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「彼を殺したい」 重婚の資料 平壌裁判



     「彼を殺したい!」
         重婚の資料
             平壌裁判





「龍明小説3」は、
龍明とジョンファが実刑判決を下されたところで、一応一段落とし、
ここでは参考資料の翻訳・紹介や解説などをします。


大部分がUC教会内では隠蔽され、聞いたことのなかった話ですから、知らなかったことを知ってみるのもいいのではないですかー。
頭の体操、体操。


マイケル・ブリーン氏によれば、48年当時の裁判記録は、北朝鮮のピョンヤンにではなく、アメリカにあるだろうとのこと。
朝鮮戦争時にアメリカ軍が平壌を占領した際、大量の公文書を差し押さえ、箱詰めでUS国立公文書館に収納し、大部分は今でも整理されずそのまま眠っているそうです。


正式な罪名は分かりませんが、社会秩序紊乱罪といわれます。
その内容は人妻との重婚の罪であるという多くの資料があります。
文鮮明氏死亡時のロサンゼルス・タイムスの記事には、はっきり「重婚罪」と書かれています。

それでも文氏は、それは自分に課せられた神の摂理であり、悪いことだとは思っていなかったことが伺われます。
6マリアを認めているサ教さん方も、スッカスカのスルッスルーで抵抗ないのかもしれません。


事件は、日本食口(信者)のあずかり知らない遠い昔のことですが、後々「霊感商法の何が悪い?!」などといった心情(本音)に連綿と受け継がれていると思います。

内容は違えども、誰が見てもご無体な、明らかに犠牲者が出ることを、神の摂理だとして行なってゆく流れのことです。
神を慰めるため? そんな神、いないとおもいます。

神に思いを馳せることは悪くないし、信教の自由ですから、追い詰めるのはやめておこうか。


(分かる人だけ分かればいい話として: 組織の在り方は今はだいぶ改善されている、と、どこぞで複数ハンドルネーム使いらしい二世が言っているようですが、ハンドルで遊んどんのかッ。本当に改善されたならいいことですが、もともとがソレですからね、どうだかですね。でもま、緩くなったことはよかったね)



裁判で判決文が読み上げられた後、文被告は、罪状の一部 “虚偽を流布し、平壌の人々を騙した” を削除しろと要求しました。
 
話は少しずれますが、その結果について、二つの資料で矛盾しているのです。

マイケル・ブリーンの「文鮮明初期の伝記」には
 「裁判官は彼の要求を却下した
The judge ignored the request 」となっており、

『伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道』 金元弼 には、
「要請を受け入れる」と判事は答えました。と書かれています。
http://mmutyu.web.fc2.com/malsm/dentouno-genryu/dentouno-genryu_05.html


えっ、そんな簡単に要請を受け入れるはずないですよねー。
何のために裁判をやったのか。
イメージアップを図ろうとしているのだろうけど、そこだけ宗教寓話の様相を示しています。

「要請を受け入れると判事は答えました。」→→「お釈迦様はクモの糸を引き上げました」
同じニュアンスがその部分に感じられます(笑)

著者の金元弼氏が嘘をついているのか?

しかしブリーン氏の方は、金元弼氏にも書面によるインタビューをして、伝記を書いているので、もしや『伝統の源流』の日本語訳だけ改竄されている可能性もあります。
 (またはウェブサイト掲載時の問題とか?)

『伝統の源流』のオリジナル韓国語版はどうなっているのか知りたいものです。(誰か見て教えてー)



では本題、参考資料の翻訳
8割以上このサイトの和訳になります。↓↓
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/63203498498/bigamy-i-hate-him-so-much-i-want-to-kill-him

文氏(以下敬称略)は1948年に重婚で有罪判決を下され、この犯罪によって興南収容所へ送られました。
金鍾和は文の「第2の妻」として知られていました。彼女は北朝鮮の出身でした。


《ロサンジェルス・タイムズ 2012年9月3日付》

文氏は……北朝鮮政府下での問題により、1948年に重婚の罪で投獄され、1950年に釈放された。
崔先吉女史との最初の結婚は、1957年に離婚となり幕を閉じた。
彼には彼女との間に息子が1人、1950年代に同居した金明煕女史との間にもう1人別の息子がいた。
その後1960年に若い弟子韓と結婚した。

"Moon … problems with the North Korean government, which jailed him [in 1948] on charges of bigamy … He was freed in 1950.
Moon’s first marriage, to Choe Sung-kil, ended in divorce in 1957.
He had a son with her and another with Kim Myung-hee, who lived with Moon during the 1950s.
In 1960 he married Han, then a young disciple."
 
