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2022年03月の記事 (1/1)

龍明小説(最終回)/20-10


龍明小説 紡ぎます(最終回)
最終から最初に封印か?!
ありがとうございました。




  霊ノ龍明小説 20-10


このように、統一教会/文鮮明は宗教を語るが、「性」と「権力」に頽(くずお)れた朝鮮の霊的集団の流れから発し、その系列の中でも極端だったことで有名だ。
性儀式の実践のピークは初期の頃だったろうが、その精神は教団内でずっとくすぶり続けた。

クイズ:
六マリアや妾の摂理をはじめ、性の儀式を極端に推し進めた文鮮明教祖が亡くなって、霊ノ龍明となり、霊界で女性を伝道し、性儀式をするとしたらその場所は、さてどこでしょうか?

「ハイッ 欲望地獄です」
「ピンポーン! 地獄の四丁目、欲望地獄、正解です」


クイズ:
文教祖は、KCIAやCIAと関係があり、韓国やアメリカの政権と癒着し、南米の親ナチ独裁政権の戦争に加担する等、政治権力を求め、自らの世界皇帝戴冠式などを何度も行いましたが、
霊界でそのエネルギーを爆発させるとしたら、どこに行ってやるでしょうか?

「ハイッ 残忍地獄です」
「ピンポーン! 地獄の五丁目、残忍地獄、正解です」


絶大な権力を持つ老獪な地獄の皇帝に、龍明は最初のうちは歓迎され、取り立てられたかに見えた。
彼はある程度の位置を与えられ、多くの手下を支配し、自分に服従しない者は残酷に扱った。
が、上には上がいる。彼がいくら狡猾で強くても地獄にはそれ以上に悪辣な存在がいて、利用するつもりが騙されて、地獄を仕切る権力に屈従せざるを得なくなった。

肉体を脱ぎありのままになった姿から、無数の悪や詐欺が次々と現れた。
そこは反乱につぐ反乱の世界だ。
龍明はある戦いでついに追いやられ、第5境の断崖絶壁から落ちた。

多くの人の人生を狂わせた報いなのか、はたまた宗教を金儲けに利用したゆえの天罰か。
自らの塵垢を落とすために相応しい処へと行ったといおうか…

私のような善人()は、そんな地獄の奥の方を詳しく見るのが許されていないので、これらは地獄の元獄卒から聞いたことなのだが。

その元獄卒は、数年前まで地獄の6丁目で長らく釜茹でや切り刻みの刑などをやっていたという。
ちなみに、地獄の拷問は、今はカルマを見抜くAIの管理に移行が進み、釜茹でも切り刻みも針の山も多くはアトラクション形式で行われるという。
彼ら獄卒は、古来からいわゆる地獄の鬼と呼ばれてきた存在だが、罪を重ねた者を浄化・更生させるために、地獄で働いているのであって、あくまでも奉仕、そこに邪悪な意志はないという。


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集団遺伝学より②除外される堕落論



 
 集団遺伝学より②

   除外される統一原理の堕落論と原罪論


「アダムとエバは存在しない:集団遺伝学より」の続きで、
集団遺伝学より②除外される堕落論専門家による記事「アダムとイブについて遺伝学が語るもの 」What Genetics Says About Adam and Eve
の翻訳の後半です。

難解な超長文になりますが、まずせめて私が青色文字にした部分(比較的わかりやすい、まとめ部分)だけでも読んでいただけたらと思います。 
末尾に、暗在感想。k




翻訳ここから


https://biologos.org/articles/what-genetics-say-about-adam-and-eve

頻度の頻度
The frequency of frequencies

変異を集団における頻度によって分類することは、アダムとイブに関する疑問に答えるための単なるトリックではなく、集団の歴史を探るために遺伝学者が用いる強力なツールなのです。このツールは、上で行ったように単に違いを数える以上に、その集団の歴史についてはるかに多くの情報を与えてくれます。

なぜなら、遺伝的変異はDNAの1コピーに生じた変化であり、全人口の何千、何百万(現在は何十億)ものうちの1コピーに生じた変化であるからです。
しかし、その頻度は一定ではなく、世代間で増えたり減ったりすることがあります。このようなことが起こるのは、その変異体を持っている人が、それを1人の子孫に伝えたならば、次の世代でも頻度は変わりませんが、2、3人以上の子孫に伝えたり、あるいは全く伝えないこともあるからです。

