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2023年06月の記事 (1/1)

霊性と科学の統合ー意識の進化



 霊性と科学の統合ー意識の進化


何の因果か、昔、宗教と科学を統一するという触れ込みの統一原理、統一思想、旧統一教会に深く関わってしまった流れから(と言えるかな?)、興味深い本があったので、内容をほんの一部簡単に引用します。

1つの見方ですが、霊性と科学という課題において基点となるような、(私にとっては)腑に落ちる内容でした。
画家・言霊研究家と物理学者の対談形式で、読みやすいです。
ピンとこない方もいると思いますが、
忘備録として記事にしておきます。



https://www.amazon.co.jp/9次元からの招待状-言霊と科学であなたの世界が変わる-はせくら-みゆき-ebook/dp/B0B33TL2DB/ref=tmm_kin_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=



『9次元からの招待状 言霊と科学であなたの世界が変わる』
はせくら みゆき (著), 周藤 丞治 (著)
から抜粋 


周藤(物理学者):多くの皆さんは「自分は物質界にいる」と思っているかもしれないけれど、実は物質界はすでに超えていて、幽界すなわち 5次元の世界にいるんだよ、ということをお話ししていきたいと思います。

ただ、昭和時代までは、多くの人の意識がほぼ全て物質的なことに向かっていたようです。そういう意味では、昭和時代には人類は物質界、すなわち 3次元世界に生きていたと言えると思います。

昭和時代は良い学校、良い家、良い車、良いブランド品、そういったものがステータスだったと聞くと、物質の価値観がとても強い影響力を持つ時代だったのだなあと……。

昭和時代から平成時代になって、インターネットや携帯電話がどんどん普及し、いわゆる情報化時代が始まりました。
そのことによって、多くの人たちの意識の向かう先が少しずつ変わってきたと思います。必ずしも物質を伴わなくても、情報さえあればそこに価値があるし、やりたいこともできるよね、というふうに認識が変わってきたのです。  

たとえば音楽を楽しむとき、平成の最初のころは CDを買って聴いていましたよね。 CDという物質が存在することで、全ての活動が成り立っていました。それがやがてインターネットにつないつないでダウンロードすれば OKとなって、今ではダウンロードしなくてもストリーミング(同時再生)すれば OKとなっています。

インターネットが一般的に使われるようになった時期が、平成の始まりと被るのです。
平成は 1989年から始まりましたが、もともと軍事向けだったインターネットが一般の研究機関などでも使われ始めたのが 1990年あたりなのですね。

その結果、見えるもの(物質)がないと動けないという状況から、見えないもの(情報)を加工して動かすだけで、やりたい活動ができるという時代になってきました。見えないものを現実に存在するものとして認識できるようになったわけです。

みゆき(画家、言霊研究家):もともと実在していた見えないものを、きちんと認識できるようになったということですね。これは私たちの意識における、緩やかだけれど確実なパラダイムシフトだと思います。

周藤:そうなのです。それなのに、多くの人は「便利になったね」くらいにしか捉えていないのですね。
実はこれは人類にとって非常に大きなパラダイムシフトであり、僕たちの認識はすでに物質界を超えて幽界まで到達しているということを、ぜひ理解してもらいたいと思います。
 

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09 韓国 日本人妻のブルース



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「出演するって言ってるの。一番良さそうな番組を選んで、OKを出してちょうだい。少し準備があるから、10日目以降にスケジュールを組むように。それから、いつもの教授たちを呼んでちょうだい、今すぐに」
「は、はいっ」 (前回より)


ツルコ総裁が高熱を出して寝込んでいる間、サヨたちお付きの者は、夜中もぶっ通しで看病し、ハードなスケジュールをこなしていた。

だが今や、回復した総裁は、どこかで教授信者たちと会い、居室を留守にすることが多くなっている。

サヨはやっと少しのんびりする時間の余裕ができたので、久しぶりに姉に電話してみようと思った。
姉の加代子は数年前に教会の合同結婚式で韓国人と結婚し、ソウルの郊外に住んでいる。

「もしもし、お姉ちゃん」
「あ、サヨちゃん? ずいぶん久しぶり…元気してた?」
電話に出た加代子の声が心なし元気がないのが気になったが、挨拶を交わすうちに、元の頼りがいのあるしっかりした姉の口調に戻っていったようで、サヨは安心してしゃべりはじめた。

天聖宮殿の屋根裏を這ったことこそ言わなかったものの、最近ツルコお母様と近しく接する機会があったこと、お母様のご病気の看病などの話をした。

「そう、大変だったのね。でも快癒されたようで何よりだわ。サヨちゃんたちの心遣いのおかげね。話を聞いていると、なんだか懐かしいわ。あの職員たちの控室、よくみんなでおしゃべりしたっけ。あの頃が一番よかった…」

「うん、お姉ちゃんは、あそこの皆んなに一目置かれていたものね。知ってる? お母様は私のこと、カヨって呼んだのよ」
「やだ、うっそ〜」
「ホントだってば。私も最初は、サヨですと言って訂正したけど、お忘れになられたみたいで。私ももうどっちでもいいやって…」
2人の姉妹は声を揃えて笑った。

「あぁ、でも、韓国の先生方って、意外にいい加減で、ズルいこの世の人みたい。私、なんだかガッカリしたわ」



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