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50年代・処女と人妻 何百人もの秘密摂理/番外編4-10


    50年代・処女と人妻
        何百人もの秘密摂理・
              歴史に学ぼう





前回の『夫人が痛哭し、新しい秘密摂理が始まる』 に、米本さんから摂理の年代について質問コメントがありましたが(返信済み)、今回はその “秘密摂理” について、もっと詳しく検証してみます。

前回より:
普通ならこれで事態は収束に向かうのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。
龍明が秘密裏に新しい摂理を打ち出したのだ。
1960年までに、処女70人、寡婦70人、人妻70人の計210人の女を復帰しなければ、第3次世界大戦が起こり世界が滅びると、彼は自らのセックス儀式に厳しいノルマをかけたのだ。


(私を含め)みなさんは、ほぼ、1960年~70年代以降の、“それ以前とは変わった統一教会” しか知らないと思われますが、50年代の “一味違う統一教会” の様子を、歴史のお勉強として、見てみましょう!(*゚Q゚*)

その頃の教会の考え方のクセや情動のあり方など、現在でもピンとくる共通点がいくつもあるかと思います。

引用は囲みにて、解説・感想は青字で表示。



❶まずはアメリカ草創期の元信者アレン・テイト・ウッド の著書
『ムーンストラック : カルトにいた私の回顧録』 からです。
(日本語訳:暗在)
文教祖は「70人の処女、70人の寡婦、70人の人妻と性的な関係を持たなければなりません」

プリンストン神学校のユンホ・イェの未出版の論文(1959)によると、かつて文教祖は、全く別の意味において、彼の統一家族の性生活の中心であったかもしれません。

この韓国のイェ牧師は、文が韓国で言うところの統一教(統一教会)を設立した当時、彼と信者が一種のメシア中心汎性欲主義を秘密裏に実践していた証拠を挙げます。

1946年に文は、丁得恩という50歳の女性によって、自由恋愛主義カルトに導かれました。当時文は丁を聖母と見なしました。丁はお告げを受けた後、自分は聖母だと認めたと、イェは公表された出典を引用します。

イェによれば、証人が文のカルトの隠された乱交を暴露したので、文は家庭を破壊し公衆道徳を害するという理由で拘束されました。(1946年)

文教祖は釈放後も、丁と共に混淫教義を主張し続け、再び逮捕され、今度はフンナムに収監されました。(1948年)

イェは、初期の文の信者の告白から以下を引用します:

文が40才の時「現在の世界は、第三次世界大戦によって終るだろう」その時までに文の目標が達成されなかったら、終りの時は6年間延長されるかもしれないが、およそ1960年頃だろう。

告白によれば、「その頃までに、文は210人の女性の聖なる父となる。
すなわち彼は、70人の処女、70人の寡婦、70人の人妻と性的な関係を持たなければならない。
210人の女性は14万4千人の信仰的な人々を開拓(勧誘)することになる。これらの人々は戦争から守られる



アレン・テイト・ウッド著
『ムーンストラック: カルトにいた私の生活回顧録』 170ページ
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/141221950603/moon-must-have-sexual-relations-with-70-virgins
 
14万4千人とは、『新約聖書』 ヨハネの黙示録14章に出てくる、終わりの日にキリストによって贖われるとされる人数です。

これは最近コメント欄で話題に出た、キリストが空中再臨する際に、地上から上空に引き上げられ(携挙)、地上の7年間の大患難を免れることができる篤実なクリスチャンたちのことでしょ。
キリスト教(プロテスタント)によれば、艱難が終わった7年後、キリストが地上再臨するときに一緒にまた地に下ってきて、主と共にとこしえに生きる、という選ばれた人たち。

つまり、文教祖のこの奇態な摂理は、キリストの空中再臨・携挙になぞらえたものなのか。
キャッチコピー:「私とセックスすれば天に引き上げられ、第3次世界大戦を生き残れます」

もちろん文教祖の予言は外れたわけですが、60年代にはその後も同じような予言を何度もしたと、後の資料❺(訴状)に出てきます。



それでは文教祖の行動を具体的に見てみましょう。

❷次は、文教祖の婚外子 朴サムエルのスピーチからです。
父は17歳の母をレイプ 

 母と文牧師の関係は、母が17歳のとき、彼が母に強制的に迫り母の処女を奪った1953年に始まりました。

 その時、私の父が言うには、
私の母は彼の永遠の花嫁あるいは統一教会の言葉で言うと「真の母」になる運命にあるので、彼は母と性関係を持たなければならない、(中略)
天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない。

