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龍明小説4&5の記事 (1/1)

フンナムから見た朝鮮戦争・龍明 生き生き?/4-1



    フンナムから見た朝鮮戦争・
          龍明 生き生き?/4-1




   今回は、
 フンナム生き残りへのインタビュー資料や
 『米空軍公式戦史』参照資料の翻訳、など、
 ノンフィクション度が高いです。

 



  龍明小説4-1




 5年の実刑判決を受けた龍明は、48年5月に、平壌刑務所から遠く離れた東海岸の港湾都市フンナムにある特別労務者収容所に移送された。

 収容所から4キロ弱離れた窒素肥料工場で、毎日重労働を科せられ、食事や生活環境は劣悪だったが、体力に自信があり監獄生活に慣れている龍明は、様々な面で工夫をこらし作業に集中して、それなりに生き生きとやっていたように見える。

 工場の作業班で、仕事の要領を教え世話をしてやった新入りの囚人が、1ヶ月後には、軍隊経験を買われ、全囚人を束ねる総班長に抜擢された。
 その囚人総班長・朴正華から「先生」と慕われた龍明は、彼から様々な便宜を受けることができた。


 収容所では年に4回 祝日があったーー 旧正月、金日成の誕生日(4月15日)、労働者の日(5月1日)、北朝鮮の建国記念日(9月9日)。

 ある祝日の前に、看守が微笑んで、翌日の食事のために牛を一頭屠殺したと囚人たちに告げた。
宿営地には大きな興奮があった。

 「思いやり深い金日成同志は、きみたちが今日牛肉を食することを許可して下さった」
 司令官は国家の指導者を賛美する長いスピーチをした後、集められた囚人らに言った。

 スープが来た時、それは通常のスープと何ら異なるところはなかった。
 「牛は長靴を履いたまま、スープの中を通り過ぎて行っちまったのかよぅ?」
 一般犯罪者の1人が房の中でうめいた。
 「牛の毛一本さえも入っていないじゃないか」

 「薄い肉が何枚か入っているよ」
 作業班長が励ますように言った。

 その後、囚人たちは、祝日の特別食にそれほど沸き立つことはなかった。

 また別の祝日には、クジラ肉がスープに加えられた。
 すると夕方までに、囚人のほとんどが胃痙攣と下痢を起こしていた。
 何人かはかなり重症で、意識を失い、髪の毛が抜け始めた。

 鯨肉が腐っており、中毒をおこしたのだ。
 囚人たちは2日間の闘病休暇が与えられた。
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統一教会フンナム支部。ふらふらしていると本当に死ぬ「完全投入」/4-2


  教会フンナム支部。
    ふらふらしていると本当に死ぬ。完全投入





 
ノンフィクション度が高いことは前回と同様です。
フンナム刑務所の中でのことは、特殊な環境下の懲役で、大筋には関係ないので小説から抜かそうと思い、前回4-1ですでに、500ポンド爆弾でフンナム工場をぶっ壊す!してしまったのですが、時間を戻してやっぱり一回書くことにしました。

ブリーン氏の資料(「The death camp」)をじっくり読んでみると、なぜか修練会を思い出すし、もう統一教会生活自体、いわゆる御旨生活(信仰生活)自体が、このようなフンナム状態を心象的に作り出してなされていたような気すらします。

象徴的にいうと、これは特殊な世界で関係ないのではなく、統一教会ではこれこそが通常運転の普通の世界だったといえるでしょう。勢い自分が生き残るための信仰になってゆくのも不思議ではありません。

今回の内容は、前回 「フンナムから見た朝鮮戦争・龍明 生き生き?/4-1」 の第2段落あたりに挿入すると、時系列が繋がる内容になります。



 



    龍明小説4-2



1948年5月に、龍明がフンナム収容所に到着した時、宿営地は悲惨な雰囲気が漂っていた。
まさに死の収容所のように見えた。

1500人を数える収容者は、各監房に40人が詰め込まれ、衰弱して生気がなかった。

最初は約10パーセントが政治犯、さらに10パーセントが職務怠慢罪の兵士や公務員、残りが犯罪者だったが、政治犯の数がどんどん増えていった。

今や政治犯だけで別個の小屋に収容され、工場の作業班も分けて組まれるようになっていた。

しかし政治犯の定義は曖昧だった。
38度線付近で行われた犯罪であれば、越境して牛を売ったことでさえも政治的犯罪と見なされていた。

人民軍の団長だったある思想犯は、野原で「長寿・金日成!」の旗を射撃訓練の標的に使った罪で5年の刑をくらっていた。
「だってよ、他に的になる物が何もなかったからさ」と彼は囚人仲間にこぼした。


龍明は、第2刑舎の第5監房に入れられた。
小屋の外の板に収容者の氏名・罪名・刑期が書かれてあり、彼の同室者は全員政治犯だと分かった。

彼の囚人番号は「596」番。
その数字の発音が、朝鮮語の「不当な苦難」という言葉と同じなので、無実の罪で投獄された自分に神が与えてくれた番号だと思って、力を得た。


▲南側の山から北北西方向に撮った興南(フンナム)収容所の全景写真。
f5.png
撮影時期は1945年9月中頃。https://familyforum.jp/2013072122171



サイレンの音で始まる朝は、塩味の粗末なスープを飲み、整列行進して8時に肥料工場に着く。
きついノルマを課された8時間労働を夕方5時に終え、また行進して宿営地に戻ってくる。

ボディチェックを受け、監房に押し込まれ、朝と同じ薄い汁と一握りの穀物の夕食を済ます。
それで1日が終わりではなかった。

夜は7時半から、各房で「新聞訓読会」を持つことを命じられた。
最初何のことか分からなかったが、看守が、朝鮮労働党の日刊労働新聞を持って来て、字が読める囚人に、社説を大きな声で読み上げるよう命じた。

その後それについて議論しなければならなかった。
何を言うべきか分からず、囚人たちが黙っていると、
看守が、
「作業実績を自己批判し、収容に至った罪状を懺悔すべきだ」
と言った。
彼らは飢えと疲労で意気消沈したまま議論することになった。

時がたちサイレンが鳴り、看守が各房の壁を棒で叩きながら、点呼にやってくる。
逃亡者がいないかチェック終了後、就寝の合図がでる。


▲興南(フンナム)収容所内部と帰国直前の連合国捕虜のようす。
f6.png撮影時期は1945年9月中頃。https://familyforum.jp/2013072122171



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朝鮮戦争の真実・米ソが結託して始まった!/4-3

統一教会フンナム支部。ふらふらしていると本当に死ぬ「完全投入」/4-2 からの続き



     朝鮮戦争は 
         米国とソ連が 
            結託して始まった!




