fc2ブログ

2021年03月の記事 (1/1)

一人からの神秘哲学  



古い資料を探していたら、下書で目に付いたタイトルがありました。
「一人からの神秘哲学 」 忘れかけた13年前の拙詩作。

60年代からの統一教会は、権力や利権の方向に向き、
やたらと外側に広がって、規模が大きく複雑になり、
追っている方も精神的に疲れてしまったので、
魂の原点に帰り、落ち着く意味でも、
今回はこちらをアップしようと思います。

生命のエーテルやスピリットのシャワーを浴びてください。
ちょっと何言ってるかわからない。
 



   一人からの神秘哲学                                     

光のなかを 流れるように 自我が 生きている

自我が 流れるように わたしの中に 入ってくる

想像してみよう 五感にないことを

すると あなたも 光のなかにいる……


ずっと以前 人は 歳をとると 子を生み

魂は その子の身体に宿って 生き続けたという

月日がたって 古びてくると また子を生んで

体を乗り替え 乗り継ぎ 永い春を生きていた

魂が古い体を捨て去るときが 死

子の新しい体に入るときが 再生

死即再生 だから 死の概念もなかっただろう

しかしある時 人は気付くのだ

もう 子の体に宿れないことを

柔らかい手を頑なに 振り解くようにして 子は去った

なにかが変わってしまったのだ
[ 続きを読む » ]
関連記事
スポンサーサイト



おれのラケル 崔淳華と重婚!の摂理/7-7

「KCIAの介入で成功?全米が泣いた摂理/7-6」からの続きです



   おれのラケル
     崔淳華と重婚!
          の摂理



ーー武器事業と反共活動の羽振りはいいが、教団(宗教活動)は冴えない。
  文教祖は考え込んでしまった。




   龍明小説7-7



文龍明は、1960年に韓鶴子という17歳の娘と聖婚式を挙げ、そこから次々と子供が生まれてきた。
並行して男女の弟子たちを、3組、33組、72組、124組と次々組み合わせて合同挙式をしていき、教会の基盤とした。
世間では “統一教会の集団結婚式” として噂になり、奇異な目で見られた。
以前とは打って変わって、体裁を整え神の純潔家庭をアピールしたが、相変わらず教団の評判は悪く、人気はどうにもパッとしなかった。


一方、61年韓国軍事クーデター後、初代KCIA長官・金ジョンピル氏の覚えめでたく、統一協会は財団法人として国の認可が下り、国軍に卸すための銃器の製造、これも税制優遇措置を伴う国防契約が得られ、工場を本格稼働させることができた。

事業組織は、鋭和空気銃を発明した劉孝敏を名ばかりの組立課長という下っ端にしてこき使い、信者でもない文一族の血縁の親戚たちを幹部に据えた。空気銃の特許は文龍明の名義で取得し、事業としては羽振りがよかった。

新政府の政策を鑑みた文教祖は「反共をやらなければならない」と語り、医師信者の李相憲に反共理論の本を書くよう指示した。
そして各村や町内に「反共団」という名のグループを作り、徹底した反共の啓蒙活動を広めようとした。

アメリカでは、朴ポヒが文化自由財団を作りシャカリキになっているし、何人も失敗し長らく厳しかった日本宣教は、金ジョンピルを通じてようやく右翼の大物と繋がり、なんとか突破口が見えてきたところだ。


だが人々は、思うように彼を再臨のメシアとは認めてくれない。
(歴史の祈願である聖婚式を挙げれば、天が開け、世界は大騒ぎになり、私ら夫婦を人類の真の父母として奉って平伏してくると思ったんだが。
やっぱり母子家庭で貧乏人、無学な小娘との結婚じゃダメかいのう。あいつ、赤ん坊だけはぽこぽこ産みよるが、第一子が女だった時は失望したぞ。原理ではあり得ないことなんだが、)
といつものように責任転嫁した。
[ 続きを読む » ]
関連記事