聖書のエバは17歳の時に天使長ル―シェルに誘惑され、これが聖書に書かれている人間の堕落の本当の原因だと文牧師は教えました。

http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-632.html



❸朴正華・著『六マリアの悲劇』からです。
怒った李順哲の夫 (P85)

ところで清進洞の家から逃げ出した直後、文鮮明は李順哲とソウル本駅の前にある旅館に行き、霊的な儀式だという名目で、処女の李聖花と復帰原理の儀式を行なった。要するに三人はそこで、霊的な儀式ではなく、肉体的な儀式=セックスをしただけなのである。

 厳密に言えば復帰の儀式は、その横で他の食口が証人として見ていなければならない。
この日は李順哲が証人として協力した。李聖花は処女だったので、将来は「小羊の儀式」をあげて、つまり正式に結婚して文鮮明の妻になれると思い込んでいた。
事実、李順哲は李聖花にこのとき、「未来のお母さまへ」と言って高価な指輪まで贈っているのだ。
このことは、私が当事者の文鮮明から直接聞いたので、間違いない。

https://六マリアの悲劇.com/第三章/
 

この処女の李聖花(仮名)とは、サムエルの母の姉の崔淳実のこと。
文教祖は、この大資産家の娘である姉妹2人と結婚したかったらしい。
その他にも、55年に喜進を生んだ金明熙(延世大学生)がいた。
サムエルの母は梨花女子大生だった。

世間で騒がれた55年の梨花女子大事件や延世大学事件で、文教祖は証拠不十分で無罪になったが、事件はやはりあったのだ。




❹『週刊現代 1993.11.13』インタビュー記事からです。
私が目撃した統一教会・文鮮明教祖の「SEXリレー」のすべて

中村敦夫:つまりリレー式でセックスの輪が広がった。

朴正華:そうです。こうした輪は、当時は人類の血を清めるための聖なる使命だと信じこんでいたのです。

中村:その “復帰” には、特別な服装とか、厳粛な儀式とかはあったのですか?

朴:何もありません。文が行っていて、お前も参加しろといわれてそのまま……。今にして思えば、乱行パーティのようなものでした。

中村:あなた自身、あるいは文らの相手をする女性の側に、心理的抵抗といったものはなかったのですか?朝鮮といえば儒教道徳がきわめて厳格で、姦通が犯罪になるお国柄だと思うのですが。

朴:確かにそうなのですが、そのときはそんなことは考えませんでした。精神がおかしくなっていた。女性信者にしても、抵抗などはなかった。彼女たちのほうから、文めがけて身を投げ出していったというのが実情です。

週刊現代 1993.11.13
 



❺ 金明熙 (430双 元信者 男性)のソウル裁判所への訴状からです。
1.反キリスト性

文鮮明は、1963年8月18日に再臨メシアが到来すると宣伝したが、失敗に帰すと、1967年4月5日にキリストが世界に君臨すると虚言を弄し、1960年を天紀元年とはしゃいだが、いずれもその予言は偽りであることが暴露され、その後は何年何月何日に再臨主が降来するといった話はしなくなってしまった。

これはキリスト教を辱め、自身の神格化を企てる道具として宣伝する芝居あった。かかる終末観の宣伝は、教勢拡張のための脅迫であって、自らの基盤が固められた後は、終末日の到来はうやむやにごまかしてしまったのである。


4、反倫理、反道徳、反社会性

 文鮮明がくりひろげた混淫の行脚はわれわれの想像をこえている。文被告の教義がいくら混淫の血分けだといっても、その程度があまりに深刻で放置しておけない。彼は百数十名の女子らを耽溺した色漢であり、代表的な悪例として、一人の母と二人の娘を同時に犯した三母女混淫事件をはじめとし、母女混淫、叔母と姪混淫、主婦姦淫、寡婦、独身女姦淫など、その醜悪な実相に至っては各論部分にて追って詳述することにする。

