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2020年08月の記事 (1/1)

原理講論の作り方(蘇生期)/5-1

  

 龍明小説5-1


       ーー原 理 講 論 の 作 り 方
             (蘇 生 期)




朝鮮戦争の勃発によりフンナムの監獄を釈放されてから、朝鮮半島を南へ南へと避難して来た。
途中ソウルに、脚を骨折した朴正華を残し、51年1月、やっと南端の都市・釜山に、金ウォンピルと2人で辿り着いた。

ウォンピルは駅前近くの食堂に住み込みで働き、龍明は昔の知り合いの家を転々としたが、時には野宿せざるを得ない日もあった。


ーー平壌のあの頃は、40名近い信者が集うようになったが、今はこのザマだ。いくら戦争が起こったからといって、すぐ散り散りばらばらになってしまうようではダメなんだ。
少しくらい俺がいなくても会衆が保てるように、信仰の拠り所となる教義の本が必要だな。


龍明は書き始めた。
時に港湾労働をしながら、その後はボンネッコルで小屋を作りながら、礼拝で喋るように、鉛筆で紙に少しづつ書いていった。
小屋が出来上がってからはその狭い部屋の中で書いたが、ある時、ハタと行き詰まった。

ーーもっと、こう…… あるだろ、
大きいしっかりとした枠組みと内容が。
それがないと、俺には言いたいことがあるはずなんだが出てこない。
クソめ、あのノートがあったらよかったんだがなあ。


7年前、ソウル郊外のイスラエル修道院で銀白文師の講義を6カ月間受けた時のノートだ。
その手帳状のノートを、平壌教会当時、執事のような役割をしていた車相淳に預けていた。
48年の年が明けて警察の影がチラつき、身の回りが不穏な状態になった頃だ。

後に金ウォンピルを遣って車執事に確かめたところ、龍明が逮捕された時、車の家にも当局のガサ入れが入り、そのゴタゴタの際に、大切な手帳を失くしてしまったというのだ。

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美しすぎる夫人の大暴れと悲しい結末・写真で見る/番外編4-11


  美しすぎる夫人・
     その後の大暴れ
         と悲しい結末・
             写真で見る





文鮮明と崔先吉(サンキル)夫人の喧嘩
キャプチャs1


最初この写真を見た時は、出来過ぎている、こんなナイスショットが撮れるはずがないと思いました。
女性は熱演中の女優っぽいし、昔のハリウッド映画の朝鮮ロケの1シーンか何かだろうと。
野次馬はリアル感ありますが、朝鮮庶民のエキストラを使ったのだろう。
2枚目の写真など、家の内側から至近距離で撮っています。
本物だとすると、教祖夫妻の激しくも恥ずかしい大喧嘩を、至近距離で同じ高さの目線から、冷静にナイスタイミングでパチリと写す信者などいるはずがなかろうと。

でもいたのですね、その名は劉孝敏。劉孝元氏(『原理講論』執筆者)の従弟で(元)36家庭、天才カメラマン。
初期の頃の教会は、彼の撮った写真でブロマイドの制作・販売をし、経済的に潤うことができたということです。

しかしまあこの時の夫人は、姿態はスンナリほっそりで、色白・小顔。衣装といい髪型といいキマッていて、全体的にあか抜けていますねえ。
彼女だけ本国ハリウッドからやって来た女優さんで、もっさりした相手役の男優や野次馬は現地調達といった感じです。


喧嘩写真が本物に見えなかったのは、私の目が悪いのでしょうが、この写真と喧嘩の女性が同一人物に見えなかったせいもあります。
     ↓↓↓
キャプチャs


しかしこの週刊誌に載った斜め横顔の写真をよく見ると、確かに同じ骨格、顔形で同じ人に見えました。
   ↓↓↓
キャプチャs3


『夫人が痛哭し、新しい秘密摂理が始まる』/4-9 にて、これからは食口たちとも仲良く一緒に暮らそうと夫婦で手打ち式をしましたが、その後の状況はどうだったか、証言で見ていきます。



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50年代・処女と人妻 何百人もの秘密摂理/番外編4-10


    50年代・処女と人妻
        何百人もの秘密摂理・
              歴史に学ぼう





前回の『夫人が痛哭し、新しい秘密摂理が始まる』 に、米本さんから摂理の年代について質問コメントがありましたが(返信済み)、今回はその “秘密摂理” について、もっと詳しく検証してみます。

