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初めての復帰 R16 見るなよ/龍明小説3-5


狙いを定めた復帰の道/龍明小説3-4 からの続き



    なんだかんだ言って
     初めての復帰の濡れ場
       見るなよ 見るなよ R16



 龍明小説3-5



 10日ほど経った日曜日の昼下がり。
 礼拝が終わって、皆すでに出払っている。

 ナ家の家族はいるのか、いないのか、家の中は静まりかえっていた。
 二階の方から微かにくぐもった声の気配が伝わってくる。
 金インジュが祈っているのだ。


 礼拝後にインジュが駆け寄って来たが、龍明は、
「上の祈祷の小部屋で祈っていなさい」と彼女を二階に上げた。

 そこは先生の祈祷の小部屋と呼んでいるが、私室でもあった。
 ナの家の二階は一部屋しかなく、誰も上がってくることはない。

 インジュが二階に行ってだいぶ経った頃。
 龍明は階段の下に来て何やらウロウロしていたが、やがて静かにゆっくりと上っていった。


 二階では、インジュがしきりに泣きながら懸命に祈祷していた。
「天のお父様、主に会わせてください。私の主はどこに来られますか?」

 長い時間祈り続けて、頭がボンヤリしてきた頃、夢だろうか、幻だろうか、十字架につかれたイエス様が門を開け、こちらに近寄って来るのが見えた。

 彼女は嬉しくて、「イエス様!」と叫び、その衣の裾を握って感謝の涙を流した。

 それからイエス様は彼女の頭に手を置いて祈祷してくれた。

「この娘の行く道は、あまりにも険しい道であるが、どうしても行かねばならない道なので、言葉にできないような十字架の道であっても、最後まで変わることなく行かせてください」

 不思議なことに、その声が途中から先生の声に変わり、気がつくと、彼女は龍明の服の裾をしっかり握りしめているのだった。

「あっ先生! イエス様が途中で先生に変わりました!」


 龍明は静かに笑って言った。
「今日は主が明かされる日。あなたの深い深い罪がぬぐわれる日です」

「あのう、先生、お言葉ですが、私は最初に言われた通りに、いくら家族に迫害されても長老教会には一切行かず、先生の所だけに通っています。
 そしてアダムとエバの堕落の講義を伺って以来、もう何ヶ月も夫と性の交わりはしていません。夫が求めても拒絶していますから。
 それでも私はそんなに罪深いのでしょうか」


「それは分かっている。きみは一所懸命でまっすぐないい子だ。
 だが、罪とはそんな甘いものではない。罪の根、原罪とは血統的なものだ。

 最初の人アダムとエバがサタンを中心にして性関係をもち堕落してしまった。
 そこから生まれてきた人類はみな罪人である。自分ではどうにもならない。

 セックスで堕落したので、救いは反対経路を辿りセックスで神に復帰してゆくのが原理だ。
 イエスから託された新しい主の使命だ。

「インジュ、私を支えてくれるか。
 きみはサタンに奪われたエバの代表、女のなかの女だ。

 私を受け入れて、新しく生まれ変わりたくありませんか?
 歴史上初の復帰されたエバになりたくありませんか?」


 丁寧な言葉とは裏腹に、龍明はぐんぐん迫ってきていた。

「あ、先生、なにを‥‥ 私には夫がいます、いいのですかあ」

「それがいいのだ。サタンの主管圏にいるエバこそ復帰する。
 きみをサタンから奪い取りたい」

 強い力で衣服がどんどん捲られ、剥ぎとられ、揉みくちゃになってゆく。


「ここがインジュちゃんの女の中の女、善悪を知る木の果だ。
 恥ずかしいことはない。先生が舐めてあげる」

 龍明こそ、ソウルのサンキルのもとを去ってから、とんとご無沙汰なのだ。
 もう我慢ができない。
 そこからいきなり馬乗りになって彼の生命の木を突き立て、思いを遂げた。



 龍明は彼女の体を揉みしだき撫で回しながら、うわ言のように呟いていた。
「女のからだはやわらかいというんだねえ。
 神様がそう造ったというんだねえ。
 ありがたいというんだねえ」
 
 そして、
「もう一回、いや2回だ」
「へ?」
「復帰には、蘇生・長成・完成の3段階が必要である」
「はあ?」

 これは近頃、やっと出入りを許されるようになった平壌の自称エホバの妻・神の夫人である丁得恩の所の事情通から聞きかじったことだ。
 丁得恩婦人の性の儀式は、蘇生・長成・完成の3回行うものらしい。