バケツの底が抜けたようになり、小説としては破綻しています。
小説であろうとすることを「イサク献祭」したか(笑)、
または自己放棄したといおうか、形式としては
失敗かもしれませんが、試行錯誤中です。
最後まで読んでくださると嬉しいです。
タイトルに興味ある方は、下の方の動画をどうぞ。




   龍明小説4-3


工場の作業班で、仕事の要領を教え世話をしてやった新入りの囚人が、1ヶ月後には、軍隊経験を買われ、全囚人を束ねる総班長に抜擢された。
 その囚人総班長・朴正華から「先生」と慕われた龍明は、彼から様々な便宜を受けることができた。( 「龍明小説4-1」より)


朴正華の後の著書によると、龍明との出会いはこうだ。

工場に移送されて間もない朴は、40キロの肥料が入った叺(かます袋)の荷造りで悪戦苦闘していた。
すると10人の組員のなかでもひときわ丈夫そうな30歳くらいの人が来て、「教えてあげましょう」と言った。彼は慣れた手つきで自分の仕事を軽く片づけながら、朴に手とり足とり荷造りの要領を教えてくれた。

カッコいい登場の仕方である。

朝、運動場に出ると朴は、急いでその人を探してその後ろに座るようになった。
点検が終わるとその人と二人一組になって、肥料工場まで手をつないで歩くことができるからだ。

朴さん、メロメロになってしまったようである。

こうして朴は7才も年下の龍明の思惑に嵌ってゆくことになる。
彼は後にこう書いている。

「獄中で私は総班長の立場を利用して時間をつくり、文鮮明(本名:龍明)から何週間にもわたって話を聞いた。今から思えば、彼にとっては都合の良い伝道であり布教活動だったと思う。
そして彼の説く創造原理や復帰原理とは、実は彼が教えを受けた金百文や李龍道の理論のコピーであり、受け売りにすぎなかったことを、ずっと後になって知った。」


彼はいつものように、
 「総班長として、ちょっと用事がありますので来てください」
と龍明を呼び出し、静かな倉庫の中の空き叺の山の上へ登り、二人で向き合って座った。

総班長には作業場でのこうした自由が認められており、看守も囚人も文句をいう者は一人もいない。

「我々がどんなに過酷な仕事をしているか見て下さい」
龍明は言った。
「指は出血するし、、肥料の山は、何か月経っても全く減らないように見えるし」
「はい、わかります」 朴は答えた。

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フンナム脱出リアルバージョン(ツッコミ入り)/4-4

時系列でいえば、
「フンナムから見た朝鮮戦争・龍明 生き生き?/4-1」 からの続き



フンナム大空襲(1950.08)から、収容所脱出までの最後の2か月半の様子を、マイケル・ブリーン兄弟が「国連軍の戦史」を参照、フンナム生還者4名にインタビューし、教団の大本営発表を超え、自信をもってお送りするリアルな新バージョン。
引き続き、「Chapter 7 Death Camp」より抜粋翻訳+αです。






     龍明小説4-4
          (ツッコミ入り)



正午にサイレンが鳴った。
3万人の労働者は地下避難所へ移動した。
囚人たちは可能な避難所へ身を寄せた。
晴れ渡った空に、同じV字編成・46機のB29が現われ、工場を3時間爆撃した。 (「龍明小説4-1」より)

み言葉には「B29が100機来た」と書いてあったが実際は46機か。
この位のホラはご愛嬌。下からはそう見えるかも。コワイ、コワイ。


(龍明は、収容所2年目後半になると、作業配置を決める総班長 朴正華の計らいで、空き吹に藁を通すという病人か老人向けの楽な作業に回っていた。)

爆撃が始まった時、彼は空の袋を収納するエリアで働いていた。

「お怪我はありませんでしたか?」
刑期が明ける直前の朴がやって来て尋ねた。

「神は、私の半径12メートル以内は攻撃しないと言ったんだ。
爆撃の最中は、祈って霊界の聖人たちと話していたよ」
龍明は答えた。
朴は二人とも無事だったことに高揚し、大声で「復帰の園」を歌い始めた。

完全にイカれた男2人組であーる。

死者数が確認され、この攻撃で270人が死んだと発表があった。

奇跡的に助かったというには、死者数は囚人の5分の1以下。
リューメイは窓際族の仕事場にいたから助かったんじゃねーのか?


2日後の8月3日、B29が再び襲来し、フンナム区域最後の大標的、ボグン化学工場を破壊していった。


▲フンナム窒素肥料工場外観
日本窒素肥料株式会社が経営していた1930年代に撮られたもの。

キャプチャf4

キャプチャf
米国爆撃後のフンナム (戦争博物館 in ロンドン)

f7.png



肥料工場が操業不能になったので、囚人たちはひとまず房で待機を命じられた。

徴兵されていない残りの一般犯罪者は、軍隊補助業務に採られ、その他約500人の政治犯は、爆破された家々の再築・修繕の援軍に回されて、何週間かフンナムの町で使役された。

その間に、国連軍は共産軍の南進を制し、仁川に上陸、1950年9月ソウルを奪還、北朝鮮軍は北に敗走した。

退却が始まるとともに、刑務所当局は反共産主義の囚人を処刑し、その他の政治犯をもっと北方の収容所へ撤退させようと計画した。

一方で、南韓軍は9月30日に38度線を越え、東岸の元山を目指して前進した。
フンナムに近い元山とボングンの捕虜収容所で、大規模な虐殺が始まった。

10月の第2週のある夜、フンナム刑務所の看守たちが各房の前に立ち、何人かの囚人番号を叫んだ。
番号を呼ばれた囚人は出てくるよう命じられた。

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親より弟子?真相深掘り/4-5

「フンナム脱出リアルバージョン(ツッコミ入り)/4-4」 からの続き


       親より弟子?
           真相深掘り


 


   龍明小説4-5 
         (エッセイ風)



龍明と道連れの弟子 文正彬は、10日かかって平壌に着き、まず叔母の家に行ってみた。

叔母が言うには、いとこの何人かはすでに南へ避難したが、龍明の家族はまだ北の生家に留まっている。
彼らは先祖の土地を離れたくないし、戦争が終わればなんとかなるだろうと希望をつないでいるという。

そこからほんの3日も歩けば、実家に辿り着くのだが、龍明は帰省しないで、かつての信者たちを探すことにした。

その選択には痛みを伴う結果がついてくることになった。

6週間後、中共人民軍が北朝鮮に押し寄せ、国連軍を南方に追い返し始めた時、彼は南へ移動する避難民の列に加わった。
それ以来再び両親や兄に会うことはなかったのだ。


そのことに関して、
『文先生は故郷の父母に会いに行きたい熱情を犠牲にしてまで、平壌の弟子たちを気にかけてくださった。これだけでも文先生がメシアであることの証である』
という論調があるが、はたしてそうだろうか。


龍明の父親は無口な人だったらしいが、母親は息子にも負けないほど癇が強く強情で、感情の表現も激しかったらしい。

お花畑の中の美しく理想的な親子愛を夢想する前に、たとえば母親がフンナム収容所に面会に来た時のことを深掘りすれば、すでに親子の間に多くの因果関係が積み重なっているのがわかるだろう。
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妻の剣幕、夫タジタジ/4-6