前回より:
普通ならこれで事態は収束に向かうのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。
龍明が秘密裏に新しい摂理を打ち出したのだ。
1960年までに、処女70人、寡婦70人、人妻70人の計210人の女を復帰しなければ、第3次世界大戦が起こり世界が滅びると、彼は自らのセックス儀式に厳しいノルマをかけたのだ。


(私を含め)みなさんは、ほぼ、1960年~70年代以降の、“それ以前とは変わった統一教会” しか知らないと思われますが、50年代の “一味違う統一教会” の様子を、歴史のお勉強として、見てみましょう!(*゚Q゚*)

その頃の教会の考え方のクセや情動のあり方など、現在でもピンとくる共通点がいくつもあるかと思います。

引用は囲みにて、解説・感想は青字で表示。



❶まずはアメリカ草創期の元信者アレン・テイト・ウッド の著書
『ムーンストラック : カルトにいた私の回顧録』 からです。
(日本語訳:暗在)
文教祖は「70人の処女、70人の寡婦、70人の人妻と性的な関係を持たなければなりません」

プリンストン神学校のユンホ・イェの未出版の論文(1959)によると、かつて文教祖は、全く別の意味において、彼の統一家族の性生活の中心であったかもしれません。

この韓国のイェ牧師は、文が韓国で言うところの統一教(統一教会)を設立した当時、彼と信者が一種のメシア中心汎性欲主義を秘密裏に実践していた証拠を挙げます。

1946年に文は、丁得恩という50歳の女性によって、自由恋愛主義カルトに導かれました。当時文は丁を聖母と見なしました。丁はお告げを受けた後、自分は聖母だと認めたと、イェは公表された出典を引用します。

イェによれば、証人が文のカルトの隠された乱交を暴露したので、文は家庭を破壊し公衆道徳を害するという理由で拘束されました。(1946年)

文教祖は釈放後も、丁と共に混淫教義を主張し続け、再び逮捕され、今度はフンナムに収監されました。(1948年)

イェは、初期の文の信者の告白から以下を引用します:

文が40才の時「現在の世界は、第三次世界大戦によって終るだろう」その時までに文の目標が達成されなかったら、終りの時は6年間延長されるかもしれないが、およそ1960年頃だろう。

告白によれば、「その頃までに、文は210人の女性の聖なる父となる。
すなわち彼は、70人の処女、70人の寡婦、70人の人妻と性的な関係を持たなければならない。
210人の女性は14万4千人の信仰的な人々を開拓(勧誘)することになる。これらの人々は戦争から守られる



アレン・テイト・ウッド著
『ムーンストラック: カルトにいた私の生活回顧録』 170ページ
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/141221950603/moon-must-have-sexual-relations-with-70-virgins
 
14万4千人とは、『新約聖書』 ヨハネの黙示録14章に出てくる、終わりの日にキリストによって贖われるとされる人数です。

これは最近コメント欄で話題に出た、キリストが空中再臨する際に、地上から上空に引き上げられ(携挙)、地上の7年間の大患難を免れることができる篤実なクリスチャンたちのことでしょ。
キリスト教(プロテスタント)によれば、艱難が終わった7年後、キリストが地上再臨するときに一緒にまた地に下ってきて、主と共にとこしえに生きる、という選ばれた人たち。

つまり、文教祖のこの奇態な摂理は、キリストの空中再臨・携挙になぞらえたものなのか。
キャッチコピー:「私とセックスすれば天に引き上げられ、第3次世界大戦を生き残れます」

もちろん文教祖の予言は外れたわけですが、60年代にはその後も同じような予言を何度もしたと、後の資料❺(訴状)に出てきます。



それでは文教祖の行動を具体的に見てみましょう。

❷次は、文教祖の婚外子 朴サムエルのスピーチからです。
父は17歳の母をレイプ 

 母と文牧師の関係は、母が17歳のとき、彼が母に強制的に迫り母の処女を奪った1953年に始まりました。

 その時、私の父が言うには、
私の母は彼の永遠の花嫁あるいは統一教会の言葉で言うと「真の母」になる運命にあるので、彼は母と性関係を持たなければならない、(中略)
天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない。

聖書のエバは17歳の時に天使長ル―シェルに誘惑され、これが聖書に書かれている人間の堕落の本当の原因だと文牧師は教えました。

http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-632.html


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夫人が痛哭し、新しい秘密摂理が始まる/4-9

「危うい姜ヒョンシル、下意識レベルで夫人に対抗? からの続き



  ますます危うい!夫人が痛哭し、
       新しい秘密摂理が始まる

               