 精力の強い若い龍明が1回で満足できるはずがない。
 急遽、丁婦人の形式を真似ることにした。

 彼は出鱈目なみ言葉を語った。
「次はもっと深い罪を拭います。
 四つん這いになりなさい」
 
 こうして2回目はもっと激しくなった。

 3回目は、これで最後かと思うと狂おしい気持ちになり、露骨なみ言葉を語った。
「‥‥善悪を知る果が先生によく見えるように。
 よし、いい子だ」
 そしてもっともっと激しくなって2人とも大いに乱れた。

 彼女とて女盛りの年頃だ。夫との禁欲生活が気づかないうちに堪えていたのだろう。文ノ龍明キリストによってそれが破られ解放されて、もうタガが外れたようになっていた。


 どれほど時間が経ったのか。夕刻が近づいていた。

 「アーメン」と言って何もかもが終わり、まだ汗みずくで息を切らしているインジュを見て、龍明は言った。

「そのまま家に帰るのはまずい。顔に全部出ているじゃないか。ちょっと待っていなさい」
 そして1人階段を下りて行った。

 台所で冷たい井戸水を大きなコップに汲み、ナの家族が隠してある朝鮮人参茶を1サジくすねて、コップにタラリと垂らしグルグルかき混ぜた。

 それを彼女のところに持って行き、
「落ち着きなさい」と言ってゆっくり飲ませた。
 今日のことは命にかけても秘密を守るように、と念を押すのも忘れなかった。


 (つづく)




参考資料/サイト
lhttp://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-102.html

http://www5b.biglobe.ne.jp/~yi1800/akasi/sinkousyuki/index.html





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コメント

No title
 最初の人妻寝取り人「復帰」の対象はインジュさんだったのですね。初めて知りました有難うございます。
 それにしても家庭修で教わった三日儀式は騎乗位→騎乗位→正常位
だったのに。
 さすが自称メシア、前戯から正常位(ミッショナリースタイル)→後背位(ドギースタイル)→あとはぐちゃぐちゃくんずほぐれつ何度でも
を一日でされるとは畏れいりました。
 そうよね、やっぱり最初はミッショナリーよねだって「宣教師」なんだから。
 他人の家でここまでできる龍明の度胸に改めて尊敬の念を抱きます。(ネーわけないだろう、サイコパス野郎)


 新堂冬樹の「カリスマ」を彷彿させる描写力ですね。
 暗在さん官能小説家デビューおめでとうございます!



恵みという隠語
改めてURL先の文鮮明との証しを読んでみました。

どれほど時間がたったか・・・というのもあり、恵み=文鮮明とのカンケイのことだとして読むと、その様子がどんなに長い時間かも解りました。

上上下は初期の文鮮明は関係なく、一度では収まらないので少なくとも三度ということだったというのも、元妻が暴露していた一晩に10回ということでしたから、初期の文鮮明は三回どころではなく、満ち溢れるほど恵みを与えたということかもしれないとも感じました。

その後、何人かと共に両者とも逮捕されるのですが、しらじらしい言い訳を大同保安署で言い続けたのでしょうね。

組織の嘘の根源は、文鮮明の準強姦による隠匿で決定的になったのかもね。

一滴も漏らさなかっただろう教祖文鮮明ってことで・・・パンツがいつも汚れていた汚い男だったとは・・・。

官能小説、文鮮明美化しすぎで、これから手に入れた女たちの資産を食いつぶして行く模様をどう表現して行かれるのか。期待いたしますが、、、

まだまだ女性信者との官能小説残してください。描き切るまで何年かかかるでしょうか?
goutさんへ
goutさん、
図入りのような正確な解説をありがとうございました。

最初の復帰対象は、金ジョンファさんかインジュさんのどちらかでしょうが、様々な状況・事情から、ここではインジュさんとしました。

ナツミカンさん
ナツミカンさん、
コメント、感想ありがとうございます。

被害者をどう書くか、何年かかるか、漠然とした構想(というより情報)はありますが、石の水切りのように、ピョンピョンと重要ポイントを押さえて飛んで、早く向こう岸(ひとまずの筋終了)に行かないと、健康寿命が尽きるのではないか。
あまり先のことを考えてもね・・・
今だよ、いま。
写実的な描写
 文龍明青年のセックス遍歴を暗在さんが写実的に描写されましたが、それはまさしくそのような出来事だったのだと思います。文鮮明氏は実際にそのような経験を連想させるような「み言葉」を多く語っていますし、私が米国で聞いた彼の名節日スピーチでも性器を話題にしたものが記憶にあります。その時も「男の中の男」「女の中の女」というように性器を表現していました。
 しかし、その当時は文鮮明氏が血分け信者などとは思ってもみませんでしたから、スピーチに関しても脳内変換して夫婦愛の大切さを強調しているのだろうというぐらいにしか思いませんでした。
 しかし、実際には文教祖は自分の関心ごとを隠さずに語っていたわけで、そこに含まれる問題を悟れなかった自分の麻痺した感性を今更ながら残念に思います。
 
