「君は弱小セックス・カルト教団の教祖のまま消えてゆくのみだ」/6-1 からの続き
―韓国政府との裏取引
その小説的暴露ー
「銃器製造の身入りは桁がいくつも違うことだろう」
龍明小説6-2
「だが希望はある。君は、朴泰善(パクテソン)長老を知っているかね?」(前回より)
キリスト教長老派の朴泰善長老は、当時復興会で何万人と人を集める、有名な牧師だった。
むろん龍明もその存在は知っていた。
ーー俺だってあれくらいの説教はできるし、キリスト教さえ俺を認めてくれたら、あんなもんじゃないんだが。
と思っていた。
軍情報部の男は言った。
「あの朴牧師は、動乱前に、血分け・混淫の科で服役していたことがある。
北から来た女血分け師の弟子だったのだ。君と同じじゃないか」
動乱前といえば、重婚罪で北のフンナム収容所に収監されていた頃で、その件は知る由もなかったが、それ以前に龍明と袂を分かった丁得恩女史はその後南下し、ソウルの三角山に祈祷院を建てたと聞いていた。
ーー長老派の朴牧師が、まさか、あのばあさんの弟子だったのか?
男は資料に目を遣りながら続けた。
「49年に血分けが世間にばれて問題化し、丁という女教祖も有罪になった。
だが朴泰善は出所後、血分け教団とキッパリ縁を切り、血分けを否定した。
ほどなく韓国動乱が起こり、人々の頭の中からそんなことは吹き飛んでしまった。
休戦後、朴は、西洋肝入りのキリスト教の中で、長老にまで取り立てられ、メキメキ頭角を現していった」
ーーやっぱりそうか。
どおりで、言ってることが普通のキリスト教とはちょっと違う。
だがそうだとすると、やつは俺の後輩じゃないか。
若輩者がうまくやりやがる。とんでもハップンだ。
負けてたまるか。
―韓国政府との裏取引
その小説的暴露ー
「銃器製造の身入りは桁がいくつも違うことだろう」
龍明小説6-2
「だが希望はある。君は、朴泰善(パクテソン)長老を知っているかね?」(前回より)
キリスト教長老派の朴泰善長老は、当時復興会で何万人と人を集める、有名な牧師だった。
むろん龍明もその存在は知っていた。
ーー俺だってあれくらいの説教はできるし、キリスト教さえ俺を認めてくれたら、あんなもんじゃないんだが。
と思っていた。
軍情報部の男は言った。
「あの朴牧師は、動乱前に、血分け・混淫の科で服役していたことがある。
北から来た女血分け師の弟子だったのだ。君と同じじゃないか」
動乱前といえば、重婚罪で北のフンナム収容所に収監されていた頃で、その件は知る由もなかったが、それ以前に龍明と袂を分かった丁得恩女史はその後南下し、ソウルの三角山に祈祷院を建てたと聞いていた。
ーー長老派の朴牧師が、まさか、あのばあさんの弟子だったのか?
男は資料に目を遣りながら続けた。
「49年に血分けが世間にばれて問題化し、丁という女教祖も有罪になった。
だが朴泰善は出所後、血分け教団とキッパリ縁を切り、血分けを否定した。
ほどなく韓国動乱が起こり、人々の頭の中からそんなことは吹き飛んでしまった。
休戦後、朴は、西洋肝入りのキリスト教の中で、長老にまで取り立てられ、メキメキ頭角を現していった」
ーーやっぱりそうか。
どおりで、言ってることが普通のキリスト教とはちょっと違う。
だがそうだとすると、やつは俺の後輩じゃないか。
若輩者がうまくやりやがる。とんでもハップンだ。
負けてたまるか。
「動乱で民族の悲劇に直面した人々の、救いを求める不安定な心を掴んだんだな。
集会は、延べ数十万人の動員数で、国を挙げての大衆運動のような人気ぶりだ。
彼はうまく時流に乗ったのだ。
聞くところによると、人々の病気を治したりもするそうだ。
君は、そういったことは、やりますか?」
「うーん‥‥」
霊能者のおばあさんたちを侍らせるのは得意だが。
若い頃には、あったような気がするんだが、霊能力。
正直、今はさっぱりだ。
男は言った。
「こういう報告もある。
“集会の途中で、朴泰善牧師は言った。
では皆さん、
ここらで魂の世界から、百合の香りをプレゼントいたしましょう。
すると確かにそこかしこに、百合の花らしき、えも言われぬ甘い香りが漂った。
何千人もの聴衆がその匂いを嗅ぎ、超満員の会場は驚きと感動で沸きに沸いた。”
「美しいねえ。
だが君は、こういうのは似合わない。そうだろ?