 


    龍明小説4-9


水晶洞の家は、裏山の麓(ふもと)、避難民や貧民が大勢住んでいる地域にあった。
狭い道を尋ね尋ね、迷いながら、やっと目当ての家が見つかったのは10時頃だった。

やはり狭くみすぼらしい家だったが、そこに龍明、金ウォンピル、オクセヒョン、新しく入った牧師の李ヨハネと女食口の李スッキが一緒に住んでいた。

ヒョンシルが誕生日の祝いに持ってきた餅を焼き、龍明がウマイウマイと言ってたくさん食べた後、故郷での伝道活動報告を交えて2人楽しくお喋りしていると、あっという間に時間が過ぎ、午後の4時になった。


「裏山に登り、風にちょっとあたってくる」
龍明はそう言って出て行った。

残された女たちが夕食の準備に米を洗っている時、突如そこに現れたのは、サンキル夫人だ。
オクセヒョンの憲兵隊員の息子も一緒だった。
オクの息子は龍明教会をよく思っていない。
同僚なのか、カーキ色の軍服を着た憲兵があと2人後ろに控えていた。

「部屋に入れ!」
彼らは命令調で言い、そこにいたオク、ヒョンシル、スッキを乱暴に部屋に押し込んだ。

「おまえは絶対に居場所を知らないと言ったな、恥を知れ、殺してやる!」
サンキルがヒョンシルに向かって叫ぶと、オクの息子が龍明の聖書をビリビリに引き裂いた。


台所の方から、サンキルの声が聞こえた。
「あの部屋に火を放つ!」「ぶっ殺す!」「火を放つ! ぶっ壊す!」「火を放つ! ぶっ殺す!」
女たちは震え上がった。


凄まじい物音とともに、部屋の中はあっという間に修羅場になってしまった。
サンキルが台所道具を全部、壁に投げつけ始めたのだ。
彼女は茶碗、米びつ、さじ、おけなど、あらゆる物を投げて、大声を出して騒いだ。

制服の憲兵隊員たちは直立で、その様子をじっと見ていた。
物音と叫び声を聞きつけた周辺住民たちが、野次馬見物に大勢集まり、家のまわりは黒山の人だかりになった。


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危うい姜ヒョンシル、下意識レベルで夫人に対抗?/4-8

糞尿をばらまいた夫人、夫逃げ出す。この惨状を見よ! からの続き




    危うい姜ヒョンシル、
       潜在意識レベルで 
         夫人に対抗しているような?
            行くなよ、ボンネッコル 






     龍明小説4-8



新しくボンネッコルの小屋に住むようになっていた25歳の女神学生、姜ヒョンシルは何度もサンキルにぶっ叩かれ、居られなくなり、一時故郷に帰ることになった。(前回より)


キリスト教会の伝道師をしながら神学校に通っていた姜ヒョンシルは、異端と関係を持った科で、教会から任職を解かれ、神学校も放校になってしまった。

すかさずその異端の主・龍明大先生から「荷物をまとめてこちらに来なさい」と言われ、ボンネッコルの家に入って生活していたが、サンキル夫人がやって来たことで、そこにも居られなくなり、仕方なく故郷に帰って寂しく過ごしていた。


そこに敬愛してやまない大先生から手紙が届いた。
「イエス様も2000年前、家庭的に困難な問題を負って、言葉に言い表せない苦衷を経験したのだ。

 今、私もそのような家庭的苦難の十字架の道を歩んでいる。
 ヒョンシルにも苦労をかけることになったね。

 だが神の御旨は必ず成されるので、後日会える日を思いながら我慢して行こう。
 当分釜山には来ないで、その地で熱心に伝道してほしい」

こんなことが書いてあった。
封筒の裏を見ると、住所はボンネッコルではなく水晶洞となっていた。

自分がいない間に、文ノ先生や食口たちの身に何かあったのだと思うと、心がざわついてじっとしていられなくなり、年が明けた53年2月、先生の誕生日を口実に会いに行くことに決めた。


出発の日、途中で汽車が遅れ、釜山駅に着いたのは、もう夜中の12時を回っていた。
夜間通行禁止令が出ていて、この時間から、遠く知らない水晶洞の家を探しに行くのは無理だった。
それでその夜は、ひとまずボンネッコルの方に行ってみることにした。

ひょっとして先生がいるかもしれないと一縷の望みを託し、重いトランクを下げて辿り着いたところ、そこにはサンキル夫人だけが住んでいた。
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糞尿をばらまいた夫人、夫 逃げ出す。この惨状を見よ/4ー7

「妻の剣幕・龍明タジタジ」 からの続き



    糞尿をばらまいた夫人
      夫 逃げ出す
        この惨状を見よ!





