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銃はビンビン・フラれた教祖/6-5


「モテ期去る オッサン教祖とスマート朴普煕/6-4」からの続き



    銃はビンビン・
        フラれた教祖





   龍明小説6-5



ある時、軍人将校の食口の1人が、茶色い大きな紙包みを抱えて、龍明のところにやって来た。
「関心があられると聞いたものですから」
言いながら、包みを解くと、使用感ある銃器が現れた。

「こちらはエア散弾銃、あとこちらが小銃で‥‥」
一通り操作を説明した後、
「出まわる前の米軍の放出品ですが、先生に献品しますので、分解でも何でもご自由になさってください」
と言って帰って行った。


彼は帰り際に、
「金課長が、先生によろしくと申しておりました」
と言い残して行った。

「金課長」とは、数年前獄中で面談したあの情報部の男で、名を金鐘泌(ジョンピル)といい、その後入教した将校信者を通して知ったことだが、今は陸軍情報参謀部の企画課長であるらしい。
金鐘泌と龍明は、将校信者たちを通して緊密に繋がっていた。


軍人食口がいなくなるやいなや、その場にいたカメラマン幹部信者の劉孝敏が早速、ライフル型の銃を手に取り、しきりにカチャカチャと音を立て、いじくり回していた。

技術に強く、器用で有能だった劉孝敏は、銃の研究を続け、数ヶ月後には新式の空気銃を発明した。
それは鋭和散弾銃と名付けられた。

龍明率いる教会は、将来の韓国軍への供給も見据えて、鋭和散弾銃製作所を設立し、独自製造に乗り出した。
そして1959年12月には、政府の最初の認可を受けることになる。
統一重工業の始まりである。


孝敏の従兄の劉孝元教会長は、軍人食口たちを交えたミーティングで、軍の組織網の緻密さを知って感心し、それを参考にして教会の組織を立派に整えた。

それまで一緒くたのダンゴ状態だった信者たちは、本部・教育部、学生部、青年部、婦人部、壮年部などに振り分けられ、その下にまた班を設け、それぞれの責任者も決められた。

劉孝元が「原理解説」を書き始め、講義をしたことで、質の高い信者が増えていた。だが梨花女子大事件の否定的報道の影響で、信者数は700名から250名に激減したが、それも残った食口たちのハードな全国開拓伝道によって少しずつ回復しつつあった。


57年には、恐れと悩みの種だった崔夫人との離婚が成立し、
58年には日本へ、59年初頭にはアメリカへ、宣教師を送った。


さていよいよ来る年1960年は、龍明も40歳。
そろそろ正式に身を固めるべき時がやってきた。
再臨のキリストが妻を娶る子羊の婚宴というやつだ。
金鐘泌課長が言った「その時」が近づいてきている。


丸々家族ごと囲い込んで目星をつけていた裕福な崔家の姉妹がいる。
龍明は、その姉の方とでも、妹の方とでも、結婚しておかしくない関係があった。

ーーよし、レアとラケルの両方と結婚した聖書のヤコブの路程を行こう。
まずは姉の方と結婚し、7年後に離婚して妹の方と結婚する。
離婚と言っても形だけだ。
両方とも俺のもの、俺だけのもので、財産は2倍だ。

だがこともあろうに、姉の崔淳実は、年末が近づいた頃になって、整ったはずの婚約を破棄してきた。
婚約の折に龍明が信仰にかこつけて厳しい条件をつけ過ぎたのかもしれない。

最近とみにおっさん臭くなった居丈高な教祖より、瀬戸際で、気の合う気さくな若い信者の方がよくなったのかもしれない。
摂理とはいえ、文教祖の女関係の激しさに嫌気がさしたのだろう。


「あいつ、7年も可愛がってやったのに、裏切りよった。
どこのどいつか知らんが新しい男信者と手に手を取り合うて、わしから逃げたらしいわ。
あんだけ投入したんが、あいつらのせい、崔家のせいで、何もかもダメになってしもーたわ」

なぜか関西弁でガックリと落ち込み、いつものように自分以外の相手方を非難すると、
おもむろに寂しい聖歌を歌い始める文教祖であった。

♪こどくなー みすがたでー‥‥




関連:
「3母娘の懺悔の値打ちは・崔家 篤志家/5-8」

「処女の三位基台と筆頭6マリアの運命/5-9」





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