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こんな 魂 ソウル観は いかがかね〜チリ〜ン(風鈴売り風に


 こんな 魂
   ソウル観は いかがかね〜
      チリ〜ン(涼しげな 風鈴売り風に



統一教会を脱してから、
バグワン・ラジニーシOSHO全集を読み、
プロテスタント信者だった時期が2〜3年、
ニーチェやカミュを熱心に読んだ無神論の時代やら、
ルドルフ・シュタイナーの人智学に夢中になった時期もあり、
宇宙人思想 かたや脳科学‥‥と遍歴し、
統一教会の盲信で 表層的になってしまった我が精神を、
少しずつ ああ 少しずつ 取り戻して来たのか 来ないのか、
その果ての バラ十字神秘哲学 おまえ百までわしゃ九十九まで、
いや おまえ何百、何千年? わたしゃおまえを最後にしたいが、
はてさてどうなることかーー



バラ十字会の神秘学の見解を基にした内容の紹介です。
教本の抜き書きやら何やらは、囲みにて、
私の感想・ツッコミはその下に斜字にしました。

自分の宗教を持っていながら学んでいる人も多いとのことなので、よかったら気楽に読んでみて下さい。


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以前、「この神観いかがですか?」 で、
「<創造主/神>は、擬人化して捉えるべきではない。
それは万物を考案した普遍的知性(宇宙の知性)と見る。
この知性は、宇宙が活動するようにするために、
存在する全てのものにソウル(魂)を吹き込んだ。」

と書きましたが、その続きとして:


《人間のソウル》

人間ひとりひとりは、普遍的ソウル(宇宙のソウル)が個性化(個別化)されたものをもって生まれています。

その人間のソウルは神から発したものですから、必然的に完璧な性質のもので、変わることがない純粋で絶対的な存在です。

ソウルをこれ以上良くしたり、逆に汚したりすることはできず、堕落することなどあり得ません。
ソウルを変えることは不可能なのです。

ですから私たちの目標は、ソウルの聖なる性質をより完成されたものにしたり、完全性を獲得することではありません。

私たちの宇宙的な使命は、ソウルという心の深奥の次元を自覚し、その自覚を、自身の思考、言葉、行動のすべてにはっきりと表現することです。



堕落なし、原罪なし、ということで。
堕落してると言っては縮こまり、完成していないと言っては縮こまることはありません。
完全なもの(ソウル)がすでに私たちの中には存在するので、ひとまず安心・安泰ではないですか。




《普遍的ソウル》

普遍的ソウルは神から発したもので、本質としては完全な存在ですが、自体に内在しているこの完全さを自覚していません。

別の言い方をするならば、普遍的ソウルは自体の能力がどの程度であるかを知らず、その秘められた知恵に気づいていないのです。

普遍的ソウルが、物質である生物の体に宿り、世界中に生息しているあらゆる生き物に命を与えることによって目指しているのは、特に、自体の完全さに気づくことであり、その後に、自体が発した源である<創造主/神>の中に統合されることです。



人間界にもある、最初から恵まれていると、そのありがたさが分からない、ということ‥‥ 分かるような気がしますね。

統一教会(家庭連合)では、「神は万能で自存するが、1人では愛を感じることができなかったので、愛の対象となる万物世界を創造せざるを得なかった」とか、
最初から完璧ゆえにこれだけは感じることができなかったという、パターンとしては似たようなニュアンスのことを言っていたな。う〜ん‥‥


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《ソウル人格》

ゆえに、自身のソウルの完全性を自覚することを成し遂げるのが、人間に課せられている義務だと言えるでしょう。

このことを成し遂げるために、人間には特別な性質が与えられていて、その性質をバラ十字会では「ソウル人格」と呼んでいます。

ソウル人格とは、その名が示しているように、自身のソウルの性質を、個々の人がどのように表現しているかということに相当します。
人にもよりますが、一般的に言って、ソウル人格は完璧とは言えません。

人間の使命とは、自由意志を建設的な仕方で用いることによって、自分自身の性質である完全性を、この地上に表わすということです。あきらかに、このような使命には長い時間がかかり、一度の人生では達成することができません。

生まれ変わりによって、多くの人生を通じて進化していくのは、人間のソウルではなく、ソウル人格です。

このソウル人格は、その個人が地上で最初に人生を開始したときに生じたのです。



そうでしょう、そうでしょう、それは長い時間がかかることであり、何回も生まれ変わっているのでしょう。

神を中心とした家庭や神の国建設を謳っている統一原理と比較して、やはり言ってることが個人次元だ、などと批判があるかもしれませんが、家庭や国という地上的なものを教義に混ぜて大失敗だったでしょ。
教義や活動に重きを置けば置くだけ、夫婦も家庭も大失敗、国なんてとんでもない。

誇らしげにごっちゃに混ぜて、濁ってしまったのだから、錬金術で黄金と卑金属を分けるように、精神の深奥に隠れている清い魂のことを、集中しておさえるのは重要ではないでしょうか。




自己意識というものは、ソウル人格にある性質で、人間の本質の必要不可欠な部分です。ソウル人格と自己意識は、たとえを使うなら、ロウソクの炎とそこから発する光のように分離できないものです。

しかしながら、ソウル人格が、この完全性を自覚するようになり、人間が思考と言葉と行動の全てに、この完全性の自覚を生かしていくことができるまでは、人間は誤りを犯しがちな存在であり、「善」とは反対の「悪」と呼ばれる事柄に手を染めることさえあります。



人を傷つけたり過ちに手を染めてしまったら、どのように拭っていくことになるかについては、またの機会に!
統一原理で言えば、復帰原理のようなものかな。カルマの法則という宇宙の法則を通して精算していくらしい。
私もまだ詳しくは学んでいません。最近は時間がなく教本が溜まり気味です。やばい( ˊ̱˂˃ˋ̱ )




