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UCの母体②金聖道 あのいやな神の心情/番外編2.5_5

  
 
  あの いやな 「神の心情」
      ルーツはココだよ お婆さん
          ご苦労された 金聖道 聖主教団





文教祖や統一教会(家庭連合、天の父母様教団 Heavenly parents church w)は、よく「神の心情」という言葉を使う。

たとえば、「創造原理的な神の喜びの心情、人間始祖が堕落した時の神の悲しみの心情、復帰歴史の背後にある神の忍耐・苦難の心情、そういった神の心情を知らなければならない」などと言ったりする。

神の心情を第一にするという考え方は、一見良いようで、非常に問題のある危険な考え方だと思う。


<以下、青字部分は分かりにくい思想的なことなので関心ない方は飛ばしてください>
根本的なことを言うなら、この宇宙の第一原因/創造主がいるとして、それは被造物である人間とは次元の大きく違う、人間には計り知ることのできない存在だ。

たとえば被造物の中にある共通性を発見したとする。それはあくまでも被造物の中に宇宙の法則を見たということ、被造物を理解したということ、被造物の中に神性を見いだしたと言ってもいいが、その逆ではない。

 その逆とは、第一原因/創造主の中に被造物性を見て創造主/神がわかった思うことで、それは誤謬に繋がる。これが創造原理、統一原理のやっていることだ。

’神は本陽性と本陰性の中和的主体であり、さらに本性相と本形状の‥‥’なんて、その延長のようなことをさも重大なように延々とやっている人たちがブログ村でもいるでしょう。意味ないのにね。
原理にハマれば馬鹿になる゚(゚´Д`゚)゚。 参照 

 被造物にある共通性・法則性を見つけて理解することは、人間の共有財産となり、有意義だが、その逆(神の中に被造物性を見て神が分かったと、それを前提に物事を進めること、またはその団体)は、理性の機能の混同であり、誤謬に行き着く、監視対象の、危険な、要注意モノである。


 神の心情という考え方も、神の中に人間の心情を見て創造主の心が分かった気になっているだけであって、その実情はあくまでも被造物・人間の心情なのである。それを信仰の対象にすることは、自分自身が作り出したものに支配される人間の自己疎外状態といえる。タイトルの“あのいやな”とはそういう意味です。

<分かりにくい思想、ここまで>


それはそれとして、この神の心情という考え方や捉え方は、統一教会のユニークな特徴となり、人を惹きつけ、また呪縛するものにもなることは確かだ。
それはどこから来たのか、まさか文鮮明が言い始めたのか? と考えあぐねていたが、そのルーツは「金聖道おばあさん」にあると分かった。


金聖道おばあさん。堕落論を説いた人物としては知っていましたが、またオール統一の皆さんは主の路程に出てくる短いエピソードとしてはご存知かと思いますが、ここでは主に2種の英文ソースを参照して詳しいバージョンをお送りします。


金聖道がイエスから堕落や神の心情について啓示を受けたのは、1923年のことで、文鮮明はまだ3歳、イヨンド(李龍道)牧師などもまだ公的活動をしていなかった時代のことです。

イエス教会、金百文、文鮮明、朴テソンなどがこぞって彼女の説いた教理の轍を踏んだ(朴った)、いわゆる朝鮮神霊集団全ての先駆けと言えるでしょう。

後に文鮮明ほか神霊集団がパクった内容に下線を入れました。 

              *

   金聖道と聖主教団

金聖道女史は1888年、北朝鮮西海岸の鉄山郡で生まれ、18歳で、当時45歳の裕福な家の男の後妻として嫁いだ。
妾や妾子たちからいじめを受ける複雑で困難な生活の中、5人の子供を産んだ後、精神病になってしまった。

按手祈祷を受けて病が治ったのをきっかけに、熱心なキリスト教徒になった。
儒教の夫はそれをよく思わず、彼女が教会に行けないよう衣服を破き、殴り、鞭打ち、引きずり回し、刃物で切りつけなどして、何年も酷く迫害した。
それでも彼女は教会に行き信仰生活を続けた。ついに夫は離婚を決意したが、程なく病気で死んでしまった。