最初の逮捕は一九四六年八月一一日。
文鮮明は、混淫による社会秩序混乱容疑で大同保安署(警察署)に三ヵ月拘留されたのについで、一九四八年二月二二日、またも主婦・金鍾華さんとの強制結婚事件で内務署に逮捕された。
……四月七日懲役五年の判決を受け、文は、興南刑務所に服役することになった。

『淫教のメシア  文鮮明伝』 萩原 遼 P70
 

キム・イン・スー教授:
「文鮮明は、既婚婦人である金某と強制的な結婚式を行なった。
金の夫は警察にこれを通報した。」

『朝鮮キリスト教の歴史』 (2011年) P499

Professor Kim In-Soo:
"Sun Myung Moon performed a forced wedding ceremony with X X Kim, who was already married.
Kim's husband reported this to the police."
History of Christianity in Korea (2011) page 499
 

文鮮明自身の言葉より:
「……彼ら(正統キリスト教会)は、私を当局に通報することに決めました。
このようにして、私は生涯で3回目の投獄を受けることになりました。
これは1948年2月22日の午前十時に起こりました。」
http://www.tparents.org/Moon-Books/SunMyungMoon-Life/SunMyungMoon-Life-12.htm
 

ヨン・ジンフン(UC国際宣教本部の教育本部長 Yong Jin-Hun)は、金鍾和(キム・ジョンファ)とその夫 鄭明先(チョン・ミョンスン)の両者が、1946年から1948年まで平壌にて、文氏の信者だったことを確証しています。
「再出発摂理のための路程」プレゼンテーション資料スライド8を見てください。

霊的に導かれたメンバーたちの名前: 丁得恩、金鍾和、 鄭明先、など 
http://www.tparents.org/Library/Unification/Talks/Yong/Yong-110200c.pdf
 
ユウ・カンヨル(430双)Yoo Kwang-Yol
UCの公式教会史担当大臣:
1974年8月28日 Upshurハウス(ワシントンD.C.)にて、

「それは1948年2月22日のことで、逮捕の理由は『社会秩序紊乱罪』でした。
御父様は4月に裁判にかけられました。」
 

文鮮明自身の言葉より:

私が興南刑務所にいた間、金夫人が投獄されました。
金夫人はラケルの立場でした。……朴お婆さんはレアの立場でした。
http://www.tparents.org/Moon-Books/SunMyungMoon-Life/SunMyungMoon-Life-11.htm
 
週刊文春 1993.10.28 205-207頁
《創立以来の古参教会員、朴正華》

人妻との結婚騒ぎで懲役刑
「北朝鮮の内務省に所属する第二旅団第二大隊長だった私は、一九四九年に部下が闇商売に関わったことから、職務怠慢罪で懲役三年の刑を受けました。はじめは平壌刑務所に、やがて興南特別労務者収容所に移されました。

この興南で文鮮明に出会ったのです。
文鮮明は、金鍾和という人妻との結婚騒ぎで社会秩序紊乱罪に問われ、懲役五年の刑に服していたのです。」

https://六マリアの悲劇.com/%e5%89%b5%e7%ab%8b%e5%90%8c%e5%bf%97%e3%81%8c%e5%91%8a%e7%99%ba%e3%81%99%e3%82%8b%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e6%96%87%e9%ae%ae%e6%98%8e%e3%81%ae%e6%ad%a3%e4%bd%93/
 

週刊現代 1993.11.13 42-45頁
▲ 中村敦夫 (作家・俳優) : 朴正華 (文鮮明教祖の元側近)

中村: その金さんとは、出所後、お会いになりましたか?