このように、たまたまその遺伝子を持っている人が多かったり少なかったりすることで、頻度は減ったり増えたりするのです。

長い間経つと、その変種は完全に消滅するか、あるいは引き継がれることになります。つまり、最終的に頻度は0%か100%になります。そうなると、ゲノム上のその部位は、もはや人々の間で差がなくなります。


この「遺伝子の漂流」のプロセスはゆっくりと起こります。どのくらいゆっくりかは、集団の大きさに依存します。
例えば、生存している個体が50人しかいない場合、そのうちの1人に新しい突然変異が起こると、頻度1%の変異型が生まれます。なぜなら、それは集団内の100のゲノムのうち1つに存在するので(50人×2ゲノムコピー/個)。
それが例えば3人の子供に受け継がれると、その頻度はたちまち3%に跳ね上がります。

一方、人口が50万人の場合なら、その変異体は100万人に1人の割合(頻度0.0001%)で存在し、1%になるまでに非常に多くの世代を要することになります。その結果、高い頻度で存在する変異体は、集団が大きければ古いもの、典型的には非常に古いものになります。

さらに、新しい変異体のほんの一部が、失われることなく高い頻度で漂うので、通常は一般的な変異体よりも希少な変異体の方が多く存在することになります。
集団の歴史が異なれば、どれくらいの数の希少な変種が存在すべきか、またその分布全体がどのようになるべきかを予測することができます。
例えば、これは人類が何百万年もの間、16,000人という一定規模の人口を維持してきた場合、どのような分布になるべきかをシミュレーションしたものです。

頻度分布、一定サイズの人口
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見ての通り、高頻度よりも低頻度の変種がはるかに多いと予想されます。(気になる人のために説明すると、予想される関数形式は 、fは各サイトにおける低頻度の塩基の頻度である)。


したがって、私たちがしなければならないことは、多数の人々のすべての遺伝子変異を集計し、それぞれの変異がどの程度一般的であるかを確認することです。これもまた、一般に公開されている数千のゲノムと、その中から発見された数百万の変異部位を用いて行うことができます。例えば、6番染色体の87,144,623位を見ると、そこに遺伝子変異があることが分かります。
その部位では、ゲノムの6%がCを塩基に持ち、94%がTを持つので、その変異体の頻度は6%であると言うことができます。これをゲノム上のすべての変異体について行うと、頻度分布の全体像が見えてきます。アフリカのゲノムの頻度分布(1000Genomesのデータを使用)を、上に示したシミュレーション曲線と一緒にプロットしてみました。
アフリカの遺伝的変異データ
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両者の曲線はほぼ同じで、頻度が高いほどよく一致しています。先ほど述べたように、これは古いタイプの変種についてはよく一致することを意味します。
しかし、あまり一般的でない変種については、シミュレーションよりも実際のゲノムの方がより多く見つかっています。母集団が大きいと変種も多くなることを考えると、ある時点で祖先の母集団が大きくなったと結論づけることができます。
集団遺伝学者に言わせれば、この分布は、長期的には約1万6千人で、最近になって規模が拡大した集団のものであるように見えるのです。


この結論は、私たち人類の最近の歴史について知っている他のすべてのことと一致します:
つまりほとんどのアフリカの集団は、世界中のほとんどの集団と同様に、農業の発達のおかげで、ここ1万年ほどの間にその規模を大きく拡大したのです。


しかし、アフリカ人以外の祖先を持つ人々を見ると、全く違った光景が見えてくることは注目に値します。
例えば、ここではヨーロッパの様々な集団から集めたデータを加えてみました。

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繰り返しになりますが、最も一般的な(=最も古い)変種については2つの曲線は同じですが、より稀な変種について見ると、ヨーロッパ人は一定規模の集団から予想されるよりも少ないのです。先ほどの論理でいくと、ヨーロッパの人口がある時点で実際に小さくなったということになります。それは本当でしょうか?