私が言いたかったのは、血分け教と決別して時流に乗れば天下が取れる、その一例としての朴泰善だ」
男はまた別の資料を見て言った。
「君の教会は、写真業? プロマイドの制作・卸販売で、運営を賄っているのか。ブツは評判がいいと。器用な信者がいるようだな」
「これからは戦争の時代だ。
軍備拮抗の上の平和の時代と言ってもいいが。
これから必要なのは、戦いも辞さない大義に生きる人材と武器だ。
いつまでも外国からあてがわれるだけでなく、独自に国内生産できるようにしたい。
まずは、テッポウなんかいいね、どうだ、君。
プロマイドもいいが、銃器製造の身入りは桁がいくつも違うことだろう」
「今すぐにと言っているわけではない。
時が適い、満ちるまで、あと数年、そうだな、我々としても、少なくともあと5、6年は準備が要るだろう。
すべてはその時のためだ」
「生き残れればの話だな。
君の了見ひとつで、今回長い刑期を務めることにもなりかねない。
それとも関係者の訴状を取り下げてもらい、証拠不十分となるか‥‥」
その男とは、その後も何回か会うことになり、密談を続けた。
そして勾留から3ヶ月後の55年10月4日、龍明は無罪放免となり、幹部たちも(金ウォンピル以外)執行猶予を勝ち取って、無事釈放されたのだった。
*
朴泰善(パク・テソン)は、1917年に生まれ、貧農の環境から小学校(旧制)を出た後、日本の機械技師の学校へ行き、帰国後は機械工場を経営するクリスチャンという何か共通点を感じさせる経歴の持ち主だ。
血わけの順序は、(南下した)丁得恩⇒男⇒女⇒朴泰善だったらしく、文龍明と丁得恩の関係はこの流れより以前の北での関係なので、血分けの格位でいうと朴は文の後輩であり、統一教会の序列に例えれば、さしずめ777と6000双ほどの格差があることになる。
にも拘らず、朝鮮メシアの借り物競争にて、朴泰善に大きく遅れをとったのだから、龍明ひたすらくやしいのぅ、くやしいのぅ。
まだまだがんばるしかない。
参考
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/36671306333/park-tae-seon-another-korean-pikareum-messiah
Change of Blood Lineage through Ritual Sex in the Unification Church
https://六マリアの悲劇.com/日本の狂気_荒井荒雄_著/
https://ameblo.jp/chanu1/entry-11989285593.html
「文教祖が梨花女子大事件で逮捕された三ヶ月間に、釈放する代わりに韓国政府と裏取引があったとされています。
以下は資料としてお読みください。」
追加:統一教会の銃製造の始まり
(1)
https://ja.wikipedia.org/wiki/鋭和BBB
「統一教会は1950年代より将来の韓国軍への供給も見据えた銃器の独自製造に乗りだし、1958年から1959年頃に鋭和散弾銃(Yewha Shotgun)という空気銃を製造する企業を設立した。」
統一教会年表より
1958年
空気銃の生産を開始(仁川の朱安工場から出発)
(2)
https://ameblo.jp/chanu1/entry-12125608955.html
韓国「世界日報」2014年8月10日記事>
統一重工業は「鋭和散弾空気銃製作所」が始まりだ。 1959年12月、政府の最初の認可を受けた。市場さえ形成されておらず、今後の事業の見通しが不透明だった時代だった。
(3)
https://六マリアの悲劇.com/第七章/
「空気銃は一九六一年から始めて本格的な生産に入り、日本へも輸出したが、工場渡し価格で一丁が一万ウォン(今なら三十万ウォン)で十五万丁以上売れた。計十五億ウォンだから、統一協会にとってかなり大きな財源になった。」
(空気銃の発明者 劉孝敏の証より)
「新式の空気銃を発明した私が「統一産業」の社長になれなかったのは、一九五五年七月の逮捕(七・四事件)で私が有罪(懲役一年、執行猶予二年)になっているから、ということだった。
それで金寅哲が社長、文鮮明のいとこ文昇龍が工場長、その弟が生産部長となり、発明者の私は「組立部長」という世にも奇妙な役職をもらった。銃の特許は文鮮明のものになり、会社の主要役員は身内ばかり。彼らは一人に一台の車を持って派手に乗り回しているのに、私はトボトボと徒歩で動くしかなかった。」
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集会は、延べ数十万人の動員数で、国を挙げての大衆運動のような人気ぶりだ。
彼はうまく時流に乗ったのだ。
聞くところによると、人々の病気を治したりもするそうだ。
君は、そういったことは、やりますか?」
「うーん‥‥」
霊能者のおばあさんたちを侍らせるのは得意だが。
若い頃には、あったような気がするんだが、霊能力。
正直、今はさっぱりだ。
男は言った。
「こういう報告もある。
“集会の途中で、朴泰善牧師は言った。
では皆さん、
ここらで魂の世界から、百合の香りをプレゼントいたしましょう。
すると確かにそこかしこに、百合の花らしき、えも言われぬ甘い香りが漂った。
何千人もの聴衆がその匂いを嗅ぎ、超満員の会場は驚きと感動で沸きに沸いた。”
「美しいねえ。
だが君は、こういうのは似合わない。そうだろ?