朴:  出所後、すぐに訪ねていったときには会えませんでした。
でも、その後に会って話をうかがったところ、彼女は当時、文とセックスしたことを認め、「死ぬまで懺悔しても許されない罪を犯した。文鮮明は大サタン。殺したいほど憎んでいる」と、涙を流しながら私に訴えたのです。
しかし、被害にあった人妻は彼女だけではありません。

https://六マリアの悲劇.com/1-%e7%a7%81%e3%81%8c%e7%9b%ae%e6%92%83%e3%81%97%e3%81%9f%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%83%bb%e6%96%87%e9%ae%ae%e6%98%8e%e6%95%99%e7%a5%96%e3%81%ae%e3%80%8csex%e3%83%aa%e3%83%ac%e3%83%bc/ 
 

《原理運動の素顔 原理運動の素顔 (1975年) 山口浩》
163-164頁

一九四九年五月、北朝鮮の傀儡集団の警察は、文鮮明を混淫罪のかどで逮捕した。

今もソウルに居住している金某女史の夫が告発したためであるが、当時、文は神の啓示を受けたとして、本妻がいたにもかかわらず、女性信徒金某女史と強制的な婚姻式ごとをやっていたところを警察に踏み込まれて逮捕されたのである。

金某女史は懲役十ヵ月、文は五年六ヵ月の実刑を言い渡された。

この項は、金景来氏が、金某女史に面談取材して書いたものである。
 

朴正華のスピーチ、ソウル、1993年

「私は50年代初めにソウルで金鍾和に会いに行きました。
旦那はそこで同種の商売をしていました。
私は彼女に文さんに会ってくれないかと頼みました。
彼女は言いました。
「いいえ! もし会ったら彼を殺してしまうでしょう。私がしたような罪を、彼が二度と他の人に犯すことはないようにしたいですから」
 


《玉世賢(オク・セヒョン)の夫の話》

「自分は教会の長老で、妻の玉世賢も勧師として熱心に教会のことをしていた。ところが、南の方から来たという青年が変な説教をしてから、妻が何週間かこの集会に通い出した。それまでは円満な夫婦で、何の問題もなく仲よく暮らしてきたが、突然、妻が自分と一緒に寝ることを拒否してきた。

「生活のやりくりが上手だった妻が、チャンスさえあればお金をへそくり、文龍明のために持ち出すようになった。経済的余裕もあることだし、少しくらいはいいだろうと最初は思っていた。その後それはどんどん大きな額になっていった。

何よりも早く夫婦が前と同じように仲よく暮らしたかったので、それを期待して一所懸命祈ったが、ムダだった。するとある日、その青年をはじめ、自分の妻まで、全員が警察に拘束されることになった」

萬長老は平壌市内でよく顔も知られている。メンツもあるので、警察に行って拘束の理由を調べたら、亭主も子どももいる金鍾和 という人妻とその青年が、「小羊の儀式」だと言って結婚式の準備をしているので、近所の人が変に思って警察に通告し、拘束されることになった、ということがわかった。

https://六マリアの悲劇.com/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AB%A0/

 
統一教会史から抹殺された事実

文鮮明は、1948年に長老教会から破門されました。
当時、彼は3人の子供を持つ既婚女性であった金鍾和との重婚のために投獄されていました。
彼はまだ最初の妻、崔先吉と婚姻関係にあったからです。
崔先吉は、最終的に1957年1月8日に彼と離婚しました。

https://六マリアの悲劇.com/%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e5%8f%b2%e3%81%8b%e3%82%89%e6%8a%b9%e6%ae%ba%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e4%ba%8b%e5%ae%9f/
 

『六マリアの悲劇』147頁
金鍾和の涙と怒り

「文鮮明を殺したい」


 平壌へ行った文鮮明は、未完成で怪しげな原理を説いて信者を集めていた。気の毒にも玉相賢はその頃からの犠牲者だが、もう一人書いておかなければいけない人がいる。

 それは、文鮮明が投獄される原因になった人妻、金鍾和のことだ。興南の監獄で一足さきに出所する私に、彼は、

 「平壌の景昌里にある金鍾和の家を訪れて、私が元気なことを伝え、そこで待っていてほしい」と言った。私は出所してすぐそこへ行ったが、捜し出せなかった人である。

 文鮮明の熱心な信者になり、主人と子どもがいるにもかかわらず、同じ部屋で文鮮明と同棲して、ついには「小羊の儀式」をあげる騒ぎとなって逮捕され、懲役一年の刑を受けている。

