フンナムから見た朝鮮戦争・
龍明 生き生き?/4-1
今回は、
フンナム生き残りへのインタビュー資料や
『米空軍公式戦史』参照資料の翻訳、など、
ノンフィクション度が高いです。
龍明小説4-1
5年の実刑判決を受けた龍明は、48年5月に、平壌刑務所から遠く離れた東海岸の港湾都市フンナムにある特別労務者収容所に移送された。
収容所から4キロ弱離れた窒素肥料工場で、毎日重労働を科せられ、食事や生活環境は劣悪だったが、体力に自信があり監獄生活に慣れている龍明は、様々な面で工夫をこらし作業に集中して、それなりに生き生きとやっていたように見える。
工場の作業班で、仕事の要領を教え世話をしてやった新入りの囚人が、1ヶ月後には、軍隊経験を買われ、全囚人を束ねる総班長に抜擢された。
その囚人総班長・朴正華から「先生」と慕われた龍明は、彼から様々な便宜を受けることができた。
収容所では年に4回 祝日があったーー 旧正月、金日成の誕生日(4月15日)、労働者の日(5月1日)、北朝鮮の建国記念日(9月9日)。
ある祝日の前に、看守が微笑んで、翌日の食事のために牛を一頭屠殺したと囚人たちに告げた。
宿営地には大きな興奮があった。
「思いやり深い金日成同志は、きみたちが今日牛肉を食することを許可して下さった」
司令官は国家の指導者を賛美する長いスピーチをした後、集められた囚人らに言った。
スープが来た時、それは通常のスープと何ら異なるところはなかった。
「牛は長靴を履いたまま、スープの中を通り過ぎて行っちまったのかよぅ?」
一般犯罪者の1人が房の中でうめいた。
「牛の毛一本さえも入っていないじゃないか」
「薄い肉が何枚か入っているよ」
作業班長が励ますように言った。
その後、囚人たちは、祝日の特別食にそれほど沸き立つことはなかった。
また別の祝日には、クジラ肉がスープに加えられた。
すると夕方までに、囚人のほとんどが胃痙攣と下痢を起こしていた。
何人かはかなり重症で、意識を失い、髪の毛が抜け始めた。
鯨肉が腐っており、中毒をおこしたのだ。
囚人たちは2日間の闘病休暇が与えられた。
龍明が収監されて2年ほどたった1950年の春。
当局は、罪名および刑期によって収容者を分類し始めた。
多くの一般犯罪者が、司令官に呼び出され出所していった。
彼らは、軍隊に加わるか、残りの刑に服するかの選択肢を与えられ、軍隊を選んだのだ。
その頃、灯火管制の黒い幕が宿舎に付けられるようになった。
ある日、袋の重量をチェックしていた工場労働者の何人かが朴にこう言った。
「北朝鮮軍が南部を攻撃する準備をしていますよ」
日本人が残していった肥料が、武器の支払いとしてロシアに渡っていると彼らは言うのだった。
朴は総班長権限で、作業中の龍明を呼び出し、それを伝えてこう尋ねた。
「一体何が起こるのでしょう?」
「遂に時が来たのだ」
龍明は確信あり気に答えた。
「だからサタン世界が滅ぼされると言っただろう?
まもなく神を中心とした地上天国が創建されることになるだろう」
それから2人で「復帰の園」を歌い、聖書の預言について話し込んだ。
その春、収容所は緊張した雰囲気に包まれていた。
数日後、刑務所の軍医は朴に伝えた。
「ロシアから武器が到着し、旅行が制限されました」
1950年6月25日、北朝鮮軍は戦車の音を轟かせ、緊張高まる38度線を越えて南進した。
軍備に劣る南韓軍は不意を突かれ、3日後にはソウルが共産軍に占領されていた。
フンナムでは、政治犯を除く20歳から25歳までの囚人が徴兵されていった。
収容所の条件は悪化した。
米軍は1949年に南韓から撤退していたが、数日内に今度は国連の旗の下、朝鮮半島に舞い戻ってきた。
米国主導の国連軍に16か国が派兵し、南部側に参戦した。
7月7日から10日間、B-29爆撃機が9~10機で編隊を組み、フンナム上空に現れ、爆弾を投下、都市の橋やその他重要な標的を破壊していった。
毎朝、都市の人口18万のうち2万人以上が山に逃げ込み、爆撃機が去った後に家に戻ることを繰り返した。
米軍の作戦計画者はすぐに、工業都市フンナムのコンビナート群に注意を向けた。
化学プラントのうちの1つが、ソ連の核開発計画の中で使用される元素を処理していたことが分かった時、国連軍の司令官・アメリカのダグラス・マッカーサー将軍は、その区域に対し特別な作戦任務を命じた。
軍事計画者は、焼夷弾を使うことを要求したが、火炎の急襲で不当な民間死傷者が膨れ上がる恐れがあることから、ワシントンの政治指導者により拒否された。
米国統合参謀本部はさらに、民間人に避難する時間を与えるため、空襲の前に警告のチラシを撒くべきだと指示した。
これらの考慮点が、龍明や囚人仲間の命を救ったのかもしれない。
7月30日の午前10時直前、47機のB-29爆撃機が大出撃し、V字編成でフンナム区域上空を飛んだ。
「有能な乳母」と名付けられた作戦の任務は、朝鮮窒素爆薬工場を破壊することだった。
雲の上を飛ぶ先導飛行隊が工場を連打爆撃すると、巨大な火が上がった。
火炎は天高く空を突き、雲まで焼き払うほどの激しさだったので、最後の飛行隊は爆撃照準を定めるのにレーダーを使わなければならなかった。
2日後の午前には、龍明たちがいる窒素肥料工場の上を偵察機が飛んた。
「まもなくここも爆撃されるぞ。宿舎に移動すべきだ」
元陸軍大尉の囚人が朴に言った。
正午にサイレンが鳴った。
3万人の労働者は地下避難所へ移動した。
囚人たちは可能な避難所へ身を寄せた。
晴れ渡った空に、同じV字編成・46機のB29が現われ、工場を3時間爆撃した。
500ポンド爆弾の爆発は、1万6000フィートの上空で飛ぶ機体を振動させた。(500ポンド=227kg。 1万6000フィート=4900メートル)
「500ポンド爆弾 破裂の様子」
最後の飛行隊は、損傷した工場から大きくうねり上がる黒煙を通して目標地域を見定めるために、レーダーのスイッチを入れなければならなかった。
「乳母の焼き釜」作戦は、その名の通り、工場を完全に操業不能に追いやった。

米国爆撃後のフンナム (戦争博物館 in ロンドン)
<参考資料/サイト>
https://www.tparents.org/Library/Unification/Books/Sm-Early/Chap07.htm
「Chapter 7 Death Camp」より抜粋翻訳
*米国の戦略爆撃作戦とフンナム攻撃に関しては、
『朝鮮における米空軍 in 1950-1953 米空軍史局、ワシントンDC、1983年』
(ロバートF.Futrell)を参照
*収容所の様子に関しては、 反共ゲリラの若者Kim In-ho (囚人番号424)、朴正華、 他6名のフンナム元囚人生還者(Kang Sam-won, Ju Heung-shik, Hahn Byoung-ku, Lee Jong-kook, Kim Dong-ok and Kim Jong-chan.)にインタビュー
そのほかいろいろ。
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