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      ▲ Kim Seong-do 金聖道 (1883 – April 1, 1944)
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UCの母体 イエス教会、霊的になって終了/番外編2.5_4


『万能キリストフィルター/番外編2.5_3』からの続き



 意外にも、日本が設立を後押し⁉︎
     UCの母体 イエス教会、霊的になって終了





 1933年、黄クッジュは他の2名と共に安州長老会から異端と認定された。
 相前後してメソジスト復興師のイヨンドや白南柱(銀白文の師)も主流派から異端として追放になった。

 それによって、彼らを復興師として招くことは全キリスト教会で禁止になったが、彼らは独自に宗教活動を続けていた。

 新しい摂理時代のために新しい血統を立てる使命があるとし、彼らは降神劇を行ない、声明を出した。それが血分けや霊体交換の儀式に繋がった。

 しかし役所の正式な団体登録がなければ、集会を開くことはできない。

 すると日本の総督府の役人から、
「君たちが礼拝集会できるように、登録申請の手助けをして進ぜよう」
と申し出があった。
 明らかに日本当局は、外国宣教師との繋がりがない、民族単立の教会の育成を望んでいた。


 破門された牧師たちはこの思いがけない申し出を受け入れて、団体名をシンプルに「イエス教会」と名付け、イヨンド牧師を代表者にして登録手続きをしてもらった。

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万能キリストフィルター(ドラエモンの声で)/番外編2.5_3


『龍明の霊の祖父、黄クッジュ そのハンパないナリキリっぷり』からの続き


     龍明の霊の祖父、
        黄クッジュ、
           その30年の先進っぷり





 しかし黄の説教や祈祷は圧倒的で、その雄弁な口調は多くの人を夢中にさせた。

 実の父親のファン長老でさえ、息子クッジュの前に跪き「主よ」と呼びかける始末だった。

 クッジュは自分の中にイエスがいると主張しながら、新エルサレムに入城すると称して、間島から平壌、その後ソウルを目指し、徒歩で巡礼の旅を続けた。

 彼のまわりには、父親や姉妹たち、家庭を捨てて出て来た主婦や娘たちを含む群衆が取り巻き、道中を付き従っていた。


 新しいイエスがやって来る!との噂が広まった途中の町や村々から、一行を一目見ようと見物人がドッと押し寄せ、群衆は膨れ上がった。

 群れをなしてうろつき回る数十人もの既婚婦人や若い男女の一群。
 彼らは自由気ままに食っちゃ寝して、同行の旅を続けた。
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文氏の霊の祖父・黄国柱(ファン・クッジュ)/番外編2.5_2




   龍明の霊の祖父、黄クッジュ
       そのハンパないナリキリっぷり




 龍明は “南から来た神霊なる聖書の先生” という触れ込みで、平壌のナの実家に留まった。

 そして例のエホバの妻・神の夫人を探し始めた。教会に関係する人々にそれとなく聞いたところ、程なくそれらしき人物がいることが分かった。

 女は名を丁徳恩といい、やはりイエス教会に関係して、黄クッジュ(黄国柱)の弟子だということだ。


 黄クッジュといえば、イエス教会のイヨンド牧師と同時期に活動し、世を騒がせた異色の宗教家で、朝鮮における血分け性儀式の祖とも言われる。

 後々、ある神学博士論文で、“文ノ龍明の血分けの系譜を遡れば、丁徳恩と黄クッジュ師に辿り着く” と発表されることになった。

 つまり、龍明は丁徳恩とめでたく性儀式を行い、彼女から清い血を分けてもらったが、その丁徳恩は師の黄クッジュから血を分けてもらっていたというわけだ。

 “血分け” はまたの名を “霊体交換” とも言い、性儀式と同時に自分の霊体(魂)が清い霊体と入れ替わるとされているので、黄クッジュはさしづめ龍明の霊の祖父にあたる。