「親より弟子?真相深掘り」 からの続き



      妻の剣幕、
         龍明 タジタジ、
            信者 深入りしたくない




     龍明小説4-6



ほんの3日も歩けば、実家に辿り着くのだが、龍明は帰省しないで、かつての信者たちを探すことにした。 (前回より)


まず文正彬を、獄中何度も面会に来てくれた玉世賢(オク・セヒョン)の家に遣わした。そこに金ウォンピルも下宿しているはずだった。

そして、オク夫人とウォンピルに龍明を丁重に迎えさせた後、今度はその2人を平壌の信者たちの所に遣わし、主の帰還を知らせるように図らった。


ーーもし主がいきなり玄関先に現れたら、
想定外の彼らは、歓迎の準備をしてなかったことに罪悪感を感じるだろうからーー
というのが、自分で直接赴かない理屈だった。

だが実際は、有罪判決をくらった身にかつての信者はどう反応するか、気まずくもあったし、案外気が小さいところがあるので、内心ではビクビクしていた。


何十年か経って、文ノ教団の大幹部となった金ウォンピルは、その言い訳の理屈を取り繕うかのように、公の場でこう語った。

「当時は戦争中でしたが、あのとき自分の命を賭してでもフンナムまで行って先生の釈放を待ち、出所のお出迎えをしなかったことは弟子として怠慢だったと、今でも悔いを感じます」


以前礼拝に来ていた人の半分は、クリスチャン避難民の列に加わり南へ行ってしまったことが分かった。

まだ平壌に残っているうちの何人かは、投獄の後、龍明への信仰を失っていた。
「裁判を傍聴して目が覚めた」
「あんな男を再臨メシアと信じたなんて愚かだった」
龍明の手紙を受け取り拒否にした者たちもいた。

別の何人かは、車相淳などもそうだったが、彼の無事を喜んだ。
が、家族で戦争を生き延びるのが優先で、すぐには合流することができない状況だと言った。
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糞尿をばらまいた夫人、夫 逃げ出す。この惨状を見よ/4ー7

「妻の剣幕・龍明タジタジ」 からの続き



    糞尿をばらまいた夫人
      夫 逃げ出す
        この惨状を見よ!





    龍明小説4-7



そこにいたのは、龍明が平壌に出発する朝、2週間で帰ると嘘をつき、ソウルに置き去りにした妻・崔サンキルと当時生まれた息子だった。(前回より)

1人息子のサンジンは、きれいな五色の縞模様の上衣を着せられていたが、母親の後ろに隠れるような格好で下を向いていた。

サンキル夫人は、偶然出くわした龍明のいとこの1人に住所を聞きだし、近くの人に尋ね尋ねしながら、やっとここまで辿り着いたのだと言った。

「あんたときたら、あれから何週間過ぎても帰ってこないし、何の音沙汰もないから、あたしはいてもたってもいられなくなって、この子を背負って何度も列車に乗ったのよ。

でも北へ入ろうとするといつもソ連兵に止められて、引き返さざるを得なかったわ!
最後に境界線のこっち側で憲兵に捕まった時は酷かったわ。ほら、これ、見てくださいよ!」

と言って、袖をまくり、白い腕をグイグイと龍明の目の前に押しつけるようにした。

「共産主義者だろうと疑われて拘留されて、タバコの火を押し付けられたのよ。ほらここ、拷問の跡が見えるでしょう!

「どれだけ辛かったか。給料が入らないから、一日中市場で果物を売り歩いて、やっとこ1人でこの子を育てたのよ!

「それなのにあんたはどこで何してたの、え? どうせ、どうせーー

サンキルの怒りはちょっとやそっとでは治まりそうになかった。
周りの者が宥(なだ)めたくても、何も言えないような、悲惨な歪んだ雰囲気があった。
オクセヒョンは、その場にいる信者たちを促して、そっと外に出るしかなかった。


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危うい姜ヒョンシル、下意識レベルで夫人に対抗?/4-8

糞尿をばらまいた夫人、夫逃げ出す。この惨状を見よ! からの続き




    危うい姜ヒョンシル、
       潜在意識レベルで 
         夫人に対抗しているような?
            行くなよ、ボンネッコル 






     龍明小説4-8



新しくボンネッコルの小屋に住むようになっていた25歳の女神学生、姜ヒョンシルは何度もサンキルにぶっ叩かれ、居られなくなり、一時故郷に帰ることになった。(前回より)


キリスト教会の伝道師をしながら神学校に通っていた姜ヒョンシルは、異端と関係を持った科で、教会から任職を解かれ、神学校も放校になってしまった。

すかさずその異端の主・龍明大先生から「荷物をまとめてこちらに来なさい」と言われ、ボンネッコルの家に入って生活していたが、サンキル夫人がやって来たことで、そこにも居られなくなり、仕方なく故郷に帰って寂しく過ごしていた。


そこに敬愛してやまない大先生から手紙が届いた。
「イエス様も2000年前、家庭的に困難な問題を負って、言葉に言い表せない苦衷を経験したのだ。

 今、私もそのような家庭的苦難の十字架の道を歩んでいる。
 ヒョンシルにも苦労をかけることになったね。

 だが神の御旨は必ず成されるので、後日会える日を思いながら我慢して行こう。
 当分釜山には来ないで、その地で熱心に伝道してほしい」

こんなことが書いてあった。
封筒の裏を見ると、住所はボンネッコルではなく水晶洞となっていた。

自分がいない間に、文ノ先生や食口たちの身に何かあったのだと思うと、心がざわついてじっとしていられなくなり、年が明けた53年2月、先生の誕生日を口実に会いに行くことに決めた。


出発の日、途中で汽車が遅れ、釜山駅に着いたのは、もう夜中の12時を回っていた。
夜間通行禁止令が出ていて、この時間から、遠く知らない水晶洞の家を探しに行くのは無理だった。
それでその夜は、ひとまずボンネッコルの方に行ってみることにした。

ひょっとして先生がいるかもしれないと一縷の望みを託し、重いトランクを下げて辿り着いたところ、そこにはサンキル夫人だけが住んでいた。
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夫人が痛哭し、新しい秘密摂理が始まる/4-9

「危うい姜ヒョンシル、下意識レベルで夫人に対抗? からの続き



  ますます危うい!夫人が痛哭し、
       新しい秘密摂理が始まる

               

 


    龍明小説4-9


水晶洞の家は、裏山の麓(ふもと)、避難民や貧民が大勢住んでいる地域にあった。
狭い道を尋ね尋ね、迷いながら、やっと目当ての家が見つかったのは10時頃だった。

やはり狭くみすぼらしい家だったが、そこに龍明、金ウォンピル、オクセヒョン、新しく入った牧師の李ヨハネと女食口の李スッキが一緒に住んでいた。

ヒョンシルが誕生日の祝いに持ってきた餅を焼き、龍明がウマイウマイと言ってたくさん食べた後、故郷での伝道活動報告を交えて2人楽しくお喋りしていると、あっという間に時間が過ぎ、午後の4時になった。