UCとフレーザー当時のこと/汝の欠損を持ち堪えよ

龍明小説6&7 辺りのことに関する雑感です。




  
    UCとフレーザー当時のこと
          /汝の欠損を持ち堪えよ




韓国の反共と文化振興のためと銘打って、文鮮明と朴ボヒがワシントンで作った韓国文化自由財団、リトルエンジェルス、ラジオ自由アジアの摂理は、文教祖にとって大きな利益をもたらしたでしょう。
特に自由アジアラジオは、運営費用のための寄付を全米にダイレクトメールで大々的に募りつつ、韓国政府の送信機を無料で使用し、放送をKCIAの管理下に置いていたのだから、善意の寄付金の方は、坊主丸儲けの状態か。詐欺が野放しになっていたようです。

その頃 KCIA (大韓民国中央情報部) は、自国民に対しても監視、脅迫、誘拐、拷問をする恐ろしい組織と言われていたので、たとえ文教祖が楯突こうとしても難しかったでしょうが、68年にはKCIAに命名された“勝共”連合を設立。そして武器を製造する統一重工業等の認可を有利に得ました。
韓国政府と統一教会は、お互い疑心暗鬼ながら、支援を提供し便宜を図ってもらう関係だったようです。


統一教会の信者は宗教に帰依し善行をしているつもりでも、事あれば一兵士のごとく政治運動団体にも移動になり、またはそういう兵士を増やすための伝道や、政治/事業活動のための献金を増やす物売りなどに奔走することになる。
個々の精神や魂の成長を促すというより、信者の集まりの教会は、そういった“手下”や“手下の長”とするための牧場であり、草刈り場なのだ。



私は一度1975年に伝道されたが、その時は修練会参加と通教を半年位しただけで、教会には繋がらなかった。
そのままでいられればよかったのだが、今度は自分から原研に入ってしまったのが78年のこと。
その頃はちょうどフレーザー委員会がどうのと統一教会に対する批判が高まっていた時期で、キャンパスには「統一教会=勝共連合=KCIAの手先」などと書かれた立て看板が並び、左翼に「統一教会はKCIAが作った団体なんだよ!」と言われたりした。

今、フレーザー報告書(一部)に目を通すと、このように書かれています。
1963年2月のCIAの未評価報告書には、金ジョンピルがKCIA長官時代にUC(統一教会)を「組織化」し、UCを「政治的手段」として使っていたと書かれていた。が、
UCの広報担当者は、文氏はUCの前身であるHSA-UWCを、金ジョンピルが政権を取る前の1954年に始めていたので、それはあり得ないと主張した。

報告書で使われている「組織された」という言葉は、「設立された」と同義であり、金ジョンピルが文の運動を始めたかのように思われてしまう点で不正確である。
しかし、別のところで述べたように、UCはさまざまな形態や名称を持ち、常に組織変更が行われていた。
 
つまり、UCは金ジョンピルが始めたわけではないが、金によって組織変更がなされたとは言えるということでしょう。
UCを半共同体的な貧しい韓国のマイナー教団から、政治的に洗練された強力な国際組織に変貌させたと言えるでしょう。
最後まで堂々の “韓国のマイナー教団” であり続けた金百文のイスラエル修道院の動向と比べるとよくわかります。
教祖の欲望の違いとも言えるでしょう。
[ 続きを読む » ]
関連記事

KCIAの介入で成功?全米が泣いた摂理/7-6


前回記事、郷愁の「自由アジア・ラジオ」の摂理/7-5 の続きです。




   KCIAの介入でラジオ放送成功?
        米国が騙され泣いた摂理
           こうして騙されていく‥‥


文鮮明(龍明)教祖の67年の御言葉:  
ーーそれで中共に対して、アジア、東南アジア、共産圏に対して今放送やっておるよ。自由アジア放送局として今やっておるんだよ。
(末尾参照)





   龍明小説7-6



The target date for ROFA’s first broadcast was August 15, the anniversary of Korea’s liberation from Japan.

