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原理違い。ロゴス=イエス。聖書/基督教では。追加あり。



 原理違い。
  ロゴス=イエス。
    聖書/基督教では。




前回記事「ホントは小さいオール統一・コメント返し」
のコメント欄
http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-189.html#comment537
からのスピンオフ記事になります。


初めに言(ことば)があった」という出だしの部分で有名な、新約聖書のヨハネ福音書ですが、ここでの「言」とは「イエス・キリスト」のことを指すのだそうです。

ちなみに、『統一原理』では、ヨハネ福音書の「言」を途中まで文字通りに「みことば/ロゴス」と解釈しています。そして途中から「言=イエス・キリスト」と受け取り、そこに表されたキリスト観を否定するという矛盾が見られます。
また『統一思想』でも、「ヨハネ書における『言』=ロゴス/神の言葉」としています。(後に引用)

統一教会では、ヨハネ福音書の冒頭部分の表現によりロゴスを神聖化し、その神聖化されたロゴスこそが文鮮明先生の統一原理であるとの誘導が陰に陽に行われていました。


言=キリストについて、他に解釈の余地はないのか、kimagure-orさんに
「クリスチャン全員というか、聖職者全員がそういう解釈なのでしょうか」と尋ねたところ、
「はい、そう思っていただいて結構です。少なくともプロテスタントはそうです」とのことでした。

参考資料等によると:
もともとユダヤ人はヘブライ語で「ことば」を意味する「ダバール」を擬人化して使う習慣があった。ヨハネはここで「ダバール」をギリシャ語に翻訳した「ロゴス」という単語を使い、擬人化していくことで、ユダヤ人とギリシャ人にイエス・キリストを伝えようとした。

つまり、ロゴスという当時流行りの単語を撒き餌にして、人々の注意を引きつけ、キリストを紹介していくといった伝道手法らしく、筆者ヨハネは最初から「言=キリスト」のつもりで書いていたわけです。
私も引っかかりましたけどね(ワタシ、ギリシャジン、ジャナイヨ)

聖職者でなくても、非クリスチャンのシロウトでも、ヨハネ書を落ち着いて読めば分かると思います。
あなたは以下の引用のどこまでを、「言=ことば・ロゴス・原理」という意味で読めますか?

ヨハネによる福音書より

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨハネによる福音書1章

1節 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2節 この言は、初めに神と共にあった。
3節 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
4節 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
5節 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
6節 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
7節 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
8節 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
9節 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
10節 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
11節 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
12節 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
13節 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
14節 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
15節 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
16節 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
17節 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
18節 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
(以下略)
 
いかがでしょうか。
原理講論執筆者の劉孝元氏は、10節で降参したようですが。
3節までは完璧です。4節あたりで一度、あれ?と思いますが、思い込みで比喩的解釈を延長すれば、11節、12節辺りまで行けてしまいますが、結局その読み方は破綻するでしょう。
でも、ゲンリ、ゲンリ、何はなくとも統一原理という思い込みの激しい方は、最後まで、「言=み言葉、ロゴス、原理」として、読み通してしまうかもしれません。
そういう方は、正直に名乗り出てください(笑。



原理講論より 青字は暗在の解説。

https://unificationism.wordpress.com/原理講論/キリスト論/
http://www.7roid.com/ucgenri/kirisutoron_002

第七章 キ リ ス ト 論

第二節 創造目的を完成した人間とイエス

(三) イエスは神御自身であられるのだろうか

 「世は彼(イエス)によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた」(ヨハネ一・10)と言われたみ言があり、「アブラハムの生れる前からわたし(イエス)は、いるのである」(ヨハネ八・58)と記録されている。このような聖句を根拠として、今までの多くの信仰者たちは、イエスを創造主、神であると信じてきた。
ヨハネ1・10節は、言=イエス と解釈している。
 