私が言いたかったのは、血分け教と決別して時流に乗れば天下が取れる、その一例としての朴泰善だ」
男はまた別の資料を見て言った。
「君の教会は、写真業? プロマイドの制作・卸販売で、運営を賄っているのか。ブツは評判がいいと。器用な信者がいるようだな」
「これからは戦争の時代だ。
軍備拮抗の上の平和の時代と言ってもいいが。
これから必要なのは、戦いも辞さない大義に生きる人材と武器だ。
いつまでも外国からあてがわれるだけでなく、独自に国内生産できるようにしたい。
まずは、テッポウなんかいいね、どうだ、君。
プロマイドもいいが、銃器製造の身入りは桁がいくつも違うことだろう」
「今すぐにと言っているわけではない。
時が適い、満ちるまで、あと数年、そうだな、我々としても、少なくともあと5、6年は準備が要るだろう。
すべてはその時のためだ」
「生き残れればの話だな。
君の了見ひとつで、今回長い刑期を務めることにもなりかねない。
それとも関係者の訴状を取り下げてもらい、証拠不十分となるか‥‥」
その男とは、その後も何回か会うことになり、密談を続けた。
そして勾留から3ヶ月後の55年10月4日、龍明は無罪放免となり、幹部たちも(金ウォンピル以外)執行猶予を勝ち取って、無事釈放されたのだった。
*
朴泰善(パク・テソン)は、1917年に生まれ、貧農の環境から小学校(旧制)を出た後、日本の機械技師の学校へ行き、帰国後は機械工場を経営するクリスチャンという何か共通点を感じさせる経歴の持ち主だ。
血わけの順序は、(南下した)丁得恩⇒男⇒女⇒朴泰善だったらしく、文龍明と丁得恩の関係はこの流れより以前の北での関係なので、血分けの格位でいうと朴は文の後輩であり、統一教会の序列に例えれば、さしずめ777と6000双ほどの格差があることになる。
にも拘らず、朝鮮メシアの借り物競争にて、朴泰善に大きく遅れをとったのだから、龍明ひたすらくやしいのぅ、くやしいのぅ。
まだまだがんばるしかない。
参考
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/36671306333/park-tae-seon-another-korean-pikareum-messiah
Change of Blood Lineage through Ritual Sex in the Unification Church
https://六マリアの悲劇.com/日本の狂気_荒井荒雄_著/
https://ameblo.jp/chanu1/entry-11989285593.html
「文教祖が梨花女子大事件で逮捕された三ヶ月間に、釈放する代わりに韓国政府と裏取引があったとされています。
以下は資料としてお読みください。」
追加:統一教会の銃製造の始まり
(1)
https://ja.wikipedia.org/wiki/鋭和BBB
「統一教会は1950年代より将来の韓国軍への供給も見据えた銃器の独自製造に乗りだし、1958年から1959年頃に鋭和散弾銃(Yewha Shotgun)という空気銃を製造する企業を設立した。」
統一教会年表より
1958年
空気銃の生産を開始(仁川の朱安工場から出発)
(2)
https://ameblo.jp/chanu1/entry-12125608955.html
韓国「世界日報」2014年8月10日記事>
統一重工業は「鋭和散弾空気銃製作所」が始まりだ。 1959年12月、政府の最初の認可を受けた。市場さえ形成されておらず、今後の事業の見通しが不透明だった時代だった。
(3)
https://六マリアの悲劇.com/第七章/
「空気銃は一九六一年から始めて本格的な生産に入り、日本へも輸出したが、工場渡し価格で一丁が一万ウォン(今なら三十万ウォン)で十五万丁以上売れた。計十五億ウォンだから、統一協会にとってかなり大きな財源になった。」
(空気銃の発明者 劉孝敏の証より)
「新式の空気銃を発明した私が「統一産業」の社長になれなかったのは、一九五五年七月の逮捕(七・四事件)で私が有罪(懲役一年、執行猶予二年)になっているから、ということだった。
それで金寅哲が社長、文鮮明のいとこ文昇龍が工場長、その弟が生産部長となり、発明者の私は「組立部長」という世にも奇妙な役職をもらった。銃の特許は文鮮明のものになり、会社の主要役員は身内ばかり。彼らは一人に一台の車を持って派手に乗り回しているのに、私はトボトボと徒歩で動くしかなかった。」
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2020/10/27 (火) [龍明小説6&7]
韓国で銃関係の事業を立ち上げたのがいつなのかはっきり分かりません・・・
日本で空気銃を売ろう~なんてことがあったようだし、
現実教会関係の銃砲店は存在しています。
そのあたりのつながりがモヤ~っとしています。
ベトナムで使われた銃は統一関連のものであるということもネットにありました。
F**?人間を殺す武器を作りながら飯屋気取りだった龍明。
それは、子供たちにも受け継がれている。
お聞きしたいことがあります。
アメリカでは統一教会って宗教認可はされていなかったのでしょうか?今も認可されてないのかな?
