダー会議でUC脱退を宣言、
会員証を破り捨てる




   龍明小説8-5


文教祖の自叙伝「平和を愛する世界人として」では、
“食事どきになると、ジャガイモをいくつか焼いて食べ、飢えをしの”ぎながら、“1銭、2銭と節約して集めたお金”で、リトルエンジェルスを創設した”
と書いてあります。
当然のようにリトルエンジェルスは自分が計画考案したと書いています。

一方、アメリカ議会で調査を担当したプロのジャーナリスト、Gifts of Deceit 著者のベッチャー氏は、
「朴ボヒは、ウィーン少年合唱団のコンサートに出席した後、韓国伝統の少女舞踊団を組織するアイデアを思いついた。 文はこのアイデアを気に入り、1962年に『リトル・エンジェルズ』を設立した。 」
としています。

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1. アイゼンハワー元米大統領と朴大佐(1965年
2. 1971年、イギリス女王と一緒に写る朴大佐
3. ユネスコでのリトル・エンジェルズ(1973年
4. リトルエンジェルスと不明人物
5. ライサ・ゴルバチョフとリトル・エンジェルズ(1990年
6. リトルエンジェルズ、日本の皇太子ご夫妻とご対面(1971年




リトルエンジェルスを考案したのは、文と朴、さあ、どっち?
それぞれのご想像にお任せしますが、
いかにも大使館員がウィーン少年合唱団のコンサートに招待されてそうな時代だし、これは韓国一国の内部から出てくるアイデアではなく、占領下、国連、外交官などのキーワードが伴うイメージです。つまり当時ワシントン駐在の韓国大使館付情報部員だった朴氏の方がイメージが合うと私は思います。韓国内で信者が子供たちを孤児院に捨てるまで伝道活動を科していた文教祖発のアイデアだとは思えないのですが。

しかし朴氏の著書『証言』でも、文鮮明自叙伝をなぞる形で、文のアイデアだとしています。
当時そのアイデアに納得がいかなかった朴は文先生に「なぜ子供なんですか?」と尋ねたという。
「証言」より引用:
(朴は文に尋ねた)「なぜ『児童舞踊団』なのですか?そんな鼻をずるずる垂らした幼い子供たちを、どうやって世界の舞台に連れて回るというのですか?」と。先生は感銘深い答弁を下さった。「子供は平和の象徴である・・・(云々かんぬん・・・」

当時実際にあった反対意見を朴の質問として編集し、それにいつもの御大層な答えをくっつけたかといった具合に、質問も回答もわざとらしさを感じさせます。

65年に朴氏の自宅の朴自身の書斎の隣の部屋で、崔淳華がサムエル(文氏の庶子)を身籠ったのに、裁判の宣誓証言で「私はサムエルの父親が誰か知りません」と堂々と証言するわ、自分の実子として出生証明書を提出するわ、下院議会の公聴会での証言といい、その他の詐欺容疑といい、朴ボヒ氏は筋金入りの、文教祖や統一教会に都合の良い「天の欺瞞」の使い手です。


そんな模範的なムーニー(統一教会員)とも言える朴ボヒ大佐のもう一つの顔の紹介です。


以下は、
430双韓国人元信者キム・ミョンヒ著『文鮮明の正体』
389ページ「脱退を宣言した朴ボヒ」の英訳から日本語訳


リトルエンジェルズ・ダンス・カンパニーは、統一教会全体の汗と涙のエッセンスだった。
なぜ、朴ボヒ大佐の専属対象になったのか?
統一教会の信者であれば、なぜリトルエンジェルズが朴ボヒ一族の支配下で運営されているのかを考えてみる必要があるだろう。

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▲左から 朴ボヒ大佐、崔元福(第2のお母様)、文鮮明、朴夫人、韓鶴子



その頃、文教祖は「聖地」の確立を目指して世界ツアーを行っていた。
朴ボヒは文教祖の世界旅行の莫大な旅費を、リトルエンジェルが稼いだ外貨で賄っていた。可愛い子供たちが稼いだお金は、このような法外で場違いな目的に使われていた。

【注】統一運動史の年表より
1965年:第一次世界巡回路程(崔元福女史、金永雲女史同行)全世界40か国9ヶ月間
1969年:真の御父母様御一行の第二次世界巡回路程に久保木修己会長が同行
1971年:真の御父母様御一行、第三次世界巡回路程のため御来日
(崔元福女史、金榮輝先生同行)15か国を巡回(1972.5.8まで156日間)
 