彼の糟糠の妻、崔先吉にゴム靴で頬っぺたを火花が散る程打たれたこともあって、常に逃げ廻るのにせわしかった。そうかと思えば、一過程に六十万ウォンずつ、三過程を経て清算し得るという血分けで、百八十万ウォンを受け取って混淫したこともあり、女娼ならぬ男娼としての行脚を行なったこともある。


(金明熙氏の1978年3月25日ソウル法院宛の訴状 
 萩原遼著「淫教のメシア文鮮明伝」(晩せい社))
https://ameblo.jp/chanu1/entry-11709534719.html (一部)
 


>百八十万ウォンを受け取って混淫したこともあり…

まあそのうち、万物条件(献金)も必要になってきたでしょうなあ。そうなると思ってたよ。
でもさすがにきまりが悪くなって、途中から現金を取るのやめたのかな。取ったこともあり、取らなかったこともあり?
それにしても“龍明塔”(先生のナニ)って、多宝塔よりもお安いの?
でも当時のレートの百八十万ウォンて、結構な額だったのでは?
先生のナニのお値段(時価)、きもちわるくて、とても調べる気がしませんが。

以上のようなことですから、学術論文に、「メシア中心汎性欲主義(messianic pansexuality)」「自由恋愛主義カルト( free-love cult)」「乱交」「混淫」etc. と、そう言われても仕方ない状態でしょう。
もちろん、公然とではなく、これは秘密だと言いながら、秘密をそこら中にばらまき、どんどん“姦淫摂理”を進めていったことでしょう。



          ***
 

付録:『姜賢實(カン・ヒョンシル)回顧録』からです。
54年頃、女史がこの性交摂理に貢献したと思われるあやしい箇所です。
確かめてくださいね。
*この姜女史は、7男文亨進が率いるサンクチュアリ教会では、文鮮明の真の相対(妻、真の母)とされている女性信者です。
ツッコミ赤字

『姜賢實(カン・ヒョンシル)回顧録』

迫害の連続
その日の夕方に食事をしていたところ、家の主人になるおばさんが来て、誰かが外で私を探していると言いました。
「誰がこの時間に私を訪ねて来たのか?」と、外に出てみるとお父様がタクシーの中で座っておられました。
任執事(イムチプサ)もお父様と一緒にタクシーの中に乗っていました。

立会人(証人)もちゃんと連れて来たな

お父様は私を見てすぐに、タクシーに乗れと言われました。
家にいた人々が気になって、「ちょっと家に入って、先生といっしょに出ると話をしてきます」と言いました。
しかし、お父様はお急ぎなのか、「その人たちを心配しないで早く行こう!」と催促されました。結局、どこに行くという話もしないで、夕食を食べ残したままタクシーに乗りました。

秘密だ、ヒミツ・・・

到着した所は、大邱駅の近くのある旅館でした。
お父様は任執事(イムチプサ)と私に、「復帰の道は難しく険しい道だ。この世を神の国に復帰する責任が私たちにある。したがって、ここには人間が想像できないこともあり、理解できないことも多くあるので協助してほしい」と言われました。

どうやら立会人も何も知らされずに連れてこられたらしい・・・

また、「我々は御旨の中で因縁が結ばれ、また、御旨を立てる為に行く体であるから、命を差し出して戦って行かなければならない。死のうとする者は、生きるのであり、生きようとする者は死ぬので、死も感謝の気持ちで受けるという心情を持って進んでいこう!」と切実に願われました。

ああ、それね、うん・・・

そして、お父様と別れる時は、「私が来たと言えば、また問題が生じるようになるから、できるだけ私が来たとは食口たちに話さないように」と指示されました。

秘密だ、ヒミツ・・・え、なぜそんなにヒミツに?

