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2022年04月の記事 (1/1)

クレオパス・クンディオナは新たな救世主か?2016


クレオパス・クンディオナは新たな救世主か?



中央:クレオパス・クンディオナ(ブラック・フンジン)1988年、文鮮明・韓鶴子夫妻とともに
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28年後。「やあ、君たち、久しぶりだね。元気してるかい?」
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ブラックフンジン・タイムラインは、大きく空白をあけて、まだ続いているようです。
かつてのフンジン/クンディオナさんは、その後ジンバブエで教育事業に従事、今では各地に学校群を所有し、地方政治にも進出、宗教活動も新たにスタートしたと、ジンバブエの新聞に出てました。

彼のUMAAという名の学園機関のサイトを見ると、最初の学校は1988年に創設された、とのことです。
88年とは………タイムラインによれば、アメリカから日本、韓国と、最後のコンフェッション修練会のツアーが終わったのが、1987年の12月。
1988年は文教祖からジンバブエに帰れコールがあった年です。

当時氏はまだ20代で、アフリカ諸国の中でも貧しい国で、よくそんな資金があったと不思議に思う。
統一教会や文教祖のたくさんの秘密を知ったので、教会から高額口止め料が流れたかも? と個人の想像ですが。

ともあれ、粗あれど、教会関係者の中では、珍しい成功者といえるでしょう。が…





https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/681006314025074688/is-cleopas-kundiona-the-new-messiah-the-umanian
クレオパス・クンディオナは新たな救世主か?
"今や、ウマアの王国 は現実となっています"
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https://www.newsday.co.zw/2016/03/umaa-boss-forms-church-now-minister/
ジンバブエの日刊新聞「ニュースデイ NewsDay」の記事
2016年3月29日付

UMAAのボスが教会を結成、現在は牧師に

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教育学者でUMAA カレッジ・グループのオーナーであるクレオパス・クンディオナは宗教指導者に転身し、彼の「ウマア・ミニストリー基金教会(UMAA Ministries Foundation Church)」は来週、マロンデラで正式に発足する予定だ。

〈ジャイロス・サウンヤマ記者〉

クンディオナ氏は最近NewsDayに、教会の運営と伝道活動を支援するために、すでに管理スタッフをリクルートしたと述べた。

「このミニストリーは1987年に誕生しましたが、大きくなるタイミングを待っていたのです。私たちは1つの教会というより、神のコミュニティであると言いたいのです」
と、ザヌPFマロンデラ中央議員に立候補することを表明しているクンディオナは語った。

「私たちは、まずマロンデラ地区のレベルで、礼拝基盤を確立してから、他の町や都市に広げる予定です。UMAAミニストリーは、永遠なる神の本然の願いの中の従順の伝統に根ざしています。このミニストリーは、人類が神に従順であるよう導くための実質的かつダイナミックな基盤なのです。今こそ人類は、神の御旨の中の従順と自らを接ぐべき時なのです。

「私たちは奇跡を演出する教会ではなく、迷える人々に神の言葉を広め、神に従うよう促す神の共同体です。神の言葉は癒しです。全般的に見て、ウマアの王国は今、現実のものとなっています。圧倒的な反響があり、人々は神への準備ができています」

ジンバブエのメソジスト教会の元メンバーであるクンディオナ氏は、現在、集会を指導する牧師も募集していると明かし、自分は「主席牧師」と呼ばれるのが好きだという。

彼は、教会の補助教材として「聖なる本(The Holy Book)」と題する本を著した。

英語、ショナ語、ンデベレ語で出版されたこの本は、世界に対する神の使者としてのクンディオナの自伝と、神に愛された国としてのジンバブエについての章が含まれているそうだ。

「この本は、公式オープニングの日に発売される予定です。聖書は私たちの主たる書物ですが、私が書いた本は、読者にとって十分な力があるものです。教会は、マロンデラのウマア・カレッジの敷地内で主要な礼拝を行う予定です」
と、クンディオナ氏は語った。
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[新聞記事翻訳ここまで]

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ブラック・フンジン タイムライン 歴史として



「黒フンジンの殴打と手錠」の続き



ブラック・フンジン タイムライン 歴史として

文教祖を含めた教会側が、シャーマニズム的な霊の乗り移り現象を使い、

極端な(いびつな)正義感を持ったアフリカの青年信者に権力を与え、

組織引き締めのために利用した。が、彼の暴力沙汰が世間に知られ、

手に負えなくなり、手のひら返し、突き放した状況が分かります。





https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/90848821743/black-heung-jin-timeline-by-graham-lester
1984年1月2日
文鮮明・韓鶴子夫妻の次男 興進(フンジン)17歳が、凍結した高速道路でジープを激突させる事故により死亡。

ニューヨーク・タイムズ :「ニューヨーク州 ポキプシー の病院のスポークスマンが、統一教会の創始者である文鮮明の13人の子供のうちの一人が今朝早く亡くなったと発表した。」