サンクの方も認可されていないように思うのですが、どうなんでしょう。
日本で空気銃を売ろう~なんてことがあったようだし、
現実教会関係の銃砲店は存在しています。
そのあたりのつながりがモヤ~っとしています。
ベトナムで使われた銃は統一関連のものであるということもネットにありました。
F**?人間を殺す武器を作りながら飯屋気取りだった龍明。
それは、子供たちにも受け継がれている。
お聞きしたいことがあります。
アメリカでは統一教会って宗教認可はされていなかったのでしょうか?今も認可されてないのかな?
サンクの方も認可されていないように思うのですが、どうなんでしょう。
ナツミカンさん、コメントありがとうございます。
銃関係の年代についての資料を入れるのを忘れていたので、巻末に資料として追加しました。
一部を以下に貼り付けます。
---------------
<統一教会の銃の製造について>
https://ja.wikipedia.org/wiki/鋭和BBB
「統一教会は1950年代より将来の韓国軍への供給も見据えた銃器の独自製造に乗りだし、1958年から1959年頃に鋭和散弾銃(Yewha Shotgun)という空気銃を製造する企業を設立した。」
統一教会年表より
1958年
空気銃の生産を開始(仁川の朱安工場から出発)
https://六マリアの悲劇.com/第七章/
「空気銃は一九六一年から始めて本格的な生産に入り、日本へも輸出したが、工場渡し価格で一丁が一万ウォン(今なら三十万ウォン)で十五万丁以上売れた。計十五億ウォンだから、統一協会にとってかなり大きな財源になった。」
(空気銃の発明者 劉孝敏の証より)
--------------------
58年に着手し、61年のクーデター後に本格化、と見ることができます。
日本の銃砲店の摂理については、ちゃぬさんがシリーズ
https://ameblo.jp/chanu1/entry-10800490591.html
hsauwcの届出が宗教法人になっているのか、一般社団法人なのか、知りません。
朴ポヒが設立したはずなので、どこかの資料にあるかどうか、頭に入れておきます。
銃関係の年代についての資料を入れるのを忘れていたので、巻末に資料として追加しました。
一部を以下に貼り付けます。
---------------
<統一教会の銃の製造について>
https://ja.wikipedia.org/wiki/鋭和BBB
「統一教会は1950年代より将来の韓国軍への供給も見据えた銃器の独自製造に乗りだし、1958年から1959年頃に鋭和散弾銃(Yewha Shotgun)という空気銃を製造する企業を設立した。」
統一教会年表より
1958年
空気銃の生産を開始(仁川の朱安工場から出発)
https://六マリアの悲劇.com/第七章/
「空気銃は一九六一年から始めて本格的な生産に入り、日本へも輸出したが、工場渡し価格で一丁が一万ウォン(今なら三十万ウォン)で十五万丁以上売れた。計十五億ウォンだから、統一協会にとってかなり大きな財源になった。」
(空気銃の発明者 劉孝敏の証より)
--------------------
58年に着手し、61年のクーデター後に本格化、と見ることができます。
日本の銃砲店の摂理については、ちゃぬさんがシリーズ
https://ameblo.jp/chanu1/entry-10800490591.html
hsauwcの届出が宗教法人になっているのか、一般社団法人なのか、知りません。
朴ポヒが設立したはずなので、どこかの資料にあるかどうか、頭に入れておきます。
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