ヨハネ福音書一章14節には、イエスはみ言が肉身となった方であると記されている。これは、イエスがみ言の実体として完成された方、すなわち道成人身者であることを意味するのである。ところが、ヨハネ福音書一章3節を見れば、万物世界はみ言によって創造されたと記録されており、ヨハネ福音書一章10節には、この世界がイエスによって創造されたと記録されているので、結局、イエスを創造主であると見るようになった。
ヨハネ1・3節では、言=み言 と解釈している。
 

しかし、創造原理によれば、被造世界は個性を完成した人間の性相と形状を実体に展開したものであるがゆえに、創造目的を完成した人間は、被造世界を総合した実体相であり、また、その和動の中心でもある。ゆえに、このような意味から、この世は完成した人間によって創造されたともいえるのである。

赤字部分はそうは言えないでしょう。
「創造目的を完成した人間は、被造世界を総合した実体相」で「その和動の中心」まではいいとしても、だからといって
「この世は完成した人間によって創造された」とはいくらなんでもいえず、これは論理的にも間違いだと思います。
被造物はあくまでも被造物です。赤字部分のように考えるのは、単なる屁理屈以上に、神や神秘を見失うことになり、傲慢性が止まりません。
 

また、神は人間がそれ自体の責任分担を全うし完成すれば、その人間に神の創造性を与え、彼をして万物世界に対する創造主の立場に立たせようとなさるのである。このような角度から見るとき、ヨハネ福音書一章10節の記録は、あくまでも、イエスは、創造目的を完成した人間であるという事実を明らかにしただけで、彼が、すなわち、創造主御自身であるということを意味するものではないという事実を、我々は知ることができるのである。
キリスト教の「言=イエス=創造主御自身」というヨハネ書解釈は誤解による間違いであり、もっと言えば、ヨハネ書自体が間違っているといっているようなものです。
 
 


統一思想より

https://utitokyo.org/original-logos/
1原相論 神性 
(2) ロゴス

ロゴスとは何か

ロゴスとは、統一原理によれば言または理法を意味する(『原理講論』二六五頁)。ヨハネによる福音書には、神の言によって万物が創造されたことが次のように表現されている。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」(ヨハネ一・1-3)。

統一思想から見れば、ロゴスを言というとき、それは神の思考、構想、計画を意味し、ロゴスを理法というとき、それは理性と法則を意味する。
(以下略)
 

ロゴスをこのように、神の理法、理念と捉えること自体はギリシャ哲学として間違っていないと思います。
しかし統一運動を総じて見れば、それを『統一原理』『統一思想』であるかのように誘導し、転じて「原理のみ言葉は神と共にあり、全てのものは原理によって造られた」と、ヨハネ福音書冒頭を『統一原理』の宗教的権威付けに流用する、聖書の食い逃げのような状態です。


やれやれ、でんな。
本体(家庭連合)は、とっくに団体名称からは「キリスト教」の文字を削除していますが、説教などでは常に言及しています。
文三派は、文鮮明氏の言葉や原理ゲンリを主張することが多い印象、文七派は聖書聖書(ヨハネ黙示録?)の印象です。

何にしても、オール統一、ヨハネ福音書の解釈は重要だと思います。



【追加】

私は今は特にクリスチャンではなく、キリスト教の解釈が絶対的と言うつもりは毛頭ありませんが、新約聖書はキリスト教の教典であるし、やはり「餅は餅屋」の面があるだろうと。

初めに神と共にあったという「言」を、
「言葉」とするか、「キリスト意識という魂実体(この世に生まれる以前のイエス・キリスト)」とするか。
後者の方が深い、奥義という感じがします。
両者の差(自らの心の動き)が新鮮だったということです。