「裏山に登り、風にちょっとあたってくる」
龍明はそう言って出て行った。

残された女たちが夕食の準備に米を洗っている時、突如そこに現れたのは、サンキル夫人だ。
オクセヒョンの憲兵隊員の息子も一緒だった。
オクの息子は龍明教会をよく思っていない。
同僚なのか、カーキ色の軍服を着た憲兵があと2人後ろに控えていた。

「部屋に入れ!」
彼らは命令調で言い、そこにいたオク、ヒョンシル、スッキを乱暴に部屋に押し込んだ。

「おまえは絶対に居場所を知らないと言ったな、恥を知れ、殺してやる!」
サンキルがヒョンシルに向かって叫ぶと、オクの息子が龍明の聖書をビリビリに引き裂いた。


台所の方から、サンキルの声が聞こえた。
「あの部屋に火を放つ!」「ぶっ殺す!」「火を放つ! ぶっ壊す!」「火を放つ! ぶっ殺す!」
女たちは震え上がった。


凄まじい物音とともに、部屋の中はあっという間に修羅場になってしまった。
サンキルが台所道具を全部、壁に投げつけ始めたのだ。
彼女は茶碗、米びつ、さじ、おけなど、あらゆる物を投げて、大声を出して騒いだ。

制服の憲兵隊員たちは直立で、その様子をじっと見ていた。
物音と叫び声を聞きつけた周辺住民たちが、野次馬見物に大勢集まり、家のまわりは黒山の人だかりになった。


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50年代・処女と人妻 何百人もの秘密摂理/番外編4-10


    50年代・処女と人妻
        何百人もの秘密摂理・
              歴史に学ぼう





前回の『夫人が痛哭し、新しい秘密摂理が始まる』 に、米本さんから摂理の年代について質問コメントがありましたが(返信済み)、今回はその “秘密摂理” について、もっと詳しく検証してみます。

前回より:
普通ならこれで事態は収束に向かうのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。
龍明が秘密裏に新しい摂理を打ち出したのだ。
1960年までに、処女70人、寡婦70人、人妻70人の計210人の女を復帰しなければ、第3次世界大戦が起こり世界が滅びると、彼は自らのセックス儀式に厳しいノルマをかけたのだ。


(私を含め)みなさんは、ほぼ、1960年~70年代以降の、“それ以前とは変わった統一教会” しか知らないと思われますが、50年代の “一味違う統一教会” の様子を、歴史のお勉強として、見てみましょう!(*゚Q゚*)

その頃の教会の考え方のクセや情動のあり方など、現在でもピンとくる共通点がいくつもあるかと思います。

引用は囲みにて、解説・感想は青字で表示。



❶まずはアメリカ草創期の元信者アレン・テイト・ウッド の著書
『ムーンストラック : カルトにいた私の回顧録』 からです。
(日本語訳:暗在)
文教祖は「70人の処女、70人の寡婦、70人の人妻と性的な関係を持たなければなりません」

プリンストン神学校のユンホ・イェの未出版の論文(1959)によると、かつて文教祖は、全く別の意味において、彼の統一家族の性生活の中心であったかもしれません。

この韓国のイェ牧師は、文が韓国で言うところの統一教(統一教会)を設立した当時、彼と信者が一種のメシア中心汎性欲主義を秘密裏に実践していた証拠を挙げます。

1946年に文は、丁得恩という50歳の女性によって、自由恋愛主義カルトに導かれました。当時文は丁を聖母と見なしました。丁はお告げを受けた後、自分は聖母だと認めたと、イェは公表された出典を引用します。

イェによれば、証人が文のカルトの隠された乱交を暴露したので、文は家庭を破壊し公衆道徳を害するという理由で拘束されました。(1946年)

文教祖は釈放後も、丁と共に混淫教義を主張し続け、再び逮捕され、今度はフンナムに収監されました。(1948年)

イェは、初期の文の信者の告白から以下を引用します:

文が40才の時「現在の世界は、第三次世界大戦によって終るだろう」その時までに文の目標が達成されなかったら、終りの時は6年間延長されるかもしれないが、およそ1960年頃だろう。

告白によれば、「その頃までに、文は210人の女性の聖なる父となる。
すなわち彼は、70人の処女、70人の寡婦、70人の人妻と性的な関係を持たなければならない。
210人の女性は14万4千人の信仰的な人々を開拓(勧誘)することになる。これらの人々は戦争から守られる



アレン・テイト・ウッド著
『ムーンストラック: カルトにいた私の生活回顧録』 170ページ
https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/141221950603/moon-must-have-sexual-relations-with-70-virgins
 
14万4千人とは、『新約聖書』 ヨハネの黙示録14章に出てくる、終わりの日にキリストによって贖われるとされる人数です。

これは最近コメント欄で話題に出た、キリストが空中再臨する際に、地上から上空に引き上げられ(携挙)、地上の7年間の大患難を免れることができる篤実なクリスチャンたちのことでしょ。
キリスト教(プロテスタント)によれば、艱難が終わった7年後、キリストが地上再臨するときに一緒にまた地に下ってきて、主と共にとこしえに生きる、という選ばれた人たち。

つまり、文教祖のこの奇態な摂理は、キリストの空中再臨・携挙になぞらえたものなのか。
キャッチコピー:「私とセックスすれば天に引き上げられ、第3次世界大戦を生き残れます」

もちろん文教祖の予言は外れたわけですが、60年代にはその後も同じような予言を何度もしたと、後の資料❺(訴状)に出てきます。



それでは文教祖の行動を具体的に見てみましょう。

❷次は、文教祖の婚外子 朴サムエルのスピーチからです。
父は17歳の母をレイプ 

 母と文牧師の関係は、母が17歳のとき、彼が母に強制的に迫り母の処女を奪った1953年に始まりました。

 その時、私の父が言うには、
私の母は彼の永遠の花嫁あるいは統一教会の言葉で言うと「真の母」になる運命にあるので、彼は母と性関係を持たなければならない、(中略)
天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない。

聖書のエバは17歳の時に天使長ル―シェルに誘惑され、これが聖書に書かれている人間の堕落の本当の原因だと文牧師は教えました。

http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-632.html


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美しすぎる夫人の大暴れと悲しい結末・写真で見る/番外編4-11


  美しすぎる夫人・
     その後の大暴れ
         と悲しい結末・
             写真で見る





文鮮明と崔先吉(サンキル)夫人の喧嘩
キャプチャs1


最初この写真を見た時は、出来過ぎている、こんなナイスショットが撮れるはずがないと思いました。
女性は熱演中の女優っぽいし、昔のハリウッド映画の朝鮮ロケの1シーンか何かだろうと。
野次馬はリアル感ありますが、朝鮮庶民のエキストラを使ったのだろう。
2枚目の写真など、家の内側から至近距離で撮っています。
本物だとすると、教祖夫妻の激しくも恥ずかしい大喧嘩を、至近距離で同じ高さの目線から、冷静にナイスタイミングでパチリと写す信者などいるはずがなかろうと。