実は、これは非常に理にかなっています。現在のところ、現生人類は20〜30万年前に初めてアフリカに出現し、それ以来ずっとそこに住み続けているというのが我々の理解です。
そして、比較的最近になって、おそらく6、7万年前から、そのごく一部がアフリカから世界の他の地域に移動し始めたのです。この小さな移住集団は、遺伝学の用語で言うところの「ボトルネック」と呼ばれ、ここに見られる頻度分布にその痕跡を残しています。

もちろん、集団遺伝学者はこのようなプロットをただ眺めているだけでなく、分布を詳しく調べ、数学的な解析を行います。しかし、彼らの大まかな結論は、ここで述べたものと同じです。
多くのローカルな人類集団は、その歴史のある時点でボトルネックを経験しているが、集団全体として、特にサハラ以南のアフリカの多くの集団は、少なくとも数十万年前から数千人規模の集団であったようです。

このデータを素直に解釈すると、私たちの祖先は、私たちが見ることができうる限り遡っても、数千の集団の一部であったということになります。
つまり、最初の質問に対する答えは「ノー」です。遺伝子のデータは、私たちの祖先の集団が一組の夫婦から構成されていたという証拠を示していないのです。

しかし、まだ疑問が残ります。このデータは、本当に一組の祖先を除外しているのでしょうか?
そして、この質問には、元のペアの遺伝的多様性を任意に許容した上で答えなければならないことを忘れてはなりません。

残念ながら、これは科学文献が直接的に教えてくれる問題ではありません。科学者はアダムとイブについて考えることに多くの時間を費やしておらず、アダムとイブが遺伝子データと適合しているかどうかを考えていないのです。ですから私たちは、非公式な努力と一般的な集団遺伝学の原則に頼らざるを得ないのです。
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アダムとエバは存在しない:集団遺伝学より



アダムとエバは存在しない:集団遺伝学より



ある英文記事からリンクで、遺伝学者が書いた「アダムとイブについて遺伝学が語るもの 」という、集団遺伝学の知見から人類の共通先祖である一対の男女の存在を探る記事を読んだので、翻訳紹介します。

結論から言うと、複数の手法で計算して、少なくてもここ50万年以内には存在しないということです。

ホモサピエンスをどこまで辿っても、大勢の集団から発生していて、途中でネアンデルタール人とも交配している。ということは、一対の共通先祖がいるとしたら、それ以前に遡る。

50万年以上前というと、ホモサピエンスやネアンデルタール人が出現するより明らかに以前で、北京原人やジャワ原人などホモ・エレクトスやピテカントロプスの時代ということになるでしょう。


キリスト教的には、アダムとイブの存在や堕落・原罪について様々な解釈があり(大勢いたうちの1組、象徴としての1組、など)、この科学的知見とは正面衝突しない選択肢や落とし所がいくつもあるようですが、
統一原理(堕落論)にとっては致命的でしょう。

歴史的人物であるアダムとエバの不義なる性行為から2人の具体的な血統を通して我々全人類に原罪が伝わっているとの解釈はフェイクとなるでしょう。

彼らがたとえば、1万年ほど前の、神に特別に選ばれた1組のカップルだったというのであれば、当時他にも人は大勢いたので、千歩譲ってそういう堕落があったと仮定しても、人類の一部にしかその原罪は伝わっていないということになります。

では、もし彼らが、遺伝学的計算が届かない50万年以上前の最初の1組の直立原人だったとしたら?
“戒め”を語る言語それ自体がなかったのです。ゆえに失楽園的な堕落もありえないでしょう。

ですから、文教祖の逆不倫の性の儀式の蕩減復帰などもフェイクに基づくものであり、祝福結婚儀式を通さないと救われないなんてこともないのです。

自分は自分であればいい。救われるために、何とかに屈服しなくてはならないなんてことはありません。


きっかけとなった紹介記事:

https://whatisonthemoon.tumblr.com/post/678342003448250368/adam-and-eve-did-not-exist

アダムとエバは存在しなかった。

そして、堕落も原罪もなかったのです。
韓鶴子は無意味なことを言って人々を欺くのをやめるべきです。
しかしもちろん、彼女の動機は、自分が新しいメシアであり、原罪を取り除いてくれると信じる騙されやすい人々からお金を奪うことです。

今日の人類の遺伝的変異は、私たちの祖先がアダムとイブという一組の夫婦にのみ由来することを肯定する証拠を何一つ提供していません。
事実、遺伝子のデータからは、そのような一対のカップルの存在の可能性は除外されています。

私たちホモ・サピエンスの多くは、遡ると祖先の一部(2〜4%)で、40万年から4万5千年前にヨーロッパの大部分とアジアの一部に住んでいたネアンデルタール人と混血しています。