何にしても、個々人の魂の気づき、動き、いい方向への変化が促されることで真理に触れたと言えるのではないでしょうか。



クリシュナムルティの真理についての言葉で締めくくりたいと思います。

ーー真理は静止しているものではありません。それは固定した住居を持っているものではありませんし、終点や目的地もないのです。その反対に真理というものは、生きて活動しているものであり、敏捷(びんしょう)で活気に溢れているのです。どうしてそれに終点があったりするのでしょうか。真理が固定したのもであるなら、それはもはや真理ではありません。それは単なる一つの見解に過ぎません。
『自我の終焉―絶対自由への道』(篠崎書林発行)より






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コメント

人間イエスには言葉(ロゴス)が宿っていた。
ヨハネによる福音書の冒頭の有名な記述、「初めに言葉ありき」。これによく似た記述を紹介したいと思います。最初は、法華経、「私は、悟りを開いてから今日にいたるまで、はかり知れないほどの歳月を生きている。分別を遥かに超えた無量無辺の"久遠の過去"に仏となり、過去、現在、未来にわたって永遠に人々を教化し続けているのです。」もう一つはユングのキリスト教グノーシス主義の解釈から「最高神の精霊であるキリストは、人間イエスの肉体に宿っていたものの、十字架の磔の刑では死なずに神の国に帰っていった」以上これらの記述から、人間イエスには言葉(ロゴス)が宿っていた。と解釈すべきだと思います。
補足・追加しました。

追加部分です。記事後尾にてご確認ください。

ーーーーーー
私は今は特にクリスチャンではなく、キリスト教の解釈が絶対的と言うつもりは毛頭ありませんが、新約聖書はキリスト教の教典であるし、やはり「餅は餅屋」の面があるだろうと。

初めに神と共にあったという「言」を、
「言葉」とするか、「キリスト意識という魂実体(この世に生まれる以前のイエス・キリスト)」とするか。
後者の方が深い、奥義という感じがします。
両者の差(自らの心の動き)が新鮮だったということです。

何にしても、個々人の魂の気づき、動き、いい方向への変化が促されることで真理に触れたと言えるのではないでしょうか。



クリシュナムルティの真理についての言葉で締めくくりたいと思います。

ーー真理は静止しているものではありません。それは固定した住居を持っているものではありませんし、終点や目的地もないのです。その反対に真理というものは、生きて活動しているものであり、敏捷(びんしょう)で活気に溢れているのです。どうしてそれに終点があったりするのでしょうか。真理が固定したのもであるなら、それはもはや真理ではありません。それは単なる一つの見解に過ぎません。
『自我の終焉―絶対自由への道』(篠崎書林発行)より



Re:人間イエスには言葉(ロゴス)が宿っていた。
piscさん、コメントありがとうございます。

書かれている法華経、グノーシスの文からは、「言葉(ロゴス)は出てこないように思えますが。どちらも輪廻転生に関することを言っているように私には読めますが。
つまり肉(体)に宿るのは、言葉(ロゴス)ではなく意識を持った魂のようなものと読めますが。

>人間イエスには言葉(ロゴス)が宿っていた。

最後まで(14節)、言=言葉(ロゴス)として読み切ったということになりますね。
(14節 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。)
まあそれがオール統一でしょう。
たとえば逆に、キリストを神格化しすぎて精神が形骸化したり、身近に何も感じられなくなったなどの場合、piscさんのような捉え方が新鮮で活力が出たりすることもあるでしょう。
クリスチャンから統一教会に入った人たちもいるわけですから。
しかし長くそこに留まるのは、どうかな、どうかな

名乗り出て頂き、ありがとうございました😊


三位一体
返信ありがとうございます。
暗在さんの返信を読んでいて思ったことは、クリスチャンに伝道のために原理講論を手渡すと最初に開くページは三位一体論が多いことです。神格化しすぎたイエスキリストを逆に人間化することにより、三位一体の謎を解こうとしたのが統一原理だとも言えます。確かに私の思考はイエスキリストの神格化を嫌ってました。


ご参考までに
三位一体について書いた記事です。
https://ameblo.jp/kimagure-or/entry-12640125665.html



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