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文氏のガールフレンド:当事者証言

 

「龍明小説2」で何度も参考サイトとして挙げた英文記事の日本語訳(一部)です。


内容はだいぶ小説のネタとして使わせていただきましたが、豪直球情報や、現役さんが「まさかぁ」とショックに思うはずの内容も残っているので、ここに翻訳しておきます。


一般に、当事者や関係者が話を盛って証言することもあるでしょうが、さてこれはどうか。

朴サムエル氏やその母などによる、文氏の血分け華やかなりし50年代のハナシなどを思い起こすと、この朴ウルリョン女史の証言は大方合っているのではないかと思ますが・・・・


 みなさん、自己責任で、判断してください。




 <翻訳はじめ(敬称略)>

Moon had a girlfriend in 1941
https://tragedyofthesixmarys.com/moon-had-a-girlfriend-in-1941/

文鮮明には少なくても41年にガールフレンドがいた。彼女が文を金百文に紹介した。

文はソウルの 明水台イエス教会時代に、ガールフレンドがいた。
名を朴雲女(パク・ウルリョン)といい、彼女は写真の中の自分自身を特定して、自らの手で×印を書いてくれた。
この写真は、下の写真の一部を拡大したもの。

キャプチャ1

キャプチャ2
▲ 文は最前列の左から3番目に写っている。


朴ウルリョンは1990年代初頭のインタビューで、文鮮明と一緒にいた時期のことについて語ってくれた。

1941年2月27日のイエス教会卒業時の集合写真を見た時、彼女は明らかに引寄せられ、記憶が流れ出て来るようだった。
何か隠されたものが表に出てくるような感じがあった。

焼き増し写真をあげますよと言ったら、彼女は喜んだ。
その時彼女は70代で、ソウルで貧しく暮らしていた。

1941年にイエス教会を卒業してから1ヵ月後、彼女と文鮮明は留学のために一緒に日本へ渡った。
彼らは3月31日に釜山から同じ船に乗り込み、翌日日本に着いた。
彼女は日本語を学ぶために東京に行ったので、とても流ちょうに日本語をしゃべる。

ソウルのイエス教会で一緒にいた時も、東京で2人が学生をしていた時も、文は典型的な学生だった、と朴は語った。
彼は人より多く勉強するわけでもなく、際立って多く祈祷するわけでもなかった。
彼は、喫茶店などへ行って、1941-1943当時、日本に普通にいたような学生の生活を送っていた。

文はメシアであることについて一度もしゃべらなかったし、同様にイエスと何か特別な体験をしたことも一切言わなかった。神についても多く語らなかった。
(山口浩も、文のソウル時代の同級生に取材し、当時文は宗教的ではなかったことが分かったと述べている。「原理運動の素顔」P134)

(略)

文は日本滞在時、朝鮮の民族運動または他の何かで警察に逮捕されたことは一度もない、と朴ウルリョンは言った。(下の渡辺氏の記録もみて下さい。文が拘束されたと語った場所に警察署がなかったことを調査確認。*日本語訳では省略)

(略)

朴は文と一緒に日本を去ったのではなかったらしい。
彼女は韓国へ帰った後、ソウルの金百文のメシアグループ、イスラエル修道院に入った。

1945年の秋、文に金百文を紹介したのは朴ウルリョンだった。その頃、文の妻の崔ソンギルは妊娠しており、翌年4月2日に文聖進が生まれた。
朴ウルリョンが文と会ったのは1946年が最後だった。


1990年代も朴ウルリョンは、金百文が待望のメシアであるとまだ確信していた。

インタビューの時、彼女は使い込んで手あかのついた聖書を取り出して、後に文が我こそ再臨主であると証明するために用いた箇所と全くすべて同じ箇所の聖句を引用して、金が来たるべき再臨主であることを説明した。

