龍明小説5-1
ーー原 理 講 論 の 作 り 方
(蘇 生 期)
朝鮮戦争の勃発によりフンナムの監獄を釈放されてから、朝鮮半島を南へ南へと避難して来た。
途中ソウルに、脚を骨折した朴正華を残し、51年1月、やっと南端の都市・釜山に、金ウォンピルと2人で辿り着いた。
ウォンピルは駅前近くの食堂に住み込みで働き、龍明は昔の知り合いの家を転々としたが、時には野宿せざるを得ない日もあった。
ーー平壌のあの頃は、40名近い信者が集うようになったが、今はこのザマだ。いくら戦争が起こったからといって、すぐ散り散りばらばらになってしまうようではダメなんだ。
少しくらい俺がいなくても会衆が保てるように、信仰の拠り所となる教義の本が必要だな。
龍明は書き始めた。
時に港湾労働をしながら、その後はボンネッコルで小屋を作りながら、礼拝で喋るように、鉛筆で紙に少しづつ書いていった。
小屋が出来上がってからはその狭い部屋の中で書いたが、ある時、ハタと行き詰まった。
ーーもっと、こう…… あるだろ、
大きいしっかりとした枠組みと内容が。
それがないと、俺には言いたいことがあるはずなんだが出てこない。
クソめ、あのノートがあったらよかったんだがなあ。
7年前、ソウル郊外のイスラエル修道院で銀白文師の講義を6カ月間受けた時のノートだ。
その手帳状のノートを、平壌教会当時、執事のような役割をしていた車相淳に預けていた。
48年の年が明けて警察の影がチラつき、身の回りが不穏な状態になった頃だ。
後に金ウォンピルを遣って車執事に確かめたところ、龍明が逮捕された時、車の家にも当局のガサ入れが入り、そのゴタゴタの際に、大切な手帳を失くしてしまったというのだ。
それはイエス教会に連なる理論家・銀白文牧師が、独自のキリスト教根本原理を集大成し、実験的に弟子たちに講義していた内容を、当時龍明が書き取った手帳なのだ。
ーークソッ 車のやつ、俺の手帳を返せー。
警察が没収したのかどうかも不明だが、その後のフンナム収監、戦争勃発という荒波の中で諦めるしかない状況だった。
そんな時ある人がボンネッコルを訪問し、銀白文牧師もソウルから釜山に避難して来ていると噂話をした。
しかも、以前銀師に師事していたというその人の話では、銀師は避難先で『堕落、復帰原理』の原稿を執筆し、最近それを仕上げたらしいということだった。
それを聞くと龍明は、数少ない回りの者に米の大袋を用意させ、それを銀師の所に送りつけた。
それから銀の避難先の東来まで、自分で会いに出かけて行った。
龍明を見た銀白文は、当然ながら機嫌が悪かった。
彼をコケにしたような龍明の言動が、平壌のナ家の姉妹たちを通して一部伝わっていたからだ。
それを察知した龍明は、背に腹は代えられんとばかりに、
「あの時は私の誤解で、先生には不快な思いをさせてしまいました。
あれから私もいろいろありまして、すっかり心を入れ替えたのです。
誠にもって、本当に、本当に、申し訳ございませんでしたッ」
曖昧なことを適当に言って、叩頭せんばかりに頭を下げた。
「いやあ、それにしても、あの頃の先生の講義はすばらしかったな。
神様の天地創造の原理と、堕落原理、それから、復帰原理と言いましたか。
特にあの、復帰歴史の最後の所が凄かった。
宗教改革のルターから400年後の1917年に、朝鮮の地で再臨主が生まれる!ってね。
そりゃあ修道生はみんな興奮していましたよ」
「いや、あれは、私の師匠の白南柱先生の歴史論を、少し発展させただけなんだがね」
銀の機嫌も大分治ってきたようだ。
もう少しだと龍明は思った。
「つかぬことを伺いますが、先生の生まれ年は? 陽暦でいうと?」
「1917年だが」
「やっぱり! あの頃の噂は本当だったんだ、銀先生は1917年の10月19日生まれだって」
「ほう、よく覚えているね」
「忘れもしません。やっぱりそうか……」
龍明は感無量といった声を出して、黙り込んだ。
そして悲しげに続けた。
「その “来たるべき方” である先生の貴重な講義を、あの頃僕は書き取り、生涯の宝と思って、その手帳を肌身離さず持ち歩いていたのですが……」
そこで顔を上げ、様子を伺うと、銀は先を促すかのように、龍明を見ていた。
「あれは平壌からソウルへ避難する道だったかな、連合軍の機銃掃射に巻き込まれまして、もんどりうって必死で逃げまどうなか、後で気付くともう手帳はどこにもなかったのです、ああ…」
「きみも大変だったな」
「それで先生、お忙しい先生に、もう一度講義をしてほしいなどとは口が裂けても言えませんが、何か先生の教えが書いてある書物や冊子などありましたらと思い。
ノートの切れ端のようなものでもいいんです」
「礼拝のチラシなら、探せばあるが」
「いえその、礼拝のチラシなどより、もっと、こう……
先生の原理の教えの根本が分かるディープなものはないものか、
たとえば本にする前の原稿とか……」
「うむ、ないことはないが」

日本語訳:
もともと歴史の同時性は、1917年生まれの金百文が解いたものだ。
それを1920年生まれの文鮮明が剽窃したのだ。
https://tragedyofthesixmarys.com/divine-principle-parallels-history/
参考:
https://www.tparents.org/Library/Unification/Books/Sm-Early/Chap10.htm
https://ameblo.jp/chanu1/entry-12093939280.html
https://tragedyofthesixmarys.com/divine-principle-parallels-history/
http://messiah-ken-jp.hatenablog.com/entry/2017/07/05/190105
http://www.amennews.com/news/articleView.html?idxno=8687
1) 초원 김백문과 이스라엘 수도원
초원(初園) 김백문(金百文)은 1917년 10월 19일(양력) 경상북도 칠곡군 인동면 인의동 448번지(현재는 경북 구미시 인의동(仁義洞) 488번지)에서 고인이 된 김해 김씨 가문인 아버지 김광조(金光祚, 1881년 8월 23일 생)와 남평 문씨 문아지(1882년 6월 6일 생) 사이에서 4남 2녀 중 차남으로 태어났다. 초원의 위로는 형 김이문과 누나 김덕희가 있고, 아래로는 남동생 김병문, 여동생 김복희, 막내인 김상문이 있다. 김병……
機械訳:
(1)草原キム百聞とイスラエル修道院草原(初園)キム百聞(金百文)は1917年10月19日(陽暦)慶尚北道漆谷郡隣洞面仁義洞448番地(現在は慶北亀尾市仁義洞(仁義洞)488番地)で故人になった金海キムさん家門である父キム光兆(金光祚、1881年8月23日生)と南平ムンさんムンアジ(1882年6月6日生)間で4男2女中次男で生まれた。
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2020/08/29 (土) [龍明小説4&5]
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