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2022年10月の記事 (1/1)

韓鶴子も血分けを認めた:統一教会の性儀式


 
 韓鶴子も文氏の血分けの事実を認めた
   ーー統一教会の性儀式




韓国の清心大学院神学研究科の金振春(キム・ジンチュン)教授が、2022年4月19日、「独生女の本質」と題した講義を行った。

その際の一幕、韓鶴子総裁の真意を代弁する「アボニムの尻尾を取り除くこと」の内容が、しばらく前にブログ村で話題になっていた。

金振春教授の話(抜粋):

お母様の観点からすると、再臨メシヤの使命を継承したお父様の立場は原理どおりに行くべきでしたが、実に残念なことがありました。それゆえ、お父様は、1960年の聖婚の時にそのような尻尾をつけている立場で新婦を決定する立場ではありませんでした。


(お父様は)婚姻、つまり小羊の婚宴の前には結婚をしてはならず、復帰摂理 をしてもならない。この内容については私が先ほどお話ししましたが、お母様はまたそのようなみ言葉も強調されました。


真の父母に尻尾(悪い過去)があるというのは本当に残念なことです。真の父母に尻尾がついて回るのはとても残念なことです。この尻尾というのは主にお父様に関連した尻尾で、世間の人々から多くの注目を集めている内容です。



韓鶴子氏の指示を受けて講義する金教授が、そうそう嘘やデタラメは言わないとして、これらは「お母様(韓鶴子)」から来た内容のはずです。

ここでの復帰摂理 とは、ピカルム/血分け/性儀式のことを指しているのは間違いないでしょう。(当時はピカルム性儀式を“復帰"と呼んでいた。「6マリアの悲劇」より)

文氏の1960年の聖婚以前の結婚も、ピカルムの性儀式も、すべて間違いだったと金氏(韓氏)は語ります。
これらの恥ずべき出来事を文氏の「尻尾」と表し、「異端の尻尾」「良くない尻尾」「サタンが讒訴する尻尾」とも呼んでいます。

もし仮に、この尻尾が単なる世間の悪い噂のことであり、事実無根の風評であったならば、このような言いようにはならないでしょう。

「サタンたちが霊界で沢山讒訴するこれらの内容」
「何度も霊界で多くの讒訴があるので、お父様も物凄く大変だということです」
正にこの聖婚前の内容もサタンの讒訴条件であり、聖婚後にあった様々な内容が全てサタンの讒訴条件となっており、」


全文書き起こしはココで↓
「お父様を解放してさしあげましょう」の真意を代弁した金振春氏 http://homechurch.blog.fc2.com/blog-entry-1068.html

または動画でご覧ください。(日本語字幕あり)



つまり、50年以上夫婦だった韓鶴子夫人が、夫・文鮮明には聖婚以前にも以後にも「血分け」行為があったことを認めているのです。
7男の文亨進氏も父の「6マリア」摂理があったことを2011年と2015年に認めましたが、それに対する見解は違えども、今回のリークで韓鶴子夫人もその事実を認めているということがはっきりしました。

文教祖のやり方が間違っていた!という主張が印象深く、血分けの存在の事実が陰に隠れて見えにくくなっていますが、統一教会の救いの理解に関わる重要な問題です。
鶴子夫人が当たり前のように自然に、血分けの事実を認めたと解釈してよかですか。

え、ウソ、ほんと?
統一教会にピカルム血分けが本当にあったの、
元信者の偽証だと思っていた…なんてね。

もちろん、韓鶴子ほどではないにしても、これまでに信頼に足ると思われる多くの方々の証言がありました。

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遂に反撃!統一教会の訪問者、元信者の気持ち。最終回

http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-333.html の続き


遂に反撃!
統一教会の訪問者、元信者の気持ち。
最終回




「どうですか、最近は。御言葉など何か勉強されてますか?」
私は「してませんよ」とだけ答えた。
するとA氏は懲りずに「自叙伝が出たのを知ってますか?」
と聞いてきた。(前回より)



私は前年出たばかりの韓鶴子の自叙伝ことだと思って答えた。しかしどうも話が合わない。
「へぇ、よく知ってますね…」という暖簾に腕押しの定型返答が返ってくるだけ。
そのうち「実は…お父様の自叙伝もあるんです。知ってますか? 今度持って来ますよ。読んでみませんか?」
と言い出した。

「えっ そんな昔の。知ってますよ、それなら家にも1、2冊あるし、ネットでも見れるし。結構ですよ」
(私を誰だと思ってるんだ。龍明小説だぞw)とは思わなかったが、なんと言ったらいいか戸惑った。
その時私は「韓鶴子自叙伝は持っていませんが…」と要らぬことを口走ったかもしれない。

「そのうちお持ちしますよ。ま、お留守だったら、あそこの郵便受けに入れておきますから」
と、A氏は件の夫婦のフルネームが書いてある大きな郵便箱のある道路の方を指差した。
少なくともあそこだけは押さえたぞ、とでも言うかのように。
「いらないですよ」
「それでは、また」


1、2週間後、用事で出かけて夕方帰ってきたら、郵便受けに切手が貼ってない分厚い封筒が入っていた。
開けてみると、文鮮明自叙伝と韓鶴子自叙伝だ。
その時の反応は、こちらの意向を完全に無視された内心のショックを押し隠す(あ〜ぁ、遂に来ちゃったか、しょうがないなあ)と、ことさら平静を装った謂わば強がったもの。
まあ韓鶴子自叙伝は何かの参考になるかもしれないからという思いをクッションにした。(鶴子小説紡ぎます?)

少しパラパラとめくってみたが、間が抜けたふやけたような文章。どこかで見たり聞いたりしたことのある内容ばかりのような気がして、やっぱり結局読まなかった。封筒ごと本棚の隅に放り込んで、そのまま忘れることになるはずだった。

それからまた1、2週間経った夜、特に何もしていない時。
ふいに、とても嫌な気分になった。心が重たい黒いかたまりに席巻され、底知れない不安が沸いてくる。一言で言えば、心が沈むイヤ〜な気分に襲われた。

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