明らかに文は、金から考え方の多くを手に入れたと見える。

金百文は1917年生まれで、歴史の同時性を開発したのは彼だった。それによって、ルターの宗教改革(1517)の400年後に生まれた金がメシアだと証明したのだ。(文は1920年生まれ

キャプチャ5
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踏んばる北のクリスチャンvsソ連共産党/番外編2.5_1


「日本の総督府が撤退してからの朝鮮半島は、戦勝国の連合軍が入り、南半分がアメリカ軍、北半分がソビエト連邦軍による分割占領統治が行われていた」
   『銀よ、俺を嫌うな。平壌への道/龍明小説2-15』より


ーー1946年の平壌はまだ、朝鮮キリスト教のダイナミックな中心地だった。教会が至るところにあり、クリスチャンたちから “東洋のエルサレム” と呼ばれていた。
 だが壁には「ソビエト傀儡当局がクリスチャンパワーをバラバラにし始めたぞ!」と落書きがしてあった。
    『文鮮明 初期の伝記1920-53』マイケル・ブリーンより



踏んばる北のクリスチャンvs ソ連共産党



 1945年の終戦当時、朝鮮半島北部のクリスチャン人口は、プロテスタントが30万人、カトリックが5万人、合わせて約35万人になった。
(当時の北部の総人口925万人の約4%弱にあたる)

 彼らは特に平壌では大きな影響力を持っていた。皮肉なことに共産主義者の数は北部より南部の方に多かったという。


 北の当局は当初、抗日独立運動の要として、共産主義者よりも役に立ったクリスチャンたちに謝意を示し、比較的緩やかに扱うきらいがあった。

 が、程なく状況が変わってきた。長老派牧師2名が中心になって、政党「キリスト教社会民主党」が組織されるに及んで、当局は危機感を抱いた。

 キリスト教社会民主党は、朝鮮全土における初の政党で、キリスト教の理念に基づく社会改革と民主主義を是とした。その基盤は各地域教会が拠点となって、強固に組織されつつあった。


 北のソ連当局は危機感を募らせ、地域の無学な農民や労働者を買収し、政党組織委員会開催中の教会を襲撃させた。唆された暴民は、教会や家屋を破壊、死者1名と負傷者を出した。

 これに、ほとんどがクリスチャンだった地域の高校生たちが怒って地域民と衝突し、銃撃戦になり、死者23名、多くの負傷者、逮捕者を出すに至った。

 クリスチャンらは五千人規模のデモを行なって当局に抗議した。

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物悲しい心象風景を見据えよ・二巻の終わり/龍明小説2-19


『龍明小説2-18』からの続き




  龍明小説2-19
 



 龍明が家を出て、1週間が経ち、10日が過ぎ、ゆうに半月を越した。

 待てど暮らせど帰らない夫。
 ーー2週間で帰ると言ったのに‥

 不安を募らせたサンキルは、彼を探しに行こうと赤ん坊をおぶって何度も北行きの列車に乗ったが、いつも国境で止められてしまった。

 ついには当局に疑われ、38°線で赤ん坊を連れたまま1週間拘束される事態まで起こり、越境は諦めざるを得なかった。


 しばらくは夫が勤めていた会社から給料が出ていたが、それも3ヶ月で止まった。

 実家の崔家からは龍明憎しで何の援助もなかった。

 生活苦に陥ったサンキルは、市場の果物売場などで働いて幼い息子を育てるしかなかった。

 彼女が再び夫の姿を見るのはそれから6年後のことになるが、それは幸福な再会とはならなかった。



 朴ウリョンは、その日以来一度も龍明に会っていない。46年に彼を見たのが最後となった。

 彼女はその後もずっと銀白文を慕い、その教団に属していた。


 銀白文は3冊の著書を完成させ、新約聖書の黙示録にある子羊の婚宴(キリストと処女の結婚式)を挙げて、地味な信仰生活を全うした。

 銀が1990年に73歳で逝去した後も、ウリョンは来たるべきメシア銀師を信じ続け、再び銀白文キリストが戻って来るのを切に待ち望んでいる。

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