でもいたのですね、その名は劉孝敏。劉孝元氏(『原理講論』執筆者)の従弟で(元)36家庭、天才カメラマン。
初期の頃の教会は、彼の撮った写真でブロマイドの制作・販売をし、経済的に潤うことができたということです。

しかしまあこの時の夫人は、姿態はスンナリほっそりで、色白・小顔。衣装といい髪型といいキマッていて、全体的にあか抜けていますねえ。
彼女だけ本国ハリウッドからやって来た女優さんで、もっさりした相手役の男優や野次馬は現地調達といった感じです。


喧嘩写真が本物に見えなかったのは、私の目が悪いのでしょうが、この写真と喧嘩の女性が同一人物に見えなかったせいもあります。
     ↓↓↓
キャプチャs


しかしこの週刊誌に載った斜め横顔の写真をよく見ると、確かに同じ骨格、顔形で同じ人に見えました。
   ↓↓↓
キャプチャs3


『夫人が痛哭し、新しい秘密摂理が始まる』/4-9 にて、これからは食口たちとも仲良く一緒に暮らそうと夫婦で手打ち式をしましたが、その後の状況はどうだったか、証言で見ていきます。



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原理講論の作り方(蘇生期)/5-1

  

 龍明小説5-1


       ーー原 理 講 論 の 作 り 方
             (蘇 生 期)




朝鮮戦争の勃発によりフンナムの監獄を釈放されてから、朝鮮半島を南へ南へと避難して来た。
途中ソウルに、脚を骨折した朴正華を残し、51年1月、やっと南端の都市・釜山に、金ウォンピルと2人で辿り着いた。

ウォンピルは駅前近くの食堂に住み込みで働き、龍明は昔の知り合いの家を転々としたが、時には野宿せざるを得ない日もあった。


ーー平壌のあの頃は、40名近い信者が集うようになったが、今はこのザマだ。いくら戦争が起こったからといって、すぐ散り散りばらばらになってしまうようではダメなんだ。
少しくらい俺がいなくても会衆が保てるように、信仰の拠り所となる教義の本が必要だな。


龍明は書き始めた。
時に港湾労働をしながら、その後はボンネッコルで小屋を作りながら、礼拝で喋るように、鉛筆で紙に少しづつ書いていった。
小屋が出来上がってからはその狭い部屋の中で書いたが、ある時、ハタと行き詰まった。

ーーもっと、こう…… あるだろ、
大きいしっかりとした枠組みと内容が。
それがないと、俺には言いたいことがあるはずなんだが出てこない。
クソめ、あのノートがあったらよかったんだがなあ。


7年前、ソウル郊外のイスラエル修道院で銀白文師の講義を6カ月間受けた時のノートだ。
その手帳状のノートを、平壌教会当時、執事のような役割をしていた車相淳に預けていた。
48年の年が明けて警察の影がチラつき、身の回りが不穏な状態になった頃だ。

後に金ウォンピルを遣って車執事に確かめたところ、龍明が逮捕された時、車の家にも当局のガサ入れが入り、そのゴタゴタの際に、大切な手帳を失くしてしまったというのだ。

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抜き難い釣り針のような統一原理/5-2

「原理講論の作り方(蘇生期)」からの続き



人を成長させるより 操作する
   抜き難い釣り針のような 統一原理


受け入れると
 中から敵兵が出てきて
    たましいが征服される
      トロイの木馬のような 統一原理




  龍明小説5-2



「先生の原理の教えの根本が分かるディープなものはないものか、
たとえば本にする前の原稿とか……」
「うむ、ないことはないが」

龍明は、すかさず銀牧師の言質を取って言った。
「は、ございますか。それはありがたい。
でしたらついでに、私が原稿の校正をして差し上げましょう。
私は日本に留学していた時に、出版社で校正の仕事もしていたのですよ。
アルバイトでしたがうまいものです(うそだがな)。
なにより先生の原理の息吹に触れられることがありがたい。
ああ、ありがたい、ありがたい」

銀は決めかねている風に、まだもう少し原稿に手を入れる必要があると言った。

「では先生、こういたしましょう。
日を改めて数日後に、私の弟子の金ウォンピルという若い者を取りに遣らせます。
ちゃんと校正してお返ししますから、ご安心ください。
ではその折よろしくお願いします」
龍明は、有無を言わさず、さっさとその場を辞した。



こうして半ば強引に銀白文の原稿を手に入れ、ボンネッコル小屋で仕上げた文ノ龍明教祖の原理原本は、完全に銀牧師の理論が下敷きになっている。
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原理でスイマセン。引き寄せ劉孝元/5-3


抜き難い釣り針のような統一原理/5-2 からの続き


  またまた

    原理で スイマセン

       が 読んでください

         引き寄せられた 劉孝元





    龍明小説5-3




原理原本は教祖様直々の尊い教えの本だが、独特な言い回しで、内にとぐろを巻いたような夢想的な内容が連なっていた。

それで食口たちでさえ分かりにくい部分が多く、ともすれば眠たくなるような代物だった。


だがその原理原本を借りて読んだだけで、えらく感動し、残りの人生をこの教会に捧げようと決めてしまった男がいる。

名を劉孝元といい、龍明より6才年上の38才、頭が大変良く、くそ真面目な人物だった。
子供の頃は神童と呼ばれ、長じてソウル大学医学部に入学したが、脊髄カリエスという病いに罹り、最終学年で中退せざるを得なくなった。


以来十数年の闘病生活、人生の問題・信仰の問題に悩み続けてきたが、この原理は全ての問題を解決しうる新しい真理だと、なぜか確信してしまった。

その後、初対面の龍明教祖の講義を2、3日聴いた後、教会の原理講義はほとんどこの人がやるようになった。
彼の方が理路整然とうまく語れるのだった。

彼が原理講義をするようになってから、大学生や大学教授など、世の中の頭の良い人たちが引き寄せられ、大勢教会に来るようになった。



54年に彼は、原理原本の内容を整理・補足し、万人に通じるよう理論化して出版する使命を龍明教祖から与えられた。

病気で医師免許を取得できず、人生に自信を失っていた彼と彼の超一級の頭脳は大いに喜んで、その仕事に取り組んだ。
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原理村に教授と警察がやって来た。統一教会創立前後/5-4

「原理でスイマセン。引き寄せ劉孝元/5-3」 からの続き



   原理村に
     教授と警察が
        やって来た!