また、私たちの多くは、同じ時代にアジアに住んでいたデニソワ人のDNAを受け継いでいます。さらに、アフリカでも同様の「旧人」との交配が行われたことを示す証拠があります。

これらの古代の集団は、現代人に発展した主な集団から分離しました。この年代の推定は、30万年から80万年と幅があり、最近の推定では50万年以上とされています。

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https://biologos.org/articles/what-genetics-say-about-adam-and-eve


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統一教会を見極める。地獄クイズ/20-9


「カルマの苦しみ 地獄篇/20-8」からの続き



  統一教会を見極める。
    天国クイズ、あ、違った、
      地獄クイズ 底の方クイズ



    霊ノ龍明小説20-9



1920〜30年代に活躍したメソジスト派復興師の李龍道牧師は、「血分け教の開祖」と位置付けられたりするが、主イエスとの「精神的な交わり」を熱く説いただけであり、血分けとは関係がなかったようだ。
彼は当時の朝鮮の無学な民衆に説明するために、しばしばその一体感を結婚に例えて表現した。

それを不誠実に、捻くれた形で使ったのが新イエス教会の面々や周辺の霊的グループだった。
(李龍道は、新イエス教会設立時に請われて名義を貸したが、当時すでに結核による死の床にあり、数ヶ月後に亡くなっている。)


イエス教会の幹部で、混淫事件を起こし、“混淫派(血分け教)の先駆者”ともいわれる白南柱は、歴史を3期に区分し、当時の国家の動向に関連づけた。

その白南柱の弟子が金百文で、彼は新約時代の「洗礼」に代わる、成約時代の「体礼」という秘密の(血分け)儀式を定めていた。

また金百文は「歴史の同時性」を発案し、李承晩が立つ時期を前後して、“韓国が新しい神の国に選ばれた”と、時の政権に都合の良い内容の啓示を受けたと主張した。文鮮明はその金百文の弟子だった。

〜啓示を受け、時の政権から見返りを受けた金百文牧師
「啓示を狙う啓示泥棒。/龍明小説2-12」

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カルマの苦しみ 地獄篇/20-8

「地獄篇のはじまりー知らずに望んで地獄行き/20-7」からのつづき



   霊ノ龍明

    カルマの苦しみ

         地獄篇2




  霊ノ龍明小説 20-8


着いたそこは一大都市だったが、見渡す限り工場と倉庫ばかりの陰鬱な街だった。

工場の合間合間には、職工たちが大勢たむろしていた。
彼らはどこからともなく次から次へと湧き出て来るような具合で、働き手には事欠かない、工場をやろうという龍明にはうってつけの町のようだった。

銃の特許を持っている自信と強い意志で、工場はすぐに軌道に乗った。
各種部品から機関銃、それからバルカン砲や装甲車まで手を広げた。

総合武器製造の、泣く子も黙る「統一重工業」だ。
どんどん造って、どんどん売りさばいた……はずだった。

ある時、幹部が大慌てでやって来た。
「大変です、出荷したはずの商品が全部戻っています」
「なんだと、返品か? 取引先は何と言ってる?」
「いえ、先方は何も。いきなり、売ったはずの商品が戻って来たというか、ニョキッと出現したのですよ。倉庫にも入り切らず、工場の庭にも山盛り一杯でもう…」

その時、経理担当者が駆け込んできた。
「大変です、集金したはずの代金が消えています」
「なんだと、盗難か? 先方は何と?」
「先方は購入した製品が消えたと騒いでいますが、代金のことはあちらではどうしようもないと…」
「どういうことだ?」
「ですからあちらさんが言うことには、『統一重工業さんは特許保持の最新式の新設工場なので、ちゃんと取引が出来るかと淡い期待をしたが、やはりダメだ、この国の工場はどこもそうなんだ』そうです。『どうしようもない』と…」
「はぁ?!」
龍明は信じられなかった。

だが、大理石の壺や多宝塔を製造する石材工場の方も、同じ状況になっていた。

「と、とにかくすぐに稼働をストップさせろ。それからもっと倉庫を増やすのだ」

ところが、この国には不思議な力が働いていて、どの工場も製造を中止することができない。
ブツブツ文句を言いながらも、どうしたって働き抜かなければならないようにできている。
いくら売っても、商品はまた戻ってくる。
じゃまだからといって、煮ても焼いてもその製品はまた出現する。
だからひっきりなしに倉庫を建てている。
この町がやけに埃っぽく、倉庫ばかりが立ち並んでいるのはそのためだ。


物に依存し、製造物に囚われ、お金に振り回される住人たちの欲心の表れだ。
ここは、彼らのその霊的な発散によって作られている地獄の第三境の巨大都市だった。
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“為に生きる” は間違っている!? “自分を役立てる” との違い



 “為に生きる” は間違っている!?

