「親より弟子?真相深掘り」 からの続き
妻の剣幕、
龍明 タジタジ、
信者 深入りしたくない
龍明小説4-6
ほんの3日も歩けば、実家に辿り着くのだが、龍明は帰省しないで、かつての信者たちを探すことにした。 (前回より)
まず文正彬を、獄中何度も面会に来てくれた玉世賢(オク・セヒョン)の家に遣わした。そこに金ウォンピルも下宿しているはずだった。
そして、オク夫人とウォンピルに龍明を丁重に迎えさせた後、今度はその2人を平壌の信者たちの所に遣わし、主の帰還を知らせるように図らった。
ーーもし主がいきなり玄関先に現れたら、
想定外の彼らは、歓迎の準備をしてなかったことに罪悪感を感じるだろうからーー
というのが、自分で直接赴かない理屈だった。
だが実際は、有罪判決をくらった身にかつての信者はどう反応するか、気まずくもあったし、案外気が小さいところがあるので、内心ではビクビクしていた。
何十年か経って、文ノ教団の大幹部となった金ウォンピルは、その言い訳の理屈を取り繕うかのように、公の場でこう語った。
「当時は戦争中でしたが、あのとき自分の命を賭してでもフンナムまで行って先生の釈放を待ち、出所のお出迎えをしなかったことは弟子として怠慢だったと、今でも悔いを感じます」
以前礼拝に来ていた人の半分は、クリスチャン避難民の列に加わり南へ行ってしまったことが分かった。
まだ平壌に残っているうちの何人かは、投獄の後、龍明への信仰を失っていた。
「裁判を傍聴して目が覚めた」
「あんな男を再臨メシアと信じたなんて愚かだった」
龍明の手紙を受け取り拒否にした者たちもいた。
別の何人かは、車相淳などもそうだったが、彼の無事を喜んだ。
が、家族で戦争を生き延びるのが優先で、すぐには合流することができない状況だと言った。
11月26日、中共軍が中朝の境を越えてなだれ込み、人海戦術で北朝鮮軍に加勢。
国連軍は南へ後退し始め、再び戦況が逆転した。
国連軍の大規模爆撃を恐れる一般市民や宗教信者、地主、反共産主義者などが、避難民となって南へ続く道に溢れかえった。
龍明は最後に、1人のおばあさんを訪ねるよう、ウォンピル青年に命じた。
そのおばあさん信者は80歳、重い病気で死の床にあった。
ウォンピルが彼女の耳元に大声で主の帰還を伝えると、おばあさんは嬉しそうなそぶりを見せた。
帰ってそのことを伝えると、龍明は立ち上がってこう言った。
「さて、これで平壌での仕事は終わりだ。我々の出発の時がきた」
その夜、国連軍が撤退前に自らの弾薬庫を爆破している、その耳をつん裂くような破裂音で眠ることができなかった。
夜が明けると、龍明は、皆を集め、
「私は平壌を第二のエルサレムにしようとやってきたが、
この都市は私を拒否し、牢獄に送った。
平壌がサタンの手に落ちたので、今や我々は去っていくのだ」
と、霊性溢れる教祖らしいことを語った。
目下のところ彼のために動ける信者は、牢獄で知り合った者を含め3名しか残っていない。別の場所で、一から出直すしかないのだった。
それから彼は、神のお告げだと言って、なぜか文正彬を平壌に残し(彼が共産党職員だったからだろうか?)、金ウォンピルと足を傷めた朴正華を伴って、避難民の列に加わった。
こうして彼らは、背後から共産軍に追われるようにして、幾度も危険をかいくぐり、なんとかその年の暮れに南の首都ソウルに辿り着いた。
年が明けた51年1月には、朴正華を親切な人の家に残し、さらにそこから、半島南端部を目指し、釜山行きの列車にしがみついた。
その数日後にはソウルは再び共産軍の手に落ちていた。
*
釜山に着いたあと、ウォンピルは食堂に住込の職を見つけ、龍明は労働者の飯場を経て、学生時代の友人の家で居候生活をし、しばらく居心地の悪い思いをしていた。
その後、ボンネッコルという名の地域に、自作のダンボール小屋を作ったが、夏に台風で飛ばされてしまったので、今度はそこに木枠で土台を作り、土壁を塗ってもう少ししっかりとした小屋を建てた。
大きい三角おにぎりのような外見の、一間だけの貧しい家屋だが、気兼ねのない住居兼教会だった。
52年11月、平壌時代からの食口が何人か合流し、核になるような新しい信者もポツポツ集い始めた頃だった。