任執事(イムチプサ)と私は11時頃になって家に来ました。
~中略~

玉世賢(オク・セヒョン)お母さんと池承道お母さんは、次の日の朝、私を責め始めました。
「どこかに行くなら行くと話をして行かなくては....」

「それで、昨日はどこに行って来たのですか」
と、池承道お母さんが尋ねました。
お父様が誰にもお父様に会ったという話をするなと言われましたので、私は事実を申し上げることができませんでした。
「申し訳ありません。友人が突然訪ねてきて、その家に行ってきました」と答えました。

どうしてそんなに秘密にしなくてはならないのかな? 何かあったのかな(笑)

そしたら池承道お母さんは火のように怒りました。
「きのう先生にお会いしたんじゃないですか。私はすでに神様から先生が大邱に来られるという啓示を受けました。姜伝道師は、きのう先生にお会いして来たはずでしょう?しかし、なぜ私たちに先生にお会いしたことを隠すのですか?私たちは、北韓のときから先生に従ってここまで来た者です。私たちにまで先生に会ったことを隠すなんて....どうしてそんなことができるのですか?」
と言われながら、大変私を責めました。


怖いぞー。オクセとチ〜。龍明グループ北韓組。
ワレ、イノチ掛けとんのじゃ。なめとんのか。
龍明グループ北韓組を、甘く見たらいかんぜよ!


https://yuun0726.muragon.com/entry/256.html
 

ああ、うん……おしまい。
言いたいことは、統一教会は元からこういうことが救いだとして始まったので、長期にわたって効力のある高度な精神の救いはありません。
思い込みが効かなくなったら、即フェイドアウト、即終了でオッケーです。
他にもあなたに合った良い教材は世の中にたくさんあるでしょう。





❶の参考・関連
💛 朝鮮フリーラブ・カルトの女教祖 丁得恩との蜜月 3日行事 💛 
作品リスト
「丁得恩との極秘摂理 イクイク 第一日目/龍明小説3ー9」

「極秘摂理 ロウゼキ 第二日目/龍明小説3ー10」

「ウマが合いすぎて終了。丁得恩との極秘摂理/龍明小説3-11」


❻の参考・関連
【龍明グループ 北韓組の闘い・サヨウナラ 丁得恩】

「異能バトル お婆さんたちの摂理/龍明小説3-15」




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コメント

何だか楽しそッ
精神の救いよりも・・・。
検証を 希望します。
今回のテーマである 「1953年当時の、210マリアの決意」 に関しては、98~99年のジャルディン国家メシア修練会での、文教祖による直接の証言 「先生はね、6マリアじゃないんだよ、60マリアだよ!、いや 数百マリアかな?」 と符合すると思います。

貴重な情報を、ありがとうございました。



そこからは、話題がズレてしまい、恐縮なのですが、このURLを是非ご覧ください。



https://twitter.com/_9105294027642/status/1296792851154481153

ここの写真では、文教祖の父親とは判りづらいですが、私が信頼を置く片山徹氏に拠れば、明治天皇:睦仁親王を暗殺する直前の現場写真に、文教祖の父親である 文慶裕氏が左上に映りこんでいるらしいです。(名前、当ってるかな?)



https://twitter.com/_9105294027642/status/1293705906933207040

この写真ならば、左中段の 中腰になっている 剃りこみの激しい男性が文教祖の父親だそうです。なんだか、背が低そうで、文氏と違い、疑わしいですので、せめて暗在さん的に、時代的に符合できるか? 無理がないかどうか?、精査していただけると有難いです。(1872年11月21日の話)

もし これが事実ならば、文慶裕氏の子供二名が発狂しても、多少 察しが付くのですが。「親から、頭がオカシイ家系だ!」 と。。。



https://twitter.com/_9105294027642/status/1293583638865428481

これは、本物の 青年期の明治天皇(睦仁)親王の写真(右側)です。身長が低そうに見えます。我々が知らされて来た、教科書の明治天皇は、身長185cm体重105kgと言う説が有りました。明治天皇「なりすまし男」は、大室寅之助ではない事は判明していますが、箕作圭吾かどうかも、まだ真偽不明です。



このことから判る事

① 暗殺者 大久保利通の玄孫である、次期総裁候補の麻生太郎大臣(安倍総理の病気で 第二期総理総裁へ?)は、ひいひいおじいちゃんのクーデターの功績で得た権力であるということ。(殺人権力者)

② 日本(初代)総理大臣である伊藤博文氏は、暗殺されても文句言えない立場。(暗殺時の見張り役)

③ これが事実ならば、暗殺ほう助の慶裕氏の その息子の文鮮明氏に、朝鮮人の笹川良一氏が 「宗教は儲かるよ」 と、NWO側の使命を唆して(そそのかして)いても、オカシクナイ人脈有りとなる。龍明君は、「悪成る サラブレッド」 かも??? です。