   “自分を役立てる” との違い

    「ずっとやりたかったことをやりなさい」




統一教会(家庭連合)で、キャッチフレーズのようによく言われる「為に生きる/ために生きよ」という言葉は偽善であり、間違っていると思います。空回りしかないです。
「為に生きる」は根底に上から目線があります。
人のためだと言って何かをして、結局は自分が上の立場になろうとしたり。
統一教会の場合は特にそうで、最初は人に尽くしても、結局は、教団や教義やその運動方針を飲み込ませる手段でしかなくなっています。
人の為と書いて「偽」となります。


福島大学教授の飯田史彦氏は臨死体験をし、その際、霊界で光の霊存在に何度も尋ねます。
「為に生きることが人生の目的ですよね?」
そしてその都度否定される興味深い場面があります。

『ツインソウル、死にゆく私が体験した奇跡』より

(112〜117ページから抜き書き。中略は“・・・”で表しました。
引用中、「私」とは飯田氏のこと、「光」とは眩い光を発する高級霊/指導霊/光の同志たちのことです)



私は、人間社会で「生きがい論」として発表してきた著書の中で、どうしても、うまく言葉で表現できなかったことについて、ひとつずつ、問いかけてみました。

私「人生とは、何なのですか?……つまり、人として人生を生きるというのは、どういうことなのでしょうか?」

光「物質世界のものに例えると、山を登ることに等しいでしょう」

私「それは、人間社会でも、すでに大昔から言われていることであって、ぜんぜん目新しい説明ではありませんよ」

光「私たちは、人間社会でいう太古の昔から、いつでも、同じ例えを用いて、同じメッセージを伝えてきました。したがって、あなたが求めていらっしゃるような、目新しい教えなど、なにもありません」
・・・
私「それでは、はるかな昔から説かれている教えのように、人は、ひたすら、世のため人のために、生きるべきなのでしょうか?」

光「いえ、そうではありません。教えは、時に、人間的な解釈を加えられ、誤解されてしまいます。人は、決して、世のため人のために生きるべきではありません」

私「えっ!?……では、誰のために?」

光「山は、ほかの誰かのために登るのではなく、自分のために登るのです」
・・・


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地獄篇のはじまりー知らずに望んで地獄行き/20-7


「集団訴訟が必要では? 実用的でない信者たち/20-6」からの続き


   地獄篇のはじまり
     ーー知らずに 望んで 地獄行き


  
さあ、行ってみよう。
文先生と みんなで行けば 怖くない(?)




   霊ノ龍明小説 20-7


〈先回より〉
ーー金を俺の懐中(ふところ)に入れたとか悪口を言っているようだが、金は万物の象徴であり、力の象徴なのだ。俺の主管下に集めるのは当然じゃないか。何が悪い!
//

ーー金を集めれば、人が集まる。人を集めれば、金が集まる。
人と金が集まれば、影響力が復帰できる。
神を中心に理屈を回せば、原理はどうにでもなる。
影響力を持って、出来合いでない天国を建設するのだ。

だが、ハタと気づくと、この国では、人がいくら集まっても、金は少しも集まってこない。もともとお金が流通していないのだ。

地表に近い低層とはいえ、曲がりなりにも、ここは霊界。
ご飯は、願えば目の前に出てくるし、基本、食べなくてもいつまでも生きていける状態なので、お金など必要ないのだった。

ーーだから俺の影響力も強まらないのか。
教団は、幹部たちが勝手に動き回り、平信徒たちは、その国の名前のごとく不安や不満を募らせているばかりだった。


実は、先だって龍明は、もっと質の良い人々を求めて、天界のほうに行こうとした。
ところが、天界の村の入口に近づくに連れ、人々の味わっている喜びを奪えないことがわかった。
つまり、どうやっても自分の信者にはできないと知ると、もう他人の持っているものが欲しくて渇望が増すばかり。
彼は苦しみ始め、天界ではなく地獄にいるように感じ、一目散に元いた場所に逃げ帰ってきたというわけだ。
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