自由アジアラジオ(ROFA)の初放送は、8月15日の解放記念日を目標にしていた。
この日は韓国が日本から解放された記念の日であり、朴が何ヶ月も前から決めていたものだ。

しかしそれは不可能に見えた。
政府との交渉を3日間続け、8月15日を迎えたが、まだ承認は得られていない。

メイズは、ROFAの実現にはもっと時間がかかるだろうと思いながら、韓国独立記念日の大統領レセプションに出かけた。
驚いたことに、会場に着くと、広報大臣が「おめでとうございます!」と言って大きな握手を求めてきた。
「たった今、朴大統領が、自由アジアラジオの放送決定を伝えてきました。初放送は今夜11時です」

朴ポヒさんは本当によくやってくれるわいとメイズは独り言ちた。

その夜、最初の放送を聞いたとき、彼はとても満足した。
しかしアナウンサーが何を言っているのかは分からなかった。
また、KCIAの金ヒョンウク局長の介入によって朴が配信したことも知らなかった。


8月16日の朝になって、メイズは朴の綿密に計画したスケジュールから外れた行動をした。
アメリカ大使館に立ち寄り、ブラウン大使とスタッフに話を聞いたのだ。

大使らはROFAに関して、たくさんの疑問をぶつけてきた。
KCFF財団との関係、事前準備金の総額、韓国政府の承認が非常に早かった理由など。

メイズは詳細を説明することはできなかったが、アメリカ人からの十分な寄付金で運営されていること、国際議長である自分が全てプログラムの内容をコントロールしていることなどを大使館に伝えた。

そこでブラウン大使は本題に入った。
「実は、KCFFがソウルのROFAラジオの運用指揮官として採用した金キョンウプという人物、彼はKCIAの工作員だと情報が入っているのです」
「えっ」
メイズはびっくりして、すぐに退任させ後任を探すことを約束した。

ブラウン大使が朴ポヒに不信感を抱いており、KCFFのレターヘッドに名前を連ねた著名なアメリカ人たちが、何も知らずに巻き込まれていると感じているのは明らかだった。
[ 続きを読む » ]
関連記事

郷愁の「自由アジア・ラジオ」の摂理/7-5

外為法違反?戦争孤児ではないリトルエンジェルスからの続き


  郷愁の 「自由アジア・ラジオ」の摂理


知っている人は誰もいない?
今日明日の(信仰)生活に関係ないと言うなかれ。

名前だけは聞いたことがあるような ないような、
とおい銀河の星々ができた頃の出来事のようですが
そのごまかし方に見覚えがあるようで
そこはかとなく郷愁をさそう
自由アジアの反共ラジオ放送摂理
後に新聞社の摂理にもつながるようです




龍明小説7-5


The next project for KCFF was Radio of Free Asia (ROFA), launched in 1966.

アメリカに作った韓国文化自由財団(KCFF)の次のプロジェクトは、1966年にスタートした「自由アジアのラジオ」(ROFA)である。

それは”ラジオ・自由ヨーロッパ”をモデルにし、北朝鮮、中国、北ベトナムに向けて、韓国から反共産主義の番組を放送するというものだった。

しかし文鮮明教祖と朴ポヒは、それにひねりを加えて、特別な工夫をした。
韓国での放送設備費用のため募金を募る大量のメールをアメリカ人に送りつつ、一方でKCIAを通じて送信機やスタジオを無料で使えるように手配する。
そうすれば、集まったお金は、必要に応じて統一教会やその他の文教祖の活動に注ぎ込むことができる。

自由アジア・ラジオは、KCFF(韓国文化自由財団)のプロジェクトだったので、KCFFが持っているアメリカの著名人リストは、ラジオの宣伝に使うことができた。

それは、表の名目と裏の目論見が一体となったムーニーの多目的事業だった。
反共主義の推進、韓国政府に対する自分たちの価値向上、アメリカでの知名度向上、そして文教祖の金儲けにもなるのだから。

朴ポヒは興奮して、寄付候補者に、
「このプロジェクトは、過去30年間でアジア本土の共産主義者に対して行われた最も大胆な事業の1つです」
と説明した。


ラリー・メイズ(Larry Mays)は、朴が”邪魔にならない程度に役に立ってくれるだろう”と考えた人物だ。
1965年に朴が出会ったメイズは、ボルチモアで住宅ローンのブローカーをしていた。
彼は統一教会の教義には興味がなかったが、反共産主義への献身に共感して朴に引き付けられた。
2人は良い友人になった。