朴ボヒは、リトルエンジェルズを通じた金銭的な収入の関係で、文教祖と対立していた。
朴はすぐに韓国に戻り、統一教会本部の幹部を世宗ホテルに招待した。招待された役員たちは、当時アメリカに滞在していた文教祖の現在の状況を知るためにホテルに集まって来た。

その招待会議の席上で朴ボヒは、統一教会を去ることを宣言し、事前に計画していた通り、幹部たちの目の前で自分の会員証を破り捨てた。

幹部たちは愕然とし、この衝撃的な事件はすぐにアメリカの文教祖に報告された。
朴ボヒが文氏の右腕として仕えていただけに、これはなおさら衝撃的だった。また、朴は統一教会の中心的な祝福家庭である36組のカップルのうちの一人でもあり、少なくとも教会全体で4番目に重要な幹部だったのだ。

文教祖は朴ボヒを説得するために、アメリカで一晩中朴と話をしたが、話し合いの結論が出ないまま朴は韓国に帰国し、世宗ホテルでの厄介な場面を引き起こしたという次第だ。


朴ボヒ大佐は、文教祖の弱みはもちろん、統一教会の内部の秘密を誰よりもよく知っていた。彼は常に文教祖に忠実な弟子だった。
さらに、彼はアメリカの出生証明書にサムエル・ムーン[ワシントンDCで生まれた]を彼と彼の妻の息子として登録していた。実際はサムエルは文教祖ともう一人の女性[崔淳華]の息子だった。
文鮮明と朴ボヒは、朴が文サムエルを自分の息子であるかのように育てていたため、本当に生死を共にする運命を共有していたと考えられている。

最終的に文教祖は、統一教会のメンバーの努力と献身の成果である「リトル・エンジェルズ社」を朴大佐に引き渡した。リトルエンジェルズはパク大佐一族の支配下で運営されていることが知られている。


統一教会の教会員たちは、腹を空かせて汗を流してリトルエンジェルズを育てた。苦労しながらも、リトルエンジェルスの活動を通じて韓国の国威発揚のための誇りと報いを感じていた。
ところで、朴ボヒはアメリカで韓国文化自由財団(KCFF)を設立し、元駐米大使の故ヤン・ユチャン氏をはじめとする多くの著名人を訪問しながら広報活動を行い、一定の成果を上げた人物でもある。

リトル・エンジェルズのアメリカ公演の理由は、朝鮮戦争の退役軍人家族の慰問公演であり、韓国の威信を高めるためというのがもっともらしい理由であった。国内外で大成功を収めた。リトルエンジェルスの背後に統一教会が潜んでいることを知らない世界中の無邪気な人々がリトルエンジェルスを熱狂的に歓迎し、韓国のイメージが大きく向上した。

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▲ソウルのリトルエンジェルス芸術学校の劇場 (6000双には懐かしいはず)


統一教会が今日の統一教会に成長した背景には、統一教会のために不慣れな前線で頑張っている間に倒れて死んだ信者たち、既成教会から異端であると迫害されて死んだ信者たち、練炭の煙を吸って死んだ信者たちがいた。

血に染まった信者たちの苦しみについて、文鮮明指導者は慰めと賛美の言葉を少しばかり述べたが、それには金はかからなかった。指導者と信者たちは、それが自分たちの最高の栄誉だと思った。

統一教会の信者が会員証を破り捨てたという事実は、その人が地獄に落ちるという事実よりも衝撃的で恐ろしいことだった。
その事実を考えると、なぜ文教祖は一晩中かけて、自ら出て行くと宣言した朴大佐を説得しようとしたのでしょうか?

文教祖は、身なりが良く、勉強ができ、能力があり、ハンサムで、利用する価値のある人をよく取り立てて利用する社会病質者である。しかし、彼は教育を受けていなかった貧しい信者を完全に無視している。
(翻訳引用ここまで)



ここから「文鮮明の弱みを握り資産をパクる統一幹部たち」というタイトルの韓流ドラマが始まったそうです(うそ




参考資料

書籍『The Identity of Sun Myung Moon and the Unification Church』

by Myung-hui Kim who was a 430 Blessed Couple: 金明熙(430双)著

published in Korea in March 1987, and again in November 1989.


https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/636882151556726784/bo-hi-pak-declared-he-was-leaving-the-uc-and-tore






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