 1954年5月1日  世界基督教統一神霊協会(統一教会)創立

           ソウル城東区北鶴洞の三大門教会にて




龍明小説5-4


劉孝元が原理講義をするようになってから、大学生や大学教授など、世の中の頭の良い人たちが引き寄せられ、大勢教会に来るようになった。(先回より)

確かにそういう人たちがやって来て、原理を聞いたが、大方はそれっきりだった。
数ヶ月で100人以上に講義したが、入信する人はほとんどいなかった。


その頃、文龍明を中心に、劉孝元、朴正華、劉孝敏など6名の同志が集まり、団体の正式名を「世界基督教統一神霊協会」と決めた。
そして、原理を掲げて全世界のキリスト教を統一することを目指す宗教団体を設立した。

正式名称の看板を作って入り口に掲げたが、教会家屋は相変わらず狭くボロく、信者は増えず、食口たちは極貧の暮らしをしていた。


裕福な家庭の夫人食口たちが何人か繋がっていたので、龍明は時に彼女らから大口献金を引き出し、やりたいことをやって、金が余れば自分の机の引き出しに隠しておいた。

そして普段は何食わぬ顔をして食口たちに混ざり、貧しい暮らしをしていた。


10月末のこと、延世大学の数学科3年のある学生が原理を聴きに来た。
彼は午後にやって来て、劉孝元が夜遅くまで講義をした後、全体集会が始まり、龍明の話が明け方まで続いた。

翌朝教会で朝食を食べた後、学生は「では」と言って教会を出ようとした。

「原理の続きを聴いていきなさい!」
劉は息せききって彼に言った。
「学校に行かなくてはならないのです」
「それでも続きを聴いていってください。
 これからやります、すぐやります」
「でも……」
「ねえ、聞いてー 聞いてー」
劉孝元は泣きそうになって迫った。

しばらく押し問答が続いたが、ついに学生はキッパリと言ってきた。
「学校に行きます!」

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梨花女子大’55 女史らが大変なことに…❗️韓忠ファの悲劇/5-5


「原理村に教授と警察がやって来た!統一教会創立前後/5-4」からの続き




 梨花女子大’55
   女史らが大変なことに…❗️

       ◆韓忠ファ助教授の悲劇





   龍明小説5-5



梨花女子大事件では、70人以上の女子学生が、文龍明と統一教会のセックス・スキャンダルに巻き込まれた。

1955年3月、同大の教授たち5人が、統一教会に入信したことで、大学当局より免職処分を受け、その後今度は14人の学生が同じ理由で退学処分になった。


事の起こりは、まず劉孝元が、親戚の梁允永女史に「新しい真理を知らせたい」と言って誘い、原理講義をして伝道したことから始まった。
梁女史は、梨花女子大学の音楽科講師で、延世大学でも教えていた。


劉の原理講義は、話の筋が通っていて興味深く、聖書の中で理解できなかったことを明快に説明した。
梁は驚き、3日後、その原理を解明したという龍明教主、別名“文イエス”に会ってすぐに入信した。


それから彼女は2つの大学の同僚や学生らをどんどん伝道し始めた。
この真理を、時の李承晩大統領にも知らせるため、大統領夫人と親しい人たちに近づいていった。
その中に朴マリア副総長がいたが、副総長は後に激しく反対するようになり、伝道は失敗したようだ。
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元祖・借金の女王 呉永春 イネイブラー/5-6

「梨花女子大’55 女史らが大変なことに…❗️韓忠ファの悲劇/5-5」からの続き


元祖・借金の女王、
6マリアの1人、呉永春女史
文教祖のザ・イネイブラー

*ここでのイネイブラーとは、嗜癖その他の問題行動を陰で助長している身近な人のことをいいます。

日本食口以上に(?)借金で苦労してばかを見た
その金で教祖は無罪、自分の家庭は崩壊

もう借りるな、そこまでするな、バカやめろ!
場外(読者)から、やめろコールがとまらない……




龍明小説5-6


1955年3月、梨花女子大学の教授たち 5人が、統一教会に入信したことで、大学当局より免職処分を受け、5月には、14人の学生が同じ理由で退学処分になった。
それだけでは終わらず、7月4日、警官が教会に踏み込み、文龍明教祖が逮捕された。
彼は信者たちに、「すぐに戻ってくる」と言って教会を出たが、翌日になっても戻ってこなかった。
それどころか、金ウォンピル、劉孝元など、4人の幹部たちまでも次々と拘束されていったのだ。


その頃、教会を支える信者の中に、呉永春という裕福な家庭の夫人がいた。
母方の実家は腹中教で金聖道教祖を信じており、彼女も熱心なキリスト教的信仰を持っていた。

39才の時に李ヨハネ牧師を通して、文教祖を再臨の主として信じ、復帰の性儀式を受けてからは、文教祖が困難にぶつかる度に世話役を仰せつかった。

何か問題が起こり、借家を追い出されると、彼女が次の居場所を探し回り、引っ越し費用を肩代わりすること、4回も繰り返していた。
他の6マリアたちとの旅館代、交通費、渉外費なども彼女が負担することが多かった。


龍明が拘束される1か月ほど前の6月初旬、呉永春は龍明に呼び出された。
「梨花女子大問題で、こっちもやばいことになりそうだ。
大金が必要になるだろう。
教会に信者たちは大勢いるが、ほとんど新参者で、頼りにはならない。
こんな時、頼れるのは、あなたしかいないんだよ。
資金を調達してくれないか」

2年前に入信して以来、共依存に陥っている彼女は、彼の頼みに逆らったことがない。
夫の金を引き出すのはもう限界だったが、たとえ借金をしてでも資金を作らなくては、と彼女は思った。
動悸が激しくなり、アドレナリンがでて、何も怖くはなかった。

幸い彼女は知人たちに信用があったので、まず10万ウォンを借り、また10万ウォン、次は30万ウォンを借りた。
利息は10%だった。

それを文教祖に捧げたが、その金は全部、盧東輝氏(Noh Dong-hwi)のふところに入ることになった。

それにより落とし穴を全部塞いだと思ったが、1ヵ月後、また別の穴が開き、文教祖と幹部たちは逮捕され、西大門刑務所に拘留されてしまった。
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若さと金を元返せー 哀れ金順哲夫人/5-7

「元祖・借金の女王 呉永春/5-6」からの続き



   若さと金を元返せー 
      哀れ金順哲夫人





   龍明小説5-7


50年代は、統一教会史上、文教祖による6マリアの関係が一番多かった時期と言えるだろう。

その激しい女出入りは、「50年代・処女と人妻 何百人もの秘密摂理」で評したように、神の計画(摂理)だと文教祖は言うのだが、関係したほとんどの女性は不幸になっている。

「そういう犠牲の上に、後の合同結婚式(一夫一婦制)の時代が拓かれた」と言うならそうとも言えるだろうが、後の世の合同結婚式でも草創期と同じように、不幸になった人が多いのが事実なのだ。

(がんがれー、不幸といわれるオール統一、(元)諸君、がんばって幸せになるんだ、表面だけごまかしても無理だろうけど)


「そうは言っても、それら全部ひっくるめて、そういう尊い犠牲の、教祖由来の摂理によって、神と人類の解放の歴史が、人知れず進んでいるのだ」‥‥と? ないない。ないないのない。

ないのだけれど、そう強く思っている人の中ではそうなのかもしれません。しばらくずっとそうなのかもね?