1966年6月にワシントン・ヒルトンで昼食をした時、メイズは、朴がヤン特別大使にこう提案したのを聞いて驚いた。
「メイズさんに自由アジア放送の初代国際議長になってもらってはどうでしょうか」

持ち上げられ、気を良くしたメイズは、すぐにそれを引き受けた。そ
の数週間後、朴はメイズをKCFF財団の理事に選出した。

朴ポヒは、メイズが温厚で柔和な人物であることを知った。
彼は熱心だが、お金がどこから来たのか、どこへ行ったのか、といったことは聞かなかった。
彼は善良な反共産主義者だった。

彼自身は何の力も持っていなかったが、中程度の影響力のある人脈をいくつか持っていた。
彼の存在で、自由アジア・ラジオの中枢は韓国人とアメリカ人が共同していると見せかけることができた。
ラリー・メイズがいれば、朴は楽に物事を進めることができる。

[ 続きを読む » ]
関連記事

三分裂異説



統一教会ロケットが真ん中から裂けて2つに割れ、左右に吹っ飛んで、落下したのだろう、見えなくなった。
自分はそれを中空から見ているような感覚だった。
一方はKCIAやCIA(世界を牛耳る軍産複合、DS)の道具として、片方は朝鮮の局地的な神霊集団のカケラとして。
取るに足らないものとして吹っ飛んで、あったと思ったものが無くなってしまった感覚。

    ***

日の当たる縁側で電位治療器のチェアに座り電流を浴びながら、神秘学の冊子を読んでいた時(たまたま紀元前のエッセネ派のことを扱っていた)。無意識に自分の内側の、分けみ魂の場所を探っていたような時、突然それは起こった、
などというと大袈裟だが、そういう状態の時、突然そんな気持ちになって、数日後の今でもそれは続いている。

    ***

2つのカケラに分裂したといっても、中間にその2つを繋いでいた文鮮明(龍明)という有機的存在があったことは確かだ。
カリスマが剥がされ、精彩を欠いた面白味のない姿になったとしても。

文龍明ならではのものがあるとしたら何だろう。

ピカルム(血分け)?
それは以前から他の神霊教団にもあったものだ。セックス・リレー式に救われていくという考えも、小規模な霊感マッチングのようなものもあった。少なくても、そういう説が関係者の名前入りで出版されている。実際その科で有罪投獄された人物もいる。

[ 続きを読む » ]
関連記事

外為法違反?リトルエンジェルス 孤児ではない/7-4

財団詐欺とリトル・エンジェルスからの続き



  朝鮮戦争孤児ではない、
    外為法違反の受け子にされた?
      リトルエンジェルス




  龍明小説7-4



60年代、米国で、清く正しく何も無く、開拓伝道やってたはずが、
初っ端から 超ド派手な 韓国文化自由財団(KCFF)・・・
(前回)


著名人の名前を連ねたKCFFを通して、アメリカ人に寄付を募ると、多くの寄付が集まった。
財団の初年次の晩餐会は、ワシントンD.C.ヒルトン・ホテルの国際大広間で開催された大変なイベントだった。
バーク提督、韓国大使、アメリカ国務次官補がスピーチをした。
朴ポヒは、この夜のエンターテイメントの司会を務めた。
ワシントンの著名なプロデューサー、パトリック・ヘイズ氏によるリトル・エンジェルズのプレミアム公演だ。

1965年の世界巡回旅行で、文鮮明がアメリカを訪問したとき、朴ポヒは楊大使を通じて、アイゼンハワー元大統領とゲティスバーグで会談するように手配した。恒例の写真撮影が行われた。リトル・エンジェルズの一団も連れてきて、プライベート・パフォーマンスでアイゼンハワーを魅了した。