ボンネッコルの小屋で龍明が2、3の信者と話していると、30歳前後の細身の色白美人が、険しい顔つきで乱入してきた。
女性は、6、7歳の男の子の手を引いて靴も脱がずにツカツカと上がり込み、龍明に向かって恐ろしい剣幕で怒鳴った。
「生きていたのかい あんたはッ
何年も 何年も 連絡一つよこさないで
よくもまあ こんな所で ぬけぬけと‥‥」
女は怒りで言葉を詰まらせ、頬を紅潮させた。
それから押し殺したような低い声でこう続けた。
「あんたのせいで、どれだけ苦労したと思ってるんだい。
この子にちゃんと米の飯をいっぱい食べさせなきゃ
そう思って、こっちは麦飯で飢えをしのいでるんだよ」
龍明がだまっていると、金切り声を上げて叫んだ。
「なんとか言ったらどうなんだいッ
無責任にもほどがあるっていうのさぁ!」
そこにいるのは、平壌に出発する時、2週間で帰ると嘘をつき、ソウルに置き去りにした妻・崔サンキルと当時生まれた1人息子のサンジン(聖進)だった。
<参考資料>
https://www.tparents.org/Library/Unification/Books/Sm-Early/Chap09.htm
https://www.tparents.org/Library/Unification/Books/Sm-Early/Chap10.htm
ビクビクについて:
https://六マリアの悲劇.com/第五章/
「気の弱い文鮮明は、私が警察で最初の拷問を受けた頃、誰かが彼を訪ねてくるといつも逃げ腰になり、落ち着かなかった。だから、私が代わりに出て用件を聞いていた。あまりにも気が小さくて弱虫のように見えたので、
「このサタンの世の中を清い世界に復帰し、もとのエデンの園を甦らせようとする先生が、どうしてそんなにビクビクしているのですか。そういうことで、この宇宙や世界を復帰させることができるのですか」
と、何回も文鮮明に言ったことがある。」
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信者 深入りしたくない
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ほんの3日も歩けば、実家に辿り着くのだが、龍明は帰省しないで、かつての信者たちを探すことにした。 (前回より)
まず文正彬を、獄中何度も面会に来てくれた玉世賢(オク・セヒョン)の家に遣わした。そこに金ウォンピルも下宿しているはずだった。
そして、オク夫人とウォンピルに龍明を丁重に迎えさせた後、今度はその2人を平壌の信者たちの所に遣わし、主の帰還を知らせるように図らった。
ーーもし主がいきなり玄関先に現れたら、
想定外の彼らは、歓迎の準備をしてなかったことに罪悪感を感じるだろうからーー
というのが、自分で直接赴かない理屈だった。
だが実際は、有罪判決をくらった身にかつての信者はどう反応するか、気まずくもあったし、案外気が小さいところがあるので、内心ではビクビクしていた。
何十年か経って、文ノ教団の大幹部となった金ウォンピルは、その言い訳の理屈を取り繕うかのように、公の場でこう語った。
「当時は戦争中でしたが、あのとき自分の命を賭してでもフンナムまで行って先生の釈放を待ち、出所のお出迎えをしなかったことは弟子として怠慢だったと、今でも悔いを感じます」
以前礼拝に来ていた人の半分は、クリスチャン避難民の列に加わり南へ行ってしまったことが分かった。
まだ平壌に残っているうちの何人かは、投獄の後、龍明への信仰を失っていた。
「裁判を傍聴して目が覚めた」
「あんな男を再臨メシアと信じたなんて愚かだった」
龍明の手紙を受け取り拒否にした者たちもいた。
別の何人かは、車相淳などもそうだったが、彼の無事を喜んだ。
が、家族で戦争を生き延びるのが優先で、すぐには合流することができない状況だと言った。
11月26日、中共軍が中朝の境を越えてなだれ込み、人海戦術で北朝鮮軍に加勢。
国連軍は南へ後退し始め、再び戦況が逆転した。
国連軍の大規模爆撃を恐れる一般市民や宗教信者、地主、反共産主義者などが、避難民となって南へ続く道に溢れかえった。
龍明は最後に、1人のおばあさんを訪ねるよう、ウォンピル青年に命じた。