心にそういう精神世界を作り上げるということは、その中身は置いといて、ある1つの精神世界を作り上げるということは、今生、書生の私からすれば、ある種の興味あることといふべきなり。

ゆえに少々飽きるまで、気楽に付き合ってみやうとするものなりーー


当時の 70×3、210名の人妻、処女、未亡人を全部書くのはとても無理だが、思いつくままに筆を流そう。

キャプチャj1
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3母娘の懺悔の値打ちは・崔家 篤志家/5-8

「若さと金を元返せー 哀れ金順哲夫人/5-7」からの続き



  崔一族 何十億円の篤志家
       3母娘の懺悔の値打ちは




龍明小説5-8


(先回より)
ある時は、女子大生 崔淳実の復帰の性儀式の後ろ盾をし、性行為の証人として付き合った。//


この時、龍明は女子大生 崔淳実に、
「あなたは将来は、再臨主の妻になる人だ」
と言って性関係を迫ったという。

共犯で証人の金順哲夫人も「未来のお母様へ」と言って、彼女に指輪を贈った。


ここでどうしても昭和の歌謡曲を思い出す。
「懺悔の値打ちもない」北原ミレイ
安い指輪を贈られて 花を一輪かざられて
愛というのじゃないけれど 私は捧げてみたかった


アンコールに応えてもう一曲。
ばかだな ばかだな 騙されちゃって
夜が冷たい 新宿のおんな〜
” 藤圭子
末尾に関連動画あり


梨花女子大事件で文教祖が拘束された後、女性信徒たちも順番に署で取り調べを受けた。
主に教祖と性関係があったかという混淫関係の調べだったが、オクセヒョン、呉明春を始め、皆、
「知りません」 「ありません」
「あったらいいなと思いましたけど」
「そういう夢、見ましたー」
「と思ったら、夢でしたー」
などとうまく誤魔化したが、崔淳実は若かったので、担当官の誘導尋問にひっかかり、拘束されることになってしまった。

だが、彼女の裕福な実業家の父親が裏で手を回したのだろう、起訴にはならず、一週間後には釈放された。

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処女の三位基台と筆頭6マリアの運命/5-9

「3母娘の懺悔の値打ちは・崔家 篤志家/5-8」からの続き


  処女の三位基台
       と
     筆頭6マリアの運命



*今回も暗い話ですが(我らが)文鮮明教祖が巻き起こしているのだから仕方ないでしょう(´・_・`)



   龍明小説5-9



裕福な崔家の次女の淳華が文教祖に性関係を強要されたのは17歳の時だったが、55年当時は梨花女子大の一年生になっていた。

100人以上の女子大生が、原理を聴いて統一教会に通ったが、最終的に残った14人が大学側から退学処分になった、その中の1人が崔淳華だった。
彼女はその後、他大学に編入し、学業を続けた。文教祖との関係も続いていた。


姉の方、長女の淳実は、淫行容疑で警察に拘束されたが、起訴を免れ、その後もずっと文教祖の花嫁候補とされていた。
だが59年の秋、正式な婚約の直後に彼女の方から破棄、脱会したと伝えられている。


文龍明の激しい女性関係と望まぬ私生児の誕生。それらは結婚したからといって、きっぱり終わるものではないらしい。

婚約にあたっての龍明からの条件や要求は、教義のヴェールに包まれてはいたが、聞けば聞くほど、なんと自己本意で、男尊女卑にまみれたものだったろう。

全女性の代表とか将来の真の母だとかと持ち上げられ、今まで夢見て忍耐して来たけれど、自分の人生の重要な局面に来て、彼女はハタと現実にかえったのだ。

ある男性信者と一緒に脱会し、その青年と結婚したとも聞く。


ともあれ姉はギリギリのところで、文龍明の魔手から逃れたと言えようが、妹の方はその罠になおさら捕らえられてしまった。

次女の崔淳華は後に妻帯者・文教祖の私生児を生むことになり、彼の虚しい言葉に期待しながら、生涯日陰の身だった。
その存在は、統一教会の歴史から完全に隠蔽されている。

その間に新東亜グループという財閥に発展成長した実家の父親からは、「統一教会を脱会すれば莫大な財産の相続権を与えるが」との打診があったが、彼女はそれを断わり、龍明に献身を捧げ続けた。


2000年代、70歳を過ぎてから息子サムエルと共に統一教会を相手に相続裁判を起こしたが、結果は芳しくなく、彼らは異国で経済的に困窮しているという。

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「日本人官憲が第二母をレイプ」は嘘。事実無根/5-10

「処女の三位基台と筆頭6マリアの運命/5-9」からの続き



 「日本人官憲が第二母様をレイプ」

    は嘘。事実無根。

  
     (最後の資料にて)
   




   龍明小説5-10



日本では「第二のお母様」とも呼ばれる金明姫は、笑顔がかわいい美しい女性だ。
龍明がそれを十分意識していたことは、次の教会生活のエピソードで分かる。

龍明はわざと怒らせるような言葉で、
「明姫よ、お前は今日、ハルモニ達の洗濯を手伝え。
 わたしたちは映画を見に行ってくる。楽しんでくるよ」
と言い、崔淳実と一緒に出かけた。
映画館の中では、
スクリーンの中の女性主人公を見ながら、
「あれは明姫のようだろう? まるで明姫のようだ」
と何度も淳実に言うのだった。

彼のこういう態度は、嫉妬の心を克服するよう女2人を同時に訓練しているのか、はたまた大学の同期生で大親友だという仲の良すぎる彼女らを引き離し、意識を自分に向けさせる算段なのかは別にして、龍明が映画の主演女優を見るように、普段から金明姫の姿を見ていることが分かる。

まだ籍が入っている崔サンキルもそうだったが、金明姫もハリウッドの女優のように、スタイルが良い美しい女だ。龍明は彼女の美しさを承知し味わっていた。

それで2回目に彼女に会った日の夜に、自分と夫婦の関係になれと迫り、その日のうちに事を成し遂げたのだ。


その日は集会の日で、龍明は明姫を含め十数人の信者の前で、理想家庭について熱く語った。
「理想世界が到来するときは、サタン世界が退き、神様の理想世界が新たに来ます。
それゆえに、理想相対に出会わなければなりません!」
理想相対とは、神様が決めた理想的な配偶者のことだ。

キャプチャk1


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報道合戦と正体隠し親泣かせ活動/5-11

「日本人官憲が第二母様をレイプ」は嘘。事実無根/5-10からの続き



 国を挙げての報道合戦と
     ど田舎で 正体隠し
         親泣かせ活動




  龍明小説5-11



文龍明教祖と4人の幹部が当局に拘束されると、各新聞社の報道合戦が始まった。

「文教部(文化教育省)は、統一教会を邪教と認めたが、統一教会はそれを否定している」(京郷新聞 1955.7.5)

「文は、”巧みな弁舌で女性を騙して密通へと仕向ける”」
(ソウル新聞 1955.7.6)

「調査報告によれば、彼は徴兵制手続きに従わず、36才なのに43才と年齢を誇張した。また、延世大学の女子学生(22才)を3日間不法監禁し入信を強制したことが分かった」(東亜日報 1955.7.6)