    龍明小説4-7



そこにいたのは、龍明が平壌に出発する朝、2週間で帰ると嘘をつき、ソウルに置き去りにした妻・崔サンキルと当時生まれた息子だった。(前回より)

1人息子のサンジンは、きれいな五色の縞模様の上衣を着せられていたが、母親の後ろに隠れるような格好で下を向いていた。

サンキル夫人は、偶然出くわした龍明のいとこの1人に住所を聞きだし、近くの人に尋ね尋ねしながら、やっとここまで辿り着いたのだと言った。

「あんたときたら、あれから何週間過ぎても帰ってこないし、何の音沙汰もないから、あたしはいてもたってもいられなくなって、この子を背負って何度も列車に乗ったのよ。

でも北へ入ろうとするといつもソ連兵に止められて、引き返さざるを得なかったわ!
最後に境界線のこっち側で憲兵に捕まった時は酷かったわ。ほら、これ、見てくださいよ!」

と言って、袖をまくり、白い腕をグイグイと龍明の目の前に押しつけるようにした。

「共産主義者だろうと疑われて拘留されて、タバコの火を押し付けられたのよ。ほらここ、拷問の跡が見えるでしょう!

「どれだけ辛かったか。給料が入らないから、一日中市場で果物を売り歩いて、やっとこ1人でこの子を育てたのよ!

「それなのにあんたはどこで何してたの、え? どうせ、どうせーー

サンキルの怒りはちょっとやそっとでは治まりそうになかった。
周りの者が宥(なだ)めたくても、何も言えないような、悲惨な歪んだ雰囲気があった。
オクセヒョンは、その場にいる信者たちを促して、そっと外に出るしかなかった。


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妻の剣幕、夫タジタジ/4-6

「親より弟子?真相深掘り」 からの続き



      妻の剣幕、
         龍明 タジタジ、
            信者 深入りしたくない




     龍明小説4-6



ほんの3日も歩けば、実家に辿り着くのだが、龍明は帰省しないで、かつての信者たちを探すことにした。 (前回より)


まず文正彬を、獄中何度も面会に来てくれた玉世賢(オク・セヒョン)の家に遣わした。そこに金ウォンピルも下宿しているはずだった。

そして、オク夫人とウォンピルに龍明を丁重に迎えさせた後、今度はその2人を平壌の信者たちの所に遣わし、主の帰還を知らせるように図らった。


ーーもし主がいきなり玄関先に現れたら、
想定外の彼らは、歓迎の準備をしてなかったことに罪悪感を感じるだろうからーー
というのが、自分で直接赴かない理屈だった。

だが実際は、有罪判決をくらった身にかつての信者はどう反応するか、気まずくもあったし、案外気が小さいところがあるので、内心ではビクビクしていた。


何十年か経って、文ノ教団の大幹部となった金ウォンピルは、その言い訳の理屈を取り繕うかのように、公の場でこう語った。

「当時は戦争中でしたが、あのとき自分の命を賭してでもフンナムまで行って先生の釈放を待ち、出所のお出迎えをしなかったことは弟子として怠慢だったと、今でも悔いを感じます」


以前礼拝に来ていた人の半分は、クリスチャン避難民の列に加わり南へ行ってしまったことが分かった。

まだ平壌に残っているうちの何人かは、投獄の後、龍明への信仰を失っていた。
「裁判を傍聴して目が覚めた」
「あんな男を再臨メシアと信じたなんて愚かだった」
龍明の手紙を受け取り拒否にした者たちもいた。

別の何人かは、車相淳などもそうだったが、彼の無事を喜んだ。
が、家族で戦争を生き延びるのが優先で、すぐには合流することができない状況だと言った。
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親より弟子?真相深掘り/4-5

「フンナム脱出リアルバージョン(ツッコミ入り)/4-4」 からの続き


       親より弟子?
           真相深掘り


 


   龍明小説4-5 
         (エッセイ風)



龍明と道連れの弟子 文正彬は、10日かかって平壌に着き、まず叔母の家に行ってみた。

叔母が言うには、いとこの何人かはすでに南へ避難したが、龍明の家族はまだ北の生家に留まっている。
彼らは先祖の土地を離れたくないし、戦争が終わればなんとかなるだろうと希望をつないでいるという。