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文夫妻が棺の中の文興進に別れを告げる

1984年2月20日
霊界のフンジンと朴薫淑(パク・フンスク、当時21歳)の祝福結婚式。朴珍成・仁進(18)のカップルと同時に合同結婚式を挙げる。

ワシントン・ポスト: "文は朴フンスクという ワシントン・バレエ団のダンサーを最近亡くなった息子の霊と結婚させた。朴フンスクは、ワシントン・タイムズ社の社長である朴ポヒの娘である。

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1987年7月
クレオパス・クンディオナが、自分がフンジン・ニムであることを、ジンバブエ教会の現地指導者に知らせる。ジンバブエの日本人宣教師が文教祖側近の郭錠煥に知らせる。

1987年8月
郭錠煥がアフリカに渡り、クレオパスに会う。

1987年9月6日
郭は、フンジン・ニムがアフリカの兄弟に“24時間”受肉していることをベルヴェディアにて発表。

郭は『トゥデイズ・ワールド』の毎月の編集者のコラムの中で、この現象を説明し、世界中の会員に指導を与えた。郭牧師は、会員たちがフンジン・ニムに “生前、共有した経験”について質問しようとするのを戒めた。"地上での経験の些細な事柄の多くは霊界に行くと不要になり忘れ去られる "からである、と。


アフリカで、4回の コンフェッション(罪の告白式)始め、
ギリシャ
タイ
コロンビア
アルゼンチン
フランス
イギリス を巡回し、告白式が行われる。

11月18日~20日
NYワールドミッションセンターにて3日間のコンフェッション(罪の告白式)開催。

その時の様子。中央白衣クレオパス
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1987年11月21日
「子女の日」の式典の壇上に真の父母(文夫妻)とともにクレオパスが登場。
文教祖は「子女の日と祖国の統一」という説教の後、"この4日間で、フンジン・ニムによって強力で緊密な組織が形成された "と発表する。


UTSバリータウンにある統一神学校で告白式が行われる。

ワシントンD.C.教会で告白式が行われる。
- ダミアン・アンダーソンの証「ドアがロックされた!」(前回記事)

北カリフォルニア、サンフランシスコ郊外エトナ・スプリングスで告白式が行われる。


マイケル・ミクラー:

「これら(米国での3回の告白式)には、それぞれ約800人の会員が参加しました。
また、ニューヨークのバリータウンにある統一神学校で小規模のセッションを行い、さらにいくつかの個人セッションを行いました。
最も重要なことは、クレオパスが文師夫妻に会い、承認を得たように見えたことです。
ニューヨークでの告白式の冒頭、フンジン・ニムの兄、文孝進は涙ながらにこう語った。
「私は最初は疑っていましたが、今は弟だと分かっています。どうか彼をお迎えください」



1987年11月
幹部の朴ボヒがクレオパスから暴力を受け、重傷を負う。


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首領様側の見解@文氏の北訪問


 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
         の
   文鮮明訪問に対する見解




自叙伝や家庭連合(統一教会)で言われてきた事と全く違う、
文氏訪問に対する北朝鮮の見解が分かります。



『金日成主席 生涯の逸話2』 
   ーー朝鮮 平壌 チュチェ102(2013)より
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https://whatisonthemoon.tumblr.com/post/680255955789905920/the-dprks-north-korea-view-of-the-visit-from

1991年12月のある日、『労働新聞』はセンセーショナルな報道をした。

在米朝鮮人で世界平和連合会長の文鮮明氏が、故郷の平壌を訪ねて来たというのである。

文鮮明は平安北道定州郡に生まれ、祖国解放戦争中に南朝鮮に渡り、いわゆる統一教会を設立し、徹底した反共主義者として「有名」になった人物であるから、このニュースは国際社会にとって驚きであった。

しかし、それ以上に驚いたのは、彼の平壌訪問が認められたことである。
金日成主席の大らかさが生んだ劇的な出来事であった。

文氏の国家に対する罪はあまりにも大きかったが、金日成主席は人生の黄昏時に故郷を訪れるという文氏の決意を高く評価して訪朝を承認し、平壌への旅をより快適にするために特別機を送り、空港での高官たちの出迎えを手配されたのであった。

金日成主席の温かい配慮のもとで過ごした数日間の故郷訪問で、文氏は遅ればせながら祖国統一のために愛国的な努力をすることが真の人生の価値であることを骨の髄まで痛感したのであった。
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黒フンジンの殴打と手錠


「黒フンジン事件によるメンバーの窮状」のつづき


黒フンジンの殴打と手錠



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▲ 1987年11月、ニューヨークで活動するブラック・フンジン/クレオファス・クンディオナ(前方中央、白衣)この頃、朴ポヒは彼に重傷を負わされ、死にかけた。



日本教会の拉致監禁問題にも尽力したというアメリカ家庭連合幹部ダン・フェファーマンによる文書抜粋翻訳です。
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/90801052593/black-heung-jin-the-victory-of-all-you-need-is
Black Heung Jin – The Victory of (All You Need Is) Love
by Dan Fefferman