「文または統一信者により、”4人の既婚婦人が冒涜された”」
(ソウル新聞 1955.7.7)

「”女性信者との不義の証拠が7件 明るみに出た” が、夫が訴状を提出しない限り告訴はできない」(東亜日報 1955.7.14)
(引用は Robert Boettcher in "Gifts of Deceit" P353より)

「文は70人の女子学生と”乱交パーティー”を行った」
(Segae新聞、1957年3月18日、1957年5月13日、1957年5月20日)
以上巻末資料*1
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セックス依存症の後始末・考察いろいろ/5-12

「報道合戦と正体隠し 親泣かせ活動/5-11」からの続き


  セックス依存症の後始末
          考察いろいろ




   龍明小説5-12



当時は、国も貧しく、教会も貧しく、信者たちも一様に貧しい生活を送っていたが、裕福な家庭の奥様方から大口献金をせしめていた教祖は「金なら大いにある」という状態だっただろう。(先回より)

それは龍明が、全国で自家用車が5000台しか普及していなかった時期に、高級ジープを買ったことからもわかる。

彼が貧しい農村に、高級自家用ジープに乗って登場した時は、村中の注目を浴び、騒ぎになったほどだ。
1957年7月7日に購入した。登録ナンバーは「747」

その頃、不法入国した日本で、文教祖の婚外子・喜進を生み、貧乏のどん底で苦労していた金明妃母子には何の送金もせず、帰ってこいとも言わなかった。

キャプチャj3

キャプチャj4

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文氏が女性の胸を揉んだ70年代~性依存症分析素材/5-13

「セックス依存症の後始末・考察いろいろ/5-12」からの続き



   文氏が女性の胸を揉んだ 70年代~
       80年代~ さらなる性依存症 分析素材




   龍明小説5-13


文鮮明はセックス依存症ではないかという捉え方は、文教祖の人間性や行動を知り理解する上で、とても有効な1つの視点だと思いました。

セックス依存症(強迫的性行動症)等で異常性行為をする目的の多くは、単に性欲解消ではなく、自尊心の回復、支配欲・所有欲・男尊女卑などが背後にあるということで、当たっているのではと思いました。

自尊心、支配欲、性欲などの一つ一つは、どこにでもあり、誰にでもあるものですが、性行為でそれらを満たそうという強迫的な衝動といいますか、うまく言えませんが、龍明氏が回復すべき自尊心は、“性で女性を復帰する人類の頂点に立つ再臨のメシア” であり、自分にその使命を委託する独特の神(偶像神)への強烈な信仰という特徴もあわせ持っています。

参考:神々の黄昏さんのコメント
「文龍明氏の女性関係について」
http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-159.html#comment404


血分けをする神霊グループはいくつかあったわけで、たとえばイスラエル修道院の金百文師などは、インフォームドコンセントがしっかりしていたようで、それが社会問題化したとはきいたことがありません。

龍明の場合は、数が多すぎ、やり口も杜撰、金銭要求も激しく、その程度が深刻すぎて放置しておけないと、多くの人が疑義を呈したのです。


自身がセックス依存症と診断され、治療の過程をアニメ化した漫画家さんが、心療内科を受診したきっかけは、他の女性との関係に怒った同棲恋人からハンマーで殴りかかるほどの凄まじい暴力を受けたことだったといいますが、
文龍明さんも同じようにサンキル夫人から尋常でない暴力を受けました。

ゴム靴底による連続ビンタや糞尿撒き、殴り引っ掻きその他ですね。何回か記事にしました。
投獄も複数回されましたが、こいつ強運で、うまく逃れ出てしまい、受診には至りませんでした。


先回の記事では、1955年に2人の若い女性がほぼ同時に龍明の子を産んでいる疑惑について扱いましたが、
60年代はとみてみると、1965年から66年にかけての短期間に、以下のように2人の女性が3人を産んでいることが公表されています。

1965年8月14日 鶴子夫人が仁進を出産(ソウル)
1966年1月28日 愛人が隠し子文サムエルを出産(アメリカ)
1966年12月4日 鶴子夫人が興進を出産(ソウル)

そして67年には、あの神の日制定のための6人儀式というものがありました。
「ショックです 閲覧注意 神の日の制定」

その「6マリア×3回=連続18回性儀式」について、「男として快楽ではあり得ない」という主旨のコメントが2名の男性からありました、具体的には痛みになってくると。 単なる性欲解消やエロ志向では説明がつかないわけです。


では70年代はどうだったでしょうか。
アメリカというお国柄もあるのか、微妙な問題が出ています。
「お父様が女性の胸を揉みましたー」
この信仰的な祝福家庭の兄弟の証は、家庭連合公式のサイトに載っているものです。
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バイデン家と仁進・珍成 トホホのホ/5-14番外編



  バイデンと朴珍成・仁進
      をめぐるスキャンダル
             トホホのホ



 
龍明小説5-14 番外編



大統領選挙が近くなり、バイデン息子のメール流出スキャンダルが出て、話題になっています。
それで思い出したのが、数年前のアメリカの雑誌「ニューリパブリック」誌に載った「文家の崩壊」という記事。

その一部に、仁進の元夫・朴珍成とバイデン家が絡むスキャンダルが書かれていました。
(以下、敬称略にて失礼)
仁進の不倫も関係し、最後は、文3顕進も登場。定番ですが、莫大な献金が流れてしまいます。
記事のその部分を、当時したラフな翻訳でお伝えしようと思います。


ただ経緯を見ると、バイデン家がコカイン中毒の朴珍成の計上書類に騙され、業績不良会社を掴まされてしまった話なのか、
それとも、妻の不倫で弱っていた珍成が、バイデン家に会社を安く買いたたかれ、うまく乗っ取られてしまった話なのか、
怪しい人物が入り乱れ、記事の中でハンター・バイデンも別の意味で言ってますが、まさしく「藪の中」の様相。
双方とも胡散臭い感じです。

ヘッジファンド等、虚業✨に詳しい方の解説がほしいところですが、まあそこがポイントではないでしょう。
結局会社はリーマンショックでポシャり、元日本からの献金8億があっけなく流れます。


ただ、ジョーバイデンは、息子ハンターのロビー活動の経歴が自分の政治活動に不利になると見て、息子にフェイクの職歴を作ろうと、珍成の会社を買収し、息子をCEOに据えたという、そこがスキャンダルなのでしょう。

文家の仁進の不倫や珍成のコカイン中毒のこともスキャンダルだったでしょう。(珍成は以前文家の長男孝進に麻薬をやらされたと記事にあります)


「ニューリパブリック」
https://newrepublic.com/article/115512/unification-church-profile-fall-house-moon

文家の崩壊
ーーー性儀式、外国のスパイ組織、バイデン家の息子、内部抗争で分裂した教祖の家族
The Fall of the House of Moon;
Sex rituals, foreign spies, Biden offspring, and the Unification Church's war-torn first family
2013年11月12日
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