《完全な状態》

この完全な状態は、自己意識と宇宙意識が融合した結果から生じています。この融合が実現した場合、ソウル人格は完全に普遍的ソウルと(宇宙の魂)と同化し、宇宙の叡智の至高の流入を受けることになります。

何世紀のもの間、本会の伝統では、この完全な状態は「バラ十字の状態」と呼ばれてきました。

ヒンズー教徒や仏教徒は、完全なこの状態のことを「涅槃の状態」と呼んでいます。

ユダヤ人はこの状態のことを「契約(Alliance )の状態」と述べています。

キリスト教徒は、イエスが到達した「キリスト意識」について述べています。

イスラム教徒は、この状態を、「栄光(Glorious)の状態」と呼んでいます。



こういうの、むかし宗教の統一とか言っていた人たちが好みそうなので入れてみました。私も好きですが。

バラは魂、十字は人間の身体を表しており、バラ十字は魂と体が融合した状態の象徴です、キリスト教の十字架とは関係ございません、とな。

むかし統一教徒は、この状態を「第一祝福完成、心と体の一体化」と言いました、というやつです。


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完全であることに価値を与えているのは、ひとりひとりの人が、その完全な状態を実現するために行う努力です。

どのような本にも、どのような秘伝書にも、あなたの求めている達成は含まれていないのです。ですから教本を読むことは、単に、あなたの瞑想に役立つ1つの支援でしかありません。

同じように、どのような達人(聖人)も、あなたに代わって、あなたの行動をより良いものにすることも、より賢いものにすることもできません。



つまりは、そういうことで、統一教会・家庭連合の言うようなメシアや真の父母、独生女はいらん、邪魔だということで。さようなら。

こういうことを教本自体に書いてしまっているところが、バラ十字のいいところ、好きなところです。
中国共産党とは全然違います。

ソウルは完全、ソウル人格は進化途中で不完全、難解でした。

それではよろしくお願い申し上げます。


人の姿を表す十字/宗教ではないバラ十字
https://www.amorc.jp/blog/201905171602_2197.html






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コメント

統一思想と神秘学
 バラ十字会の神秘学は一部で統一思想と重なる部分がありますが、その神秘学で最大限に重視しているソウル(魂)は、内容として統一思想における「心情」と共通点があります。
 私は神秘学で定義されたソウル(魂)については何の違和感もなくその説明を理解することができましたが、それは統一思想を学んだ時「心情」という概念が用いられているのに共感した時と似た感覚でした。
 即ち、人間には心の機能として知・情・意があり、それらはそれぞれ違った働きをしますが、個人の心の中ではそれらの機能が一体となっており、一つのまとまった精神を作り上げています。
 統一思想においては、その知・情・意の中心にあり、それらが働く動機、原因となるのが心情であると捉えていますが、その「心情」を「ソウル(魂)」と置き換えると、統一思想と神秘学はかなり似た内容になってくるのです。
 私は統一教会に入会した後、人間の心の機能である知・情・意の働きの根源に「心情」を見い出して内面を理解する統一思想に強い共感を覚えたのですが、ただその「心情」という言葉には僅かながら違和感がありました。
 「心情」という言葉は考えようによっては「情」と近しいものとなり、言葉だけを見れば、知・情・意の中で「情」が最も重要なものと理解してしまう間違いを犯す可能性があったのです。
 文鮮明教祖はまさしくそのような過ちを犯し、「み言葉」の中には「情」こそが全てというようなことを語ったものがたくさんあったように思います。
 私は統一思想の「心情」の概念には強い共感を覚えたのですが、結局その「心情」をもっと適切な言葉で表すべきと考えるようになっていったのでした。しかし、どういう言葉で表せばいいかは考え付かなかったのです。
 そのようなスッキリしない迷いが残っていた中、バラ十字会の神秘学において「ソウル(魂)」という言葉を学び、私が求めていたのはまさしくこの「ソウル(魂)」だと感動的な悟りに至ることができたのでした。

 私は「ソウル(魂)」を認知しているところが神秘学の最も素晴らしいところだと思っています。
 それは統一思想の中の最も優れた理論を凌駕するものであるし、結局統一思想が最終的に解決できなかった人間の本性の問題を神秘学はとっくの昔に解決していたということになるのです。
 
Re: 統一思想と神秘学
神々の黄昏さん、
コメントありがとうございます。
催促しようかと思っていたところでした。(^^)

バラ十字神秘学のソウル(魂)の部分について書きましたが、そこはピンと来なかったのかな、どこにピンと来るかは人それぞれだからなあなどとチラッと思っていましたが、むしろその逆だったそうで、よかったです。

私もとても気に入っている部分ですが、最初に「どうなることかー」などと書いたのは実はツンデレの類いです。初期統一教徒のように「(原理は)スンバラシイ‼️」と大興奮しないように抑えているのです。つまり私の中では多少そんな空回りが存在するということなのでしょうが。

「ソウル(魂)」とは、統一思想における「心情」の概念に似ているーーー
そうかもしれません、きっとそうです。
かつて統一思想の「心情」にはこれまた大興奮しましたが、「ソウル」と対応させて考えたことはありませんでした。

すると、「ソウル人格」は、「(個々人の)知情意の状態(+自己意識)」ということになるでしょう。合っていると思います。


統一思想のその部分と繋げて考えられることは、当方含めオール統一にとっての、なんというか、朗報? Good news、福音であると思います。
まさしく、統一思想と神秘学。

瞑想の題材にさせていただきます。

ありがとうございました。


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