④ 仏教の言う 「因果応報」 がちゃんと機能しているのならば、麻生太郎は失脚したり、殺されているはず。

しかし、キメラとアルコンが銀河連合に逮捕されて分かって来た事は、このアルコンこそが、人間の生き様で次の転生先を決めていた、輪廻転生の番人で、奴隷たる人類の因果応報も、25000年前から取り仕切っていたそう。

つまり、世のコンタクターが実しやかに(まことしやか)に言っていた輪廻転生システムに於いて、「親を選んで、子供は生まれて来る」 という霊視は間違いで、前世の素行でアルコンに決められて生まれて来た、それらの前世の因縁通りに人間関係を配置されてきただけでした。チャンチャン

ですから、これからの子供は、特に2037年以降の子は、宗教的な血統転換無くとも、生まれ合わせから変わるみたいです。



この話は、皆さんに是非とも読んでいただきたかったので、いつもの 「統三教会」 のハンドルネームは今回だけ封印し、「父さん」 としました。

ご了承ください。
Re:検証を 希望します。

父さん教会さん、
>(1872年11月21日の話)

文龍明さんは1920年生まれですから、その時仮に父親が40歳だとすると、父親は何年生まれですか。

自分で検証してください

そういった自分が思いたいように思うトンデモ部類の話は、同期・同調すると、波動が下がるので関わりません。
今後は控えてください。
よろしくお願いします。




秘密は無しよ
オウム真理教がマスコミに出始めて取材が殺到していたころ、TVの中の麻原は女一番弟子と何やら秘儀を達成したとかって息巻いていた。
後に、その女性信者は麻原の子を二人生んでいたということが明らかになった。
な~んだ秘儀って、性関係のことだったのかと「知った」わけです。

統一教会の教祖はオウムどころではない女たちとの性関係があって、その数は数百人?数千回?にも及ぶのかも?
まだわずかしかない統一教会の歴史なんだから、何でも明らかにするのが当然なことで、秘密?!隠しちゃ~ダメダメですね。

真実を受け入れないのが、現信者たち特に女性信者たちなのかもしれません。
男性信者たちは、原理だぁ~なんて息巻いて正当化するのかもしれないけど、エロジジィ文鮮明は性犯罪者で刑務所に入っても懲りない準強姦魔だったなんてさぁ~笑うに笑えない現実。

呆れた教祖です(怒)
Re:何だか楽しそッ

米本さん、
>何だか楽しそッ
>精神の救いよりも・・・。

精神の救いも体の救いもなく、万物復帰や人集めに奔走してた日本教会信者よりは、よっぽど楽しそうですよね。



参考:
週刊ポスト Shūkan Post 1993.10.15 212-215頁

ソウルで会った元信者のひとりはいう。

「統一教の文鮮明は、多くの女性と交わることによって一大家族集団を作り、その強固な結びつきによる天下制覇を目指したのです。

いま統一教幹部の相関図を作り上げたら、それは韓国を揺るがす一大スキャンダルとなるだろう。だが、いまでは多くの人が成功者となり、その事実が表面化することを嫌がっている。文鮮明の「血分け」は、多くの成功者を生み出したのです。その意味で、「血分け」は成功だったのかもしれません。
https://六マリアの悲劇.com/10-文鮮明教祖の「血分け」ルーツで-浮上した「女/

最後にします。
日頃の怒りで、イマジネーションを興す気にもならなかった様で、誠にすいません。この書き込みで、最後にします。今まで、本当にご迷惑をおかけしました。3つのブログが公開拒否されていますので、スペースをお借り出来て、本当に助かりました。

ありがとうございました。



1872年だと、とてもじゃないけれど龍明赤ちゃんが1920年生まれだから、眉唾・トンデモ話なのですが、朝鮮人のやることはいつも予想を超えて来ますので、以下の説、一考の価値があるかと。

1920年ー1872年=48年

父:慶裕氏では無理、叔父でもキツイ、それでは 大叔父ならば、どうでしょうか?。

自身の正統性を明かす上で、唯一登場する逸話が大叔父の潤國氏ですが、全財産を擲って(なげうって)、上海臨時政府に寄贈した反日の朝鮮愛国者とされるクリスチャン修道士ですよね。