 それにしても、原理の理論から言えば、六マリア(人妻)を復帰したあとにくる「小羊の儀式」(正式な結婚)は、相手が汚れのない処女でなければならないはずだ。どうして夫や子どものいる人妻を選んだのか、説明がつかない。しかも文鮮明には、ソウルに残してきた妻子もある。

 私がソウルでようやく捜しあてたとき、金鍾和は里門洞に住み、執事として既成の教会ヘー所懸命に通っていた。彼女の夫の鄭明先は、「コロンビア」という靴屋を経営していた。私が金鍾和を訪ねたとき、彼女はあのときのことを後悔しながら、語った。

 「サタンが私を誘惑して、私は死ぬまで懺悔しても許されない、罪を犯したのです」

 そのときは、名前を文龍明から文鮮明に変えたことを知らなくて、彼女は言った。

 「文龍明はとんでもない大サタンで、私はすっかり編されました。私のような罪人をたくさん作った悪い人です。朴先生も早く彼から離れ、サタンに従うことはやめないと、あとで必ず後悔するようになりますよ」

 そう言いながら、大粒の涙を流して泣いた。そして泣きながら、平壌時代のことを詳しく話してくれた。

 「私の夫は、私のとった行動を陰で恨んでいるだけで、どうして怒ってくれなかったのでしょうか。自分の妻とあの男が、毎日同じ部屋で一緒に寝て、復帰をするという名目でセックスしているのを、横で見ながらどうして何も言わなかったのでしょうか。でも、あとで彼が本当に私を愛していたと知って、そのとき私は、とても大きな罪を犯してしまった、と思いました」

 私は金鍾和執事に、もう一度聞いた。

「夫と子どもがいるのに、よその男と毎晩セックスをしたりして、その当時は良心の呵責を感じなかったのですか」

 「そのときは再臨メシアだと信じて、その男に狂っていましたから、その人とセックスするときには、良心の呵責などまるで感じなかったです。天国に上がっていくような心境でした」

 文龍明は今ソウルにいるが、もう一度会ってみる気はないか、と私は聞いてみた。彼女はキッと目を見開いて、

 「とても大きな罪を犯した私ですが、今はすべてのことを知ってしまいました。大サタンの文龍明は、私のような人妻や処女たちを言葉たくみに犯し、たくさんの人を罪のどん底に陥れています。どうしてまた、そんな人に会えるでしょうか」

と反問した。そして、

 「もし、私がその人に会うようなことがあれば、この世の中でもうこれ以上、私たちにしたような罪を、二度と彼が犯せないようにしてしまいたい。あの男を殺したいほど憎んでいるのです」

 彼女はそれこそ、火のように怒っていた。

https://六マリアの悲劇.com/%e7%ac%ac%e5%9b%9b%e7%ab%a0/





大きく分けると、元は、
文氏または教会側の資料、
文鮮明に頼まれ、一年弱で出所した金鍾和(キム・ジョンファ)と会って話した草創期弟子の朴正華からの資料、
同じく彼女に面談取材したジャーナリストの金景来の資料、
事件当時警察に行って尋ねたという玉世賢(オク・セヒョン)の夫の禹長老の発言、
の4種類ほどだと思われます。


後の50年代の文教祖6マリア関係の様相から逆算しても、ここで言われている重婚状態はあったと思わざるをえませんが、いかがでしょうか。



関連 龍明小説リンク
   ーー龍明・ジョンファの恋物語 (°_°) 


キムチ源氏の雨夜の品定め&誘惑/3-16 
収容所への道も一歩から(お色気編)/3-17 
『奇妙で恐ろしい中心家庭とチーパッパ』/3-18 
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タイホきた 裁判きた 平壌の春‘48/3-20
文ノイエスに妻を奪われた夫の証言@北韓/3-21 





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青春時代に不幸にも原理教に出会って、その生涯の大半を無駄に過ごされた方が、貴方の事実に基づいた小説によってせめて残りの人生を笑顔で締めくくってほしいです。どうもありがとう。
No title
Fさん、心あるコメントに感謝です。

残りの人生を笑顔で締めくくる……… いい言葉ですね。
そのようにしていきたいと思います。
いつも読んでくれてありがとうです。


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