そのおばあさん信者は80歳、重い病気で死の床にあった。
ウォンピルが彼女の耳元に大声で主の帰還を伝えると、おばあさんは嬉しそうなそぶりを見せた。
帰ってそのことを伝えると、龍明は立ち上がってこう言った。
「さて、これで平壌での仕事は終わりだ。我々の出発の時がきた」
その夜、国連軍が撤退前に自らの弾薬庫を爆破している、その耳をつん裂くような破裂音で眠ることができなかった。
夜が明けると、龍明は、皆を集め、
「私は平壌を第二のエルサレムにしようとやってきたが、
この都市は私を拒否し、牢獄に送った。
平壌がサタンの手に落ちたので、今や我々は去っていくのだ」
と、霊性溢れる教祖らしいことを語った。
目下のところ彼のために動ける信者は、牢獄で知り合った者を含め3名しか残っていない。別の場所で、一から出直すしかないのだった。
それから彼は、神のお告げだと言って、なぜか文正彬を平壌に残し(彼が共産党職員だったからだろうか?)、金ウォンピルと足を傷めた朴正華を伴って、避難民の列に加わった。
こうして彼らは、背後から共産軍に追われるようにして、幾度も危険をかいくぐり、なんとかその年の暮れに南の首都ソウルに辿り着いた。
年が明けた51年1月には、朴正華を親切な人の家に残し、さらにそこから、半島南端部を目指し、釜山行きの列車にしがみついた。
その数日後にはソウルは再び共産軍の手に落ちていた。
*
釜山に着いたあと、ウォンピルは食堂に住込の職を見つけ、龍明は労働者の飯場を経て、学生時代の友人の家で居候生活をし、しばらく居心地の悪い思いをしていた。
その後、ボンネッコルという名の地域に、自作のダンボール小屋を作ったが、夏に台風で飛ばされてしまったので、今度はそこに木枠で土台を作り、土壁を塗ってもう少ししっかりとした小屋を建てた。
大きい三角おにぎりのような外見の、一間だけの貧しい家屋だが、気兼ねのない住居兼教会だった。
52年11月、平壌時代からの食口が何人か合流し、核になるような新しい信者もポツポツ集い始めた頃だった。
ボンネッコルの小屋で龍明が2、3の信者と話していると、30歳前後の細身の色白美人が、険しい顔つきで乱入してきた。
女性は、6、7歳の男の子の手を引いて靴も脱がずにツカツカと上がり込み、龍明に向かって恐ろしい剣幕で怒鳴った。
「生きていたのかい あんたはッ
何年も 何年も 連絡一つよこさないで
よくもまあ こんな所で ぬけぬけと‥‥」
女は怒りで言葉を詰まらせ、頬を紅潮させた。
それから押し殺したような低い声でこう続けた。
「あんたのせいで、どれだけ苦労したと思ってるんだい。
この子にちゃんと米の飯をいっぱい食べさせなきゃ
そう思って、こっちは麦飯で飢えをしのいでるんだよ」
龍明がだまっていると、金切り声を上げて叫んだ。
「なんとか言ったらどうなんだいッ
無責任にもほどがあるっていうのさぁ!」
そこにいるのは、平壌に出発する時、2週間で帰ると嘘をつき、ソウルに置き去りにした妻・崔サンキルと当時生まれた1人息子のサンジン(聖進)だった。
<参考資料>
https://www.tparents.org/Library/Unification/Books/Sm-Early/Chap09.htm
https://www.tparents.org/Library/Unification/Books/Sm-Early/Chap10.htm
ビクビクについて:
https://六マリアの悲劇.com/第五章/
「気の弱い文鮮明は、私が警察で最初の拷問を受けた頃、誰かが彼を訪ねてくるといつも逃げ腰になり、落ち着かなかった。だから、私が代わりに出て用件を聞いていた。あまりにも気が小さくて弱虫のように見えたので、
「このサタンの世の中を清い世界に復帰し、もとのエデンの園を甦らせようとする先生が、どうしてそんなにビクビクしているのですか。そういうことで、この宇宙や世界を復帰させることができるのですか」
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2020/08/07 (金) [龍明小説4&5]
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