文氏は、力の錯覚を本当の力に変えることに長けている。
あらゆる機会を利用して、影響力のある人物と一緒にいるところを見せつけ、写真に撮らせたりする。

このテクニックは、韓国政府の指導者たちに、自分たちがアメリカで最も重要な人たちの近くにいると思わせることで、韓国での彼らの力を高めるのに役立った。
同様に、アメリカでは韓国での実際の重要性を誇張して見せることで、アメリカの影響力への扉を開くことができた。
また、アイゼンハワー大統領との写真は、信者を勧誘する際にも有効に使われた。
[ 続きを読む » ]
関連記事

財団詐欺とリトルエンジェルス/7-3

朴サマは国際スパイ? アメリカ統一教会設立/7-2からの続き




入教したての頃、リトル・エンジェルス舞踊団のプロモーション映像を見せられた。
少女らの舞台、練習風景、自宅での様子、有名政治家たちとの写真など。

映ったどの人も、信仰を持った教会メンバーではなさそうな雰囲気で、
どんな関係があるのだろうと違和感があったのを覚えている。

UCと朴政権KCIAとの共同作戦があったのね。
真実を知って自由になろう。





   龍明小説7-3


  財団詐欺と
    リトル・エンジェルス




少女たちを文と韓国の親善大使にして、大統領、首相、国王を含む数百万人の心に歌と踊りを届けようというのだ。
文はこのアイデアを気に入り、1962年に「リトル・エンジェルズ」を設立した。(前回)


リトル・エンジェルズは、文教祖のフロント組織(偽装団体)の最初の1つになった。
その後何百と設立されていくこの種の団体には一貫したパターンがあって、文鮮明の名は創始者として載っていることもあるが、統一教会との関係は否定されている。

文教祖の存在は背景に留まり、朴ポヒのような信者が文の最終的な目的のために団体を切り回し、盛り上げる。

この手法は、文の宗教に無関心な人々を大量に引き寄せる。
文が関係していることを知っている人たちは、宗教とは別にその分野に興味を持っている人物として文氏を見ている。
文の宗教的な利益が各団体を網羅して貫いているという事実は、巧妙に隠されている。

しかし、「リトル・エンジェルズ」プロジェクトがまだ計画段階にあったときでさえ、朴ポヒは統一教会のバージニア州支部の非課税資格を申請する際に、その目的を明確に述べていた。
彼は国税局への申請書類の中でこう書いている。
「将来的には、より多くの人に統一原理を伝播し、世界キリスト教の統一を進めてゆく手段として、様々な都市で韓国舞踊団を後援することができるようになることが期待されています」
[ 続きを読む » ]
関連記事

朴サマは国際スパイ? アメリカ統一教会設立/7-2

聖婚式と軍事クーデター以後/7-1からの続き


      
   朴サマは国際スパイ?
       アメリカ統一教会設立(東部)




Gifts of Deceit:
キャプチャg1
を参考にしています



龍明小説7-2



ーー知り合う人は皆伝道対象者だ。
ーー自宅で社交の集まりは、原理学習のグループにならないものか‥(前回)

朴ポヒが1961年にワシントン大使館に赴任したことは、アメリカで宣教活動をする貴重な機会となった。
彼のアメリカでのムーニー活動は、非常に重要な意味を持っていた。

その頃朴は、民間航空のパイロットのロバート・ローランド夫妻と知り合い、教祖文鮮明との繋がりを一切口に出さず、根気よく彼らと交遊を深め、親しくなっていった。

ある時、ローランドが朴に聞いた。
「大使館付きの武官とは、どんなことをしてるんだい?」

「日常の外交業務に加えて、韓国とアメリカの情報機関の連絡を担当してるんだ。それでメリーランド州のフォートミードにある国家安全保障局なんかもよく訪問するよ」
朴は大使館の諜報員としての役割について率直に語った。

「チョ… 国家安全保障局って、あの‥超極秘だと言われてるNSAのことだろう?」
驚いた彼に、朴は満足げに微笑んで見せた。

ローランドは好奇心を抑えきれなかった。
「NSAっていう所は一体、何をしているんだい?」

朴はどんどんしゃべり出した。
「そうだな、無線通信を監視したり、秘密の暗号を解読したりだな、」

「ヒャッハー、まるでスパイ映画の世界だ」
ローランドは喜び、朴ポヒという人物に興味をそそられた。
[ 続きを読む » ]
関連記事