ブラック・フンジン ー『愛の勝利』 by ダン・フェファーマン

フンジン、いや、フンジンの名を借りた「アフリカの兄弟」が行ったいくつかの教えと実践を無視してはいけないと私は思います。その最たるものが、暴力と脅迫を多用したことです。

アフリカの「フンジン」による暴力の行使は、カトリック教会における懺悔と悔恨の行為に相当するとして、一部の教会指導者によって擁護されました。この正当化は、もし私たちが与えられたのが平手打ちと断食と祈祷条件だったのであれば、有効かもしれません、ほとんどの場合はその程度だったのですが。

しかし、他のケースでは、例外的なケースだけでなく、このアフリカのフンジンが説教したほぼすべての場所で、深刻な暴力行為が実行されました。

ワシントンD.C.では、教会のドアがロックされ、人々が出られないようにされました。
会員たちは男女を問わず、手錠をかけられ暖房ラジエーターに繋がれました。何人かは、平手打ちだけでなく、強く殴られました。

バリータウンでは、一人のメンバーの鼻が折れ、もう一人は肋骨が折れて病院に送られました。
ニューヨークでは、あるメンバーがひどく殴られ、頭と体にひどい傷を負って1週間入院し、その後手術が必要になりました。

日本では、さらに数人のメンバーが病院送りになりました。
また、"フンジン "はピストルで武装して歩き、自分と団結しない者には死を含む厳しい罰を与える(=彼にではなく神によって処刑されることになる)と脅迫しました。

私は、暴力の行使が最近でも教会の指導者によって容認されていることを実感しています。

例えば、文師の息子顕進は次のように述べています。
『フンジン・ニムが黒人の兄弟の体に入ったとき、あなた方は "あれはフンジン・ニムであるはずがない "と思ったでしょう。そして、彼に殴られて怒った人もいたでしょう...。私がフン・ジン・ニムに殴られたら、"素晴らしい "と言うでしょう。体の痛みは消えていきます。しかし、人生での失敗は永遠に残るかもしれません』
(Hyun Jin Moon, "True Parents' Tradition," published transcript from unofficial notes given in Washington, D.C., May, 17, 1992.).
・・・
もし、制度化された暴力の原理が、たとえ真の愛の名においてであっても、反対されずに放置される事実があるなら、私たちは未来の世代に非常に危険な前例を残すことになります。
・・・
 



先回のリチャード・バーロウによる記事の続きです。脱会後の記者会見について。

1992年7月31日にクレオパス・クンディオナが日本で行った記者会見の映像は、以前から2本公開されています。
http://vimeo.com/39941021 クレオパスA
http://vimeo.com/39949809 クレオパスB


▲神吉氏、クレオパス・クンディオナ氏、和賀牧師
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黒フンジン事件によるメンバーの窮状


ブラック・フンジンが
ジンバブエに送り返された後の
UCメンバーの窮状について



自動車事故で亡くなった文教祖の次男、フンジンの霊が24時間乗り移っているとの触れ込みのジンバブエ出身の青年クレオパス・クンディオナ、別名ブラック・フンジン・ニム。
その顛末は、内部では、コマ切れの噂話として聞こえてきただけで、よくは知りませんでした。

草創期二世 Richard Barlow(リチャード・バーロウ)による記事です。
あのびっくりの文鮮明と6マリアとの6P儀式のことを書いてくれた人です。

     ↓↓
「ショックです 閲覧注意 神の日の制定」


クレオパス(/ブラック・フンジンニム)中央
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1988年、文鮮明・韓鶴子夫妻とともに


翻訳ここから


ブラック・フンジンがジンバブエに送り返された後のUCメンバーの窮状について

by リチャード・バーロウ、2011年8月

https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/680551710440194048/the-plight-of-uc-members-in-zimbabwe-after-black

クレオパスを伝道したウェンディ・ストーベル(旧姓:ヒル)に話を聞きました。彼女は、「最初の4年間、彼は模範的な教会員だった」と言いました。

郭錠煥牧師が(隠蔽したために)責任を問われなかったことが一つあるとすれば、クレオパス・クンディオナ(/ブラックフンジン)がジンバブエに送り返された後、現地の統一教会メンバーたちが陥った深刻な苦境に関してです。

朴普煕(パク・ポヒ)への残忍な殴打(この事件はワシントン・ポストにリークされたため、アメリカのメンバーはさらなる虐待から免れた)の余波で、アメリカを離れなければならなかった彼が、最後に拠点としていたヨーロッパを去る際に、いくつかの混乱と困惑がありました。

「ミスタージンバブエ」(クレオパス)はヨーロッパの会員に、真のお父様はあるレベルで失敗されたので、約束の地に入ることができないだろうと説明していました。

この内容は郭牧師にとって大きな問題となり、真のお父様がフンジン・ニムに霊界に戻るよう指示されたと発表することになりました。
もちろんこれは、クレオパスがクビになったことを意味します。彼はジンバブエに戻るしかありませんでした。

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