そこからほんの3日も歩けば、実家に辿り着くのだが、龍明は帰省しないで、かつての信者たちを探すことにした。

その選択には痛みを伴う結果がついてくることになった。

6週間後、中共人民軍が北朝鮮に押し寄せ、国連軍を南方に追い返し始めた時、彼は南へ移動する避難民の列に加わった。
それ以来再び両親や兄に会うことはなかったのだ。


そのことに関して、
『文先生は故郷の父母に会いに行きたい熱情を犠牲にしてまで、平壌の弟子たちを気にかけてくださった。これだけでも文先生がメシアであることの証である』
という論調があるが、はたしてそうだろうか。


龍明の父親は無口な人だったらしいが、母親は息子にも負けないほど癇が強く強情で、感情の表現も激しかったらしい。

お花畑の中の美しく理想的な親子愛を夢想する前に、たとえば母親がフンナム収容所に面会に来た時のことを深掘りすれば、すでに親子の間に多くの因果関係が積み重なっているのがわかるだろう。
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フンナム脱出リアルバージョン(ツッコミ入り)/4-4

時系列でいえば、
「フンナムから見た朝鮮戦争・龍明 生き生き?/4-1」 からの続き



フンナム大空襲(1950.08)から、収容所脱出までの最後の2か月半の様子を、マイケル・ブリーン兄弟が「国連軍の戦史」を参照、フンナム生還者4名にインタビューし、教団の大本営発表を超え、自信をもってお送りするリアルな新バージョン。
引き続き、「Chapter 7 Death Camp」より抜粋翻訳+αです。






     龍明小説4-4
          (ツッコミ入り)



正午にサイレンが鳴った。
3万人の労働者は地下避難所へ移動した。
囚人たちは可能な避難所へ身を寄せた。
晴れ渡った空に、同じV字編成・46機のB29が現われ、工場を3時間爆撃した。 (「龍明小説4-1」より)

み言葉には「B29が100機来た」と書いてあったが実際は46機か。
この位のホラはご愛嬌。下からはそう見えるかも。コワイ、コワイ。


(龍明は、収容所2年目後半になると、作業配置を決める総班長 朴正華の計らいで、空き吹に藁を通すという病人か老人向けの楽な作業に回っていた。)

爆撃が始まった時、彼は空の袋を収納するエリアで働いていた。

「お怪我はありませんでしたか?」
刑期が明ける直前の朴がやって来て尋ねた。

「神は、私の半径12メートル以内は攻撃しないと言ったんだ。
爆撃の最中は、祈って霊界の聖人たちと話していたよ」
龍明は答えた。
朴は二人とも無事だったことに高揚し、大声で「復帰の園」を歌い始めた。

完全にイカれた男2人組であーる。

死者数が確認され、この攻撃で270人が死んだと発表があった。

奇跡的に助かったというには、死者数は囚人の5分の1以下。
リューメイは窓際族の仕事場にいたから助かったんじゃねーのか?


2日後の8月3日、B29が再び襲来し、フンナム区域最後の大標的、ボグン化学工場を破壊していった。


▲フンナム窒素肥料工場外観
日本窒素肥料株式会社が経営していた1930年代に撮られたもの。

キャプチャf4

キャプチャf
米国爆撃後のフンナム (戦争博物館 in ロンドン)

f7.png



肥料工場が操業不能になったので、囚人たちはひとまず房で待機を命じられた。

徴兵されていない残りの一般犯罪者は、軍隊補助業務に採られ、その他約500人の政治犯は、爆破された家々の再築・修繕の援軍に回されて、何週間かフンナムの町で使役された。

その間に、国連軍は共産軍の南進を制し、仁川に上陸、1950年9月ソウルを奪還、北朝鮮軍は北に敗走した。

退却が始まるとともに、刑務所当局は反共産主義の囚人を処刑し、その他の政治犯をもっと北方の収容所へ撤退させようと計画した。

一方で、南韓軍は9月30日に38度線を越え、東岸の元山を目指して前進した。
フンナムに近い元山とボングンの捕虜収容所で、大規模な虐殺が始まった。

10月の第2週のある夜、フンナム刑務所の看守たちが各房の前に立ち、何人かの囚人番号を叫んだ。
番号を呼ばれた囚人は出てくるよう命じられた。

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