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聖婚式と軍事クーデター以後/7-1


3弟子の実体儀式とは・亀子泣く/6-11 からの続き



 聖婚式と軍事クーデター以後
   世間からは相変わらず嫌われものだったが
     統一教の運勢はグッと上がったように見えた




   龍明小説7-1




後々、龍明は、崔元福夫人との寝物語に、
「幼い亀子にはわるいことをしたよなあ‥」
ともらしたということだ。(前回)


こうして3弟子の儀式も無事終わり、1960年の4月11日(陰暦60年3月16日)文ノ龍明と韓亀子は晴れて聖婚式を挙げた。
この時は、挙式のみで入籍はしてもらえず、亀子は心にポッカリ開いた穴の中に(文鮮明のケチ〜!)と叫び、それを心の奥深くに埋めた。

5日後の4月16日には、弟子たち3組の結婚式が合同で行われた。


さらにその1年後に行われた祝福合同結婚式33組の弟子の家庭では、真の母 亀子が3組の儀式で行ったパートを、文教祖から性儀式を直接受けた花嫁自身がそれぞれの夫と行なうものとした。

62年の72組、63年の124組も同様だったが、文教祖の直接性儀式はきっちり全部の妻が受けているわけでもなかった。
中には雰囲気の合わない女弟子もいたし、歳のせいか龍明もだんだん面倒くさくなって、虫食い状態のままケンチャナヨ〜になっていった。

「この先もっと信者が増え、海外進出も視野に入れると、これではさすがにまずいでしょう」
総協会長の劉孝元が言った。

そこで文龍明は頭をひねり、「聖酒」という概念物を発明した。
(酒屋で買ってきた安価な赤ワインに、彼が直接儀式で流す体液が入っていると言われている)

ーー合同結婚式で、花嫁全員に「聖酒」を渡して飲ませればいい。
聖酒式は性儀式の象徴である。
それにより花嫁はメシアの相対となり、40日間は夫婦生活をせず、聖別期間とする。
その後の3日行事で目出たく夫が重生(新生)し、罪の無い家庭が出発するのだ。

これが人類の罪を拭う救いの道である。どう、俺って天才でしょ?
と神に尋ねてみたが、神様は2回とも「違う!」と否定してきた。
それでも「これしかない!」としつこく食い下がると、3度目にやっと「そうだ!」と認めてくれたという。

朝鮮土俗のシャーマニズムでは、自分の体液を飲ませると、その人を支配下に入れることができると信じられている。
認めたのはどこの神様だかわからない。
キリスト教の神様ではないだろう。


ーーこれで全人類が公明正大に祝福を受ける基盤が整った。
「それ(血分け)だけはやめろ」と言ったKCIAの金鍾泌(ジョンピル)部長にも顔向けできるというものだ。

それ以降、聖酒式と40日聖別期間、3日行事が、統一教会の合同結婚式の付き物になった。


     ***

聖婚式から約1年後の1961年5月16日、ついに、以前から金鍾泌氏が仄かしていた政変が起こった。朴正煕を中心とした韓国軍部による軍事クーデターだ。

朴正煕政権誕生の立役者となった金鍾泌(ジョンピル)は、KCIA韓国中央情報部の初代長官の地位についた。

62年秋、金鍾泌はKCIA長官として、アメリカへ2週間の公式訪問を行った。
その際、龍明は極秘で同行し、CIA長官やロックフェラーなどに会っている。
このことは一般の信者には秘密にしている。

金鍾泌らは帰途、サンフランシスコのセント・フランシス・ホテルの部屋で、アメリカにいる信者たちとお忍びで会見した。

西海岸全域から集合した宣教師の金永雲女史や西川崔パパ、少数の初期アメリカ人信者たち数人に向かって、鍾泌氏はこう言った。
「表立っては言えないが、私は文先生の目的に共感したので、政府内部から隠密で統一教会を支援することを約束しよう」


その言葉は嘘にはならなかった。
朴政権は軍事独裁政権なので、基本的に宗教に対しては厳しい政策をとった。キリスト教をはじめ多くの宗教団体が圧力を受け、政府の独裁に対して反対の意を表明したが、統一教は違った。

金鍾泌肝入りの情報将校たち4人を内部に受け入れている統一教は、彼らを通して政権と意思疎通していた。

クーデター後の教会記念日に文教祖は、「反共をやらなければならない」と語り、国是である反共運動に組織的に取り組み始めた。


そして1963年、教団設立から9年目にしてやっと、政府に団体として認可されたのだ。
文化観光部宗教課に登録された公式名称は「世界基督教統一神霊協会有志財団」。
財団の宗教部門としては、非課税枠も手に入れ、統一教の運勢はグッと上がったように見えた。


青年将校の1人である朴ポヒは、61年に米国ワシントンの韓国大使館に情報武官として赴任になった。
朴ポヒは模範的な信者だった。
彼がアメリカに来たのは神の摂理であり、外交官の立場を大いに活用して、文先生の聖なる使命に貢献しなくてはならないと日夜励んでいた。

ーー知り合う人々は皆伝道対象者だ
ーー自宅での社交の集まりは、原理学習のグループにならないものか‥


(つづく)


 
参考資料

前回等と同じ。


「お主も悪よのぅ」文鮮明 vs. KCIA 金鍾泌
http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-175.html

Gifts of Deceit: by Robert B. Boettcher (1980)


https://ameblo.jp/chanu1/entry-11989285593.html
「【捏造教会史】1962年に文教祖が訪米しロックフェラーに会ったことは本当だった」


「聖酒を初めて作ってみた」という65年の文教祖のみことばあり。
(ちゃぬの裏韓国日記)





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コメント

難しい‥‥

1957年前後に入教した「金鍾泌肝入りの情報将校たち4人」について。
(関心なさそうですが)

韓国軍の軍人というイメージですが、米軍所属の軍人でした。在韓米軍。韓国軍人とした方が単純で分かりやすくていいのですが。
朴ポヒ氏など最初は韓国軍人だったはずですが、途中から米国の訓練所に通ったり。韓国軍と(在韓)米軍は当時は、統一教会と勝共連合の人事のように繋がっていたように見えます。
結局こういうことでしょう↓↓↓

「つまりアメリカ政府と韓国政府の橋渡しをしていたCIAとKCIAの軍事スパイ(武官)ということです。」

https://ameblo.jp/chanu01/entry-11101970156.html

■朴普煕
36家庭、駐韓米軍第8軍、1961年駐米韓国大使館付武官補佐赴任

■韓相吉
36家庭、駐韓米軍第8軍、1960年駐米韓国大使館付武官赴任

■韓相國(韓相国)
36家庭、駐韓米軍第8軍

■金相哲(デイビッド金(米国名:David SC Kim)
36家庭、妻の姜義弘は韓国制憲国会議員の姜フィチャン氏の娘、アメリカ宣教1959年


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