ちゃぬの裏韓国日記にも生年月日が載っていなかったので、年代の確認は出来ず何とも言えないので、そこでこの問題で博識な暗在さんにお願いしたかったのですが、

https://ameblo.jp/chanu1/entry-10775797197.html 
(ちゃぬの裏韓国日記 2011年1月22日 真の家庭情報4)

潤国さんが50歳前後ならば、まだ男性として性欲はあったでしょうし、80代でも男性ならまだまだ生殖能力は現役だったはずと思うのですが、『身内・近親相姦・托卵』の線で、私は「我田引水」の説を考えようとしていました。

つまり、これが事実ならば・・・

父親の子だとキチガイばかり出るので、タマルの信仰?で、母親が一族で一番優秀に見えた潤國に種をせびり、それらの素性を何らかで知らされた文龍明青年としては、何とかイエスの生い立ちを自分と関連付ける為に、「ザカリア父親説が必要だったのではないか?」という推測です。

御存じの通り、ザカリアはヤコブの三男レビの末裔なので、4男ユダにタマルが信仰を見せた逸話が無意味になってしまいますし、4男によるダビデ・ソロモンの家系を否定する形となりますから「王の王」でなくなり、「聖書ルール違反」なのは直ぐに分かるはずなのに、当時の龍明青年が矛盾に気づけなかったのは、おそらく イエスと自分の境遇を同じにしたい願望故に、冷静な判断を失っていたのではないでしょうか?。

証拠になるかどうかは分かりませんが、清平では、潤國氏の墓が 父以上に巨大な形で建造されているそうで、これだと どう考えても父の冷遇ですから儒教ルール違反で、これだと本当の父が潤國氏かもしれず、現に この説を四研は信じており、下手したら真の家庭ですらも知っている可能性有りです。

これならば、自分の娘を妻に出来うる?(本当はどうなのかな・・・)、その目的意識の高さ?が合点が行くのですが。「血分け」に命をかけた青年期とは、過去の自分の少年期は、比べる対象の「天才12歳のイエス少年」とは余りにも違い、スイカ泥棒の ばくち打ち少年であった、その過去への良心の呵責を超えれる道とは・・・
「自分の過去は、全て 神の摂理であった!」 
と思い込みたいので、その方向へ邁進した可能性があると思いませんか?。

泥棒行為すらも、「そっか、、、サタンに奪われたから、神側の泥棒が必要で、私の少年期のスイカ泥棒は、主の訓練だったんだな!」 と。

如何でしょうか?。



(今まで、本当に助かりました。ありがとうございました。)
Re:最後にします。

明治天皇暗殺(?)現場にいたという “頭のおかしい” サムライが、文氏の大叔父兼父親の潤國氏だという話の検証は、統三教会さん、または関心ある方にお任せします。
では。

文鮮明の虚言
文龍明がアメリカのテレビのインタビューで司会者とこんな会話をしていました。
「あなたが少年時代に出合ったイエスの霊は、どんな姿でしたか?」
文「あなた方が絵画で見て知っているような白人でしたよ。」
これは何とも薄っぺらい返事だな。当時のユダヤ人は、白人ではない。イシマエルの子孫であるアラブ民族と同じ褐色の肌だったはず。白人のユダヤ人は東欧系アシュケナジー(近世に改宗したハザール民族)であるのが常識なのに、そんなことも知らない文鮮明が馬脚をあらわした。
Re: 文鮮明の虚言
珉珉さん、コメントありがとうございます。
(非公開コメントをいただいてもレスする術がありません。メアドでもない限り)

今、ここの「4-10」まで読み進んだのでしょうか。
アメリカのテレビ出演の話は、偶然別の記事で取り上げました。

http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-78.html
「啓示を剽窃・盗用したの? ー小説で龍明15歳時の啓示話を書かないわけ」

こちらを読んだのかな?
私も「薄っぺらい」と書いたのですが、偶然か(笑

珉珉さんは、政経学部卒ということだから、そのうち、
http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-246.html
「こんなカウサCAUSAはイヤだ!ボリビア コカイン•クーデターに動員/9-10」
あたりのこと(政治介入)に対する感想も聞きたいところです。

どう捉えたらいいか? CIAの手先ということを。重宝されているとかだけだとやばい。




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