 私が文鮮明氏の実像をつかみ損ねたのは原理講義で教えられた創造原理などの感動が大きかったためでした。創造原理が教える神を第一原因と捉える発想はとても斬新に感じられ、神の存在について科学的に追究したのは歴史上統一教会が初めてと本気で信じてしまいましたから、統一原理の解明者についてはキリスト教的「再臨のメシア」であるなしなど関係なく、最高に偉大な人物と心から思い込んでしまったのです。
 しかし、神の存在についての科学的な追究など、日本以外の国には古くからあった訳でして、自分の無知が統一教会や文鮮明氏に対する判断を見誤らせることになったと言えます。

 暗在さんが描写されたような「血分け」行為の現実を知ることができたのなら、それ以上私は統一教会に留まることはなかったはずですが、統一教会本部が完全否定するものですから私もすっかり騙されました。
 ただ、今回の暗在さんの小説を読んで、私が統一教会に入会したばかりの時体験した不思議な「霊視」が、妄想ではなく、真実に迫っていたものであることを今、改めて知りました。その意味でも暗在さんに感謝です。
 私が体験した「霊視」とは、修練会に参加し、文鮮明氏のビデオなどもたくさん見せられた時のことだったと思いますが、祈祷の対象が文氏に向かった時、文氏の顔のイメージがすぐさまペニスの形に様変わりしてしまうのです。
 これはまずい、気を引き締めねばと思い、祈祷し直しても同じように文氏の頭の形がどうしてもペニスとなってしまうのです。この時点では「血分け」などに関しては全く耳に入っていませんでしたから、私には理解しがたい体験でした。
 その時以来、私は祈祷の中で文氏のイメージをことさら追究するのはやめにしました。
 今回暗在さんの小説を読ませてもらって、全ての謎が解けました。

シュールレアリズムの幕開け?
神々の黄昏さん、
有難いコメントありがとうございます。

写実的な描写、ですね。
略したり、ぼかしたり、言い換えたり、取捨選択はしましたが(R18にならぬよう)。

龍明小説は基本的には、事実(と思われるもの)を描写する写実主義ですね。
別の言葉で言えば、米本さんも言われたようにノンフィクションノベルということで。

歴史的に見れば、写実主義が現れたのは19世紀で、古いのですけど。
それ以前に、硬直した理性主義・合理主義の古典時代があり、それの反動として、自由な感性を羽ばたかせ神話や歴史・恋愛をドラマチックに美化し理想的に表現するロマン主義が現れたのが18世紀後半。
現実の人間をありのままに描こうとする写実主義はそのロマン主義の反動として現れたと。

個人史的にも、過去、ロマン主義的な期間はありました(ネット文芸で)。さしづめ硬直した古典時代とは統一現役時代だったでしょうか。

そこからのロマン主義時代は楽しいものでした。しかし裏を返せば自己の感性外のものは書けず、感性は狭いこと・限界を自覚し、魂の成長の路程と連動させて、今は写実主義狙いというところでしょうか。

写実主義が発展すると、自然主義に行くらしい(自然主義:ただあるものを書くだけでなく、人の生、精神の美醜などを描く)。まあそれが目指すところなのでしょう。
それでもまだまだ古いですけどね。


しかし、神々の黄昏さん、やりましたね。
遂に20世紀、シュールレアリズムの幕開けですよ。
>文氏の顔のイメージがすぐさまペニスの形に様変わり
>文氏の頭の形がどうしてもペニスとなってしまう

こういった霊視は、シュールレアリズム絵画の着想にすぐに横滑可能なものであると思われます。

いずれにしても、宇宙の叡智に近づく、精神(魂)の一段階なのでしょう。
目に見えない自然光がプリズムを通して、7色の可視光線に別れるように、芸術は、様々な表現の主義・様式を通して、見えない真実の一部をそれぞれ可視として表そうとする試みでしょう。


*とうまくまとめ込みましたが、最初から何か見えない完璧な真実がある(それを表現する)と考えると、観念的になり、実際何もできなくなります。(注意みなさん)

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